「死にともない」のまま
亀井 鑛 かめい・ひろし 2009年10月17日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
縁が尽きれば仕方ない [上]
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以前、仏教青年会の若い人たちと、幸福論を学習しました。ヒルティやアランの本を読み、さち、幸、ハッピーなどの語源を辞書で調べたりした、その中にお釈迦しゃかさまの幸福の三条件が、話題になりました。
十大弟子の一人阿那律あなりつ尊者とそのグループが暮らす村へ、釈尊が巡回された時、「皆、食べ物に困っていないか」と問われました。「はい。晴天には田畑を耕し、作物を収穫し、托鉢たくはつにも出ておりますので、充分満ち足りています」の、弟子尊者の答えに「それはけっこうです」とうなずかれました。
二度目の巡回で、「皆、仲良く暮らしているか」の問いに、「はい。教えときまりを守り、おたがい思いやりあって暮らしています」「それはけっこうです」と去られました。三度目に、「皆、いつ死んでもよい覚悟ができているか」と問われました。
「はい。私たちは釈尊の教え、縁起の道理を心に体し、無常・無我の法に順したがい、すべてに我への執とらわれを離れた生き方を、たしかめあって、いつなりと死ぬ心構えができています」と答えるのに、大きくうなずかれ、「それはけっこうです。これまで前後三回の問い、この三つを満足できるのが、人の幸福の三条件なのです」と教えられました、と。
このお釈迦さまの幸福の三条件の中、「いつ死んでもよい覚悟」、これが宗教の問題だと思います。因ちなみに第一は経済の問題、第二は愛の問題だと学ばされます。
ある時私は、未知の年配者の方から、「高齢で、死の不安が解決できず、迷っています。あなたの解決法を教えて」と問われたことがありました。だしぬけの問いに私は、釈尊の幸福三原則第三項「いつ死んでもよい覚悟」を問われた阿那律尊者の答えと、ほぼ同じ内容の文辞を、きわめておざなりに、模範答案みたいに無表情に、お答えしたように覚えています。答えを口にしながら、「観念論を出てないな。実感からほど遠い、判で押したような話しぐあいだな」といった、もどかしさ、後ろめたさを覚えたものです。
今年八十歳という大台に達し、日本人男子の平均寿命をクリアしました。このところ、周辺の同年輩縁者知人の訃報ふほうに接することが多い上に、自身昨年は三度も内臓疾患で延べ四ヶ月余り入院。その一度は軽い手術までして、年齢と体力の限界を痛感させられました。入院加療の合間に、土日曜で自宅に外泊できたとき、わが家の庭の緑の木々をつくづく眺め、「もしかしてこれがわが家の見納めになるかも…」の思いにとらわれ、まことに索漠さくばくとした気分に蔽おおわれたものでした。この時はじめてのように、"死"を実感しました。
病院に戻り、ベッドで横になりながら、消灯前の天井の明かりに向き合っているところでも、"死"を想おもいつづける時間がありました。「死にともない」の思いが、薄い膜のように意識に張りめぐらされるのを覚えました。
そんな時間に身を置くとき、いろんな言葉や想念が現れては立ち消える中で、親鸞語録「歎異抄たんにしょう」第九章の一節と、蓮如れんにょ書簡「御文おふみ」第四帖じょう十三通の一節が、支えというか、よるべになりました。九章とは、若き弟子唯円房が老師親鸞に「念仏申しても前みたいによろこべない、また、死にともないの思いがのかないけれど、どうしたものでしょう」と問うのを、「私もそうなのだが、お前もか」と同調、「少し体調が悪くなるとすぐ死ぬのかという不安がる、これが煩悩というもの。行ったこともない浄土より、苦の娑婆しゃばでもやはりこの世に執着未練が残るけれど、縁えにしが尽きればどうしようもない。すごすごと別れていかねばならぬのだ。死にともないの抵抗心が強い者ほど、仏は特に共感同悲してくださっているのだ。…」
この言葉を思い浮かべ、思い合わすとき、私の中の索漠たる思いが和なごむのです。心安らぎ楽になるのです。それを実感実体験しました。
煩悩の自覚あればよい [下]
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八十歳に垂なんなんとして、病に臥ふしたとき、「死にともない」の思いをしみじみ実感させられました。そのとき「歎異抄たんにしょう」第九章後半の一節や、「御文おふみ」(蓮如上人作)第四帖じょう十三通の一節に、心の安らぎをいただきました。その「御文」にはこうあります。
「私(筆者蓮如)も今年八十四歳、身体のあちこちに不具合が出て、これも身から出たさびと思い、お浄土参りの先触れと原は決めているものの、法然上人が<念仏者なら病気になったら病気を楽しまなきゃ>とおっしゃっているけれど、この私はなかなか病気を楽しむ気などさらに起こらず、あさましい身、お恥ずかしい、悲しい限りです。
でも、日頃ひごろ頂く信心は、その時その場の罪悪煩悩そのまま、ふだんのままでたすかるというのが、わが真宗の趣旨ですから、ただ今ここでの一発で即決まり。この教えならこその思いで、再確認の称名念仏、昼夜絶やしません」
「歎異抄」九章と相応して、読んでホッとします。親鸞聖人も唯円房ゆいえんぼうも、蓮如上人も、この私と右へならえだったんだと、心和みます。安らいで楽になる、これ、往生おうじょう安楽国。死にともないままに、足取りが軽くなります。
でも、じゃあのお釈迦しゃかさまの幸福三か条の「いつ死んでもよい覚悟」とか、法然上人の「念仏者なら病気を楽しめ」というおさとしとの関係はどうなるのか。矛盾です。
かいつまんでいえば、お釈迦さまや法然上人のおさとしは表街道、本通り。そこへの近道、抜け道が「歎異抄」や「御文」。そこらの消息を的確簡明に説かれるのが、親鸞作「正信偈しょうしんげ」の中の
摂取せっしゅ 心光しんこう 常照護じょうしょうご 已能いのう 雖破すいは 無明闇むみょうあん 貪愛とんない 瞋憎しんぞう 之雲霧しうんむ 常覆じょうふ 真実信しんじつしん 心天じんてん 譬如ひにょ 日光にっこう 覆雲霧ふうんむ 雲霧うんむ 之下しげ 明無闇みょうむあん |
でも、それだけでおしまいではありません。真実信心の生き方は、わかっているけれど、煩悩の雲霧にさえぎられて間に合わない。そんなことじゃもとの木阿弥もくあみではないか。
そこのところを「正信偈」はつづいて、「それはたとえば日の光を雲霧が覆っていても、雲霧の下はまっくらではない。明るみがさしている」とたとえられます。つまり、「わかっちゃいるけどやめられない。でも、わかってさえいればもう迷わない」、あるいは「ふりまわされない」のでしょう。もう方向がついている。ちゃんと見通しはついている。煩悩(雲霧)を煩悩(雲霧)だとわかってさえいれば、煩悩とは切れているのです。迷いを迷いだとわかっている足の置き場所は、もう悟りの境界きょうかいにいるんです。
話をもとの「死にともない」につなげましょう。私も、蓮如上人、唯円房、親鸞聖人、誰もがみんな「死にともない」んです。でもそれは、まちがった思い、煩悩、迷いと、教えに照らされてわかっている。わかってさえいれば、やめられないまんま、心和まされ、安らぎ、楽になり、軽やかになっていく。それが「雲の下明らかにして闇くらきこと無きがごとし」の、たすかった境界です。「いつ死んでもよい覚悟」の領域内です。「病を、そして死を楽しむ」本街道につながっています。
「なごりおしくおもえども、娑婆しゃばの縁えにしつきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいる」(「歎異抄」第九章原文)のです、苦笑いしながら、身の不肖に頭をかきながら。
こうした心の転回を、親鸞「正信偈」では、「煩悩の迷いをもったまま、それを断じられなくても、涅槃ねはん(仏のさとり)の境きょうを得られる」と明言します。死に臨んでの覚悟ばかりでなく、過程や職場の人間関係のもつれでも、この「不断煩悩得涅槃」で、柳やなぎに風と受け流していく智慧ちえを、私たちはいただくことができるのです。
かめい・ひろし 昭和4(1929)年、名古屋市生まれ。真宗大谷派みん(王辺に民)光院みんこういん(同市名東区)で聞法。東本願寺刊『同明新聞』元編集委員。近著『日暮らし正信偈(東本願寺出版部刊)『妙好人と生きる』(大法輪閣刊)など多数。名古屋市千種区在住。 |