プチ出家のすすめ
中野 東禅 なかの・とうぜん  2008年8月10日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
輝く退職後の生き方
「永遠」へつながり模索 [上]

 「還暦総得度」という運動を提言した人がいた。浄土真宗の僧職だが、定年退職者を対象に生き方の一つとして、退職後に仏教を学び、希望によっては僧侶になろうという呼び掛けであった。それを企業と提携し、全宗派に対応する講座を開くからというので協力を求められたのは、もう二十年も前のことであった。
 一方、研究室では四十数年に亙(わた)って、いくつかの老人ホーム慰問を続けていて「老いの生き方」を学習してきたが、高齢者の心を理解し、共感することができるようになってきたのは自分が五十歳を過ぎた頃からであった。
 そんな経過の中で、十年ほど前から「出家したい」「仏弟子になりたい」という要望が急に増えてきて「プチ出家入門」という書籍をまとめてみた。
 「出家」といっても、正式に僧侶として弟子になるのは「出家得度」といい、僧名をもらい宗派に登録するタイプである。その後で、道場に修行に行く人と、行かない人とがある。そのまま自宅にいて僧の形を守りながら社会生活をしている人を「入道」という。
 出家の一歩手前のタイプは「在家得度」である。僧にはならないが、戒名・法名をもらい仏弟子として、人生修行をしようと人達である。
 さらにもっと手前の方法は「在家受戒」である。もっとも浄土真宗系・日蓮宗系は戒がないからこの言葉は使わないが。これは戒名・法名を受けるだけで仏との結縁を頂くだけである。
 さらにもっと手前の学び方として、知識として仏教を学ぶだけでなく、行として坐禅や止観(天台宗の坐禅)、阿字観あじかん(真言宗の坐禅)、写経、仏画、ご詠歌、霊場巡拝、滝行、一日尼僧体験など様々な行の実践があり、特に読経を学びたいというニーズは強くなっている。第二次大戦後の仏教への興味は知識としての「学び」が主流だった。それは近代化が儀礼を軽視していたことへの反発であった。ところが経済発展が頂点を迎えた頃から知識としての興味に加えて儀礼としての仏教に関心を持つ人が増えてきた。
 それは自己の存在や死後という「永遠なるものへつながる生き方の模索」だろう。それが「プチ出家」ニーズにつながっていると思われるのである。


 どうしても、筆者の弟子になって出家得度を受けたいという人がいた。年配だが会社を経営しながら仏教系の大学に入学して仏教を学んで、坐禅の会にも通っていた。聞けば「ガンと同居しているから」という意味の事をチラッと口走ったので、「ははー、死の準備をしているのだな」と思って、引き受けたのであった。彼は手紙などに僧名を使い、日常的に剃髪ていはつして会社を維持している。そして相変わらずガンを同居させている。
 こうした心の深いところからの要求として出家したいという人は増えている。団塊の世代が定年を控える十年ほど前から、退職後の生き方をテーマにした雑誌の刊行が相次いだのもこの流れに沿っていた。それらは前期高齢者のための「輝く退職後の生き方」を援助するものであった。
1960年頃、高齢者支援を、老人は「衰退するもの」という前提で援助するという「衰退理論」に対して、老年期を楽しんで生きることの必要性を説いた「活動理論」が提唱されて色々な活動への参加が叫ばれた。しかし、参加していた老人が怪我などすると途端に孤独になり、社会から忘れられて行くことになり、「活動理論」と「衰退理論」とは組み合わせて支援すべきだと考えられたということがあったという。
 すると永遠につながる学習は「衰退する自己を通して心を深める活動」という視点が成り立つという事になろう。それが「プチ出家」の特徴と言えるのだろうと思う。

厳しい「人生の夏」に
壮年期、心和らげたい [下]

 前回は「プチ出家」の意味やそのニーズの根拠について述べてみた。そこで、そのニーズは「引退を契機に永遠につながる生き方を求める」活動だと提言した。すると「引退・老い」の面と「永遠なるもの」という面との二つの要素から成り立つ「生き方学」という事が言えると思う。
 「老いの自覚」は「老いへの恐怖・加齢恐怖」といわれる。早くは中年期の疲れやすさ、体調の変化、女性なら閉経、更年期障害、子供の独立など家族の変化、老親の死亡、早ければ配偶者との死別、職場での立場の変化など人それぞれである。
 それに伴い、役割と目標変更の必要が引退への恐怖と、心の準備をもたらすことになる。
 ストレス学では老年のストレスは「混乱・適応・衰弱」の三段階からなるという。それは、死生学風にいえば、「適応という受容」と「衰弱という受容」という事ができよう。
 若年期・壮年期は獲得する自己表現であったが、老年期は「捨ててよみがえる自己表現」という事ができるかと思う。
 ある国文学の先生に「老いの生き方」を提言して頂いた時に、老いを嫌悪する人は「回春願望」であり実績などのプライドにこだわる人は「現役願望」となり、老成に価値を求める人は「解放(引退)願望」になる、という事を教えてくれた。
 また別の学者は環境問題に関して、地球上の資源は無限だから開発して経済成長しようというのは「開放型理論」であるが、自然は有限だからそれを耕し育てて共存しようというのは「閉鎖型理論」といっている。前者はアメリカの開拓精神で、後者は日本の江戸時代やヨーロッパの自然観であるという。
 人生観もこの自然観の上に成り立っている。人生は老化と死という有限で閉鎖された自然の中にあるから、人類の文化は老いの知恵を明らかにしてきた。
 インド人は「四住期」というサイクルを立てた。
 学生期(学びの時期)、
 家住期(家庭を作り経営する時期)、
 林棲りんせい期(隠居して心を養う時期)、
 遊行ゆぎょう期(巡礼をして死の準備をする時期)というものである。


 キリスト教の内村鑑三先制は「人生の四季」といっている。
  「人生の春ありたり。勇気勃々ぼつぼつ、希望満々…春は実に欣よろこばしき悲しき時期なりき。
人生の夏ありたり。議論諤々がくがく、主義堂々…夏は実に辛き苦しき時期なりき。
人生の秋はきたれり。感涙滴々、思惟粛々しいしゅくしゅく…寂寥せきりょうに感謝伴い、孤独に祝福あふる。秋は実に静かなる楽しき時期なりき。
  人生の冬はきたるべし。然しかれども絶望の時期にあらざるべし。復た来ん春を望みつつ過去の恩恵を感謝しつつ、父の家に還かえるなるべし」という。
 内村先生はキリスト教であるから「父の家」というが、仏教なら「仏の家」になろう。それが「永遠につながる心」であると思う。
 16ー7世紀中国の洪自誠が書いた『菜根譚』に「心に物欲なければ、秋空霽海せいかい、座に琴書あれば、すなわち石室丹丘をなす」という。欲望がなければ、心は秋の空や雨上がりの海原のようであり、身近に琴と書籍があれば仙人の家や村のようであるというのである。
 こうした引退願望は後ろ向きだと嫌悪感を持つ向きもあろう。しかし、壮年期の戦いに疲れた時こそ攻めの心をやわらげる時が必要だと思う。最近それを実践に移した人もいる。
 現代の職場生活では、様々なストレスにさらされて、精神の疲弊に陥る人もかなりいる。アメリカでは精神治療の東洋的行法の主流は「禅」によるマインドフルネスである。そうした治療法は日本でも広がりつつあるが、そうした治療以前に精神的健康維持としてストレスを解放し、自己回復をしようという動きとして、東京都心に「いやし空間」として座禅リラクゼーション施設の禅堂を開設した企業も出てきた。
 それは、厳しい仕事をしている時期にこそ柔らかい心のクッションとしての「プチ出家」が必要だという事ではないかと思うのである。