白銀の環の惑星── 。
アンジェリークの壊れたロッドを直すために、エリシアという名の宝石を求めて訪れた自然洞窟で、アリオスは行方を絶った。
当初は先に戻っているのではないかとも思われたが、その様子もなく、その行方は分からなかった。
そしてその夜── 。
南の集落に宿泊させてもらっていた一行は、突然襲った地震に慌てて外に飛び出した。
そんな彼らの瞳に映ったのは、虚空に浮かぶ黒い人影── 。
「……貴方は、一体……?」
その影から受けるのは、圧倒的な存在感と、力。
「我は皇帝。この宇宙を統べる、絶対の存在」
雲が流れて、隠れていた月がその姿を現した。
月明かりの下、それまではっきりとは確認できなかった、自らを“皇帝”と告げるその人物の顔が曝される。
黒い髪、金と翠の、左右異なる色の瞳。けれどその顔は、よく見知った顔だった。昼間まで共に行動していた旅の同行者、それは紛れもなく、アリオスだった。
唯一、オスカーを除く、他の全員が、信じられないと、驚愕に目を見開く。
◇ ◇ ◇
深夜、眠れずにいたオスカーは、誰かに呼ばれたような気がして、彼とは別の意味で、先のショックから当初はなかなか眠りつけずにいたものの、疲れからかいつしかすっかり眠り込んた他の者たちを起こさぬように、そっと抜け出した。
外に出て気配を探り、そちらへと脚を向ける。
呼ばれるままに辿り着いたところには、とうにこの惑星を離れたと思われていたレヴィアスがいた。
「……レヴィアス……」
名を呼びながら、オスカーはレヴィアスの元に歩み寄る。
「オスカー」
名を呼んで、それからレヴィアスはオスカーに向けて腕を差し伸べた。
「我と共に、来るか?」
レヴィアスのその申し出に、オスカーは一瞬耳を疑った。
「レヴィアス……?」
「我と共に来い。そうすれば、おまえの望みを叶えてやれる。この手を取れ、オスカー」
お前の望みを── その言葉に心が揺らぐ。だが、オスカーは力無く首を横に振った。
「オスカー!?」
「……俺は、軍人だ」
静かな瞳でレヴィアスを真っ直ぐに見つめ返しながら、オスカーは言葉を綴る。
「元帥から受けた最後の命令が、まだ俺の中では生きている。この身が守護聖である限り、俺はそれに逆らえない。元帥は既に亡く、今は遺言となってしまったその命令が、俺を縛りつけている」
レヴィアスはそう静かに語るオスカーを、そっと抱き寄せた。
「おまえと行けば楽なのは分かってる。おまえといれば、俺は自分を偽る必要はない、俺は俺自身でいられる。叶うなら、おまえの手を取りたいと思う自分がいるのは確かだ。だが、俺はあの方の命令に背くことはできない」
オスカーは自分を抱くレヴィアスの背に己の腕を回し、縋りつくようにして、それからその肩に頭を預けた。これが最後と、そう思って。
「分かった。ならば全てをこの手に入れて、それから改めておまえを迎えにこよう」
オスカーの髪を優しく撫で梳きながら、レヴィアスは告げる。
「女王が、聖地が失われれば、おまえがその命令のもとに仕える者はいなくなる。おまえを縛るものはなくなる。そうしてから、改めておまえを迎えに来ることにしよう。だからそれまで、決して斃れるな。おまえの屍を連れ帰るようなことにはなりたくない」
恋ではない、愛しているわけではない。そう思う。だが、二人とも既に互いの温もりを手放すには、余りにも馴染みすぎていた。失いたくないと、そう思ってしまうほどに。
レヴィアスは最後にオスカーの唇に軽く口付けを落とすと、その場から掻き消えた。
一人残されたオスカーは、レヴィアスが消えた場所をじっと見つめたまま、温もりを失って寒さに震える自分の躰を、自分で虚しく抱き締めた。
◇ ◇ ◇
聖地に戻って女王を救い出した一行は、最後の決着をつけるべく、皇帝レヴィアスの待つ、旧き城砦の惑星へ、虚空の城へと辿り着いた。
城内に入り、一度は離れ離れにされたものの合流を果たし、レヴィアスに仕える騎士団を次々と倒して、残るは皇帝レヴィアス唯一人。
皇帝の間── 。
レヴィアスを相手に、皆で一斉に襲い掛かる。しかし皇帝たるレヴィアス一人の力に圧倒されて、人数が多いにもかかわらず、彼らは押されていた。
とはいえ、たとえどれほどの力を持っていようとも所詮は一人。複数に掛かられれば、長引く戦闘の中、一方に掛かる間に、もう一方に隙はできる。
疲労困憊になりながらも、その僅かな間隙を縫って攻撃を仕掛ければ、僅かずつながらもレヴィアスに確実にダメージを与え、そして遂に……。
「くっ……」
レヴィアスが思わず片膝をついた。
後ろの柱に背を預けながらゆっくりと立ち上がり、レヴィアスはその視線を真っ直ぐにアンジェリークに向けた。
「アンジェリーク、運命は今、おまえの手の中にある。さあ、我に止めを刺せ。おまえに我の命を絶つ権利を与えてやろう。宇宙を統べるおまえの手で葬られるのも、悪くない。さあ、我に止めを刺せ」
「そんな……、できないっ……!」
レヴィアスの言葉を、アンジェリークは思い切り首を横に振って否定した。
そんなこと、できるわけないと。
「なぜ── 止めを刺さない。宇宙を救いたいなどと言ったあの言葉は、嘘か? 偽りの情に絆されたか? 我を刺さぬなら、終焉もまた訪れぬ。おまえたちの行動は徒労に終わる……。それでもよいというのか? 下らぬ情など捨てろ。我が憎ければ、止めを刺せ……!」
「できない、アリオス、私にはできない……」
涙を溢れさせながら、アンジェリークはただ“できない”と、繰り返す。
「私は貴方を救いたい、傷ついた貴方の魂を癒してあげたいの。お願い、戻って。私の、私たちのところへ戻ってっ!」
レヴィアスに向けて両手を差し伸べ、涙ながらに訴えるアンジェリークを、だがレヴィアスは感情の篭らぬ瞳で見つめるのみ。
「我を救うと? 我の魂を癒したいと? おまえにそれができるというか? 傲慢な女だな。おまえごときに、我の何が理解るというのだ。それとも女王たるおまえには、叶わぬことなどないと、理解らぬことなどないとでも言うか?」
「そ、そんな……。私はただ、貴方を失いたくないのよっ」
レヴィアスにアンジェリークの訴えは届かない。なぜなら、彼はアンジェリークが言うものなど、何一つ望んではいないのだから。
「おまえが止めを刺せぬと言うなら……」
言って、レヴィアスは視線をアンジェリークから流した。その視線を追った先、そこに立つのは、炎の守護聖オスカー。
「オスカー……」
名を呼びながら、招くように、手を差し伸べる。その声は、アンジェリークを呼んだ声とは、明らかに響きが違う。どこか甘さを秘めたそれに、アンジェリークは目を見張って、レヴィアスとオスカーを交互に見やった。
「オスカー!」
「オスカーっ」
「オスカー様!!」
口々に何をする気かと、それ以上ヘタに奴に近づくなと、そう言いながらオスカーの名を呼ぶ仲間たちの声には耳を貸さず、オスカーはレヴィアスに歩み寄った。
そしてその様に、レヴィアスが笑みを浮かべたのが端からもはっきりと見て取れた。
と、苦しげにレヴィアスが顔を歪め、膝が崩れかける。それをオスカーが慌てて腕を伸ばして支えると、ゆっくりと腰を降ろさせた。
「レヴィアス……」
「なんて顔、してる……」
辛そうに眉を寄せて自分を見つめるオスカーに、レヴィアスは微笑みかけた。
「おまえとの約束、果たせなかったな。許せ……。結局、俺は何一つ自分の望みを遂げることは叶わなかったが、おまえは、おまえの望みを叶えろよ」
「ああ、レヴィアス、叶えるさ、いつか、きっと……」
そう答えるオスカーに、レヴィアスは満足そうに頷いた。
自分には無理だったが、せめてオスカーだけでもその望みを叶えることができるなら、自分の代わりというわけではないが、それでいいと、今はそう思う。だからオスカーの望みが叶うように、祈ろうと。
「オスカー、せめて最期だけは、俺の望む通りに。俺の最後の願いだ。おまえの手で、止めを」
言われて、オスカーは一度目を伏せた。それから思いを定めたように、腰に帯びた大剣ではなく、懐から携帯用の小銃を取り出す。
「オスカー様っ!!」
それを見て取ったアンジェリークが悲鳴を上げる。
何をするの、やめて── と。
「レヴィアス……、いつか、俺も逝くから、おまえの元に……」
「ああ、待っている……」
オスカーはレヴィアスの頭を抱えて銃を蟀谷に当てると、目を瞑り、唇を噛み締めて、それから銃の引鉄を引いた。
「いや、オスカー様っ、やめてーっ!!」
二人の遣り取りに、脚が動かずただ見ていたアンジェリークが、そう叫んで駆け寄った時には、もう終わっていた。
事切れたレヴィアスの躰を抱き締めて肩を振るわせるオスカーを見下ろし、アンジェリークは呟きを繰り返す。
なぜ、どうして、と。
他の者たちは一体二人の間には何があったというのかと、呆然とただ成り行きを見守っていたが、床の揺れに、はっとした。
壁が揺れ、小さな破片が天井から落ちてくる。揺れは次第に大きくなり、柱に、壁に、亀裂が入り出した。
「いかん、城が崩れる! 逃げるんです、急いで!!」
ヴィクトールが皆を促し、オスカーとレヴィアスの傍らに立ち尽くしているアンジェリークを、ランディが無理矢理引っ張るようにしてその場から連れ出す。
「オスカー、何をしている。いつまでそうしているつもりだ!?」
ジュリアスが叱咤するように、らしくもなく声を荒げて声を掛けるのに、オスカーは漸く振り向いた。
そしてレヴィアスの躰を静かに横たわらせてから、ゆっくりと立ち上がる。
「オスカー様、早く!」
ヴィクトールの促しに、振り切るように踵を返したオスカーを認めて、後に残っていたジュリアスとヴィクトールも駆け出した。オスカーがその後を追ってくるのを確認しながら。
全員が外に逃れて城を見ると、そこにあるのは、廃墟のみ。戦いの痕跡も、皇帝の痕跡もそこには何一つなく、遠い昔からそうだったというように、崩れた旧い城跡があるのみ。
── das Ende
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