双子である子供たち二人は幼稚園に入る頃、母親に尋ねた。
「どうして自分たちにはお父さんがいないの?」と。
その問いに、いずれはそんな問いかけが来るだろうと予想していたのだろう、母親は即座に答えを返した。
「お父さまは、貴方たちが生まれる前に亡くなってしまったの。結婚の約束をしていたのだけれど、その前に。でもその時には既に私のお腹の中には貴方たちがいて、私にとっては、貴方たちの存在は、亡くなってしまったあの人の、貴方たちのお父さまの形見だという思いがあったから、一人でも生んで育てようと思ったの。そして、貴方たちが生まれた後、貴方たちのことを承知の上で、結婚を申し込んでくれた人もいたけれど、でも私にとっては、貴方たちのお父さま以外、誰も考えられなかったから、誰の申し込みも受けなかったし、これからもそのつもりはないのよ。貴方たちには、お父さまがいないということで辛い思いをさせてしまうと思うけれど、許してちょうだい」
子供たちが小学校に入って間もない頃に出された宿題が、家族の絵、だった。そして二人は悩んだし、辛かった。他のクラスメイトには両親の姿があるのに、自分たちには母親しかいないから。父親が、自分たちが生まれる前に、さらに言うなら、母親と結婚する前に亡くなってしまっていることは母親から聞いて知っている。けれど、その父親がどういう人だったのかは、自分たちは何も知らない。なぜか、母はそのことは決して話してはくれなかったし、写真の一枚もなかったから。
そんな子供たちの思いに気付いてか、母親は子供たちに話した。
「貴方たちのお父さまはとても立派な方だったわ。そして、天涯孤独な人だった。お父さまのお父さま、つまり貴方たちにとっては、おじいさまね。おじいさまは、お父さまがまだ子供だった頃に亡くなられたの。そしてお父さまの故郷の惑星では、二大強国に別れていて、戦争になっていた。生まれ故郷の国で、お父さまは軍人で、前線に出ていらした。激化する戦争の中で、お父さまの残されていた家族も亡くなってしまった。貴方たちの名前は、そのお父さまの弟と妹の名前なの。
お父さまのお母さまは、お父さまが前線に出ることが決まった時に、必ず無事に帰って、いつか自分にお父さまの子供の顔を見せてくれることを望んでらした。そしてお父さまは、お母さまが言われていたように、いつかお母さまに自分の子供の顔を見せてやりたいと思っていた。その時には既にお母さまは亡くなられていたけれど。そして子供が生まれたら、決して身代わりとかいう意味ではなく、二人が生きていたことの証、その記憶として、弟や妹の名前を子供たちにつけてやりたいと仰っていた。それを聞いていた私は、貴方たちが男女の双子だと分かった時に、もうお父さまは、貴方たちが生まれることも知らないままに亡くなられてしまったけれど、せめてその望みを叶えて差し上げたいと思ったのよ。だから、戦争の中にある国を離れてここにきて、そして無事に生まれてきた貴方たちに、お父さまの弟と妹の名前を貴方たちにつけたの。
そうそう、カール、貴方の髪の色はお父さま譲りね。そしてエリザベート、貴方の瞳の色はお父さま譲り。二人が並んでいるのを見ると、お父さまを思い出すわ。決して長い時間、共に過ごしたわけではないけれど、できなかったけれど、私にとっては、貴方たちのお父さま以上の人はいなかった。決して忘れたりなんかしたくなかった。もっともそれ以前に、そんなことできっこないと思うけれど。確かにお父さまはいらっしゃらないけど、でも自分の子供を、お父さまは何よりも望んでらした。ご自分が、家族全てを亡くされて天涯孤独だったからこそ、いずれできる自分の家族の幸せを何よりも望んでらした。結局、何も知らぬままに、貴方たちのことを知らぬままに、私との約束を反故にして亡くなられてしまったけれど。
でもね、お父さまはご自分の味わった経験があったから、私との結婚の約束の後、自分の持っている資産を、万一のことを考えて私の名義に変更してくださっていたのよ。
そんなお父さまのことを直接的には何も知らない貴方たちに分かってというのは無理があるでしょうけれど、お父さまは本当に立派な方だった。誇りに思ってよい方だったわ。ただそうね、最大の難点は、私との約束を果たして下さらなかったことね」
今の貴方たちにはまだ難しい話だったかしら、と言いながら、母親は子供たち二人に父親の話をした。その話の中には、真実ではないことも含まれてはいたが、それを話すことができない以上、可能な範囲でと思えば、そう話すしかなかったのだ。
時は流れて、長じて、子供たちのうち、息子のカールは士官学校を卒業して王立派遣軍に入隊した。そうとは知らず、息子は父親の、直接ではないとはいえ、部下となったのだ。
そしてまたいま一人の子供、娘のエリザベートは、大学卒業後、就職した先の先輩という男性と、職場結婚をした。
プロポーズされた夜、彼は、自分がシングルマザーの娘で、父親のことは殆ど何も知らないことを話しても、それでも構わないと言ってくれたこと、そしれなればこそ、きちんとした自分たちの家庭を築いて、君が生まれる前に亡くなったというお父さんに、立派に家庭を営んでいるところを見せてあげようと言ってくれたのだと、そう嬉しそうに母親に話した。
そしてエリザベートの結婚式、母親は内密にある一人を招待した。その人物とは、この惑星に存在する王立派遣軍の基地司令官である。ただし、出席に際しては、本来であれば王立派遣軍の正装をもってが正しいのであろうが、今回は王立派遣軍とは無関係の立場で、そうとは分からぬようにとの要望により、一般の参列者と同等のもので出席している。
式と、それに続く披露宴の終了後、母親はその司令官と別室で二人だけの時間を持った。
「本日はご令嬢のご結婚、まことにおめでとうございます。また、ご招待いただきましたこと、お礼申し上げます」
「いいえ、こちらこそおいでいただいて嬉しく思っています。それに、私が閣下をご招待した理由、お分かりでいらっしゃいますでしょう?」
「……はい。本日の件、多少の時間はかかるかもしれませんが、お預かりした写真と共に、必ず総司令官閣下にお伝えいたします」
「そうしていただけると助かります。あの方は、自分は父親としては何もする気はないし、父親などという資格はないと、そう仰っていらっしゃいました。けれど、生まれてきた子供たちのために、可能な限りの手配はして下さいました。ですから、子供たちが無事に成長したということくらいはお伝えするべきだと、そう私は考えたのです」
「お気持ち、お察しいたします。きっと閣下も喜ばれるでしょう。もっとも、それを表に出されたりすることはないでしょうが」
基地司令官は、後半は苦笑を浮かべながらそう答えた。
「そうでしょうね。あの方らしいと思います」
「では、私は本日はこれで失礼させていただきますが、閣下に何かご伝言はおありですか?」
その問いかけに、母親は暫し考え込み、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね。もし聞かれたら、私は貴方の見込んだ通りにやっている、貴方の見立てに間違いはなかったと、そして元気に過ごしている、とだけ、お伝えください」
基地司令官は、座っていた椅子から立ち上がった。
「承知しました。では本日はこれで。それから、もし今後何かありましたら、遠慮などなさらずにいつでもご連絡ください。その際には、可能な限りの便宜を、と閣下から申し付かっておりますので」
「そうして気に掛けていただけているだけで、私には十分すぎるくらいですわ。今日は、お忙しい中、本当にありがとうございました」
そうして基地司令官は部屋を辞してそのまま会場を立ち去り、母親は、新郎新婦のいる部屋へと足を向けた。
これでまずは一つ、母親としての役目は終えたと考えていいだろうかと、そう思いながら。
◇ ◇ ◇
母親── エルフリーデ── は思いを馳せる。
オスカー、子供たちは二人とも無事に私の手元から巣立ったわ。互いに生きている限り、私が母であり、あの子たちが私の子供であることに変わりはないけれど、それでも一つの区切りと考えていいでしょう? だから、貴方との契約という名の約束は果たしたと考えても。
ねえ、オスカー。貴方は知らないでしょうね。私は何も言わなかったから。
私は、まだ幼い頃に貴方を見ていたの。そしてその時の私にとって、貴方は私の、一方的はあったけど、淡い初恋だったのよ。
昔、私がまだ幼かった頃、私の祖父は王立派遣軍の将官だった。その関係で、王立派遣軍が数年に一度開催している観兵式に、一般客の一人として両親と共に参列したことがあったのよ。そしてそこではじめて、王立派遣軍総司令官であるラフォンテーヌ元帥を、貴方を見た。
炎が燃えるような赤い髪、そしてそれとは本当に対照的すぎるくらいの冷たい薄蒼の瞳、長身で、バランスのとれた体躯と、あまりにも整った容貌。けれど、兵士に向けるその貌、視線は、王立派遣軍の総司令官たるに相応しく、厳しいものだった。けれど式典終了後の一般市民との交流会では、一転、その貌はとても穏やかで、優しい眼差しだった。
そして総本部に勤務していた祖父は貴方の側近の一人ともいえる立場だったこともあって、両親と私を貴方に紹介して、貴方は幼かった私を抱き上げ、頬にキスをくれたのよ。私の無事の成長を願って、と。もっとも、あなたはそんなこと覚えてもいないでしょうけれど。
それから祖父が亡くなった後、色々あって、私は娼婦になった。そんな私の前に客としてやってきた貴方。最初は信じられなかった。だって、私が覚えている貴方とはあまりにも違い過ぎたから。だから、最初は似た別人なのかとも思ったわ。
でも時折共に過ごす夜の中で、貴方を知ることができて、多少なりとも貴方の心の内を知ることができて、だからこそ、貴方が抱えている孤独が、闇が余りにも悲しかった。何もできないと分かりつつも、どうしかしてあげたかった。
だから貴方が私に契約を持ちかけてきた時、嬉しかった。そう、たとえ契約に過ぎなかったとしても、少なくとも貴方は私を一人の人間として認めてくれたということだと思ったから。そしてまた、あんな契約を持ちかけるほどに、愛情まではいかなくても、好意を持ってもらえているのは分かったから。
貴方から持ちかけられた契約を受ける時、私はビジネスライクにふるまった記憶があるけれど、内心はとても嬉しかったのよ。そしてたとえ限られたほんの僅かの間でも、貴方を独占できる、その喜びが何よりも勝ったし、誰に知られずとも、そして生まれてくるだろう子供たちに苦労を掛けさせる、辛い思いをさせるだろうと分かっていても、それでも、私は貴方の望みを叶えてやりたかった。いいえ、それ以上に私は本心からそれを望んだ。
貴方は、そんな私の気持ちには少しも気づいていなかったでしょうね。私は貴方の前では、その思いに決して気付かれないように細心の注意を払って過ごしていたから。
今の私は、すっかりおばさんになってしまって、でも、貴方はまだあの聖地の中で、私がはじめて貴方を見た時のままの姿でいるのでしょうね。そして、私が死んだ後も、子供たちが死んだ後も尚。そんな、時の流れに取り残された貴方が憐れでならない。貴方の孤独を知ればこそ、なおさらに。
私は子供たちに、父親である貴方がどんな存在であるのか、最後まで話すつもりはないわ。それは貴方も望んでいないことだと分かっているから。けれど、貴方がこれから先、どんな生涯を送るのか分からないけれど、少しでも貴方に幸せだと想える時があればいいと思う。たとえそれを齎すのが私でなくとも。
どんな形であれ、私の初恋は実った。その結果である、貴方と私の子供たちも無事に成長した。だからこれから私は、貴方のことだけを想って生きていくわ。
── das Ende
|