「没蹤跡」という生き方…妙心寺展によせて
玄侑 宗久 げんゆう・そうきゅう  2009年10月24日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
「私」を引きずらない 自信もち、今に没頭せよ [上]

 春から東京、京都で開かれてきた「妙心寺展」が、今はいささか模様替えして名古屋で開催されている。今年は興福寺が阿修羅像を出開帳でかいちょうしたり、天台宗門跡の青蓮院しょうれんいんが平安時代以来初めて青不動を御開帳したりと、じつにありがたい「眼福がんぷく」が多い。「観光」とは、「光」を「観」る体験なのだから、こういう機会に是非とも人生上の重大な「光」に出逢ってほしいと思う。
 妙心寺展は、今年が開山無相大師の六百五十年遠諱おんきに当たることに因ちなんだ催しである。十二月十二日が正当のご命日で、それに合わせて前例のない展示内容で全国四箇所を巡る。名古屋のあとは来年早々九州で開催予定だが、いったいどんな「光」に出逢えるのだろう。
 無相大師という方は、我々禅僧のあいだでは「没蹤跡もっしょうせき」の禅者としてつとに知られている。しかしおそらく、一般の皆さんの間ではあまり知られていないのではないだろうか。
 「 没蹤跡」なのだから、それも当然である。「没蹤跡」とは足跡を残さない生き方。語録や著書などの足跡がないから、その人柄も功績も辿たどりようがない。わずかに残っているのは「三転語」と云われる言葉と、弟子に向けて書き残された「遺誡ゆいかい」だけ。展示されている木彫りの像も、じつは制作が禁じられていたため、死後百年以上たってからできたものなのである。
 足跡を残さないということは、死後ばかりでなく、生きているうちから過去を引き摺らないことでもある。禅では、過去を引き摺ることを泥亀に喩たとえる。泥だらけの亀は歩いた跡を甲羅の分まで大袈裟おおげさに残す。そんなふうに、自分の過去を人に示してどうなるのかと、考えるのである。
 最近はブログなど、自己言及と記録を兼ねたような文章をよく見かける。そして「自分はこういう人だ」と、知ったようなことを書いているのだが、果たして人間はそれほど解わかりやすい存在だろうか。熱心な記録や自己言及が、かえって自己を限定し、苦しめてはいないか。
 歴史家にはうつ病が多いと云われるが、それも過去に一貫した解釈を求めすぎるせいだと思える。現代人の多くは、たぶん情報という泥に浸かりすぎたうつ症状の亀なのだろう。


 関山慧玄かいざんえげん禅師は妙心寺の開山として迎えられるまえ、じつは行方が分からなかった。大徳寺の大燈だいとう国師(宗峰妙超しゅうほうみょうちょう禅師)の許もとで修行したあと、行方不明だった禅師を捜し出すため、花園法皇は人相書きまで用意させて四方に人を差し向けた。とうとう見つかったのは美濃の伊深で、禅師はなんと農民の世話になりながら農作業や牛飼いの手伝いをしていたらしい。
 そこではいったい何と呼ばれていたのか、少なくとも周囲の農民たちは偉い和尚だなんて、全く思っていなかったらしい。過去を語らず、一言の説教もしない生き方には、本当の意味での自信が感じられる。「今」に没頭する自分を心底信じられればこそ、どのような状況でもただ求めに応じつつ沈黙のうちに自足して暮らせるのである。
 臨済禅師はすでに九世紀後半に、今の修行者たちは「不自信」という「病」だと歎なげいているが、現在の日本の状況をご覧になったらどう思うだろう。
 無相大師や臨済禅師が示されているのは、自信をもって「今」に没頭し、記録や評価を気にしない生き方ではないだろうか。自信は過去の記録や他人の評価で出来上がるわけではない。「私」を忘れることで自然に立ち上がる。それこそが「光」ではないか。

げんゆう・そうきゅう 1956年、福島県三春町生まれ。『中陰の花』で第125回芥川賞。作家・福聚寺住職。今年から花園大学国際禅学科客員教授。最新作『阿修羅』(講談社)は、現代ならではの解難世障害を扱った意欲的な長編。