親鸞からの手紙を読む
阿満 利麿 あま・としまろ 2010年5月29日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
ともがらのつながり
信心共有しあい血縁を超えた縁 [上]

 この半年ほど、親鸞の手紙を現代日本語に訳す仕事をしてきた。親鸞の現存する手紙は四十二通あり、ほとんどは八十歳代のものである。親鸞は九十歳で亡くなっているから、晩年のものばかりである。なかには、目も見えなくなった、すべて忘れてしまった、など老耄ろうもうの悲しみも述べられている。
 とりわけわたしが注目したのは、手紙に見られる、親鸞独自の言葉遣いである。それは、動詞のあとに「あう」(古文では「あふ」)という動詞を重ねるやりかたである。たとえば、「はからう」に「あう」をつけて「はからいあわせたまう」、「祈る」に「あう」をつけて「祈りあわす」など。
 文章でいうと、念仏の教えをまちがって了解している人物にひきずられてゆくことについて、「信心がお互いに間違った方向へますます進みあってゆかれるようにお聞きすることこそいたましいことです」とある。また、念仏を広めるために権力者の手をかりようと、「お互いに思案・工夫しあっておられることは、けっしてあってはならないことです」というくだりもある。
 いずれも、「お互いに…しあう」という意味が強められている。こうした言葉遣いから分かることは、親鸞はいつも信心をともにする仲間を意識して手紙を書いていた、ということである。このほか、個人宛あてであっても仲間たちへの回覧を期待している手紙も多い。それはたんに紙が貴重な時代であったからとか、手紙を布教の手段にしていたから、というような次元のことではない。


 つまり、親鸞においては、信心は仲間たちと共有されることによって、独りよがりから解放され、さらに、信心を中心とする生き方が実践しやすくなる、という考えがあったのであろう。宗教は個人の私事、という現代風な考えは、はじめからなかったのだ。
 このように、いつも同朋とともにある戸いう考え方は、手紙から離れるが、親鸞の信心を特色づける「正定聚しょうじょうじゅ」という言葉の解釈にもはっきりと表れている。「正定聚」とは、仏教の修行過程のなかで、次は必ず仏になることが定まっているという位のこと。親鸞は、信心を得るとそのときただちに「正定聚」の位につく、と主張する。注意したいことは、その「聚」という漢字に「ともがら」とわざわざ振り仮名をふっていることなのである。
 信心に生きるということは「一人」だけが救われた、という気分でいることではないのだ。信心を得るということは、人は関係性のなかにある、という仏教の根本教義である「縁起」に目覚めることなのである。「つながりのなかの私」の自覚といってもよい。文字通り「ともがら」の一員となることなのだ。
 『歎異抄』のなかに、阿弥陀あみだ仏の本願は「親鸞一人のため」にあったのだ、という親鸞の述懐があるが、ここでいう「一人」はけっして他人から切り離された、孤立した「一人」の意味ではない。
 それが証拠にすぐつづいて「多くの業をもちける身にてありけるを」という文章が記されている。つまり、その「一人」は、過去の数え切れない人々との関係を背負った存在、業縁的存在なのである。だからこそ、『歎異抄』(第五章)にあるように、我々はお互いに、過去世では父母兄弟姉妹となりあっていた、と信じることができるのである。


 これに比べると、最近は「無縁社会」という言葉が流行し、一人で誰にも看取みとられずに死んでゆく不安が話題になっている。だが、親鸞たちの信心は、血縁を超えた新たな「縁」の発見となるのであり、信心をともにする「ともがら」のなかで、「ともがら」とともに生きる道があることを示している。こうした考え方は、親鸞たちが生きていた十三世紀はもとより、現代においていっそう訴える力があるように思われる。

世を厭うしるし
仏教徒になった証し 他人への慈悲を実践 [下]

 親鸞の手紙のなかに、しばしば「世を厭いとうしるし」という言葉が登場する。それだけを聞くと、厭世えんせいのすすめなのか、と誤解されるかもしれないが、じつは仏教徒としてはっきりとした生き方を示す、という意味なのである。
 一般的にいえば、世間の価値観や常識によって、毎日の暮らしが足りているのであれば、けっして宗教の世界への関心は生まれない。たしかに、今の世の中のあり方に距離を感じるとか違和感を覚えることはしばしば起こるだろう。だが、大抵は、自分なりにその距離感を調節して、世間にあわせて生きてゆく工夫や知恵を身につけている。
 しかし、なかにはそうした世間との距離や違和感を持ち続けてしまう場合もある。それは、自分のわがままから生まれることもあるだろうし、世間の方が道理に背いている場合もあろう。いずれにしても、世間とのずれを保ち続けること、それを、親鸞は「世を厭う」という。
 「世を厭う」ことは、それだけにとどまると、人生の敗北者や脱落者になってしまう恐れもあるだろう。だが、親鸞がいう「世を厭う」ということは、けっして厭世観にひたることでもないし、投げやりに生きることでもない。世間的な常識の尺度や価値観からずれていると感じることは、やがて、積極的にいえば、別の尺度や価値観を見いだす努力につながる。そして、新たに発見された尺度や価値観をはっきりさせる営みが「しるし」という言葉の意味なのである。


 手紙に即して説明してみよう。阿弥陀あみだ仏の本願は、どのような人間でも阿弥陀仏の名を称すれば、かならず浄土に迎えて仏とする、というものだ。したがって、悪事を重ねた人間には、とくにありがたい教えとなる。だが、そのありがたい教えも、思わぬ落とし穴がある。それは、阿弥陀仏は悪人を救うのだから、わざと悪事を犯せば、阿弥陀仏の救いもいっそう確実になるはずだという、はき違えを生むことだ。親鸞は、個のような傾向を憂いて、それはあたかも薬(阿弥陀仏の本願)があるから毒(悪事)を好めというに等しい、と諌いさめた。
 わざと悪人の振りをすることは、せいぜい世間の常識に反するだけのことで、人に嫌がられるのがおちだろう。それでは、まだとても仏教徒になったとはいえない。
 そうではなく、悪人でも成仏できるという教えに出遇であって、阿弥陀仏の慈悲を知るようになると、わが身の悪いところも少しでもよくしようと思う気持ちが生まれるし、今まで無関心であった他人に対しても、少しでも優しくしたい、という気持ちも起こるはずだ。それが仏教徒になった証拠なのだ、と親鸞はいう。
 「世を厭うしるし」とは仏教徒の証しなのである。それは、道徳ではない。だが、道徳に破れ、絶望した末に阿弥陀仏の本願を頼みとしている念仏者がどうして、おのれの罪を克服し、他人への慈悲を実践しようとすることができるのか。一見矛盾しているようだが、それこそが、ひとえに信心、念仏の結果なのである。
 なぜならば、信心といい、念仏というのは、すべて「私」のなかではたらく阿弥陀仏の姿であるから。たしかに信心を得ても、人はなかなか変わることができない。だが、浅深、遅速の差はあっても、阿弥陀仏は念仏をする人間の背を押して慈悲の実践を促す。すると、徐々にだが、人は変わり出す。親鸞はそれが念仏者にふさわしい生き方のはじまり、つまりは「世を厭うしるし」が見えてきたことなのだ、という。


 こうした生き方ができるためには、「ともがら」の存在が大きい。一人ではなにもできなくとも、「ともがら」(同朋どうほう)と一緒であればこそ、慈悲の実践も少しはすすむ。
 親鸞が「世を厭うしるし」として、とくに強調しているのは、意外なようだが、念仏を弾圧し、妨げる人々に対して、あわれみをもち、彼らのために念仏せよ、とすすめている点だ。それは、師・法然から教えられたことだが、そこには、宗教的差別(信じないものを差別すること)はもはやない。このことは、宗教が争いの原因となりがちな現代では、一段と深く、重い意味をもつ。
 「ともがら」の強調といい、「世を厭うしるし」といい、親鸞たちは、阿弥陀ぶつの慈悲を暮らしの尺度とする、信仰共同体をつくりだそうと試みていた証拠なのである。手紙を読めば読むほどにそう思う。

あま・としまろ 1939年、京都市生まれ。京大教育学部卒。NHKディレクターを経て明治学院大教授。著書に『日本人はなぜ無宗教なのか』『仏教徒日本人』(以上ちくま新書)『親鸞からの手紙』(ちくま学芸文庫、6月上旬刊行予定)など。