死生観を考える
広井 良典 ひろい・よしのり 2010年7月10日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
死とコミュニティー
「たましいの帰る場所」に [上]

 私事にわたるが、昨年末に83歳で父が他界した。もともと実家が農家だったこともあり、晩年は郊外の小さな農園で野菜の世話をするのを何よりの歓よろこびとしていたが、その農園に父は「還自園」つまり"自然に還かえる園" と名付けていた。私は父親のたましいが確かに自然に還っていったことを、何らの疑いもなく思うことができる。ここではそうした出来事から出発しつつ、これからの日本における死生観について考えてみたい。


 ヨーロッパの国々、たとえば北欧のスウェーデンの地方を車や列車で旅すると、「コミューン」と呼ばれる地方自治の単位となっている地域の中心部に、必ず教会が位置しているのが印象に残る。特に北欧の場合は、プロテスタント(新教)国家ということもあって国家と教会の結びつきが強く、中世において教会が行っていた福祉的な事業や税の徴収を国家がひきついでいったという経緯があった。それがほかならぬ高水準の「福祉国家」が生まれた大きな背景となっている。「福祉」と「文化」は深く結びついているのである。
 こうしたことは、あくまで北欧やヨーロッパの話で、日本ではまったく文化的背景が違うと私は思っていたが、最近になって必ずしもそうでもないのではないかと考えるようになった。
 たとえば、全国にあるお寺の数は約86,000、神社の数は約81,000だそうであるが、これは平均して中学校(約1万)区にそれぞれ8つずつ、という大変な数である。考えてみれば、祭りやさまざまな年中行事からもわかるように、昔の日本では地域や共同体の中心に神社やお寺があった。"日本人は宗教心が薄い"というような見方は、戦後の高度成長期に言われるようになったことだと私は思う。これほどの数の"宗教的空間"が全国にくまなく分布している国はむしろ珍しい。戦後、急速な都市への人口移動と、共同体の解体そして経済成長へのまい進の中で、そうした存在は人々の意識の中心からはずれていったのである。
 加えて興味深いのが、日本の神社やお寺と「自然」との結びつきである。考えてみればキリスト教の教会は、その"人為"的な構築性に特徴があり、尖せん塔が天を目指すように立っているなど、「自然」とのつながりは重要な要素ではない。ところがたとえば神社の場合は、鎮守の森という言葉が象徴するように、森や木々の存在が不可欠なものとなっている(神社のことをさす「杜もり」と「森」とは語源が同じだそうである)。宮崎駿監督の映画などとも通ずるが、自然の中に"神々"あるいは「物質的なものを超えた何か」を見いだしてきた日本人の生命観・宇宙観をよく示している。


 ところで、現在、このような神社やお寺という貴重な社会資源を、福祉や環境学習などに広く活用していこうという動きが各地で始まろうとしている。たとえば東京都国分寺市の「プレイセンター・ピカソ」では、地域の神社の社務所を利用して住民たちが共同の保育事業を実施し、近所の高齢者なども参加している。
 思えばキリスト教などでも「生者と死者の共同体」という言葉があるように、神社やお寺などの空間は、そこにある森や自然とともに、生と死をこえて人々がそこに帰っていくような場所として意識されていた。戦後の日本人が失っていったそうしたいわば「たましいの帰っていく場所」を、それぞれの仕方で再発見していく時代になっているのではないだろうか。
 言い換えれば、コミュニティー(共同体)とは、本来「死」という要素をその本質のひとつとして含むものであり、今後は"「死」を含むコミュニティーの再構築"が日本社会にとっての大きな課題なのではなかろうか。

死と自然  
高度成長で死の意味 喪失 [下]

 昨年末に他界した私の父親が、野菜などの世話をするのを晩年大きな生きがいにしており、郊外の小さな農園を「還自園」と名付けていたことを前回述べた。日本人にとって、「自然」は死というテーマときわめて深い関かかわりがあるように思われる。このことを、ここでは死生観の全体像にそくして考えてみたい。


 日本人にとっての死生観は、ごく大まかにとらえ返すと、次のような三つの層があるのではないかと私は考えている。第一の層は、戦後特に高度成長期に支配的になった死生観で、端的にいえば「死は無である」という考えである。それは個人の意識や存在を物質的な事象として理解し、そうした見方を"科学的"ととらえるような思考の枠組みである。そしてこの層が、高度成長期に強くなった「死といった話題は視野の外に置き、それについて正面から考えたりしない」という傾向と呼応する形で、現在の日本人にとってなお圧倒的な力をもっていることはあらためて言うまでもない。
 第二の層は、いわばそうした層より一歩深いところに存在するもので、「仏教的な死生観」と呼べる層であり、これは仏教伝来とともに伝わりある程度日本人の意識の中に浸透していた死生観である。キリスト教などもそうだが、これはある程度体系化された「高次宗教」の死生観であり、死というものは"涅槃ねはん" ないし"空くう"(仏教の場合)あるいは"永遠の生命"(キリスト教の場合)といった概念とともに、理念化された形でイメージされる。
 そして日本人の死生観の第三の層は、おそらく日本人の意識のもっとも根底にあるもので、"原・神道的"な層と呼べるものである。これは自然のさまざまな事象の中に、たんなる物理的な存在を超えた何かを見いだすような感覚ないし死生観をさしている。山や木や風や川等々に"八百万やおよろずの神様"を感じ取る感覚でもあり、そこには有と無を超えた何か、あるいは死とつながる何かが含まれている。たとえば『古事記』には「常世とこよ」「根の国」といった、現世を超えた世界を表す言葉が登場するが、そこでは「死」というものがどこかに存在する場所として具体的にイメージされている。私はこうした死生観を、自然の具体的な事物の中に、生と死を超えた何かを見いだす世界観という意味で「自然のスピリチュアリティー」と呼んでみたい。
 以上、日本人の死生観の三つの層ということを述べたが、これらは互いにどういう関係にあるのだろうか。私は、これは人々にとって「死」あるいは「神(神々)」というものが次第に遠ざかっていったプロセスと対応していると考える。つまり、歴史的には最も古い第三の層では、死や"神々"は自然の中の具体的な事象とともに存在するものとして身近に感覚されていた。「生と死」はつながり表裏一体のものだったとも言える。続く第二の層においては、そうした「死」あるいは「神」はいわば抽象化された概念となり、そのぶん人間にとって無限の彼方かなたに遠ざけられた。最後に第一の層においては、そのようにして抽象化された「死」や「神(ないし神々)」は、そもそも存在しないものとされた。こうして高度成長期以降の日本人は、"八百万の神様"などといった「不合理な」ことを考えなくなることと平行して、「死」についても考えなくなっていったのである。


 しかし私は、この結果現在の日本人は「死」の意味を見失うとともに「生」の意味も見えなくなり、根本的な次元でのよりどころの不在に悩まされているように見える。「死生観の空洞化」とも呼ぶべき事態である。
 私たち現代の日本人にとって大事なのは、ここで述べたような、戦後の高度成長期に次々と脇にやり忘れていった死生観の層をもう一度確かめ、そことのつながりを回復し、何らかの着地点を見いだしていくことではないだろうか。そのことが、前回述べた「たましいの帰っていく場所」という主題とも重なると思えるのである。

ひろい・よしのり 1961年、岡山市生まれ。東京大教養学部卒。千葉大教授。専攻は社会保障、医療などを中心とする公共政策及び科学哲学。著書に『死生観を問いなおす』(ちくま新書)『コミュニティを問いなおす』(同、第9回大佛次郎論談賞受賞)『定常型社会』(岩波新書)『ケア学』(医学書院)など多数。