死生観を見つめて
柏木 哲夫 かしわぎ・てつお  2010年1月9日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
日本人のあの世観
西のかなたにあるような [上]

 ■あの世はいいところ

 ある老人ホームでの二人のお婆ばあさんの会話。「あの世はどんなところなんじゃろう」
 「行ったことがないんで、ようわからんが、いい所だと思うよ」
 「なんでかね」
 「行った人が一人も帰って来んもの」
 これは作り話だと思うが、あの世の存在を信じているお年寄りの姿をユーモラスに描いている。
 日本人はどんなあの世観を持っているのだろうか。それは時代の流れと共に変化するのだろうか。二十年前に約五千人の一般の人々を対象にあの世観を調査したことがある。「死後の世界はあると思いますか」という問いに対して「はい」と答えた人が32.4%、「いいえ」が23.9%、「わからない」が43.7%であった。二〇〇〇年の電通総研の調査によると、それぞれ31.6%、30.5%、37.9%となる。この数字をどう解釈するかは難しい。数字の上では、死後の世界はないと思う人がやや増え、「わからない」が減ったと言える。
 死後の世界の存在を信じている人が30%もいるのかと思う人もあれば、30%しかないのかと思う人もあるであろう。ただはっきりしているのは「わからない」と答えた人の比率が高いということである。これは世界一なのである。因ちなみにアメリカ人の場合、「はい」は77%、「わからない」は7%である。日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように見える。悪く言えば、どっちつかずの見方で他国から理解不能な民族ととらえられる傾向があるともいえるし、よく言えば、存在を証明できない以上、どっちでも良いではないかと哲学的(?)に考えている民族であるともいえる。


 ■この世と地続きのあの世

 ホスピスという場で約2500人の患者さんを看取みとる経験をしたが、その中でさまざまな「あの世観」に接した。奥さんを数年前に亡くした八十代の末期胃がんの患者さん。衰弱が進み、まわりの声は聞こえるが、ほとんど自分では声が出せない状態になった。献身的な看護をしていた娘さんがとても優しい声で患者さんに「お父さん、お母さんが向こうで待っているから、心配せんでええのよ」と言った。患者さんは小さく、しかし、はっきりとうなずいた。言葉にはならなかったが「うん、わかった」という意味のうなずきと感じた。
 彼女は「あの世」のことを「向こう」と言った。その表現の中に「向こう」はこの世と地続きである感じがあった。ひょっとすると「向こう」は西の方なのかもしれない。私は「西方浄土」という言葉を思い出した。「あの世」では、先にこの世を去った人たちが、この世とそれほど変わらない生活をしており、この世から来る人を待っている。
 死という言葉を直接使わず「お迎えが来る」とよく言うが、人がこの世で死を迎えた時に、あの世から使者が来てあの世に連れていくということで、日本人のあの世観につながるものである。


 ■死は門

 多くの日本人はそれほどはっきりしたイメージでないが、西の山のずっと向こうに「あの世」があるような感覚を持っているような気がする。葬儀のときの弔辞を聞いていると、もうこの世にはいないが地続きのあの世へ旅立った個人に対して話しかけている感じがする。
 アカデミー賞を獲った映画「おくりびと」の中に日本人の死のとらえ方、あの世観が見事に示された場面があった。銭湯を経営していたお母さん(吉行和子さん)を亡くした息子さん(杉本哲太さん)と、銭湯の常連客だった火葬場の職員(笹野高史さん)が火葬場の火葬炉の前で会話する場があった。職員は「門」という言葉で死を語った。「死というのは門だと思う。みんなこの門をくぐって向こうへいく。私は門番として、この門から沢山たくさんの人を向こうに送った。私もこの門から向こうに行く。そしたら、私が送った人と向こうで会えるだろう」。これは日本人の代表的な死生観だと思う。

最期のことば
むき出しの魂 生き様映す [下]

 人は生きてきたように死んでいく。まわりに感謝して生きてきた人はスタッフに感謝しながら亡くなる。まわりに不平を言いながら生きてきた人はスタッフに不平を言いながら死んでいく。臨終の場にその人の生き様が凝縮する。家族との関係も凝縮して表れる。
 患者さんや家族が言った最期のことばはこれまでの人生の総決算のような気がする。私が聞いた三つの印象的な最期のことばを紹介する。

 ■もったいない

 S君は十七歳、サッカー部で活躍する明るく活発な高校二年生だった。急性骨髄性白血病に罹患りかんし、何度か一時的に症状が軽減した寛解期があったが、次第に治療に反応しなくなり、母親の強い希望でホスピスに入院した。S君の衰弱が進み、食事がほとんど摂れなくなった。S君の臨終は予定より早く来た。臨終を告げた直後、母親はS君に覆いかぶさり、しっかりと抱きしめて、「もったいない、もったいない」と二度うめくように言った。とても印象的な言葉であった。
 S君の母親の「もったいない」はどんな意味があったのだろうか。おそらくこれまで一生懸命育ててきた一人息子。大学を出て、仕事につき、結婚、子どもの誕生…と将来を夢見ていた。その夢が途中で途絶える事になる。本来続くべき生命が途中で続かなくなる事を惜しみ、嘆く気持ちの表現として「もったいない」が出たのであろう。


 ■死にとうない

 七十二歳(男性)の膵臓がん末期のEさんが痛みのコントロール目的でホスピスに入院してきた。Eさんは働き者で、一代で倉庫会社を立ち上げ、社長となり、富と名誉を手に入れた。痛みはモルヒネの除放錠でかなりうまくコントロールできた。しかし、食欲が落ち、次第に衰弱が進むにつれて、彼は死が近いことを体で感じ始めた。ある日の回診の時、彼は「死にとうない。何とか助けてほしい。金はいくらでも積む」と絞り出すような声で言った。私は「そう、死にたくないですよね」としか答えられなかった。いよいよ衰弱が進み、「死にとうない、死にとうない」と言いながら、Eさんは入院後一ヵ月半で旅立った。やや切ない看取みとりであった。


 ■行ってくるね

 Eさんと対照的だったのがFさん。肺がん末期の女性患者。診察すると呼吸音がかなり弱い。死は近いと思われた。Fさんは「先生、わたし近いと思っています。それはいいのですが、息苦しいのがとてもつらいのです。これさえましになればありがたいです」と落ち着いて言った。ステロイドと少量のモルヒネで息苦しさはかなり軽減した。入院してから一週間目の回診の時、Fさんは「明日か明後日のような気がします。わたし、先に行ってますから、先生もまた来てくださいね」と言った。あまりにも自然な言い方だったので私も「ええ、いつ行けるかわかりませんが、私も行きますから先に行って待っててください」と言った。クリスチャンだったFさんは死後、神の国、天国へ行くということを確信しているように感じられた。
 それから二日後、呼吸が浅くなった。娘さんがFさんの手をしっかりと握っていた。しばらくの沈黙の後、Fさんは小さな声で、しかし、かなりはっきりと、「行ってくるね」と娘さんに言った。娘さんは「行ってらっしゃい」と答えた。ユニークなやりとりだった。短い会話には再会の確信があった。
 末期とは衣(地位などの社会的な衣も含んで)がはげ落ちて魂がむき出しになる時期である。
 Fさんは五人の子どもを育てた平凡な主婦であった。粗末な衣を着て、社会的な衣も普通の主婦であった。しかし、末期になり、魂がむき出しになった時、そこにどっしりとした平安があった。その平安は上から来るもの、神から来るものかもしれない。
 富や名誉から来る安心は横から来るものなのであろう。安心と平安は違う。安心とは心が安楽かということで横から来る。富や名誉、家族や友人などは安心につながる。しかし、この横からの安心は衣がはげ落ちたときあまり役に立たないことがある。先のEさんは元気な頃は富、名誉、家族があり、安心していたけれど、末期になって、魂がむき出しになったとき、平安がなかった。平安は上から縦に来る。安心は心が安らかという意味だとすれば、平安は魂が安らかという意味であろう。良き死を死すためにはやはり、魂の平安が必要であるように思う。

かしわぎ・てつお 金城学院大学長、大阪大名誉教授、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。1939年、兵庫県生まれ。ワシントン大にて精神医学研修。帰国後、淀川キリスト教病院にホスピス設立。著書に「死にゆく人々のケア」(医学書院)など多数。