ヴィクトールは、王立派遣軍の総本部に呼び出しを受けてから数週間後のある日、執務も程なく終わろうかという時間に、炎の守護聖たるオスカーの執務室を訪れた。
『精神の教官のヴィクトール様が、お会いしたいとお見えですが』
 インターフォンから流れてきた秘書の声に、正確には出された名前に多少のいぶかしみを覚えたが、オスカーはそう間をおかずにただ一言、「通せ」と返すと、手元の本日最後の書類にサインをし、決済済み用の書類箱に入れた。
 それとほぼ同時に、正面の扉が開いて、ヴィクトールが入ってきた。ヴィクトールはきびきびとした、正に軍人らしい動きでオスカーの元へと歩を進め、大きな執務机の数歩手前で立ち止まると、敬礼をした。
「前もってのアポイントも取らずに突然伺いまして、誠に申し訳ありません」
 オスカーはヴィクトールの態度とその最初の言葉に苦笑を浮かべた。
「ここでは共に女王試験に立ち会う守護聖と教官、王立派遣軍のことは関係ないと最初に会った時に伝えたと思ったが」
「はっ、忘れてはおりません。ただ、本日は王立派遣軍に所属する者の一人として、総司令官であらせられる閣下にお尋ねしたいことがあって伺いましたので」
 ヴィクトールは、総本部の呼び出しを受けた日に友人のモーリッツと話をして以来、ずっと悩んでいた。そして悩みながらオスカーの様子を可能な限り見てきた。しかし、オスカーの様子、態度は、モーリッツと話をする前と少しも変わりはない。相変わらず、執務に関しては真面目だが、それ以外の時間は軟派で聖地一のプレイボーイと言われているとおりの状態であり、とてもモーリッツが語った言葉や、かねてから王立派遣軍内で言われているような人物像と結びつかない。加えて、だいぶ経ってしまっており、今更何を、と言われそうだが、昇進と軍部上層部の考えについて、確認したいという思いがあった。
 だが、どこで誰に聞けばいいのか、考えた挙句、オスカーに直接聞くしかないと思い至った。そしてどう話を切り出すか悩みつつ、現在この場にある。
「ふむ」オスカーはヴィクトールの言葉に僅かに表情を変えた。「で、何を聞きたいと?」
 真っ直ぐに自分に向けられるオスカーの真摯な薄氷(アイスブルー)の瞳を見返しながら、敬礼のためにあげていた腕を下ろして、ヴィクトールは率直に疑問を問いただすことにしてそれを問うた。
「今更と仰られるかと存じますが、この度の小官の昇進についてであります。過日、軍の総本部に呼ばれた際、友人と会って話をし、そこで聞きました。閣下と軍上層部では小官に対し、本来は処分をするつもりであったところを、女王陛下のお言葉により、それを見送り昇進させた、と。それは本当でありましょうか?」
「……確かに今更、だな。私としては、卿が自分が昇進したことについて何の疑問も持っていなかったというほうが不思議でならないが」
 ヴィクトールはオスカーからの答えに目を見張り、そしてまた同時に、オスカーの全身から発せられる威圧感ともいうべきものに押されている自分を自覚しながら、それでも問いを重ねた。
「そ、それは、どういうことでありましょうか……?」
「もう少し詳しい経過まではその友人とやらに聞かなかったのか? 本部に詰めている者なら、殆どの者が詳細まではともかく粗方の状況は承知していることだが。しかしそれを別にしても、卿は本当に何も理解(わか)っていないようだな」オスカーは呆れたような溜息を一つ吐いた。「卿は上からの命令に背いた。それも一度ではなく、繰り返される命令全てに一切従わなかった。そして己の感情からくる判断で部隊を動かした。結果、卿の部隊は卿ただ一人を残して全滅した。卿が指示に従っていれば落とさずに済んだであろう命の多くが、卿のために落とされた。つまり、卿は重大な規律違反を犯した。軍にあっては上からの命令は絶対といっていい。明らかに誤ったもの、無理無茶なものならまだともかくも。しかし軍が卿に与えた命令はそのようなものではなかったはず。理性的に判断すれば、最も賢明な指示だったはずだ。繰り返すが、卿はその上からの命令に背き自分の感情を優先した。そしてこれはたまたまかもしれないが、卿一人が生き延び、部隊の他の者たちは皆死亡した。その状況を考えれば、私を含め、上層部が卿に対する処分を考えるのは当然のことだろう。その検討をしている最中に女王陛下から卿に対するお言葉があって、軍としては卿を処分することができなくなり、むしろそのお言葉をいただいたことにより、逆に昇進させざるを得なくなった。簡略だが、これが卿が准将に昇進した経緯だ。卿以外の部隊の者が全滅していなければ、もう1階級くらいはあがっていたかもしれないな。准将止まり、1階級のみの昇進で済ませたのが、軍としてのせめてもの抵抗だった」
 皮肉気に最後にそう告げたオスカーの言葉に、思わずヴィクトールはよろめいた。
 オスカーの言う作戦の際、出撃目的は旧宇宙にあって、宇宙の移動を目前にして滅亡に瀕しつつある、終わりを迎えようとしている惑星から、多くの者は既に脱出していたが、いまだ残っている住民を脱出させることだった。だが、民衆は生まれ育った惑星をなかなか離れがたいようで、脱出を促す軍の言葉になかなか素直に従おうとはしてくれなかった。力に任せて無理矢理に、ということもできなくはなかったが、王立派遣軍の存在目的は、聖地の、ひいては女王陛下の治めるこの宇宙の民を守ることにある。故に、無理強いすることなく、なんとか民衆を説得し、納得させるための手段を講じた。その間にも、上からは確かに手段にこだわらず、早急に民衆を惑星から脱出させよと、幾度も通信が入っていたが、そこまで急ぐ必要はないと思ったし、民衆の意思を優先させたかった。納得した上で彼らが生まれ育った惑星から離れさせたかった。そのために時間をかけすぎた。最終的に惑星は滅亡し、その直前ぎりぎりで民衆を脱出させることに成功したが、その代償は余りにも大きかった。滅びゆこうとしている惑星から民衆を守るために、彼の指揮する部隊の兵士たちは次々と命を落とした。自分一人だけ助かったとはいえ、命からがらで、重傷を負った。それでも最終的に命令は果たした。民衆を惑星から無事に脱出させた。犠牲となった兵士たちを思うと、確かにもう少し早く決断を下していればと後悔はしたが、それでも、状況から致し方なくという意味合いが強かっただろうとは思うが、民衆は完全にではなくとも納得して故郷たる惑星を離れることを認めたのだ。だからあれでよかったのだと思っていた。当初の命令は守ったのだから。ただ、やはり自分一人生き残り、死んでいった部下たちのことを思うと気は重く、上司としての責任を思った時、退役することも考えもした。しかしそんな中で女王陛下から自分に対してお褒めの言葉があったとの連絡と、それに伴い、昇進が決まって、自分は間違ってはいなかったのだと、そう受け止めていた。ただ死んでいった部下たちのことを思うと心は深く沈みはしたが。
 ところが、それは己の身勝手な判断であり、軍上層部ではそうは考えていなかったというのだ。確かに、幾度も民衆を連れて早急に脱出せよとの連絡は入っていたが、当初の目的は果たしたし、そこまで命令に背いたと、命令違反、規律違反を犯しているという意識は正直全くなかった。後に、いや、今になって当時の状況を冷静に考えるならば、確かに自分の考えは甘かったのだと思う。まだ時間はあると、そう現地にいて思っていた。しかし司令部の判断は違った。司令部は現地にいて、自分ではそのような意識はなかったが、民衆の意思、感情に流される自分などよりも、ずっと正確に惑星の状態を把握していたのだろう。だからあれほどに、早急なる対応をと繰り返し伝えてきていたのだ。そしてそれを自分は無視していた。まだ大丈夫だと。そのために少なからぬ、いや、多くの部下たちを失った。そう考えると、やはり自分の判断は、行動は間違っていたのかと思う。司令部は自分が命令を無視したと受け止めていたというのだから。ならば、司令部が自分に対する処分を検討していたと言われても当然だと、今なら思える。
 女王陛下が守る宇宙の民の意思を尊重し、状況判断を誤ったのだ。故に要らぬ犠牲を出した。これもまた女王陛下のために存在する王立派遣軍の兵士の命を無下に散らした。もっと早く決断を下していれば、部下たちが命を落とすことはなかった。
「故に、守護聖と教官としてならともかく、王立派遣軍の総司令官としての立場に立って言うなら、その軍に所属する卿に対する私の、そして総本部の司令部や法務局、人事部の卿に対する視線はおのずと厳しいものになる。命令に従わない、命令違反を犯す部下など、他の者たちのことを考えれば、どうしても否定せざるを得ない。今回の卿の昇進は、本心では誰も認めてはいない」
 己の考えに沈んでいたヴィクトールの耳に、その瞳の色よりもなお冷えきったオスカーの言葉が入った。
「……しょ、小官は……」
「とはいえ、現実には卿は昇進しているし、心のうちはともかく、現状は皆納得している。無論、本心ではないが」
「……閣下、小官は……」
「卿が今どのように思っているかは関係ない。今の卿に与えられた任務は、女王試験における“精神の教官”だ。もっとも、私に言わせれば、命令違反を犯し、規律違反を犯す存在のどこに“精神の教官”などという立場が相応しいのかと嘲笑(わら)えてしまうがな。とはいえ、女王陛下がお決めになったことだ。受け入れていないわけではない。
 以上でいいかな。それともまだ何か言いたいこと、聞きたいことがあるか? 私の様子を伺っているホルバイン准将?」
 これまでのオスカーからの言葉とそれによる自分の思考から些か俯き気味になっていたヴィクトールだったが、オスカーのその問いかけのような言葉に、思わず顔を上げた。
「ご、ご存知、だったのですか……!?」
「あれだけあからさまといっていいほどに見られていれば、いやでも分かる。とはいえ、それは私にとってはであって、他の者にはさほどではないかもしれないが。ともかくも、私はそれほど鈍いつもりはないからな」
「申し訳ありません。どうしても派遣軍の中で耳にしている内容と、この聖地で拝見している閣下の姿に差がありすぎて、どちらが本当なのかと……。私は任務先の関係で中央のことはこれまで殆ど存じませんでしたし、その上、過日、友人から聞かされた、今回の昇進に関する話もあって……。それでつい……。ですが閣下に気付かれているとは思いませんでした。それほどあからさまでしたでしょうか……?」
 ヴィクトールはオスカーに気付かれているとは全く思ってもみなかった。さりげなく、のつもりでいた。逆にいえば、オスカーはそれだけ人の洞察をすることができるのだと言うこともできるのだが、それに気付いて彼は気落ちした。
「私にとっては、と言っただろう。おそらく、この聖地内で気付く者は殆どいないだろう。ああ、聖地内に配属されている一部の派遣軍の者を除いて、だが。
 これは卿には関係ない私の私的なことだから詳細を話すつもりはないが、女性という存在は、私にとっては、一種の精神安定剤のような意味合いがあってね。とはいえ、聖地内では口説いてもデートするに留めているが。
 ……守護聖も人間、とは言うが、私の場合、その前にもう一つある」
 オスカーの声のトーンが僅かに変わったことに気付いて、ヴィクトールは思わずオスカーを見つめた。
「私は、守護聖である前に、軍人、だ。私の生まれ故郷は、長く戦争状態にあった。そんな中、代々軍人の家系の出身であった私は、当然の如く軍人となるべく士官学校に入り、軍に所属し、前線に配属された。とはいえ、聖地からの迎えがきて、僅か半年程のことではあったが。そして故郷の惑星を離れる前、私は、私的には私の父の友人であり、軍の総司令官であれらた元帥閣下から命令を受けた。(サクリア)ある限り守護聖として女王陛下に仕えよ、と。その命令をされた総司令官閣下は既におられないが、それは私の中ではまだ生きている。だから私は守護聖としてここ(聖地)いる。
 そして私は強さを司る炎の守護聖となったわけだが、それにともない、王立派遣軍の総司令官という地位を拝命した。当時、たまたま幾つかの事情が重なって聖地と王立派遣軍の関係、特に王立派遣軍の聖地に対する思いを知ることがあり、その頃の副司令官らとの話の中で、結果的に私は軍の改革に乗り出した。総司令官という立場は炎の守護聖となったからのものではあったが、軍という、軍人という立場は、本来の私となんら変わらないものであったからだ。つまり、所属する組織は異なっても、同じ軍人の一人として、私はこれまで王立派遣軍で自分に与えられた任務を果たしてきた。卿が軍で耳にしている私のことは、その結果だ。そしてそれは私が総司令官として軍にある間は変わらないだろう。私と王立派遣軍の関係は、私以前の総司令官を務めてきた守護聖たちとはかなり違うのは承知している。そしてそれを行うために私が聖地の規律を犯していることも。だが先にも言ったが、守護聖である前に軍人である私にとっては、王立派遣軍にいる方が性にあっているようでね。幸いというべきか、私が王立派遣軍でとっている行動は、聖地の他の者には知られていない。首座の守護聖にも。だから私はこれからも、王立派遣軍内での自分の行動を変えるつもりはない。
 大雑把な説明になってしまったが、これで納得してもらえるか? さすがにこれ以上のことは話すつもりはないし、話せない事情もある。加えて、今ここで私が話したことは、他の者には、一切他言無用だ。これは王立派遣軍総司令官としての命令だと思ってもらいたい」
 肝心な詳細は全て抜かした説明になってしまっているが、実際、これ以上の説明をすることはできない。オスカーが王立派遣軍総司令官となった当時、そしてそれ以後の軍上層部と、オスカー個人の思惑、そして聖地に対して隠れて密かに進められていることなど、他人に話すわけにはいかない。たとえ同じ王立派遣軍に属するものであったとしても、今はまだその時ではない。そしてヴィクトールの性格を考えれば、命令だと、そう言えば、それ以上、深く詮索してくることはないだろうとオスカーは考え、ごく限られた可能な範囲でここまで説明したのだ。
「畏まりました。私的な感情から一方的に判断し、閣下に対してご迷惑をおかけしましたこと、申し訳ありませんでした」
 ヴィクトールは改めてオスカーに対して敬礼し、謝罪の言葉を口にした。
 それを聞いて、オスカーは心の中で安堵の溜息を吐いた。おそらくはヴィクトールが一番問題と思っていただろうオスカーの女性との関係については、オスカーが、女性は自分にとっては精神安定剤のようなもの、と告げたことで、深く詮索すべきことではなく、オスカーの個人的な、内面的、精神的な問題であると判断したのだろうと察した。とはいえ、そう受け止めてもらえるようにと、オスカーはあえてそうとしか告げなかったのだが。そしてその思惑通りに行ったといっていいのだろう。
「他になければ、既に執務時間も過ぎていることだし」オスカーは一瞬時計を確認しつつ続けた。「今日のところはこれまでにしたいのだが」
「はっ、申し訳ありません。本日は貴重なお時間をとらせてしまい、重ね重ねお詫び申し上げます」
「明日からはまた、同じ女王試験に立ち会う守護聖と教官という立場に戻れると、そう思っていいのかな?」
「はい、勿論であります、閣下」
「その、閣下、という呼びかけもこれで終わりにしてもらおう。少なくとも、試験が終了するまでは」
「はっ、それでは失礼いたします」
 改めて敬礼をするとヴィクトールはオスカーの執務室から下がっていった。
 暫くして、表に出て立ち去っていくヴィクトールの後姿を確認しながら、オスカーは呟いた。
「愚か者が……」
 ヴィクトールが結果的に昇進することとなった件で、オスカーは直接のではないが、大勢の大切な部下たちを失った。そして女王の言葉によって、オスカーも軍上層部も、ヴィクトールを処分することができなくなった。故に、オスカーや軍上層部のヴィクトールに対する視線、感情には厳しいものがある。決してよくは思われていないし、それが今後改善されることもないだろうと思われる。
 ヴィクトール自身は、女王の言葉を受け、更にはそれによって昇進を果たしていることから、女王に対する忠誠を厚くしていることだろうが、それが逆に王立派遣軍の中の聖地に対する悪感情を募らせているなどとは思ってもいないのだろうとオスカーは思った。そしてそれ以前に、彼の任務地が殆ど辺境といっていい地域に集中していたこともあって、軍内部の聖地に対する感情には殆ど気付いてすらいないのだろうとも。
 そうして聖地は、女王は、知らず、気付くことなく、王立派遣軍との溝を深くしていくのだ。

── das Ende




【INDEX】