その日は、首座たる光の守護聖である、いや、であった、ジュリアスが次代への引継ぎも終えて聖地を去る日であった。前夜は宮殿において女王主催による送別会が催されていたが、今日は皆からの見送りを拒否し、朝早くに一人で出立すると聞いていたオスカーは、光の館の前に自分が運転するスポーツカーで乗りつけ、車から降りると、ジュリアスが出てくるのを待った。
 やがてさほど時をおかず、執事が開けた扉から大きめなトランクとアタッシュケースを一つずつ持ったジュリアスが、執事を従えて姿を現した。ジュリアスは目の前にオスカーの姿を認めると、一瞬驚いたかのように目を見開いた後、微笑みを浮かべながら数段の階段を降りた。その様子を、軽く挨拶を受けた執事が見守っている。
「どうしたのだ、オスカー? 見送りは不要と言っておいたはずだが」
 問いかけるように言いながらオスカーに近寄ってきたジュリアスに、オスカーも軽く笑みを浮かべながら軽い調子で返した。
「見送りではありませんよ。お送りしようと思いまして」
「……?……」
 意味が今ひとつよく分からぬというように、ジュリアスは繭を顰め、僅かに首を傾げた。
「一度ご実家に戻られるとおっしゃられていたでしょう。それと、俺自身が実はやむを得ぬ所用で王立派遣軍の本部に行くことになりましたので、ついでと言っては失礼ですが、同じ日に聖地を出て外界に行くなら、お送りしようかと」
「そうか。それはすまないな。しかしいいのか? そなたがわざわざ外界に出向くのだ、よほどのことだろう。時間の方は問題ないのか?」
「時間の流れが違うこの聖地と外界とで遣り取りすることを考えれば全く」
 笑いながらそう答えるオスカーに、ジュリアスは「ならば甘えるとしようか」と微笑みを浮かべながら頷き、スーツケースをトランクに納めると、オスカーにすすめられるままに助手席に座った。オスカーは運転席に座り、一旦止めていたエンジンをかけなおすと、すっと静かに走り出した。
 暫く二人は何も会話を交わすことなくいたが、もう少しで聖地を出るという頃になって、ジュリアスが口を開いた。
「……なんだか、いささか妙な気分だな……」
「何がです?」
「そなたと外出、というと、いつも馬であった。そなたと共に遠乗りに出るのはいつも楽しかった。それが、車に並んで座って、というのは、初めてだからな。どうも慣れないというか……。それに、そなたが車を持っていることも、このように運転が上手いことも今まで全く知らなかったからな」
 ジュリアスがオスカーを含めて周囲を見回し、そちこちを物珍しそうに触りながら答えるのに、オスカーはクスッと小さく笑った。
「確かにそうですね。ですが、俺は馬も好きですが、車も好きですよ。馬とはまた違った楽しみ方ができます。ちなみにこの車は昨日納車されたばかりで、実際にこれを走らせるのは今日が初めてです」
「そうなのか」と一言返したジュリアスに、オスカーは心の中だけで更に続ける。「今日聖地を去って外界に戻るあなたのために、今日のためだけに用意させたんですよ、これは」と。
 実際、聖地は確かにかなり広大な面積を持っているが、それでも聖地の中にいるだけなら移動は馬があれば十分だ。わざわざ車を出すまでのことはない。外界に出た際には、本部に車を置かせてあり、時折それを走らせたりしているが、たぶん、聖地にあってこうして車を走らせるのは、今日と、あとは自分自身がこの聖地を去る時だけだろうと思う。
「ああ、ところで私の家だが……」
「ジュリアス様のご実家でしたら存じております。昨夜、こうしてお送りすることを決めた後に調べさせていただきました。守護聖の情報はどこの星の出身かくらいで、それ以外は殆ど知らされていませんが、それでも、他にも色々とお伺いしていたことがありましたから、それらのことから、ご実家の名前など、比較的簡単に分かりましたよ」
「それほど簡単に分かるものだったか?」
「主星の大貴族で、過去に何人もの守護聖を出している名門、となれば、それだけである程度絞ることはできますからね」
 実際のところ、守護聖に関する情報(データ)は、公表されていないだけで王立公文書館にきちんとしたものが保管されている。オスカーはもう何年も前にそれを確認していたのだ。王立派遣軍用のある目的のために。そしてその目的は既に果たされている。なお、その目的のためにその場所を選んだ根本的な理由は、オスカーの個人的な事柄が原因であり、それはこれから行われることになるのだが。
 会話を交わしている間に車は聖地の門を抜け、既に外界へと出ていた。目的の地は、主星の首都の中心から外れた、郊外まではいかないが、貴族たちの大きな屋敷が並ぶ一角である。その中でもジュリアスの出身である貴族の屋敷は広大なものといえた、あくまで首都にある 別宅であるに過ぎず、領地内にある本宅とはまた別なのだが。もっとも、ジュリアス自身は知らないが、首都の屋敷も、さらにはその領地も既にその家の手を離れているのだが。ただ、昨夜の送別会でのジュリアスとの会話の中、オスカーはジュリアスが自分の家は変わらずにあると思っていることにいささか呆れたが。自分が守護聖となって聖地に入ってから外界ではどれだけの年月が流れたと思っているのだ。その間に何があってもおかしいことはない。それを、何も変わっていないと暢気に考えているのを知って、これが大貴族出身で世間知らず坊やということか、と思って、心の中で嘲笑したものだ。
 暫く走ると、車は屋敷の正門にいたる道にいたった。真っ直ぐの一本道で両脇はちょっとした林のようになっている。ちなみにその林も登記的には屋敷と同一だ。
 オスカーがそっと横を見やると、ジュリアスが目を輝かせている。
「……何も変わっていない……。記憶の中そのままだ……」
 やがて正門前にいたると、門は開かれていた。そのまま車は門を通り抜ける。そして敷地内の建物が目に入ってきた時、初めてジュリアスの顔色が変わった。
「……違う……」ジュリアスはそう呟いた後、少し考えて「建て替えたのか、私が屋敷を出てからの年月を考えれば、そうおかしな話でもないか。しかしそれにしても……」とまでは思ったが、それだけでは不審は拭えない。それは目の前にある建物が、とても貴族の屋敷とは思えないものだったからだ。建物だけではない、敷地内の様子が記憶の中とは一変している。そして、まるで何かの施設か何かのようだ、と思った。よく見てみると、建物は大きく二つに別れ、それは渡り廊下のようなもので繋がっている。向かって右手の方がメインで、左手のほうは付属施設のように見受けられた。
 オスカーは右手の建物の前に車を停めるとジュリアスに声をかけることもなく降りた。そしてそのまま建物の玄関に向かった。ジュリアスは一体どういうことだと思いながら、慌てて車から降りるとオスカーの後を追った。玄関入り口は重厚間はあるが、それはとても個人の屋敷のものとは思えない。ガラス製の自動扉だった。ジュリアスは不審を抱きながらもオスカーに続いて中に入った。入ると、そこはまるでホテルのフロントか何かを思わせるような造りになっている。オスカーは迷わず中を進んだ。フロントとしか思えないそこには、数人の男女がおり、身につけているのはどこかの制服を思わせるものであった。
「おいでなさいませ、閣下」
 オスカーたちに気づいた者のうち男性の一人が、そうオスカーに向かって声をかけた。他の者もオスカーに対して微笑みを向けている。
「うむ。すまないが、表の車のトランクから荷物を出しておいてくれ。連れの物だ」
「畏まりました」オスカーが放り投げた車の鍵を受け取りながら男性がそう答えて頷くと、それを別の男性に渡して何かを告げているようだで、その後、その男性は表に出て行くと、オスカーの車のトランクに入れていたジュリアスのトランクを持って戻ってきた。
「で、どんな調子だ? 不都合や足りないものなどはないか?」
「今のところ上手くいっています。特に問題はありません」
「入居者からは?」
「現在のところは特に何も。感謝や助かっているとの言葉は貰っていますが。それに、病院が付属していますから、その点でも安心だと」
「そうか。だが、言い出しにくいということもあるかもしれない。十分に気をつけてやってくれ。そして何かあれば本部の総務部に言え。連絡があれば、即時に対応するように言ってある。まあ、即時に、とはいえ、内容によってはそのまま即時に、というわけにはいかんものもあるだろうがな」
「はい、分かっております」
「これからも引き続きよろしく頼む」
「はい、閣下」
 やがて二人の遣り取りを後ろで見ていたジュリアスがオスカーに声をかけた。
「オ、オスカー、これは一体、一体どういうことだ!?」
 その声にオスカーは振り返った。
「ここは今では老人ホームですよ、王立派遣軍の退役兵士や死亡した兵士の遺族たちのためのね。ちなみにもともとここにいた貴族は、もう随分前に破産して、それで我が軍が売りに出されたこの土地を購入してこれらの施設を建設した次第です。ちなみにその貴族が所有していた領地ですが、そちらも既にその貴族のものではありません。今ではその地にそれぞれに住んでいた者たちがその所有者ですし、貴族の城は、敷地も含めて我々が買い取り、別の施設を建設して既に稼動しています」
 ちなみに派遣軍が購入したのは城の周囲も含めてのかなり広大な土地であり、オスカーは“施設”と言ったが、実際には独自に調達するための武器工場である。その気になれば宇宙戦艦の建造まで可能なだけの広さと設備を備えさせている。
「なお、破産したその貴族がその後どうしているかは、申し訳ありませんがさすがに分かりかねます。そうそう、貴族制度というもの自体、望ましいものとは思っておりませんので、その権力は徐々に削がせていただいているところです。それももうかなりいいところまできていましてね、今では殆ど、貴族というのは単なる名のみの存在で、以前のような資産や権力を保持している者は少ないですよ。よほど資質のある家以外はね。実際、この周辺の貴族の屋敷も売りに出されている物が幾つかあって、物件の内容や条件によっては、これも我々が購入を検討している物もあります」
「知っていたなら、何故教えてくれなかった!?」
 怒りから頬を紅潮させてジュリアスが叫んだ。
「以前にあなたがたがしたことと同じことをしただけですよ。ですから黙っていたことを責められる覚えはありませんね」
「同じ、こと……?」
 分からない、思い当たることは何もない、というような表情を浮かべたジュリアスに、オスカーは嘲笑を向けた。
「覚えていらっしゃいませんか? お忘れですか? お忘れなのでしょうね、あなたにとってはたった一つの惑星の運命などどうでもいいことなのでしょうから。私の出身惑星であるΩ座ルアサ星系第3惑星ヴィーザのことなど。そう、あなたがたが王立派遣軍の進言を無視した挙句に滅亡した、いや、滅亡させた、と言ったほうがふさわしいでしょうね、少なくとも、たった一人の生き残りである私にとってはそうなのですから。そしてあなたがたは、私には何も告げなかった。だから今回、私もあなたに何も告げなかったんですよ、あの時、私があなたがたにされたのと同じように。
 この際ですから、もう一つバラしましょうか。あなたの実家を破産に追い込んだのは私です。私が、人を使って破産に追い込ませました。細かいことはまかせきりにしていましたが、提出させた報告書を読んだところ、割と簡単だったようですよ。名門貴族という立場に、自分たちは違うのだという特権意識があったのでしょうね。当時の当主の資質にも大いに問題があったようですが。そしてそれもあったから、貴族制度そのものをなし崩しにするように動いているんですがね」
「何故……、一体どうしてそんなことを……! 私の家にはなんの関係もなかったことだろう!!」
 オスカーが自分の実家を滅亡させたと聞かされて、ジュリアスは叫んだ。告げられた今もなお、かつて己らがなした、なさなかったことなど忘れたように。いや、思い出すこともなく忘れたままに。
「そうですね。でも、ヴィーザに生きていた人々もあなたがたや聖地に対して何もしていませんでしたよ。なのに滅亡させられ、ヴィーザはいまだに死の惑星(ほし)だ。あなたがたのしたことに比べれば、ずっとましでしょう? 一つの惑星、10億という人間、それ以外にも、ヴィーザに生きていた全ての生命(いのち)を奪ったあなたがたに比べれば、あなたの実家たった一つなんですから。
 これが私のあなたに対する復讐、ですよ。他にもあなたに対しては色々と手を打たせてもらいました。聖地からあなたに対して支払われたもの、申し訳ありませんが、ハッキングで全て福祉施設などに無記名での募金として振り込むという形で、あなたの口座にはもう何も残っていません、残高は(ゼロ)です。無一文ですよ、持って出たそのトランクと身につけているもの以外はね。そんな状態であなたがこれからどのようにされるのか、大いに楽しみですね。幼い頃から聖地に守護聖としてあって、人々に傅かれ、なんでもやってもらうのがあたりまえで、他の仕事など何もしたことのない、一般的な世間のことも何一つ知らないといっていいあなたがどうやって生きていけるのか」
 そこまで告げると、オスカーはあとはもう何も知らないとでもいうように、唖然としているジュリアスを置いてその場を立ち去っていった。
 その場にいた他の者たちは、冷めた瞳でそんなジュリアスを見つめている。彼らも詳しくはないがおおよそのことは知っているのだ。そして聖地の、守護聖たちの自分たち王立派遣軍に対する考えも。進言を無視され、その存在を軽く扱われてきた過去、それを変えてくれたのは現在の王立派遣軍総司令官たるオスカーだ。それも── 確かにオスカーが総司令官となったのは彼が炎の守護聖となったからではあったが── あくまでオスカーが個人的に、守護聖としてではなく、王立派遣軍の総司令官たる元帥として行っていることであって、聖地はなんら関与しておらず、聖地の王立派遣軍に対する対応はなんら変わっていない。あいかわらず、オスカーが総司令官となる前と同じだ。だからそんなオスカーが恨む相手だというなら、その相手に同情する余地など彼らにはない。
 暫くしてオスカーと話していた男性がジュリアスに声をかけた。
「大変申し訳ありませんが、こことは何の関係もない方にいつまでもそこにいらっしゃられるのは、正直申し上げて邪魔です。早々に立ち去っていただけませんか」
 言葉使いこそそれなりに丁寧ではあったが、その声は酷く冷たいものだった。そして向けられる視線の冷たさも、ジュリアスがこれまで一度も経験した覚えのないもので、耐え切れなくなって、何も考えられないまま、ただ運ばれてきていたトランクを引きずるようにしながら、重い足取りでどこかフラフラとしながら建物の外に出た。
 ジュリアスは、聖地にあった間、オスカーとの関係は良好だと思っていた。何の問題もなかったと。オスカーは自分を尊敬し従ってくれていると、それを何一つ疑ったことなどなかった。それが全て表面だけの嘘偽りだったというのかと、そのことでも酷く打ちのめされていた。しかもそれが自分が、自分たちが過去に行ったことの結果だと告げられて。それが何なのか今のジュリアスには本当に思い出せないのだが。そしてそれを察したからこそのオスカーの態度に拍車をかけたのだが、そのことにすらジュリアスは気づいていない。そしてこれから先、どこへ行ってどうしたらいいのか、何も分からず、考えることもできず、ただ、オスカーの車で来た道を、トボトボと、フラフラと安定しない歩き方で歩いていた。





 それから数日後、王立派遣軍の建設した施設である退役軍人やその関係者の家族を対象とした老人ホームからさほど離れていないところにある、少し大きな池の近くで20代から30代と思しき男性の水死体があがった。身元を証明するものは何もなく、警察による検死の後、その男性の遺体は近くの無縁墓地に葬られたという。

── das Ende




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