いのちを見つめて生きる
西村 恵信 にしむら・えしん 2009年8月15日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
大自然から布施を受ける
あの音が聞こえますか? [上]
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この頃読んだ与謝野晶子の歌、「ありし日に おぼえたる無と 今日の無と さらに似ぬこそ あわれなりけれ」が、いつになく深く心に染みた。自分もそういう心境に近づいてきたからであろうか。晶子は若い日にある禅僧に近づいたらしく、中にはあやしい歌もあるが、この歌には深い人生の悲哀が詠まれているように見える。
ここでいう「無」を、分かりやすく「無情」のこととすると、この歌は誰の目にも分かりやすいであろう。そう、たしかに私自身を省みても、見るものがすべてキラキラと希望に輝いていた若い日と、人生に斜陽のさし始めたこの頃とでは、同じ言葉を聴いても、味わいの深さが違っているのに気付くのだ。若いときにはただの思想に過ぎなかった「無情」という言葉にしても、この頃では五官を通して自分の身を刺してくるようになった。
「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」という藤原敏行の歌は、高校生の頃から知っていた。それがいつしか自分の体を吹いて通る風の音に変った。自分を中心に動いてきた今までの生き方に、自然という大いなる「いのちの音」が共鳴を始めたらしい。それは人生のある時点において、誰もが体験させられる「驚き」であり、「風の音にぞ 驚かれぬる」と詠われたゆえんであろう。
川端康成の「山の音」も、そういう訳の分からない音への驚きのようだ。かれは次のように書いている。
八月の十日前だが、虫が鳴いている。木の葉から木の葉へ夜霧の落ちるらしい音も聞こえる。そうして、ふと信吾に山の音が聞こえた。(中略)風の音か、海の音か、耳鳴りかと、信吾は冷静に考えたつもりだったが、そんな音などしなかったのではないかと思われた。しかし確かに山の音は聞こえていた。魔が通りかかって山を鳴らしていったかのようであった。 |
種田山頭火にもよく似た詩がある。「雨だれの音も年とった」というたった一行の詩であるが、そのうちに人生の悲哀がギュッと詰まっている。雨のために托鉢たくはつの足止めを喰った山頭火は、そのかわり「彼だけに聞こえる雨の音」という大自然からの布施を受けたのである。そういう音が聴こえるまでに、若い日の彼の中を、どれほど濁世じょくせの雑音が通りすぎたことであろう。
心静かになった山頭火は、おそらく宗祖道元の、「聞くままに また心なき 身にしあらば おのれなりけり 軒の玉水」の悟境に近づいていたのであろう。この歌もまた、唐の禅者“鏡清道きょうしょうどうふ”の聴いた「雨滴声うてきせい」を、道元がみずからの身において追体験しての歌であった。
ある時、鏡清和尚が弟子に向かって、「門外の音はいったい何だ」と聞く。弟子が、「雨だれの音でございます」と答えると、「世間の人はお前のように、物についてまわって自分を見失うのだ」と言われた。そう言えばわれわれは、ポトポト落ちる雨垂れが決して外界の音ではなく、それを聴く心の音であることを自覚することは殆どない。
ところで私にはこの頃、絶え間なく減っていく「いのちの音」が聞こえるようになった。いのちは人によって長いのも短いのもある。それは人がこの世に来るとき、閻魔えんま大王からもらったバケツの大きさが違うからである。バケツにはいのちの水が入っている。しかし困ったことに、どのバケツにも例外なくそこに穴が開いていて、いのちの水は絶え間なくポトンポトンと漏れ続けているのである。
さて、これを読んでいるあなたに、今この瞬間にもあなたのバケツから漏れつつあるいのちの水の、「その音」が聞こえるであろうか。また、たとえその音が聞こえたとしても、いのちの水のあと僅わずかな残量にまで気付く人があれば、その人は殆ど宗教的天才であるといえよう。
死を基点に残り人生逆算
今日が一番若いのです [下]
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清水寺の貫主であった亡き大西良慶和上が百五歳の頃、自分の人生で一番楽しかったのは七十代だったと述懐された。偶然のことながら、百五歳の長寿を全うした画家の小倉遊亀さんも生前、私は七十代が一番充実していた、と語られている。ようやく七十五を迎え、愛車に落ち葉マークを張り付けた惨めな私は、このお二人の回顧談を読んで、よし今なら間に合うぞと、にわかに若さを取り戻した。
もともと、アルフォンス・デーケン神父の『第三の人生』を読んでから、人生にはそれまでとはすっかり質の異なる、黄金の時期が待ち受けていることを確信していた。第三の人生はだいたい定年退職して、社会の第一線から引退する頃が始まりである。それは当人にとって言い知れない淋しさであり、絶望である。まして健康を誇っていた身体に、思わぬ病が発見されたりすると、歩いている道の彼方に、ふと死の影がちらついて見えるのだ。
デーケン師によれば、ここからが最も素晴らしい「質の人生」の始まりであるという。ここにきて落ち込んでしまい、いたずらに死を待つだけの人と、今まで気付かなかった人生の深い意味に目覚める人とは、はっきり二班に分かれるというのである。
私にとっても、五十年のあいだ勤続した大学を引退することは、人生の大きなターニング・ポイントであった。残された人生をどのように輝かしく生きるか、ということは誰にとっても、自分自身に課す老後のメーンテーマである。ちょうどその頃、晴山洋一の『すごい言葉』(文春新書)のなかに、ウィリアム・フォークナーの、「時計が止まる時、時間は生き返る」という言葉があるのを知って、これはまさにすごい言葉だと納得した。
われわれは社会生活のために、「時計」を必要とする。それは自己と社会とを結び付ける大切なコミュニケーションの用具である。そう、私も朝起きて腕に時計をはめ、時計を外して夜のベッドに入るまで、時計に引っ張りまわされるようにして、毎日をひたすら生きてきた。そして今や時計の奴隷から解放されたのである。退職後も結構忙しいのだが、時計なしでも済む、「無責任な忙しさ」を楽しんでいる。
私たちはふつう、「時計」を「時間」と間違えているようだ。実は時計は時間ではなくて、空間に過ぎないのだ。眼めに見える文字盤の上を二本の針がクルクルと永劫えいごうに回帰するだけのもの。あれは決して時間ではない。時間は眼に見えないものである。そして時計のように毎日同じことを繰り返さない。時間は一方方向に、鹿も素早く過ぎ、二度と戻ることはないのである。
時間は存在するすべての物の「本質」であって量ではない。仏陀ぶっだは二千五百年前に「諸行無常」を説いているが、これこそすごい言葉ではないか。「諸行」とは眼に見えるあらゆる現象のことである。それは一瞬もじっとしていない。ハイデッガー流に言うと、「存在は時間である」。
ただに流れて止まないだけではない。私の定義によると、[上]で述べたように、存在とは「減りつつあるものである」。そう考えるほうが時間というものにリアリティーがある。老後の覚悟は、自分の人生に「先が見えた」という実存的自覚であり、他人と共有できない絶望の自覚である。これを胡麻化ごまかすことは自己欺瞞ぎまんになる。
そこで私は面白いことを思いついた。そうだ、今までは人生の歩みを、積算法的に考えていた。子供の時から成長発展という方向で生き延びてきた。このままで行くと老化を迎えるだけだ。そこで発想を転換して、死を基点にして残りの人生を逆算するのだ。それがもう後十年だとすると、三千六百五十日残っている。毎日を丁寧に生きれば、まだまだ素晴らしいことができるわけだ。
そうだ、「残りの人生」を逆算法的に見れば、老後どころではない。今日が「一番若い日」ということになるではないか。今日のうちにしておかなければならない事はないかと考えると、しておくことはまだいっぱい残っているのだ。そう思うと今日の一日は、実に貴重な一日になる。道元の、「今日ばかりの いのちあるなり」が、ひしひしと実感されてくるのだ。
にしむら・えしん 1933年、滋賀県生まれ。花園大元学長、現在(財)禅文化研究所長。専攻は禅思想研究。文学博士。著書に『無門関』(岩波文庫)『十牛図―もうひとつの読み方』(禅文化研究所)『キリスト者と歩いた禅の道』(法蔵館)など多数。 |