葬送の行方
碑文谷 創 ひもんや・はじめ 2009年8月1日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
映画「おくりびと」のヒットが意味するもの
死から逸らされた目 家族の元に向けさす [上]
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映画「おくりびと」は、昨年度に各賞を総なめにし、最後はオスカー(アカデミー賞外国語映画賞)を取るに至って人気が爆発した。この映画は、死という地味なテーマを扱ったものであるから、その受賞は驚きをもって迎えられた。
映画「おくりびと」の製作は、主演の納棺師小林大悟を演じた俳優・本木雅弘自身で、本木が長年暖めた企画であった。だが、その原点が青木新門『納棺夫日記』(桂書房、文春文庫)にあることは、オスカー受賞まで、知るものには不自然に思えるほど伏せられていた。それは青木が原作者であることを拒否していたからである。
オスカー受賞後には『納棺夫日記』も一気に売り上げを伸ばした。この本には派手さはないが、もともと一部の読者の感銘が口伝えされ、深く、広く共感を持って読まれてきたものであった。ベストセラーではないが、ロングセラーだった。
書籍『納棺夫日記』が、最後は宮沢賢治や親鸞に言及した極めて宗教性の高い本であるのに対し、映画「おくりびと」には『納棺夫日記』から取られた、死や死者についてのエピソードは描かれているが、それを通じた永遠なるもの、青木の「光輝く世界」は描かれていない。そこに青木が、本木の熱心な懇願に「映画化」を許可しながら、「原作」であることを拒んだ大きな理由があったのではなかろうか。
その描写で決定的な違いは、孤独死で腐敗した遺体を取り扱う場面で、書籍では「蛆うじが光って見えた」いのちについて描かれているのに対して、映画では腐敗遺体のすさまじさの象徴と描かれたことだ。
だが、「死」そして「死者を葬ること」が正面きって取り上げられたのは画期的なことである。この映画が、共感をもって受け入れられたことによって、これまでの日本文花の「死」の認識を一部でも変えるものになればうれしい。
日本文花において「死」は長く避けられ、特に戦後の高度経済成長期以降は、死を見ないように、あたかもないかのように、注意深く避けるように取り扱われてきた。死は誰にでも起こる極めて人間的な出来事であるのに、なにゆえに避けられたのだろうか。おそらくその背景には、死のもつリアルな過酷さがあったのだろう。特に第二次対戦において多くの人がいやおうなく家族の死を体験したという事実が大きな影響を与えたのであろう。戦後日本の高度経済成長からバブル景気に至る背景には、死から目をそらし、生を謳歌おうかし、追求するという偏った文化形成があったのではないか。そうした不自然さがいつまでも続くはずはなかったのだ。
1992年のバブル経済の瓦解がかいとそれに続く不景気や、95年1月の死者6000人を超した阪神・淡路大震災が、もう一度人間を、暮らしを原点からとらえる冷静さを与えてくれたのであろう。それが今まで「陰」とされてきた「死」「死者」の世界に人々の関心を集めることになったのではないだろうか。
また、戦 <すみません、ここ資料が紛失しました>
その一つが都市化と地方の過疎化であり、地域共同体の崩壊である。
また核家族化は、旧弊きゅうへいな家社会からの解放をもたらす一方で、家族の紐帯ちゅうたいも弱め、若者のみならず高齢者の単身化も進め、ついには家族解体すら招く自体となる。高齢化は医療の進歩がもたらした成果であろうが、家族には介護を支える力もなく、高齢者の難民化も予測される事態となっている。
その中で「死」は、高齢者にとっては、家族や社会に「迷惑をかけないで」と願う対象となり、その葬送は、一部の家族にとっては、弔いの心を欠如した死体処理作業として行われるようになった。
映画「おくりびと」に描かれた弔いの世界は、人間の原点を想起させると同時に、今や失われようとしている人間関係の温かさをユートピア的に描いたものでもあった。
生死観が今日有されず
個人化、個性化の時代 [下]
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今回、衆議院解散のドタバタ劇の最中で、ろくな議論もなく「脳死」を「人の死」と規定する臓器移植法の改正が議決された。前回の立法時(1996~97年)にはまだ審議会が開かれ、これを巡る議論も行われた。今回はまともな議論すらなかった。
たしかに、今回の改正案は、世界保健機関(WHO)が「臓器移植は自国で完結させるべきだ」との指針を五月にも出し、海外での臓器移植の道が閉ざされるのではないかという、関係者の強い危機感を背景にしている。
「いのちの尊厳」という抽象的なスローガンにすれば誰もこれを公には否定できない。だが、具体的な個のいのちのレベルで見るならば大いに異なっている。
移植推進者には、これによって救われるいのちがある、ということであるが、家族のいのちの脆もろさに直面している人にとっては、子が脳死と判定されることによって、いのちが奪われるような危機感を覚えるのだ。それに今は直接関係しない大多数の人間にとっては、逼迫ひっぱく感があまり持てないでいる。
いのちの軽重は、本来は誰にも判定できるものではないのだが、具体的な場面ではどちらか一方に偏らざるを得ないという問題を抱えている。
「死」「いのち」というが、このことを具体的に考えていくと、置かれた立場により多様な意見が出てくるし、それはごく当たり前のことなのだと思う。
高齢の母を介護していた独身の中年の男が、介護を放棄して家を留守することによって「保護責任者遺棄」を問われた事件があった。それが致死となり犯罪と報じられることも決して少なくない。
夫の介護を放棄した妻、父親の介護を放棄した息子の話などである。
これは保護責任があるのだから法的には犯罪というべきだろうが、高齢者の介護をしている者にとっては、批評のしようがない事件であったろう。
高齢者、認知症を抱えた、あるいは他人の介護なしには動けない高齢者の「いのち」と介護者の辛さ、主さ、「人生」(どちらも英語では「ライフ」だ)とがせめぎあったとき、ある瞬間に介護責任を放棄したいという気持ちを抱くということは不思議異なことではない。
かつて、人が死んで行われる「葬式」は、それぞれの地域社会において、規範となるコンセンサスがあって、その下で行われていた。
今でもまだ共同体葬が生きている地域がある。非常にまれであるが。
それは地域共同体が結束して生きていた時代、ある家族に死者が出たとき、その家が弱くなり、ひいては共同体自体の弱体化を招かないように、皆がその家の弔いを手伝い、遺族が喪に専念できる環境をつくるためであった。そうした互助扶助は、また同時にそれぞれの家の勝手を許さないという規範と並立してあった。
今、規範となる家(イエ)がなくなることによって葬送の世界は自由化された。どういう死者の弔いをするかはそれぞれの家族の自由とされた。
その象徴が今、都市や地方を問わずに席巻している「家族葬」ブームである。
確かに、肝心の死者や遺族の悲観を傍らに押しやり、世間に恥ずかしくないようなことが第一とされた葬送の習慣は、見直されるべきである。死者と親しかった者によって、心おきなく、死者と充分に別れの時をもつというのは、決して否定されるべきではない。
だが死者の弔いは家族の勝手かといえばそうではない。死者を囲む人間関係は当然にも血縁以外に広がっており、むしろ血縁以外の縁が強い場合もある。そうした縁者が弔いに参加できなくて、死者に対する想いのやり場のなさをなげくことも少なくない。
葬送のあり方はどれがいいかをきめることはできない。それぞれの死者を囲む状況が固有で異なるからだ。
だが、「家族葬」という形式をとる葬儀には、死者を囲む人たちの温かな気持ちが優先されるケースだけではない。死者を冷淡視した死体処理的葬儀というケースもあり、外観的には何ら異なるところがない。
祭壇の大小が、昔は弔う人の気持ちの大小を表現していると言われたが、事実は必ずしもそうではなかった、というのと同じことである。
いずれにせよ今私たちは死者の葬りについて、個人化、個性化という経験したことのない時代を迎えている。
ひもんや・はじめ 1946年、岩手県生まれ。東京神学大大学院修士課程中退。雑誌『SOGI』編集長。著書は『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)『葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)『新・お葬式の作法』(平凡社新書)『死に方を忘れた日本人』(大東出版社)ほか。 |