「帰還不能点」という言葉がある。「引き返し限界点」とも言う。そこを踏み越えると戻れなくなり、取り返しのつかない結果に陥るという一線のことだ。
 オスカーはその言葉を思い出し、自分の過去を振り返って、本来の意味とは違うだろうが、自分にとって、その「帰還不能点」は3回あったのではないかと思った。
 1度目は、自分が守護聖として後継者指名を受け、次代の炎の守護聖として聖地にやってくることとなった時。
 2度目は、守護聖となってからだが、故郷の惑星である、自分が後にしてきヴィーザの状態と、そこにいたるまでに、聖地のとった、いや、為すべきでありながら何もしなかったことを知った時。
 そして3度目。おそらくはそれが決定打だったといっていいかもしれない。ヴィーザに対する処置を巡っての聖地と王立派遣軍の間に生じた齟齬。そしてそれまでのことから王立派遣軍の中に、聖地に対する不信感や当時の副司令官をはじめとする幹部たち── 幹部だけではなく、状況を知っていたであろう他の隊員たちにもあったかもしれない── の聖地と王立派遣軍との関係をどうにかしたいという思いを知り、自分がそれに賛同して応じた時。以来、それは続いている。
 炎の守護聖という立場上、オスカーは王立派遣軍の総司令官たる立場にある。彼はその立場を大いに利用した。もちろん、それは彼個人のためではあったが、決してそれだけではない。聖地から、ある意味不遇の対応を受けている、時に命をかけて任務を遂行している派遣軍の隊員たちのためでもある。自分のためだけだったなから、今のような行動はとてもとれない。隊員たちのことを思えば、そのようなこと、できはしない。いわば、互いの利害の一致のもと、行っているといったところだろうか。
 ヴィーザが辿った滅亡の道、そこに至った過程、それはある意味、簡単に調べはついた。それにより、オスカーが聖地を憎み、復讐心を抱いたのは事実だ。それを否定する気は、オスカーにはない。
 しかし、問題はそうなるに至った原因にもあると思えた。つまり、聖地が王立派遣軍からの上申をあまりにも軽く取り扱い、殆ど無視といっていいような状態にあったことだ。そこから、オスカーは聖地と王立派遣軍の関係性が改善されない限り、再びヴィーザのような悲劇が起こる可能性を否定することはできなかった。自分が味わったような苦しみ、いや、苦しみなどという言葉では言い表すことのできないことを、他の者にあじあわせることはできない。同じようなことが起こった場合、ヘタをすれば、そんな思いを抱くことすらなく、一人残らず死んでいる可能性もあるのだ。実際、ヴィーザのこととて、自分が守護聖として聖地に滞在していたがために自分一人だけが生き延び、他の者は全て地獄の業火の中で死に絶えたのだから。
 そうして王立派遣軍の総司令官として、聖地には内密に、王立派遣軍内部の改革に取り組んだ。そしてそれと同時に、王立派遣軍が、“王立”と名がつきながら、あまりにも聖地── 全てとはいわないが、守護聖── から軽く扱われている事実、そうなった原因の調査。ひいてはそれは、聖地と王立派遣軍の成立にもその調査が及ぶこととなった。加えて、聖地、即ち、宇宙を治める聖なる女王と、その女王に仕える九人の守護聖の存在、女王と守護聖の持つ“サクリア”という力の正体、“惑星(ほし)の育成”と称して聖地が行っていることの実態。聖地を頂点とするこの宇宙のあり方、それらについての調査にも着手した。全てを、全ては無理でも凡そのところを把握できなければ、結果的に何もできないだろうと思ったからだ。
 そうして、オスカーが単なる炎の守護聖、総司令官としてではなく、個人的に王立派遣軍と直接的に深く関わるようになったきっかけである当時の副司令官と、オスカーにとっては自分を救ってくれた恩人ともいえるフランツの協力の下、オスカーの直属の組織として新たに構成された諜報部を使い、その他、あらゆる手段を用いて、オスカーをはじめとする王立派遣軍の者たちは聖地とサクリアに関する調査を開始し、それを推し進めつつある。
 まだ、結果は出てはいない。推測に類するものが多いのは事実だ。それでも、見えてきたもの、理解(わか)ってきたことは多くある。夢の守護聖であるオリヴィエに、女王試験を目前に控えたある日、簡単にそれまでに分かってきていたことを推測を交えて、そしてまた自分の過去、それは聖地のとった行動も含めて話はしたが。
 そして思う。聖地にとっての“帰還不能点”はどこにあったのだろうかと。
 それは、聖地の成立過程にあったのではないか。そして聖地がこの宇宙の頂点として完全に成立した時には、それは既に過ぎていたのではないかと。そしてこれから先に待つのは、聖地にとって、取り返しのつかない結果、ということになるのではないか。あまりにも永い年月(とき)がかかりすぎた気もするが、ある意味、聖地によって洗脳されたこの現在の宇宙にあっては致し方ないのかもしれない。実際、自分もヴィーザの結果がなければ、動きはしなかっただろう。それはつまり、何時までも、どこまでも、聖地による、誤った自己本位的なこの宇宙の支配が続いていくことを示しているといえないだろうか。オスカーにはそう思えてならない。
 オスカーがオリヴィエに話をした時点では、まだ完全に決めてはいなかった。自分が調べた、調べさせた結果をどうするか。当初は、聖地と王立派遣軍との関係性を別にすれば、聖地に関してはオリヴィエに話したように事実を知りたいということだけで、何かをしようとは思っていなかった。調査資料の結果も、処分するつもりでいた。しかし、調査が進むにつれて、考えは変わった。
 オスカー自身は何もする気はない。これは間違いのない事実だ。ヴィーザのことを知って以来、その考えは変わっていない。ヴィーザを離れる前、元帥に言われた通り、故国の軍人として、元帥から受けた命令通り、(サクリア)がある限りは、炎の守護聖として、聖地にあることを誓った。そしてその役目を果たすと。そしてそれが終わったら、無事に任務を果たしたと、故郷に、命令を下した元帥に報告するために、そして今はもうとうにいない、失われた家族や同胞の元へ帰ると、そう決めていた。その心に、気持ちに変わりはない。
 しかし、調査結果については、処分するのではなく、王立派遣軍に残していくことにした。それを受けて、軍がどう動くか、そこまではオスカーは関与する気はない。とはいえ、これまでのことと、調査結果を思えば、なんとなく創造はできるのだが。
 だからオスカーは思う。自分が炎の守護聖ではなくなり、聖地を去った後に、聖地の終わりが始まるのではないかと。そして宇宙は本来の、あるべき姿に戻ることになるだろうと。それを、心のどこかで願っている自分がいることも、オスカーは自覚していた。

── das Ende




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