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HARUの発言:今日は、行った?
TACTの発言:行くわけない
HARUの発言:オレも。
TACTの発言:そういや、二学期になってまだ一度も行ってないな
HARUの発言:同じく。何か言われる?
TACTの発言:めっさ言われる。学校行かないなら働けって。フザけるな親。俺だって高校くらい卒業してーつーの
HARUの発言:そうだね。でも……
TACTの発言:そ、行けないのだ、我々はw


 机の上の電気スタンドのスイッチを消すと、暗闇の中にスリムな液晶タイプの画面が浮かび上がる。晴樹はこの雰囲気が妙に落ち着いた感じがして好きだった。今の自分におそらく一番合っている。そう感じていた。
 ペットボトルで喉の渇きをいやしている間も、画面上には小さな電子音とともに相手のメッセージが次々と表示され続けた。
 相手は晴樹と同じ立場の人間だった。毎日話すことのできる相手というのは、彼らにとって非常に貴重であり、晴樹にとっては実質彼一人だった。

TACTの発言:どう、体調は?
HARUの発言:まあまあ、かな。あんまり眠れないし、肩凝るし、体だるいし、目はしょぼくて、胃はむかつくけど。
HARUの発言:TACTは?
TACTの発言:似たようなもんかな
HARUの発言:そうなんだ。
TACTの発言:あー毎日つまらないよな、俺たちにはもっと時間つぶしが必要だ
HARUの発言:何しても同じだよ、きっと……
TACTの発言:それを言っちゃあオシマイよw
HARUの発言:www


 意味のない笑い記号を重ね、二人はそれぞれの怠惰を示し合わせた。

TACTの発言:そこで物は相談だがね

 引きこもり。それが彼らに社会がつけた名前だった。学校へ行かない登校拒否や不登校というだけではない。彼らは自分の家、あるいは部屋から出ることをも極度に嫌う。自分の殻に閉じこもる一人甲殻機動隊なのだ。
 高校一年の晴樹は引きこもって四ヶ月。高校デビューだ。TACTは晴樹と同じ年だが、引きこもり歴は二年になる。晴樹にとっては頼りになる先輩だった。二ヶ月程前、ネットのとある掲示板で知り合って以来、二人はほとんど毎晩パソコンの画面の中で語り合っていた。
 画面に表示されるメッセージを時折チェックしながら晴樹は自分の部屋を虚ろに眺めた。
 三LDKのマンションの一室であるその部屋は、大方において普通の高校生の部屋と変わりはなかったが、いくつかの点でやはり違いがあった。
 机の上にはデスクトップパソコンが大きく場所を占めていて、教科書やノートを広げる場所は見あたらない。そんなものは引き出しにしまい込まれ永遠の眠りについているようだった。インターネットに常時回線でつながれたパソコンこそが今の晴樹にとって何より必要なツールだった。
 机の横に置いてあるワンドアの冷蔵庫は晴樹の生命線と言ってもよかった。中には健康飲料のペットボトルと栄養サプリメント等がぎっしりと詰め込まれており、彼の摂取エネルギーの半分以上をまかなっていた。
 窓際のベッドの下にはタオルと洗面器と新聞紙の三点セット。クスリを使った時の急な吐き気に備えてのものだ。
 そして、部屋の隅には大きな袋に入った剣道の竹刀と防具。汗のしみこんだそれらも、晴樹にとっては今や遠い昔の名残にすぎなかった。
 部屋に引きこもっていれば、当然他人との会話はなくなる。学校の友人はもとより、家族とて例外ではない。晴樹の場合、会話しないのではなくできないのだが、他人にしてみればそれは大した違いではなかった。
 壁に貼られたラッセルのポスターの中のイルカが自分に何かを語りかけているような気がした。イルカは言葉をしゃべれない。彼らの言葉は人の言う言語ではない。それでも彼らは仲間とコミュニケーションをとっている。引きこもりの自分はイルカに劣った存在なのだろうか。
 否、自分だってこうやってネットで意志疎通しているではないか。別に顔をつきあわせて話さなければならないという法律などないのである。用が足りるならそれで十分だ。晴樹はそう思って壁のイルカをにらみつけた。

TACTの発言:おーい、聞いてるか?

 いつの間にか画面はTACTのログで埋まっていた。

HARUの発言:あ、ごめん。
TACTの発言:だから、やってみないか、サーティワン・キングダム。おすすめだってさ


 晴樹は相手のメッセージを慌てて読み返した。どうやらネットワークゲームを自分に勧めているらしい。

TACTの発言:どうせ俺たち、ヒマヒマだし。時間つぶしの方法はたくさんあった方がいいだろ
HARUの発言:うーん。


 実を言うと、晴樹は普段あまりゲームなどする方ではない。小学生の頃は人並みにテレビゲームで遊んだが、中学生になってからは剣道部中心の生活で、ゆっくりゲームをしようという気にはならなかった。そして、それは高校生になり、そして、引きこもってからも変わっていなかった。

TACTの発言:絶対いいって、ホントだぜ。時代はサーティワン・キングダム、これで決まり
HARUの発言:下手なコピーみたいだよ。
TACTの発言:言うなw
TACTの発言:デモ画面見たけどすげーリアルなのよ。それで──


 どうやらTACTもまだゲームを始めてはいないようだった。きっと一人で始めるのが不安でこちらを誘っているのだ。TACTらしいと思い晴樹は苦笑した。
 その時、軽い電子音と共に別のウィンドウに新たな表示が出た。

母がログインしました。

 晴樹は舌打ちして母の相変わらずのメッセージに目を通した。

母の発言:もう寝るけど、何か必要なものある?
母の発言:電子レンジに焼きそば入ってるから。
母の発言:何かあったら起こしてくれていいからね。


 毎夜、母親が寝る前のこの会話は晴樹にとって正直鬱陶しかった。いや、この会話に限ったことではない。母親との会話はすべてそうだ。必要があればこちらから言うに決まっているではないか。毎回そう思っていたが、台所にいる母親からのメッセージにきちんと応えているのは、母親との数少ない約束のひとつだからだ。必要以上に干渉されないためと思えばそれも我慢できたし、それ以上に母親への罪悪感もあった。

TACTの発言:どうかした?
HARUの発言:母親のメッセージ。
TACTの発言:HARUのとこの母親、ホントマメだねえ
HARUの発言:ちょっと待ってて。
TACTの発言:いいよ、俺、これからネットサーフィンするから、また明日な。例の件、考えとけw


 必要なものを言えというのなら言おうではないか。
 晴樹は母親に向かってメッセージを送ってから、あわててTACTに応えた。

HARUの発言:やるよ。サーティワン・キングダム。明日からスタートする。
TACTの発言:お、急にその気になったな
HARUの発言:へへ、今注文した。
TACTの発言:俺もネット通販で今から注文しとくよ
HARUの発言:早く始めないとおいてくよw
TACTの発言:ちょうどいいハンディさ


 母親が反対しなかった以上、明日の冒険開始は確定事項だった。
 サーティワン・キングダムのことは、ゲームにそれほど詳しくない晴樹も聞いたことはあった。プレイヤーが一人のキャラクターを操作して架空の世界を冒険するのだが、かつての有名RPG(ロールプレイングゲーム)とは違って、そこでの冒険に筋書きはないようだった。自分の好きなことをして、その世界で現実とは違う人生を生きることができる、ということを売りにしている。つまりそれは現実の自分を使わずともいいということで、リアルの自分の欠点をオープンにしなくていいということだ。少なくとも、晴樹にとってキーボードを叩くだけで相手と話すことができる世界は、限りなく楽園に近い場所だった。
 晴樹は自分が段々と興奮してくるのを感じた。こういったゲームをこれまで見過ごしていたことが信じられなかった。その世界こそ引きこもりにふさわしい。そこは引きこもりの新天地に違いない。直感だった。限りなく神の声にも近い、直感だった。

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