伊勢神宮のまつり
河合 真如 かわい・しんにょ 2010年5月15日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
神宮と神話 神に感謝捧げ面白い世に [上]

 面白きこともなき世を面白く

 明治維新の夜明け前に活躍した高杉晋作は、面白い世の到来を願っていた。
 面白いの面とは、顔のことをいう。その面が白くなるとは、ぱっと目の前が明るくなることを意味する。
 なにかと暗いニュースが多い昨今、幕末の風雲児のように輝かしく面白い世界を夢みて行動したいものである。
 なにごとにも、ルーツがある。面白いことの始原を探っていけば、『日本書紀』『古事記』の神話伝承にたどりつく。天岩戸あまのいわとの物語である。
 ―天上に高天原たかまのはらという国があった。天上世界では、天照大神あまてらすおおみかみを中心に平和な暮らしが保たれていた。
 その世界に異変がおきたのは、荒ぶる神が出現したことによる。水田の破壊、機織はたおりの妨害が行われ、神聖な宮殿まで汚されてしまったのである。
 このため、天照大神が天岩屋に隠れ、高天原は光を失って暗黒の闇につつまれた。神々は、輝かしい世界と秩序を取りもどすために集結した。
  智恵深い思兼神おもいかねのかみが神々と図り、まず夜明けを告げる長鳴鳥ながなきどり(ニワトリ)が集められた。閉ざされた岩戸の前には榊さかきが立てられ、鏡と勾玉 まがたまが飾られた。
 準備が整い、祭りが始まる。祝詞のりとを奏上そうじょうする神。楽しい舞を踊る女神。力の強い神は、岩戸を開けようとした。
 すべての思いが一つになり、それぞれの力が結集されたときに閉ざされていた岩戸が開かれた。世界はふたたび光につつまれたのである。
 この後、乱暴をはたらいた素戔鳴尊すさのおのみことは心身を清める禊みそぎをすませて地上に降臨こうりん。人々を救う英雄神となった―。


 こうした神話が語る天岩戸開きによって愁い沈んでいた神々の面が白くなったと伝えるのは、斎部広成の『古語拾遺しゅうい』である。
 原文には「上天初あめはじめて晴れ、衆倶もろともに相見あいみて、面皆明白おもみなしろかり」とあり、神々が共に輝かしい顔を確認し合う様子が記されている。
 神話は、神を敬い謙虚な心で衣食住を大切にして生活するならば、平和な世界が維持されていくことを伝える。
 また一人でも秩序を守らなければ、世界全体が危機的な状態になることを教えてくれる。
 日本の祭りは、こうした神話世界の教えを具現化したものである。それは、心を一つに目的にむかい、実践することが面白い世をつくる道であると確認する場ともいえる。
 面白い世とは、ただ笑える世情のことではない。晴々はればれと生きるための業わざが大切にされている社会をいうのである。
 神道とは、まさに神々に感謝を捧ささげる祭りを行い、生命に関かかわる業を尊ぶ道である。業とは神々がなされた働きであり、人は神業を引き継いで働くという自覚のもとに道を違えることなく生きていけるのである。


 伊勢の神宮においても、天照大神につながる神業を継承する祭りをつづけている。米作り、絹や麻を織ることに関わる祭りをはじめ年間の神事は1500回を数える。
 寓社は、天照大神を祀まつる皇大こうたい神宮(内宮)、豊受とようけ大神を祀る豊受大神宮(外宮)をはじめ125に及ぶ。その歴史を訪ねれば、二千年の昔にさかのぼる。
 かつて、天照大神は歴代の天皇によって皇居の中で祀られていた。しかし、第十代嵩神すじん天皇の時代に、同じ宮殿では畏おそれ多いということから、大和の三輪山に近い笠縫邑かさぬいのむらで祀られるようになった。
 さらに、第十一代垂仁天皇の時代によりよい寓地を求めることになった。そのため皇女の倭姫命やまとひめのみことが各地を巡り、五十鈴川の上流に内宮を創建されたのである。
 『日本書紀』によれば、倭姫命に天照大神が「伊勢国は、常世之浪重浪帰とこよのなみしきなみよする国なり。傍国可怜かたくにのうまし国なり。是の国に居らむと欲おもふ」と伝えられたとある。
 寄せくる波のように、永久不変の美しい風景。そのなかで神宮も悠久の歴史を重ねることになったのである。

歴史と神事 日々、年々、式年 瑞々しく [下]

 告げ亙わたるかけの八声に久堅ひさかたの天の戸あけて春は来にけり     吉田松陰

 かけ、とは鶏(ニワトリ)のこと。神話では、天岩戸あまのいわとを開くために鳴いたと伝わる。鶏は夜明けを告げるように鳴くことから、闇を払う力をもつと信じられていた。
 光を招く鶏を想おもい、腫ればれとした世の到来を松陰は願っていた。その志を受け継いだ一人が高杉晋作。面白い世をつくるために奔走したのである。
 人の行動規範となり、歴史を動かす力ともなった神話は、今も息づく。神代さながらの祭りをつづける神宮。伊勢の杜もりに放たれている神鶏しんけいも人に夜明けを告げて鳴く。
 天照大神あまてらすおおみかみを祀まつる皇大神宮こうたいじんぐう(内宮ないぐう)が創建されて以来、二千年にわたる祭祀さいしを支えているのは、みどり豊かな神路山かみじやま
 その山を源とする五十鈴川の清流は、神々にお供えされる神田の稲、御園みそのの野菜や果物を育はぐくむ。
 山のミネラルを含む水は、二見浦の河口で海のミネラルとまじりあう。そこでは滋養あふれる塩がつくられ、お供えや清めのために用いられる。
 さらに水は、太陽の光によって蒸発。雲となり雨となって山へと回帰する。こうした自然循環のなかで神宮は、自給自足の伝統を守ってきたのである。


 それは、『万葉集』に、
 山見れば 高く貴し
 河見れば さやけく清し
 水門みなとなす 海も広し
 と詠われた伊勢の風景を永遠のものとする営みでもあった。
 神と自然を崇あがめ、祭祀をつづけることで環境と食が保全され、過去と未来がつながるからである。
 「食」とは、「人」を「良」くするものと読みとれる。古代の人にとっても食をはじめとする業わざは、生命と生活に関わる大切なものであった。
 伊勢において日々の祭りの充実が図られたのは、第二十一代雄略ゆうりゃく天皇の時代。産業の守護神・豊受大神とようけのおおかみが高倉山たかくらやまのふもとに祀られたのである。
 それ以来、千五百年間。豊受大神宮(外宮げくう)では、毎日朝夕の二度、神々に御飯・魚・海藻・野菜・塩・水・酒をお供えする、日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさいがつづけられている。
 四季折々の祭事も多い。春には豊作を祈り、神田に種をまく下種祭げしゅさい。作物の生育を願い、風雨の順調を願う風日祈祭かざひのみさい。稔みのりの秋には、初穂を抜いて収穫する抜穂祭ぬいぼさいが行われる。
 毎年の祭のなかでも重儀とされるのは、十月十五日から二十五日にかけて神宮の百二十五社において行われる神嘗祭かんなめさい
 神嘗祭には、宮中から御初穂も奉献される。それは、国と民の平安を祈りつづけておられる天皇が、皇祖・天照大神の神業のままに育てられたものである。
 祭に先立っては例年、祭器具類が新調される。そこには、神と初穂によせる究極の感謝の心がこめられている。
 純白の新米。真新しい神具。まさに、正月を想わせる稔りの秋を伊勢の人々は、神嘗正月という。神嘗祭は、大祭の名で親しまれ、全国各地からの奉祝行事も催される。
 神宮最大の祭りは、二十年に一度の式年遷宮しきねんせんぐう。式年とは、定められた年限。遷宮とは、隣接する二つの御敷地に宮を建て替えて神をお遷うつしすることをいう。
 式年遷宮の歴史は、千三百年。第四十代天武天皇のご発案により、次の持統天皇の御代に始められた。
 新造されるのは、お宮だけではない。神に捧ささげる御装束神宝おんしょうぞくしんぽう(七百十四種・千五百七十六点)も、当代の名匠の手によって新調される。


 日々、年々、式年。繰り返される祭りによって古の精神と姿が瑞々みずみずしく保たれていくのである。神宮が古くて新しいといわれる所以ゆえんである。
 神祭りとは生かされていることに感謝することでもある。その心と業を先人が伝えてきたように、子孫へ渡すことが今を生きるもののつとめである。
 命と業の永遠の連鎖を願い、第六十二回神宮式年遷宮が行われるのは、平成二十五年の秋。その日時は、天皇が定められる習わしである。
 古色を帯びた旧殿から、目映まばゆい新殿へと神々をお遷しする祭りでは、鶏鳴三声けいめいさんせいという所作が行われる。内宮では「カケコー」、外宮では「カケロー」と、神職が鶏の声を真似まねて三度、唱えるのである。ここにも神話は、生きている。

かわい・しんにょ 昭和30(1955)年、岐阜県生まれ。神宮研修所卒。昭和50(1975)年伊勢神宮に奉職。現在、神宮参事、神宮司庁広報室次長。著書に『絵で見る美しい日本の歴史』(講談社)、宮澤正明写 真集『伊勢神宮 現代に生きる神話』解説(講談社)など。