惑星(ほし)から惑星へ、町から町へと移動の続く旅の中、その夜は人の住む町に辿り着けぬまま、野宿を余儀なくされた一行は、森の一角、川からさほど離れておらず、開けたところを見つけてキャンプを張った。
 深夜、少し前から夢に魘されてでもいるのか、寝苦しそうに何度も寝返りを打っていたオスカーは、もはや耐え切れぬというように跳ね起きた。
 額からは冷や汗が滴り落ち、その顔色は蒼く、荒い息を吐く口元を右手で抑えた。
「オスカー様」
 気遣わしげな、心配そうな声が掛かる。だが聞こえていないのか、オスカーは反応しない。
「オスカー様」
 再度、ランディは声を掛けた。
 二度目のそれに、オスカーは漸くゆっくりと声のした方を振り向いた。
「……ランディ……?」
 どうして、と思い、それから、ランディが火の番だったことを思い出した。
 僅かに震える腕を上げ、汗に濡れた前髪を掻き上げながら、落ち着けるように大きく息を吸い込んだ。
「オスカー様、大丈夫ですか?」
 ランディの問い掛けに、オスカーはゆっくり立ち上がった。
「大丈夫。ちょっとばかり、夢見が悪かっただけだ」
 言いながらランディに歩み寄ると、軽く叩いてから立ち去ろうとした。
「どちらへ?」
 見上げるようにして自分を見つめてくるランディに、オスカーは無理矢理笑顔を作って見せた。
「ちょっと歩いてくる。俺のことは気にしなくていいから、火から目を離すなよ」
 言われて、ランディはオスカーと火を交互に見やる。
 気にしなくていいと言われても、今まで目にしたことのないオスカーのらしくない様子は、どうしても気にかかってしまう。
 ましてやここは聖地ではなく、いつ敵に襲われるかもしれぬ旅の途中なのだ。オスカーの身に万一のことがあったならと、その不安は拭えない。
 そしてそのことを別にしても、プライベートのある一面は別にして、オスカーを尊敬し、剣の師としても仰いでいるランディにとっては、彼に何事があったのかと、気にするなと言う方が無理というものだ。
 オスカーの後を追おうか、だがオスカーに言われたように火から目を離すわけにもいかないと、どうしようかと悩んでいると、一角で人の動く気配がした。
 見ると、アリオスがむくりと起き上がり、立ち上がったところだった。
「アリオス?」
「俺が様子を見てくるから、おまえは火を見てろ」
 そう告げると、オスカーがしたと同じようにランディの肩を軽く叩いてアリオスはオスカーの後を追った。
 それを見送って、ランディはそれなら大丈夫かなと、火を絶やさないように視線を火に移した。それでも心の片隅からオスカーを案じる気持ちは消えなかったが。


◇  ◇  ◇



 オスカーは川の辺りまで足を進めた。そして川面を見つめながら、1本の木の根元に腰を降ろし、その幹に躰を預ける。
「……ドジッたな……」
 溜息を吐きながら思わず声にして漏らす。
「何がドジッたって?」
 頭の上から降ってきた声に、しかしオスカーは驚かなかった。その気配には気付いていたから。なのに呟きを漏らしてしまったのは、彼ならば聞かれても構わなかったからだ。
「決まってる、ランディにあんなザマを見せてしまったことさ」
 振り仰ぎながらそう告げると、金と翠の、色の異なる二つの瞳がオスカーを見下ろしていた。
 最近は、二人きりで他の人間が入ってくることのない時などは、彼は仮初の姿ではなく、レヴィアスとしての本来の姿でいるこが多かった。だが今のように、たとえ他の者たちが皆── 火の番として起きているランディは別だが── 眠っているとはいえ、このように外でその姿でいるのは、オスカーが覚えている限り、はじめてのことだ。
 レヴィアスはオスカーの隣に腰を降ろすと、オスカーの頬に右手を当てた。
 その温もりに、既に肌に馴染んだその感触に、オスカーは目を伏せて安堵したような吐息を吐く。
「大丈夫か?」
 気遣わしげに優しく聞いてくるレヴィアスに、オスカーは閉じていた瞳を開けると、ああ、と軽く頷いて見せた。
 自分たちは恋人同士ではない。確かに肉体関係はあるが、恋をしているわけではないし、愛し合っているというわけでもない。言ってみれば、似たもの同士が傷を嘗めあっているようなものだ。
 だがそれでも、アリオスから、レヴィアスから時折向けられる、他の者── アンジェリークにすら── には決して見せない優しさを、気遣いを、そして触れてくる手の温もりを嬉しく思っている自分がいることを、オスカーは自覚していた。そんな自分に、らしくないと呆れながら。
 レヴィアスはオスカーの頬に当てていた手をそのまま後頭部に持っていくと、自分に寄り掛からせるように抱き寄せた。
 オスカーはされるままに抱き寄せられると、レヴィアスの肩に頭を預けた。そうしてレヴィアスの体温を、鼓動を感じ取ろうとするように瞳を閉じる。
 この旅に出てから、夢を見るのが頻繁になっていた。
 以前は一人でいてもそうそう夢を見ることはなくなっていたのにだ。最初の頃は、一人でいると毎晩のように夢を見て魘されて、だから一人寝ができないでいたが、いつしか夢を見るのは、精神的に疲れている時、参っている時、ストレスを溜め込んだ時くらいに落ち着いていたのに。
 つまりは、それだけこの旅が自分に負担を掛けているのだと思う。
 もちろんそれは、肉体的に、ではない。
 確かに度重なる戦闘は、主に前衛を受け持っていることもあってキツイと思うことはあるし、それなりの疲労を感じることはあるが、それは問題ではない。
 気を抜けないのだ。敵に対して、ではなく、同行の者たちに対して。
 ずっと彼らと共にいるために、本来の自分の心を発散するところがない。そのため、心の中に石が溜まっていくように日一日と重くなって、疲れる。
 時折、思い切り叫んで全てを曝け出したくなる。かろうじてそれをせずに済んでいるのは、自分は女王に仕える炎の守護聖なのだと常に言い聞かせていることと、遠い昔の、今は遺言ともなってしまった、母国の、彼が所属していた軍の総司令官であったクールマン元帥からの、『守護聖として女王陛下に仕えよ』という最後の命令によるものだ。
 だから他には決して曝せない自分を曝すことのできるレヴィアスの存在が、有りがたい。彼に甘えていると、そう思いながらも止められない。だが、いつまでもこの時が続くわけではないのだ。いずれは終わりがくる。この旅そのものにもいつか終わりがくるように。
「なあ、いつまでこの茶番を続けるつもりだ?」
 レヴィアスに躰を預けたまま、オスカーは尋ねた。
「……そうだな……。そろそろ潮時だろうと思っているが……」
 潮時── その一言に、オスカーは思わず顔を上げた。分かっていたことなのに、いざ口にされると、来るものがあった。
「……そうか……」
 とだけ答えて、再び目を伏せる。寂しそうに。
「なんて顔してる」
 言って、レヴィアスはオスカーを抱き寄せた。
「……ヤル、か?」
「ここでか? やめとく。別にセックスが必要なわけじゃない。暫くこうしててくれれば、それでいい」
 オスカーが必要としているのはセックスそのものではない。それによって得られる、感じ取れる、自分以外の存在の体温、温もり、鼓動、だ。
 他には誰もなく、全て失われて自分一人きりなのだという孤独、自分だけが取り残されてしまったというその思いが、彼の中に心的外傷としてあり、それが人肌を求めさせるのだろう。一人きりではないのだと、そう思いたくて。
「けど、おまえも変わってるよな。男の俺なんか抱いたって、楽しくもなんともないだろうに」
 オスカーがレヴィアスの、いや、この場合はアリオスの、というべきか、秘密を他の仲間たちに黙っていることで、レヴィアスはオスカーに大きな借りがあると、そう言って、一人では夢に魘されて眠れずにいるオスカーを抱き寄せて眠らせてくれたのがはじまりだった。しかし、そもそも、オスカーはレヴィアスに貸しを作っているとは思っていない。むしろレヴィアスが自分を抱き寄せてくれるのを幸いに、彼に甘えている自分を自覚しているくらいだ。
 だがレヴィアスはどうなのだろうか。女ではない、男の自分を抱いて、何が面白いのだろうと思う。
 苦笑を交えながら問い掛けるように言うオスカーに、レヴィアスは小さく笑って、その首筋に顔を埋めた。
「そうでもないぜ」
「んっ……」
 首筋に落とされた口付けに、オスカーは小さく声を上げた。
「感度はいいし、締まりはいいし、それに、いい声で啼いてくれる」
「ばっ……!」
 その答えに羞恥から顔を真っ赤に染めて怒鳴りつけようとするオスカーの唇を、レヴィアスは自分の唇で塞いだ。
「そろそろ戻るか? いつまでも戻らないと、あの坊やが心配して捜しにくるかもしれない」
 火の番をしているのだろうからそうそう離れはしないだろうと思いながらも、ひとしきりオスカーの唇を味わってから、レヴィアスはそう尋ねた。オスカーがこのままここにいたければそれでも構わないと、言葉の端に匂わせながら。
「そうだな、そろそろ戻るか」
 言いながらレヴィアスの腕の中から抜け出して、オスカーは立ち上がり、それに続いてレヴィアスも立ち上がった。そしてオスカーの横に並んで立った時には、本来の姿から、アリオスという名の仮初の姿に変わっていた。
「……相変わらず、あざやかだよな」
 感心したように漏らされたオスカーの言葉に、レヴィアス、いや、アリオスは唇の端を上げて小さく笑った。
 並んで歩きながら、オスカーは思う。
 いずれアリオスはこの旅から抜けるだろう。その先に待っているのは、女王を、聖地を解放するための皇帝レヴィアスとその仲間との決戦だ。
 その時、守護聖である自分はレヴィアスを倒すために闘うことになる。それもおそらく先頭に立って。
 その結果、失われるのは彼か、自分か。
 どちらでも構わないと、そう思う。それは投げ遣りな感情ではなくて。
 彼を倒せば、女王は、聖地は解放される。それは守護聖としての、今回の旅の目的だ。
 逆に自分が倒れたら、それはそれで、守護聖としてではなく、個としての自分の望みの一つが、完全にとは言い難いが、それでも果たされるのだから。たとえそれが、彼の真に望むことの全てではなくても。
 だからどちらに転んでも構わないと、本心からそう思う。
 ただその前の段階として、得てしまった、馴染んでしまった温もりを失うことに、寂しさと不安を覚える。
 一度得てしまった、自分の全てを曝け出すことのできる存在を失うことに、果たして耐えられるのだろうかと。

── das Ende




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