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 晴樹が目を覚ましたのは、夕方六時をまわろうかという時刻だった。ベッドに入ったのは朝の六時。それはいつもと同じ時間だったが、そんな時間でも眠りに入るためには睡眠剤(デパス)が必要だった。こんなに長く眠ったのは随分と久しぶりのことで、寝起きにクスリの眠気がすっきりと取れていたのも珍しいことだった。
 閉じられた窓のブラインドが残照を受け、かすかに赤く染まっていた。
 晴樹は昨夜の母親へのリクエストを思い出すと、ベッドから立ち上がり、部屋のドアをそっと開けた。予想通り、ドアの取っ手にはビニール袋がかけてあった。中を探ると、サーティワン・キングダムと書かれたパッケージが入っていた。
 晴樹は上機嫌で冷蔵庫からよく冷えたペットボトルを取り出し、机の上に置いた。ミネラル十二種類入りのお気に入りだ。これで準備万端である。
 そして、パッケージをむいてゲームのインストールに取りかかった。
 昨夜、あれからネットでサーティワン・キングダムの情報を見て回って分かったのは、それは正確にはネットワークMMORPG(多人数ロールプレイングゲーム)と呼ばれるゲームの一種で、既にゲーム開始から二年がたち、三十万人のユーザーがいるということだった。
 パソコンへのインストールとセットアップには少々時間がかかったが、その間パッケージに付属していたマニュアルを何度も繰り返し読むことで退屈はしなかった。
 晴樹が選んだキャラクターの種族は人間で、勿論性別は男だ。他にも妖精族のエルフや古代人の従者ニーム、獣人バーグスなどが用意されていたが、そういったものはどうも気恥ずかしくて選べなかった。
 キャラクターの名前は、自分の名前をもじってHARUにした。チャットで用いているハンドルネームと同じだ。TACTとゲームの中で出会ったとき、わかりやすいだろうと考えたせいもある。
 そして、接続画面、認証画面を経てやっと回線がつながったかと思うと、これまでのバージョンアップの分の差分ファイルがダウンロードされてきて、再び晴樹の忍耐をまるで耐久レースに出ているかのように試すのだった。 
 結局、晴樹がサーティワン・キングダムの世界に足を踏み入れたのは夜十時をすぎてのことだった。
 晴樹が操るHARUは、ゲームのタイトル通り、三十一ある王国(サーティワン・キングダム)の内の一つ、ベルズウェイク王国の首都ラッカに現れた。
 三次元で描かれた街は、晴樹が思っていたよりずっと精巧で、その中世ヨーロッパに似た街並みに晴樹はしばらくの間見とれてしまった。
 通りには何人かのキャラクターが歩いたり、走ったりしていたが、思ったほど人口は多くないようだった。これらがすべてプレイヤーが操っているキャラクターなのか、それともNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)と呼ばれるコンピューターが操っているキャラクターが混ざっているのか、晴樹には区別がつかなかった。
 しばらくきょろきょろしていると、画面の右上で手紙の形をしたアイコンが点滅しているのに晴樹は気づいた。インストール中に目を通したマニュアルによれば、確かそれはゲーム内で自分宛にメールが届いたことを示している。
 この世界に知り合いがいるとすれば、ゲームを勧めたTACTだけだが、彼はまだゲームを入手していないはずである。晴樹は怪訝に思いながら手紙を開いた。

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サーティワン・キングダムの世界へようこそ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日からあなたも冒険者の仲間入りです。この世界でどうやって生きてゆくかは、すべて君の考えひとつ。
旅立ちの門出を祝して、金五○○ギニーと冒険者組合への紹介状をここに与えよう。
君の人生がすばらしい出会いに恵まれますように。
      ベルズウェイク王LOCKより


 読み終わると、「冒険者組合への紹介状」を手に入れた、というメッセージが画面に表示された。何のことはない。どうやらゲームの導入部らしい。
 さて、と晴樹は思案した。このお金で装備を整え、モンスターをやっつけに行くというのがひとつの道だったが、ここはひとつゆっくりと冒険者組合へ出向く新参冒険者を演じてみることにした。
 問題はそれがどこにあるか分からないことだった。キャラクターが常備しているマップを開いてみたが、街の見取り図が描かれているだけでどこに何があるのかはさっぱり分からなかった。
 通りを行き交う他のプレイヤーに尋ねてみるのが一番確実なのだろうが、他人に声をかけるのには抵抗があった。何しろこちらは由緒正しき引きこもりで対人恐怖症なのだ。架空のキャラクターを介しているからといってそれが完全に解消されるわけではないのである。
 そこで、晴樹は街中でたたずんでいるNPCらしきキャラクターに片っ端から話しかけてゆくことにした。そのうち冒険者組合の場所を教えてくれるキャラもいるに違いない。
 名誉ある最初の話し相手は、通りの果物屋の主人に決定した。

果物屋の主人>>最近は景気が悪くてね。どうだい、一つ買っていかないか。安くしとくよ。

 そう言い終えると果物屋の主人は強制的にHARUに『買う/買わない』ウィンドウを広げさせた。
 晴樹はマッハで買わないコマンドを選択し、次の相手を探した。
 鎧に身を固めた偉丈夫な衛兵の返答も、期待はずれという点では果物屋の主人と大して変わらなかった。

衛兵>>我がベルズウェイク王国は現在、人口八百七人。国力は三十一王国中二十一番目だ。諸君らの奮闘を期待する。

 何をどう期待されているのかよく分からなかったし、元々期待されるのは好きではないので、HARUは足早に彼の元を立ち去った。
 その後は手当たり次第だった。

武器屋>>あんた、その装備で街の外に出るのは自殺行為だよ。悪いことは言わねえ、このアイアンソードを買っときな。

泥棒>>頼む、後生だからかくまってくれ!

掃除係>>いらないからといって不要なアイテムを街中に捨てるのはマナー違反だよ。どんなに安くても、お店に買い取ってもらってリサイクルを図る。これがいっぱしの市民ってもんさ。

泣いている子供>>うぇーん、誰かボクの竹トンボ知りませんかー

老婆>>最近は誰も彼も冒険冒険。うちの孫も冒険者になるって飛び出したきり。街の暮らしがそんなに嫌なのかしらねえ。

浮浪者>>俺にお金をめぐんでくれると何かいいことがあるかもよー


 やっとのことで探し当てた冒険者組合は、城壁の門の近くの非常に分かりやすい場所にあった。看板がないのは不親切だと思ったが、言ってもどうしようもないことだった。それに、街中を走り回ったおかげで、街の地理はあらかた頭に入っていた。
 HARUが係の人間に話しかけると、冒険の手引きとして次のことを教えてくれた。
 つまり、サーティワン・キングダムでは、キャラクターの成長をもたらす経験値は様々な行為によって得ることができるということだ。モンスターを殺しても経験値は入るし、他のプレイヤーと会話をすることでも、NPCと会話をすることでも、モンスターと会話をしてもオッケーなのである。他にもアイテムを生産したり売買したり、自然物の収集・栽培でも経験値は得ることができるということだった。
 その経験値は直接にはその獲得した分野の能力値(スキル)を上昇させるとともに、総計して一定値を超えると、キャラクターのレベルがアップすることになる。
 つまり、戦闘で経験値を得ると戦闘スキルが上昇し、栽培で経験値を得ると栽培スキルが上昇する。どのような方法で経験値を獲得しても一定分それがたまれば、キャラクターのHP(体力)とMP(魔力値)並びに冒険者熟練度の上昇を伴うレベルアップに換算されるということだ。
 それを語り終えると、係の人間はうんともすんとも言わなくなった。別に大したことではない。マニュアルにも書いてあったことのおさらいだ。これを聞くために苦労してこの場所を探し当てたのかと思うと晴樹は拍子抜けしてしまった。
 経験値画面を調べると、NPC会話の経験値が2になっていた。これまでNPCに尋ねまくったことも全くの無駄ではなかったということだった。
 街の中の様子は大体分かったので、街の外へ出てみることにした。
 冒険者組合のすぐ隣の城門から、街を囲む城壁の外へ一歩足を踏み出すと、そこは殺伐とした荒野だった。
 それでも辺りには小さなモンスターが徘徊しており、それに対して冒険者たちが必死で剣をふるっていた。
 HARUは初期装備として小さなナイフを持っていた。多分、街に一番近い場所であるこのエリアにいるモンスターは、初心者、つまりHARUでも倒せる程度の強さに違いないはずだった。
 晴樹の目の前を黒猫のようなモンスターが横切った。その黒猫にすぐさま他のプレイヤーが駆け寄り剣を二三度ふるうと、モンスターはあっけなく絶命し、そのプレイヤーはすぐさま次の獲物を求めて走り出した。
 至る所でその繰り返しだった。あちらでもこちらでも虐殺。一方的な殺戮が行われていた。モンスターは冒険者の糧となるためだけに存在を許されているかのようだった。
 その光景に晴樹は思わず目を背けた。それは晴樹に嫌な何かを思い出させた。
 HARUは、他のプレイヤーたちがモンスターを奪い合うように殺しまくっている間をすり抜け、街から離れるようにどんどん走っていった。
 次第に人の数は減っていき、そして、いきなり画面が切り替わった。隣接する隣のエリアへ入ったらしい。
 数秒間の暗転を挟んで画面に再び映し出された景色は、先程以上に荒れており、樹木の一本も見あたらなかった。
 それに加えて大きく異なっていたのは、人の姿が全く見当たらないことだった。モンスターの数も先よりずっと少なく、先ほどの虐殺パラダイスの雰囲気は全くなかった。なぜこのエリアに人がこんなにいないのか晴樹には分からなかったが、その分、他人の目を気にせずにエリアを探検することができそうだった。
 取りあえず、走っていれば何かみつかるだろうと思い無人の荒野を駆けていると、正面から一直線に向かってくる人影があった。とことこと小走りで向かってくるそれは、真っ黒で小さいけれどずんぐりとした体型をしていた。背中には不釣り合いな大剣を背負っているようだった。
 一瞬話しかけようかと思ったが、相手の正体はすぐに知れた。それは人ではなく、二足歩行型のモンスターだった。
 晴樹はドキリとした。相手は小さいくせに何だか強そうな感じがした。貧弱な初期装備のままのHARUが勝てる相手には思えなかった。周りには助けてくれそうな相手もいない。モンスターの行動はエリア内に限定されるので、逃げ切るためには先のマップの切り替わり地点までもどらなければならない。だが、そこまでには随分距離がある。戦闘になった場合、死亡は確実だった。
 晴樹は一瞬の躊躇の後、立ち止まって、向かってくるモンスターに対してあるコマンドを実行した。「話す」ボタンをクリック。そして、素早く入力。

HARU>>こんにちは。

 モンスターを相手に何だかおかしい気もするが、気の利いた挨拶などとっさに思い浮かぶものではない。
 モンスターはHARUのほんの少し手前でぴたりと立ち止まった。

ゴブリン>>……

 モンスターの冷たい視線を受け、晴樹は次の言葉を必死で探した。
 サーティワン・キングダムの世界ではモンスターは大抵知能を備えている。プレイヤーの投げかけた会話に対しモンスターは返答を返してくるのだ。その会話の成り行きによっては、特殊な情報やアイテムをモンスターから得ることができる。それがサーティワン・キングダムのウリのひとつだった。少なくともマニュアルにはそう書かれていた。
 だが、HARUの目の前のモンスターは沈黙したままで、何も起こらなかった。
 晴樹は前日のネットで見つけたサイトにあったモンスター会話のコツを必死に思い出そうとしていた。
 確かそれには「相手の情報を引き出そう」と書かれてあったような気がする。

HARU>>ええと……今、急いでます? よければちょっとお話でも、どうですか?

 思い切り下手に出たHARUの会話に対し、モンスターの返答は実にシンプルなものだった。

ゴブリン>>何言ってるか分からねえべ。
HARU>>……
ゴブリン>>何言ってるか分からねえべ。


 どうやらモンスターの人工知能は人間と完全なチャットができるほどには利口ではないようだった。そう言えば、ネットにも「会話は短く、要点を絞って」とあった気がする。それにしてもモンスターが方言をしゃべるのはいかがなものかと思ったが、少なくともモンスター本人につっこんでも無駄に思えた。
 晴樹はもう一度熟考してモンスターに問いかけた。

HARU>>今、何をしているのですか?
ゴブリン>>商いに行く途中だべ。


 まともな言葉が返ってきたことに晴樹は感動を覚えた。

ゴブリン>>オラに何か用か?
HARU>>何を売ってるんですか?
ゴブリン>>【ゴブリンのバリルータ】と【ゴブリンの水薬】だべ。


 モンスターはいかにも怪しげなアイテム名を挙げた。

HARU>>それは何に使うのですか?
ゴブリン>>……用がないなら、もう行くべ。


 そう言うと、モンスターはHARUを残してすたすたと歩き始めた。

HARU>>待ってください、待って!

 しかし、モンスターはHARUの言葉を無視してマップの彼方に消えていった。
 微妙な感触だった。今のは会話に失敗した、ということになるのだろうか。経験値画面を確認してみると、モンスター会話の経験値が、なんと2と示されていた。完全に失敗というわけでもないようだ。それにNPC会話と比べても経験値獲得のコストパフォーマンスは断然こちらの方が高いようだった。
 晴樹は気合いを入れ直し、別のモンスターを探し始めた。
 が、次のモンスターは何をしゃべっても返答してくれなかった。その次も同じ。話さないタイプのモンスターもいるのだろうか。それとも何かキーワードのようなものがあるのか、あるいはモンスターによってはある程度こちらの会話スキルを必要とするということも考えられた。
 晴樹が頭を悩ませていると、遠くから剣の音が響いてきた。誰かがモンスターと戦っているらしい。このエリアにも人がいることを知って晴樹は少し安心した。
 ペットボトルで水分を補給すると、パソコンの画面をインターネットブラウザに切り替え、『サーティワン・キングダム』『モンスター会話』『コツ』で検索をかけた。
 すると、昨夜見たサイトがすぐにヒットした。

<<31'sモンスター会話を制覇しる!>>

「その1.モンスターの知能レベルは千差万別だじょ。なるたけ簡潔な文章で話すじょ」
「その2.モンスターはこちらの態度に敏感だじょ。相手を見極めとるべき態度をはっきりさせるじょ」
「その3.モンスターはとっても気まぐれだじょ。機嫌を損ねたと思ったら即撤退だじょ」
「その4.交渉は思い切りよくだじょ。一か八かで望むじょ」


 長々と続く項目は読み飛ばし、晴樹は「簡潔」「はっきり」「撤退」「一か八」と手元のメモに書き出した。
 再びサーティワン・キングダムに戻ると、仕入れたコツをふまえ今度はタメ口で接してみることにした。
 すると、効果てき面。早速返事が戻ってきた。

オーク>>俺様に何の用だ?
HARU>>黙って聞け!
オーク>>ぬぬ……
HARU>>おまえと話がしたい。
オーク>>……俺様、今機嫌悪い。


 いきなり晴樹の強気路線は壁にぶつかった。

オーク>>今日はいい獲物が手に入らなかった。
HARU>>いい獲物って、何?
オーク>>例えば、【人間の頭蓋骨】
HARU>>……他には?
オーク>>【人間の生皮】
HARU>>他は?
オーク>>【人間の内臓】


 晴樹にはどうにもグロすぎた。それに嫌な予感がした。この流れからいくと、戦闘確実、死亡確定、ではなかろうか。
 晴樹は会話の流れを変えようと試みた。

HARU>>この【短剣】をやるよ。プレゼントだ。

 それをやってしまうと、HARUはまるっきりの丸腰になってしまうが、どうせ持っていても役に立たないのだから同じことだった。
 モンスターはしばらく考えた挙げ句、HARUに念を押した。

オーク>>その【短剣】くれるのか?
HARU>>イエス。
オーク>>その【帽子】もくれるか?


 会話の意外な分岐に驚きながらも、晴樹はノーと言えなかった。

HARU>>OK。
オーク>>その【革鎧】もくれるか? 【すね当て】もくれるか?


 結局、HARUは身ぐるみはがされた。シャツとズボンという至って軽装な出で立ちだ。勿論、手持ちの五百ギニーもモンスターの手の中だ。もう好きにしろといった感じである。
 後はこの命さえ取られなければと思ったが、それさえも怪しいところだった。
しかし、意外なことにモンスターはそれ以上のおねだりをしようとはしなかった。

オーク>>オマエ、いい奴。オマエにこれやる。友情の証。大事にしろ。

HARUは【オークの黒真珠】を手に入れた。


 おーーーーーーーーーーー
 晴樹は心の中で声を上げてガッツポーズを作った。
 モンスターはその場をさっさと去っていったが、晴樹はハイテンションからなかなか抜け出せなかった。
 少し落ち着いてからゲットしたアイテムを調べてみたが、特別な表示は出てこなかった。街へ行けばその価値が分かるかもしれないので、大事にとっておくことにした。
 このようにモンスターと戦うことなく、会話によってレベルをアップさせ、なおかつアイテムを得ることができるなら、モンスターを殺し続けるという殺伐とした行為に熱中するよりずっといいと晴樹は思った。
 その時、HARUは右手の岩影から自分をじっとみつめる鋭い眼光に気づいた。突然のことに晴樹は体を硬直させた。まるでホラー映画のようだった。
 モンスターは長い首を左右に振りながら岩影からその全貌を現した。四つ足の恐竜型で、頭の所はゆうにHARUの倍以上の高さがあった。頭の先から尻尾の先までとなると、大きすぎてよく分からない。
 強そうだ、と晴樹は思った。と同時に、イコール貴重なアイテムを持っている、とも推測できた。となれば、交渉相手として文句ナシである。
 晴樹は深呼吸して体の緊張を解くと、モンスターに近寄り、慎重に話しかけた。

HARU>>調子はどうだい?

 相手になめられないように話し言葉には気をつけなければならない。
 相手が返事をしないので、晴樹はさらに強気でいくことを選択した。思いきりが大事なのだ。

HARU>>でかい図体して、言葉もしゃべれないのか?

 すると、ゆらゆらと動いていたモンスターの首がぴたりと止まり、眼光が一層鋭くなった。

スタンブルス>>小さき者よ、目障りだ。

 その高圧的な物言いに晴樹はすこしカチンときた。

HARU>>小さいからってバカにするな。
スタンブルス>>おまえはわしより遙かに小さく、弱い。それは、紛れもない、事実。


 その話し方は今までに話したモンスターとは一線を画していた。何だかボスキャラのような威厳のある話し方だった。
 相手の迫力に晴樹の強気の決意は簡単に崩れ去った。

HARU>>今何してたんですか?
スタンブルス>>昼寝だ。
HARU>>いいですね、ステキな御趣味だと思いますよ。
スタンブルス>>昼寝は人生に潤いを与えてくれる。
HARU>>……でも、寝るにはもったいないくらいのいい天気じゃないですか。
スタンブルス>>天気などに興味はない。
HARU>>じゃあ、何が好きなんですか?
スタンブルス>>……
HARU>>いや、別に何でもいいんだけど。野球とかサッカーとか、僕は剣道やってましたけど、他にゲームとか、読書とかは……
スタンブルス>>…………


 晴樹の中で危険信号が点滅していた。心なしか相手の鼻息も荒くなっているように思えた。サイトにあったコツに従って晴樹は撤退を決めた。

HARU>>じゃあ、ボクはこれで──

 そう入力しかけた時、その巨大なモンスターが突然吠えた。

スタンブルス>>我を愚弄するか!

 どうしてそうなるのか晴樹には理解できなかったが、強者の論理は絶対だった。弱者のHARUにはそれに介入する余地はない。HARUはすぐさま強烈な一撃をお見舞いされた。

スタンブルスのテイル・ブロウ:HARUに75ダメージ

 HARUの体は大きく宙を舞い、地面にたたきつけられた。体力を示すHPゲージはほとんど削られ真っ赤に表示されていた。
 逃げなきゃ。晴樹は反射的にそう思って、キーを押し続けた。
 しかし、どうしたことか、画面の中のHARUは全く反応しなかった。

 HARUは麻痺している。
 HARUは麻痺している。
 HARUは麻痺している。
 HARUは麻痺している……


 画面にはHARUの状態異常が馬鹿丁寧に何度も繰り返し表示されていた。
 今になってあのオークに防具をすべてやってしまったことを後悔した。だが、あの程度の防具などこの上級モンスター相手では何の足しにもならなかったのかもしれない。その証拠に残りHPは十分の一以下だった。
 足音を響かせながら、スタンブルスがゆっくりと近づいてきた。次の一撃を喰らったら間違いなく死亡だ。
 晴樹は無駄と知りつつ、何度もダッシュキーを押し続けた。
 スタンブルスがHARUを踏みつぶせるほどの距離に迫ったそのとき、突然、画面に閃光が走った。

SARAHの火炎剣:スタンブルスに250ダメージ

 スタンブルスはその怒り狂った視線をHARUから離し、乱入者の方に向き直ろうとした。
 だが、その猶予が与えられることはなかった。

SARAHの七重剣:スタンブルスに147ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに140ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに149ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに142ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに141ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに145ダメージ
SARAHの七重剣:スタンブルスに143ダメージ
SARAHはスタンブルスを倒した。


 晴樹は流れるような画面の表示に目眩を感じながら、必死で状況を認識しようとした。彼に分かったのは、あの巨大なスタンブルスが今、自分の目の前で地面に横たわり、その向こう側に一人の女剣士が立っているということだけだった。
 その女剣士は竜の模様の入った白い鎧と青いマントをまとっていた。キャラクタータイプはHARUと同じ人間で金髪の美貌の持ち主だった。その装備とスタンブルスを倒した手際から、高レベルのキャラクターであることは間違いなかった。ゲーム初日であるHARUとは比べるべくもない。
 無言で自分を見つめる視線を受け、晴樹はようやく、彼女に助けられたのだということを理解した。
 HARUはバツの悪い思いを感じながら、彼女に頭を下げた。

HARU>>ありがとうございました。

 それでも彼女は言葉を返さず、晴樹は自分が何かまずいことをしたのだろうかと不安になった。
「今日始めたばかりで……」と、言い訳を考えていると、彼女の言葉が表示された。

SARAH>>何やってたの?

 晴樹はてっきり怒られるのだと思った。自分は何かゲーム内のタブーを破ってしまったに違いない。ひょっとしてここは来てはいけないエリアだったのかもしれない。だから、人もいなかったのだ。そう思って晴樹は慌てて謝った。

HARU>>すみません。すぐ他の場所に行きますから。
SARAH>>さっき、モンスターと会話してなかった?


 相手の問いに晴樹はおそるおそる答えた。

HARU>>はい、してました。
SARAH>>そんなことできるんだ。


 晴樹は混乱した。どういう意味なのか。初心者のくせにモンスターと会話するなんて百万年早いわよ、という意味なのだろうか。それとも、このエリアはモンスター国立公園で禁猟区のようになっているのか。だが、ストレートに受け取ると……いや、彼女のような上級者がモンスターとの会話システムを知らないなどということは、どう考えてもありそうにないことだった。

SARAH>>どうやるの?

 からかわれているのだろうか、ちらりとそんな考えも浮かんだ。モンスターとの会話はマニュアルにも大きくページを割いて説明されていたし、サーティワン・キングダムの中の基本のひとつのはずだった。それを彼女のような腕利きのプレイヤーが知らないと言い張るとは。それとも、モンスター会話は一般的には不人気で、晴樹が思っている以上にそれを利用するプレイヤーは少ないのであろうか。
 どちらにせよ、助けてもらった以上、相手の問いを無視するのは礼儀に反しているように思われたので、晴樹はモンスターとの会話の仕方を、手短に彼女に説明した。

SARAH>>つまり、モンスターをターゲットして、会話ボタンを押してから、何か話しかければいいのね。
HARU>>そうです。


 何度も大層にうなずく彼女に、晴樹は思いきって尋ねてみた。

HARU>>レベル、おいくつぐらいですか?
SARAH>>レベル99。


 HARUから見れば夢のような上級者だった。

SARAH>>スタンブルスはレベル50はないと倒せないから、初心者には危険よ。
HARU>>そう、みたいですね。
SARAH>>面白いこと教えてくれてありがと。がんばってね。
HARU>>いえ、こちらこそありがとうございました。


 そして彼女は颯爽と駆けていった。
 何だかひどく不思議な会話のような気がした。それともこれが普通なのか。サーティワン・キングダムの世界は晴樹が思っている以上に謎に満ちあふれていた。

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