#6−2 十二周忌
加奈子の十二周忌は千葉の彼女の実家で行われた。例年と同じく、彼女の両親の他は近くに住む親戚が線香を上げるくらいの簡単なものだった。
予定より大幅に遅れて小田切と圭太が着いた時には、既に親類の者は帰っており、そのことで小田切は義父に散々責められた。事前に連絡は入れたのだが、義父は不機嫌さを隠そうとはしなかった。何のことはない。彼は孫に会えるこの日を首を長くして待っていたのだ。
仏壇の置かれた部屋には、線香の匂いが充満していた。
圭太は線香の匂いを嫌がっていたが、だからといって年に一度の母への焼香をおろそかにするようなことはなかった。
小田切は妻の位牌の前で圭太と共に両手を合わせた。
小田切は隣で熱心に黙祷する息子を見下ろし、自分もそれにならった。
圭太はその小さな頭の中でどんな加奈子を見ているのだろうか。彼女の声も、肌の温もりも知らぬ彼は、どんな母親と語り合っているのか。それを考えると、小田切は興味深くもあり、また恐ろしくもあった。
そんなことを考えるのも、今日はいつもとは違い、頭の中の彼女のイメージがひどくぼやけていたせいだった。
小田切はもやに包まれた彼女に強く語りかけた。
圭太を産んだこと、反対なのか?
おまえの子供なんだ。俺と、おまえの子供なんだぞ。
おまえが産めなかったのは残念だ。だけど、ちゃんとおまえの血を引いているんだ。あんなに子供を欲しがっていたじゃないか。
なぜ、答えてくれない。
俺の答えじゃ不満なのか? 一方的に宿題を押しつけておいて、それはあんまりじゃないか。
教えてくれ。俺は、どうすればいい。
その時、彼女のぼやけた像は突然歪み、カナのそれと重なった。
!
小田切は突然そでを引っ張られて思わずバランスをくずした。
父のあまりに長い瞑想に耐えられなくなった圭太の仕業だった。
「まあまあ、小田切さん。今日はゆっくりと語っていってあげて下さいね」
加奈子の母が上品な口調で麦茶の用意をしていた。
「さあ圭太、おじいちゃんとこおいで」
さっきまで機嫌の悪かった義父も早速圭太の相手を始めて目尻を下げている。
だが、それが心からの笑顔であるかどうか小田切にはまだ判別できなかった。
それでも、ここまで来るのに十二年かかったのだ。その長さを小田切はあらためて心の内で測った。
妻の死に対し、小田切は彼女の両親に責任を感じていないわけではなかった。
だが、結果として彼が取ったのは、彼らとの交流を避けることだった。彼らと顔を合わせることは小田切にとって苦痛でしかなかった。年に一度、圭太を連れて訪れるのが、小田切としてのギリギリの誠意だった。
小田切は夕方までたわいのない話で時間をつぶしていたが、頃合いを見計らって席を立った。
義父母は泊まっていくよう強く懇願したが、小田切はやんわりとそれを断った。
「今からあまり休みぐせをつけたくないんですよ」
小田切は圭太の教育を持ち出し、しぶる義父母を説得すると、千葉の家を離れた。
圭太ははしゃぎすぎたせいか助手席で眠り込み、その細い両腕には祖父母からもらったプレゼントがしっかりと抱きかかえられていた。
小田切はハンドルを握りながら、今年は例年のプレゼントの他に、先日約束したゲーム機も買いに行かなければならないことを思い出した。
それから小田切はもう一つの約束に思いを移した。
野沢と会うのは年に一度この日だけだった。会う場所は決まっている。線路下の古いバーだ。特に約束もせず、夕方二人はそこで落ちあい、夜遅くまで故人のことについて語りあうのだった。
我ながらよく続くと小田切は思った。不思議な関係といってもよい。
大学時代、加奈子を取り合って勝ったのは小田切だった。
だが、医者の道を順当に進んだ野沢は、加奈子の不妊治療にも携わり、尽力を惜しまなかった。結果は結果だったが、彼女のために尽くしてくれたことは小田切にとってやはりありがたかった。
加奈子の治療が失敗のまま終わった時、つまり彼女が亡くなった時、もう二度と会うまいと心に決めて二人は別れた。
だが、その数年後野沢の方から、連絡があり、以来毎年会い続けているのだ。
野沢ならあの奇妙な少女のことをうまく解き明かしてくれるのではないだろうか。
そんな願望を抱きながら小田切は車を飛ばした。
小田切は一旦、車を家に戻すと、圭太に先に寝ているよう言い聞かせてから、電車で待ち合わせのバーに向かった。