第1章 フォルティーズの使者



 その城は、至る所にむき出しの黒い岩を抱える小高い丘の上につつましく建っていた。
 城の背面からは、大河フォーラルの源流であるプリナ川が丘のふもとを蛇行しながら流れてゆくのが見て取れる。北から南へ向かうプリナ川は丘の周囲に広がる小さな平野を一年の間過不足なく潤していた。その平野部は三方を山々に囲まれており、山の頂から見下ろすと、丘はまるで鶏の卵のような形に見えた。他の丘も表土を剥げば同じ黒い岩が出てきたが、その丘だけは草が生え茂ることはなかった。
 その黒い丘の頂上に黒い岩で造られた城は黒卵城と呼ばれていた。
 ブローシュダーク城。それがその城の正式な名前である。そして、それはその地を統べる王国と王家の名でもある。中央の王領と三諸侯領とからなるブローシュダークは、山間部を挟んで北を教会領、西をクライン西方王国、そして南を蛮族に囲まれる小さな王国であった。
 その王国は九代目の老王を失い、その双子の兄が十代目の王位を継いだばかりであった。
「ここはいつ来ても眺めがよろしいですな」
 老人は太い眉毛の下に隠れそうな目を細め、窓の外を見やった。塔の三階にあるこの「王の間」には比較的大きな窓が丸みを帯びた石壁のへこみに据えつけられていた。窓枠は鉄の格子で小さく区切られ、その向こう側には平和そうな収穫前の小麦畑が広がっていた。
「もうお慣れになりましたかな、陛下」
 言葉を投げかけられた若者は椅子の背もたれから体を起こすと、白の長衣をまとった大柄な司祭の顔を見て、笑みをこぼしながら小さく息を吐いた。
「正直、王位がこんなに息苦しいものだとは思わなかった」
 即位して五日、新王のぎこちなさはしだいにとれていったが、先王と同じ威厳は望むべくもなかった。しかし、若者の利発さ、武芸の腕、性格の温厚なるところは誰もが認めるところであり、特に、その信仰心の厚いところは、老人には昔から好ましく思われていた。新しい王がしかるべき人物であったことを老司祭は神に感謝していた。
「もっと力をお抜きなさい、陛下、いや、ヨタ様。あなた様は小さい頃から堅苦しく考えすぎるところがある。真面目さは美徳ではありますが、王として、何事もすぎるのは問題ですぞ」
 司祭はいつものようにヨタに苦言を呈した。体にしみ込んだ教育係の癖はすぐには直りそうもなかった。
 ブローシュダークの王は凡人では務まらない。勿論、普通の国の王なら凡人でもよいという意味ではない。ブローシュダークは優れた者にしか御し得ぬものを抱えている故である。そして、この青年ならばその任をまっとうできると司祭は固く信じていた。
 ヨタは柔らかな金の前髪をかき上げながら、できのいい生徒のように反論した。
「分かっております。ですが、そういうカルノー様も、昼間から酒臭いのはどういうわけですか」
 司祭は長衣の袖を口にやり、自分の息をかいだ。
「ハハハ、その通りですな。陛下が急にお呼びになるものですからな」
 司祭の酒好きは今に始まったことではない。酒に溺れることなく、堅物でもない聖職者は、城の人間から尊敬と親近感を勝ち得ていた。
 ヨタは樫の木でできた机の上に置かれた一通の書状を軽く叩いてみせた。
「お客人を待たせるほどのことですかな」
 司祭は机の隅に置かれた書状入れの模様から、それが三諸侯の一人、南のバルタール候からのものであることを察していた。
 司祭の言葉にヨタはさりげなく視線をそむけた。
「あまり、いい話ではなさそうですな」
 ヨタは書状の内容を手短に話して聞かせた。
 真剣に耳を傾けた後、司祭は、少なくとも外見は平然としてそれを受け流した。
「毎回のことです。南の蛮族が新しい王の即位の後に戦をしかけてくるのは。収穫祭や聖なる一週間や聖カルマンの誕生日と同じ。いわば、恒例の行事というやつです。お父上の時もそうでした」
 司祭の落ち着きにヨタは質問を浴びせた。
「大きな戦にはならぬと?」
「勿論。ブローシュダークの恐ろしさを忘れてしまうほど彼らも愚かではありますまい」
「そう、思うか?」
 司祭は苦笑いを浮かべながら頭を振った。
「今回は挨拶のようなもの。まあ、できるだけ早いうちに他の二候からも兵を出してもらい、共にバルタール候のもとへお向かいなさい。形だけ剣を交えればそれで終わりましょう」
「形だけ、か」
 ヨタは腕を組んでつぶやいた。
「左様。ブローシュダークをうち破ることはどんな大国にもかなわぬこと。たとえ、ブローシュダークがどれほど小国であろうとも」
「……そのとおりだ」
 短い沈黙の後、気を悪くした風もなく、ヨタは大きくうなずいた。
「さあ、そろそろ謁見の間の方へ。フォルティーズの姫君は大層お美しい方ですぞ。あまり遅いと、ヨクト様がお相手なさるかもしれませんぞ」
 その言葉を聞くや、ヨタの表情は急に険しくなった。
「あいつに賓客をもてなす資格などない。ブローシュダークの王はこのわたしだ」
 そう言うと、ヨタは壁にかかった正装の青いマントをつかみ優雅にそれを身にまとった。そして、部屋を出ようとして司祭を振り返った。
「それに、あいつの趣味は一筋縄ではいかないからな」
 その皮肉のこもった言葉に司祭は形ばかりの相づちを打ちながら、密かに不安をかき立てられた。
 あの双子の弟君がこの将来の偉大な主君の足かせとならねばよいが、と。




 四方を石の壁に囲まれたその空間は、彼にとって数少ない居心地のよい場所の一つだった。そこは城の中央にできた吹き抜けの長方形を成す中庭で、井戸と一本のクリュウの木がある以外は見るべきもののない場所だった。その地面に日が射しこむのは午後のほんの一時で、その他は薄暗い静かな時間がそこには流れていた。
 穀物庫の扉から延びた階段に腰掛けた彼は兄のヨタが王位を継いだ今、ブローシュダークの第一王位継承権を持つ身分であった。もっとも、虚弱体質であり、なおかつ性格的にも問題のある彼が、もしもの場合に王位を継げるかどうかは極めて難しい問題だった。
 そして、そんな彼がしていることは、石階段を隊列をなして上ってくる蟻たちを先頭から一匹ずつ親指で押しつぶしてゆくことだった。
 傍目にはきわめて静かな殺戮であったが、彼の頭の中では瞬間の断末魔が途切れることなく繰り返されていた。彼は体調が許す限り、この作業を午後の日課として熱心に行っていた。先頭の蟻が押しつぶされ、隊列が乱れても微塵の容赦もない。彼の親指は蟻たちにとって神の鉄槌にも似た脅威だったに違いない。
 中庭の中央にある井戸のそばで、質素な身なりをした一人の少女がそんな彼を見つめて立っていた。だが、見知らぬ人間が彼女を「少女」と言い当てるのは容易なことではないのかもしれない。彼女の浅黒い顔を覆っているできものは、彼女から見た目の若さを完全に奪い去っていたからだ。
 彼女は時間を見計らったように彼の元に歩み寄ると、丁寧な口調で声をかけた。
「ヨクト様、そろそろお戻りになりませんか」
 彼は楽しい遊びをとがめられた子供のように不満そうな顔で彼女を見上げた。
「あまり無理をなさるとお体に、さわります……」
 ヨクトが明らかに気分を概しているのを見て、少女の声は消え入りそうになった。
「たかが蟻をつぶすのも、俺にとっては大仕事だというのか?」
 うつむいて黙り込んでしまった彼女を後目にヨクトは仕事を再開した。
「城の穀物庫をあらそうとする奴に厳罰を与えるのは、王家の一員として当然の行為だとは思わんか」
 彼の声にはいかにも楽しそうな響きが感じられた。
「人であれ虫であれ、我が王国に害なすものには容赦はせぬ」
 狂気の王子として、城の誰もが敬遠する彼の唯一忠実な下僕が、彼女ルチルであった。
 四年前、近くの農村の貧しい一家の少女を、付け加えるなら異形の少女を、ヨクトが気まぐれで自分の下女に召し抱えると言い出したときは、城内に大きな反対がわき上がったものだった。しかし、彼はそんな反対をものともせず、彼女をそばに置くことに決めた。
「あっ」
 ルチルが短い声を上げた。面倒くさそうにヨクトが顔を上げると、ルチルは空を見上げていた。
「どうした?」
「いえ、今、あそこに道化が……」
 彼女は三階の上にある歩廊を指さしたが、そこに人の影はなかった。
「逃げ足の速い奴め」
「ヨクト様がいつもひどい仕打ちをなさるからです」
 ヨクトはむきになって反論した。
「何がひどい仕打ちだ。鞭で打たれたり、弓の的になるのは、れっきとした道化の仕事であろう」
「でも、悪い人じゃありません」
「……やけに道化の肩を持つな」
 ルチルはそれ以上何も言い返さなかった。ヨクトの機嫌をあまり損ねるとろくな事にならないのは、この四年間で嫌と言うほど分かっていた。だが、彼も機嫌が良いときには、優しいこともあるのだと知っているのは、彼女の他にはほとんど誰もいなかった。
 その時、ヨクトの左手ベルクフリート側の扉が開いた。
 そこには純白のドレスをまとった見知らぬ女性が立っていた。
 ヨクトは彼女の方を振り向くと、一瞬その容貌に我を忘れた。美女に対して取り立てて執着のない彼にしては珍しいことだった。
 だが、相手もまたその長い青髪を小さく揺らし、驚きの表情を浮かべていた。
「……ヨタ、陛下?」
 ヨクトはすぐさま相手の勘違いを悟って内心で小さく笑った。
 ルチルがいつもと変わらぬ控えめな物腰で、戸惑う女性に言葉をかけた。
「こちらはヨタ陛下の弟君、ヨクト・ブローシュダーク殿下にございます」
 ルチルに視線を向けた相手の表情は再び新たな驚きの色を見せた。ルチルはいつものこととしてそれを見ぬ振りをした。この醜い世話女と初対面の人間が演じる、戸惑いと無関心の織りなす情景画を見るのは、ヨクトにとって大きな喜びとなっていた。
 だが、今回、相手の見せた動揺は、今まで誰が見せたものより短いほんの一瞬のものだった。彼女はすぐにもとの端正な表情を取り戻し、何事もなかったようにその視線を王と同じ顔の男に向けた。
「御無礼をお許し下さい、ヨクト様。わたしはフォルティーズ辺境伯ロイズの妹、アースィと申します」
 アースィは階段を軽やかな足取りで下りるとヨクトに対して頭を下げた。
「ほう……」
 ルチルはヨクトの顔に通り一遍の興味以上のものが現れたのを見逃さなかった。
 フォルティーズ辺境伯は、ブローシュダークの西方に隣接しているクライン西方王国の大諸侯の一人である。近年領土の拡大激しいフォルティーズ辺境伯領は、ブローシュダーク王国の五倍以上の領地を有していた。そして、若くして家督を継いだロイズの気性の激しさは「赤髪王」の名とともにブローシュダークにも聞こえてきていた。
「フォルティーズの姫君がこのような山奥の小国に何用でしょうか? 確か、先日の即位式にはフォルティーズからは誰もお見えになっていなかったように記憶していますが」
 相手の質問に対し、アースィは緊張の色を隠しながら、ヨクトのもとに歩を進めた。
「その節は大変失礼をしました。何故、我が国は新興国のため、戦乱相次いでおりましたもので。ですが、我が国はブローシュダークのよき隣国でありたいと思っています。そのためには常日頃からの交流が大切ではないかと思い、遅ればせながらこうして参上した次第にございます」
 ヨクトは外交言語の下に隠された相手の真意をはかるべく注意深く彼女を観察した。身なりの良さは、さすがに西方王国といったところで、ブローシュダークのあかぬけなさとは対照的であった。年の頃はヨクトと同じか、あるいは少し下かもしれない。赤髪王の妹だけあり、知性も美貌も人並み以上に備えているようであったが、それ故に彼女の真意を読むのは容易ではなかった。
 ヨクトの相手を値踏みする視線に対して、彼女はにっこりと笑みを返した。
「アースィとお呼び下さい」
 外交辞令としてヨクトも笑みを返した。
「さて、アースィ嬢は、何故お一人でこのような城の奥においでか。お付きの者はいかがいたしました?」
「それが、はぐれてしまいまして、難儀していたところなのです」
 しばらく押し黙っていたルチルが二人の会話に口を挟んだ。
「フォルティーズのお城は、ここの何倍も大きいと聞いておりますけど」
 発言の中身にではなく、口を差し挟んだことに対し、ヨクトから非難の視線を向けられ、ルチルは再び視線をはずした。
 ヨクトはようやく重い腰を上げ、城の中の案内を申し出た。
 意外にもアースィは素直にその申し出を受けた。「狂乱の王子」の名はフォルティーズ辺境領までは聞こえていないようだった。
「ヨクト様、もうお部屋にお戻りに……」
「うるさい」
 ルチルの哀願を一喝し、ヨクトはアースィの手を取った。
「お体がお悪いのですか?」
 アースィの真摯な気遣いの言葉に答えたのはルチルだった。
「ヨクト様は、無理をなさるとすぐに熱を出されるのです」
「このような者は相手になさらず」
 ヨクトは有無をいわさず、アースィの手を引いて、扉の中へ彼女を引き入れた。
 ベルクフリートに入ると、アースィは反動でしまった扉を気がかりそうに見つめていた。
「あのような女が珍しいですか」
「いえ、そういうわけでは……」
 彼女は表情に戸惑いながら言葉を返そうとして、ヨクトのそれに遮られた。
「おお、ちょうどよい。今は誰もいないぞ」
 二人が入ったのは、ベルクフリートの一階で内城壁の入り口になっていた。方形の部屋には机が並べられており、ここが予備の執務室としても使われていることを示していた。
 ブローシュダーク城は、矩形の内城壁を外城壁が囲むように造られている。三階建の内城壁の中心は吹き抜けの中庭となっており、その四辺には厚い石積みの壁に守られ部屋と廊下が配置されている。そして、城の四隅にはそれぞれ円形の塔が配され、正面の辺の中央には特に城壁の厚いベルクフリートと呼ばれる方形の塔が組み込まれており、城の防備の要となっていた。
「さあ、こちらに」
 ヨクトは浮きたった様子で、彼女の手を引いて机の間をすり抜け、小さな扉をくぐった。
 扉の向こうには、細く、暗い廊下が延びていた。城の一、二階には大きな窓がない。城は館であると同時に砦でもある。籠城する場合に大きな窓は城の強度を弱くするため、当然の事として採光は犠牲にされていた。
 右手に使用人の部屋を見ながら、ヨクトが先に立って狭い廊下を抜けた。
「何を見せていただけるのですか」
 アースィの不安げな質問にヨクトは答えをはぐらかせた。
 廊下から出ると、そこは四つの塔の内の一つ、「王の塔」だった。名の由来はその塔の最上階が王の私室になっているからにすぎない。
「ここが何かお分かりですか?」
 ヨクトは自慢げにそう言ったが、暗い円形の部屋自体には何もなかった。隅に古ぼけた木箱が無造作に置かれているだけで何の面白みもない部屋だった。
 だが、彼女の視線は、床の中央にはめられた四角い鉄の格子をとらえていた。
「地下牢、ですか」
 消え入りそうな声でアースィは言った。
「そのとおり。おお、あなたのような方には刺激が強すぎましたかな」
 ヨクトの予想に反し、彼女は床下に興味を示した。
「あの、のぞいても、よろしいでしょうか」
 不安げに伺いをたてる彼女にヨクトは渋々うなずいた。
 しかし、彼女はなかなか彼のそばを離れようとはしなかった。
「ヨクト様、あの、手を……」
 彼女は遠慮がちに彼に握られたままの左手を小さく挙げてみせた。
 ヨクトは気づかなかったとばかりに、握りしめた手を開いた。
 彼女は注意深く部屋の中央に進み出て、鉄格子の手前でしゃがみこんだ。白い花が咲いたようにドレスが床の中央を埋めた。
 どこからともなく漂ってくる臭気が、彼女の顔を自然と歪めていた。それでも、彼女は格子の下の牢の中を見ようと目を凝らした。だが、中は真っ暗でほとんど何も見えなかった。
 軽い落胆を感じ、息を吐き出そうとして彼女は身を固めた。
 後ろから胸元に回された手に対し、彼女は幾分の力をこめて自らの手を添えた。
「いい女だ」
 ヨクトは床の上に咲いたドレスの花弁の上に膝をつき、彼女の背に体を合わせた。
「妻にするならあなたのような人だ」
「御冗談は、おやめ下さい」
 固い声で彼女は拒絶の意を示した。
 彼女の抵抗の意を感じ取ると、ヨクトは素直に体を離した。
「少しはスリルを楽しんでいただけましたか? 空っぽの地下牢にそのように興味を持たれるので責任を感じましてね」
 彼の奔放さは、家督を継ぐ責任のない者に多く見られるそれだとアースィは理解した。外交活動で諸国をまわることの多い彼女はそういった人物を何人も知っていた。核心へ迫る質問をするのにはちょうどよい人物だった。
 平常心を取り戻し、彼女は彼を標的に定めた。
「一つ、お聞きしてよろしいでしょうか」
「何なりと」
「ブローシュダークは古来より魔女の国とされていますが、お城では魔女を祀っておられないのですか」
「……」
 長い沈黙の後、ヨクトは彼女の問いに答えた。
「教会から睨まれるようなことを、我が国ができるとお思いですか」
 ブローシュダークの建国に教会の力添えがあったのは公然の秘密であった。
「それに、あれは下々の噂話にすぎませぬ。フォルティーズの姫君がそのような話を鵜呑みにされるとは、らしくありませぬな」
 ヨクトの返事にアースィは失望を感じながらも、笑みを浮かべて答えた。
「生まれて初めて魔女に会えるかと思い、楽しみにしていましたのに、残念ですわ」
 その時、背後で慌ただしく足音が響いた。
「アースィ様!」
「いらっしゃったぞ!」
 狭い廊下から続けざまに三人が駆け込んできた。
 驚いたのはアースィで、慌てて立ち上がろうとして、ヨクトに押さえられたスカートのせいでバランスをくずした。思わずヨクトに抱きかかえられる形となった。
 彼女の身を抱えながら、ゆっくりと立ち上がったヨクトは、場に不似合いな騒々しさに肩をすくめた。
「おまえたち、場所柄をわきまえろ」
「ヨ、ヨクト様……」
 一番乗りで現れた青年は意外な人物と出くわして面食らっていた。王の弟であるヨクトは、書記という重役を担うタルクにとって、ある意味やっかいな人物だった。
「ヨクト様、お勝手をなされては困りますぞ」
 大柄の初老の男がヨクトをぎろりと睨んだ。家令のモナズである。実際に城を切り盛りしているこの男には、ヨクトも多少の遠慮があった。
「城の中を案内していただけだ」
 アースィは慌ててヨクトから身を離し、衣服の乱れを直した。
 三人目の女性は、アースィの連れてきた付き人らしく、視線で彼女の自由な時間を終わりにしてしまったことを詫びた。
 アースィは彼女を思い、硬い笑みを浮かべ小さくうなずいた。
 タルクはアースィとヨクトの間に割って入り、彼女の安否をまじまじと確かめると、ほっと一息ついた。
「アースィ様、いきなりお姿が見えなくなり、びっくりしましたぞ」
「申し訳ありません。扉を間違えて迷子になっていたところをヨクト様に助けていただいたのです」
 ヨクトはタルクを押しのけるように道を作った。
「もう少しで彼女にもっと面白いところを案内できるところだったのに、残念なことだ」
 ヨクトは部屋を出ようとして思わず立ち止まった。暗い廊下には彫像のように立ったルチルが彼を恨めしそうに睨んでいた。



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