新たな宇宙を創る、そのための女王試験において、女王候補のための“精神の教官”を任命されたヴィクトールが聖地に着任したのは、他の二人の教官よりも数日遅かった。
 神鳥の宇宙の金の髪の女王とその右腕ともいうべき女王補佐官、そして女王を支える守護聖たちには、聖地に到着し、宿舎の自室に荷物を置いた直後に宮殿に出向き、謁見の間で挨拶を行ったが、九人の守護聖のうち、ただ一人、強さを司る炎の守護聖のみ、執務で外界に出ていたために、到着翌日に、改めて女王補佐官のロザリアに、彼の執務室に案内されて引き合わされた。
 その人、炎の守護聖たるオスカーは、執務室奥の中央に置かれた執務机の端に軽く腰を預けてヴィクトールを待っていた。
「この度、精神の教官の任命を受けましたヴィクトールと申します。これからよろしくお願いいたします」
 昨日の女王たちとの挨拶の際、ロザリアはヴィクトールのフルネーム、つまりファミリーネームは告げなかった。ただ、彼が王立派遣軍の将軍という立場にあると告げたのみで。つい今しがたも、ロザリアがオスカーに対しても、ヴィクトールのファミリーネームは告げなかったこともあり、ヴィクトールもあえて自分からは名乗らなかった。だが……。
「ヴィクトール・ホルバイン准将、か」
 オスカーはビクトールのファミリーネームだけではなく、正式な階位まで告げて確認した。
「あら、オスカーはヴィクトールのこと、ご存知でしたの?」
 オスカーの言葉を受けて、ロザリアは少し驚いたような表情で尋ねた。
「俺はこれでも王立派遣軍の総司令官の立場も兼ねてるんですよ。そのくらいの情報は入っています」
 クスッと微笑しながら、オスカーはロザリアに向かって応えた。
「あら、そう言えばそうでしたわね。失念していましたわ」
 二人の遣り取りを耳にしながら、ヴィクトールはそうだったと思う。強さを司る炎の守護聖は、殆どの場合において王立派遣軍の元帥の称号を持ち、総司令官の立場にあった。といっても、名のみの名誉職のようなものであり、実際に総指揮にあたり命令を下すのは、もっぱら副司令官だったが。
 オスカーは改めてヴィクトールに、まるで氷を思わせるような薄蒼(アイスブルー)の瞳を向けた。
「だが、ここ、聖地にいる間はあくまで九人の守護聖のうちの一人に過ぎない。互いに王立派遣軍での立場は関係ないと思ってくれていていい」
「はっ!」
 ヴィクトールは思わずオスカーに向かって敬礼をしていた。
「だから、そう畏まる必要はないって。今回の女王試験の間、おまえは教官の一人として、俺は守護聖の一人として、共にこの聖地で過ごすにすぎないんだから」
 しかし苦笑しながらそう告げるオスカーの瞳は、その表情とは裏腹に、少しも笑ってはいなかった。



 ヴィクトールは、出身惑星も、就いた任地も辺境惑星であり、中央に来ることは殆どといっていいくらいになかった。全く、というわけではなかったが。
 そしてタイミングの問題もあったのだろうが、王立派遣軍の元帥、総司令官としてのオスカーのことは、話として聞いたことでしか知らなかった。もちろん直接会うなどというのは今回がはじめてのことである。それなのに、オスカーの方は、ヴィクトールについてフルネームと階位まで把握していた。前もって精神の教官が王立派遣軍に所属する軍人と聞いて調べておいただけなのかもしれないが。だが、ヴィクトールが聞いていたオスカーについての話を考えるに、単にそれだけではないような気がした。
 これまでに耳にした話によれば、現在の総司令官、つまり炎の守護聖オスカーは、それまでの歴代の総司令官とは異なり、聖地と外界という時間軸の異なる場所に身をおいていることから、常に、とはいかないまでも、よく王立派遣軍の基地に顔を出し、隊員たちと交流を図り、時に直接指示を、指揮を執る、つまりは命令を下す、まさに総司令官とのことだった。それ故か、王立派遣軍に所属する者たちからの信頼は厚いとのことだ。オスカーのそれらの行動は、元々の彼の出自、つまり出身惑星において、彼自身が軍人として、短い間であったそうだが、現場、すなわち戦場に身を置いていたことがあったからとのことだった。現在の王立派遣軍の者たちにとって、オスカーは名のみの遠く仰ぎ見る存在ではなく、自分たちと同じ軍人なのだと。
 それらの話から、ヴィクトールにとってオスカーは王立派遣軍に身を置く者として、尊敬し、敬愛すべき対象なのだと思っていた。
 だが、その考えは簡単に覆された。まだ短い日々ではあったが、共に過ごすこの聖地におけるオスカーの素行によって。



 ヴィクトールが聖地に入り、女王試験が開始されてから二週目の週末、聖地に赴く前に片付けた書類の件で王立派遣軍の総本部から問い合わせがあり、女王と女王補佐官の許可を得て、土の曜日の朝から聖地を離れて外界に赴いていた。
 女王試験の間、普段は異なる時間が流れているのだが、この間だけは特例として、聖地と外界の時間の流れは同じになるのだという。
 ヴィクトールは王立派遣軍総本部に出頭し、問い合わせのあった内容に関しての質疑応答等をこなした。それは朝早くから行われたのだが、途中、昼の休憩も挟んで思ったより時間が掛かっていた。そしてその内容は、ヴィクトールからしてみれば、まるで重箱の隅をつつくような内容に思われるもので、どうしてそこまで、といった感じが拭えなかった。
 ヴィクトールが解放された時には、15時近くになっていた。このまま聖地に戻ろうかどうしようかと考えながら、本部内の廊下を一人で歩いていると、正面から見知った顔がやってきた。
「モーリッツじゃないか!?」
 ヴィクトールは思わずその人物の名を呼んでいた。
「ヴィクトール?」
 二人は急ぎ足で互いに歩み寄った。
 モーリッツ・ハーゼはヴィクトールとは士官学校の同期だったが、卒業後の配属は離れたものとなっていた。モーリッツは現在、辺境惑星の出身でありながら、王立派遣軍総本部に配属されている。階級は中佐である。
「久し振りだな、ヴィクトール。准将に昇進して、しかも今の赴任先は聖地だって? 大した出世じゃないか」
「良く知ってるな。しかし、今日ここでおまえに出会えるなどとは思ってもみなかった」
「ここにいる者で、佐官クラス以上の立場にいれば、おまえのことを知らない奴を探す方が難しいぞ」
 軽く笑みを浮かべながらモーリッツは答える。そこに、同期でありながら中佐と准将という2階級の差があることに対しての妬みなどは、見受けられない。
 そこでそのまま立ち話を続けるのもはばかられ、その後、モーリッツがまだ勤務時間中であることもあり、夜に再会することを約束して二人は別れた。
 モーリッツと別れた後、ヴィクトールは約束の時間までをどうやって過ごそうかと、いささか時間を持て余し気味に、映画館に入って映画を見たり、これまでの殆どの時間を過ごしてきた辺境地域では観られないような巨大なショッピングセンターに入って時間を潰し、約束した時間の15分ほど前に、モーリッツから教えられた、総本部の建物からそう離れてはいない街中の一角にある士官クラブに足を踏み入れた。
 ヴィクトールはとりあえずカウンターの席につき、ウィスキーを注文した。
 そうして待つ事暫し、約束の時間を少し回って、どうしたのだろう、と思いはじめた頃、クラブの入口の扉が音を立てて開き、ヴィクトールの待ち人たるモーリッツが入ってきた。
 モーリッツは直ぐにカウンター席にいるヴィクトールに気づき、その隣の席に腰を降ろした。
「待たせて済まなかったな」
「いや、それほどじゃないさ」
 そう挨拶を交わしてから、モーリッツはバーテンに黒ビールを注文した。
「聖地はどうだ?」
「おいおい、いきなりその質問か?」
「誰もがそう簡単に行けるところじゃないからな。どうしたって興味はあるさ」
 聖地の警備のために、一定期間の交代で配属される憲兵隊や陸戦隊等の部隊を除けば、いくら王立派遣軍に所属していても、聖地に足を踏み入れることはまずないといっていい。
「それに、なんといったって総司令官閣下、ラフォンテーヌ元帥閣下が普段おられる場所だ。閣下がどのように過ごしておられるのかにも、どうしたって興味がわくというものだ」
 モーリッツの言葉に、ヴィクトールは眉を顰めた。
「ラフォンテーヌ元帥?」
「おまえ、まさか知らないのか?」
 ヴィクトールの表情に、モーリッツは目を丸くして、呆れたような声を出した。
「炎の守護聖にして、我が王立派遣軍の総司令官の本名、オスカー・ラフォンテーヌ元帥閣下に決まってるだろうが」
 これまで殆ど中央と縁がなかったといっていいヴィクトールは、ここではじめてオスカーの本名を知ったのは事実だ。しかしオスカーがそれまでの名のみの総司令官と異なり、非常時には自ら現場に出て指揮を執ることがあることも、会議や王立派遣軍の行事によく顔を出すことも、ヴィクトールは聞き知っていた。そうしたことの積み重ねもあって、オスカーが王立派遣軍の多くの軍人たちから尊敬と敬愛の感情を向けられていることも。だからヴィクトールも、彼からしてみれば雲上人たるオスカーに対して、尊敬の念を抱いていた。だがそれは、この二週間で覆された。
「おい、どうした? 聖地で何か嫌なことでもあったのか?」
 黙ったまま俯いてしまったヴィクトールに、モーリッツは心配そうに声を掛ける。
「……人間、知らない方がいいこともあるってことを身に染みて思い知らされた、ってところかな」
「?」
「百聞は一見にしかず、と言うが、俺はオスカー様に幻滅した」
「おい」
「暇さえあれば女性を口説き、女性と共に過ごしている。聖地にいる女性で、あの方から口説かれたことのない女性はいない、軽薄な、聖地一のプレイボーイ── そう呼ばれているというのが、聖地でのもっぱらの噂だ。とても軍で話を聞かされている方と同じ人物とは思えん。間近で見て、話を聞いて、時に共に過ごして、軍の連中があの方に抱いているのはただの幻想で、話に聞くような尊敬を捧げるような存在ではないと思った」
 暫く黙ってヴィクトールの言葉を聞いていたモーリッツは、少し間をおいてからゆっくりと口を開いた。
「ヴィクトール、忠告しておく。今言ったようなこと、軍の他の連中の耳に入るような真似はするなよ。今なら俺だけだし、酒の上の話と聞き流すことができるが、他の者の耳に入ればそれではすまない」
「モーリッツ?」
 やけに真剣なモーリッツの言い回しにヴィクトールは疑念を抱いた。一体何を言いたいのだと。
「全ての者が知ってることじゃないが、聖地での閣下と、軍での閣下は全く別の存在だ。そしてどちらが本来のあの方なのかといえば、軍にいらっしゃる時の閣下が本物だろう。
 それともう一つ。今回のおまえの昇進に関していえば、閣下はもちろん、上層部は決していい顔をしていない」
「え?」
「軍の中枢部では、おまえを軍法会議にかけるべきだと、降格処分にすべきだという話が出ていたし、閣下もそのおつもりでいらした」
「どういうことだっ!?」
「おまえは現地の住民の気持ちばかり尊重して、本部からの命令を無視し続け、結果、おまえ自身以外の殆どの部下を死に至らしめた。それはおまえが命令を遵守していれば防げたことだ。そうじゃないのか? だから、閣下をはじめとして、軍部内ではおまえに対する処分が考えられていた。命令違反を犯し続け、()らぬ犠牲を出したのだから当然のことだろう。それが覆されたのは女王陛下のお言葉があったからだ。今回のおまえの昇進は、本来だったらなかった。それどころか、処分を受けていたはずだったんだよ。そんな状況を知っている連中が、正直、おまえに対していい感情など持ちようがないだろう。もちろん閣下も含めてだ。
 軍では上の命令は絶対だ。それが明らかに誤った命令だったなら、また話は変わってくるが。そして閣下は組織としての規律を守る上で、それを誰よりも強く考えていらっしゃる。だが実際にはおまえはそれに背いていた。閣下が聖地でどのようにおまえに対していらっしゃるかは分かりかねるが、少なくとも、閣下のおまえに対する心証は良くない。いや、悪いと言った方がいいだろう。それだけは肝に銘じておけ」
「なっ……」
 モーリッツから告げられた内容に、一瞬ヴィクトールの頭は真っ白になった。
 モーリッツが言っているのがいつの時のことかは聞かなくても分かる。だがあの時、あの場では、たとえ命令違反と分かっていてもそれが一番の方法と思い、それを選んでヴィクトールは部下に命じた。そして、モーリッツが告げたように大勢の部下を死に至らしめてしまった。そのことを後悔はしているが、それでも、あの時、自分がとった行動が間違っていたとはヴィクトールは思っていなかった。たとえ死んでしまった部下たちの遺族に、どれほど責められようとも。その結果、生き延びた自分は昇進した。だがその過程で、そのようなことがあったなどとは知りもしなかった。
 そして思った。今回の自分の昇進が、軍の思惑を外れ、女王の言葉によって左右されたものなのだとしたら、もしかして王立派遣軍の中に、女王に対して、聖地に対してよくない感情を持たせてしまったのではないかと。
 その時、クラブのドアが開いて、十名強の士官たちが入ってきた。そして驚くかな、その中には軍服に身を包んだオスカーの姿もあった。
 オスカーはカウンター席にいるヴィクトールに気付いたようだったが、すぐに目を反らして、一緒に来た者たちと共に、奥の大きなテーブルを囲むようにして座った。
 ヴィクトールの視線が自然とオスカーに向けられる。
「今日はあいつらか」
「モーリッツ?」
「閣下は、こちらにいらっしゃるとよく我々と一緒にクラブに来られて、我々の不平、不満、愚痴を聞いて下さる。あくまで私的なこととして、な。だがそれがきっかけで、軍部内のことが改善されたりしていることもあったりして、それが一層、下士官、士官たちから閣下への忠誠心を強めることになっている。閣下は自分たちのことをよく考えて、我がことのように受け止めて下さるのだと。
 だから閣下のことを貶めるようなことは決して口にするなと、さっき言ったんだ」
 ヴィクトールの位置からは、オスカーたちがどのようなことを話しているのか、細かいところまでは聞きとれない。けれど時に笑い声が上がり、端で見ている限り、楽しそうではある。
 それからどれくらいの時間が経ったのか。
 オスカーは一人、席から立ち上がって離れると、カウンターの方へやってきた。
「マスター」
 オスカーは懐から小切手を取り出して、呼びかけたマスターに手渡す。
「いつものように頼む」
「畏まりました」
「だが、くれぐれも飲みすぎないように注意はしてやってくれ」
「分かっておりますよ」
 金額の書かれていない小切手を受け取ったマスターは、いつものことで十分に承知しているというように笑みを浮かべながら応じた。
「おまえたち、あまり羽目を外して飲み過ぎたりするなよ!」
 オスカーは奥の席で飲み続けている士官たちに少し大きな声でそう告げると、一瞬、ヴィクトールに人の悪そうな、皮肉を込めたような笑みを見せ、士官たちの「分かってますよー」という声を後にしてクラブを出ていった。
「……」
 ヴィクトールはオスカーが出ていったクラブの扉を、ただ黙って見つめていた。
 聖地での軽薄な態度ばかりを見せるオスカーと、モーリッツから聞かされ、今見たオスカーと、一体どちらが本当の彼なのか。モーリッツはこちらが本物だというが、ヴィクトールにはにわかには信じられない。
「きっとこのあと本部に戻って、明日は一日執務を執られて、それから聖地に帰られるんだろうな。本部に顔を出される時はいつもそうだ。まあ、噂では、時には娼館に足を向けられる夜もあるようだが」
 モーリッツの言葉に、ヴィクトールは彼を振り返った。
「閣下はどこまでも軍人であられる。閣下が王立派遣軍に総司令官として着任されて暫くしてから、王立派遣軍の内部は結構変わった。おまえが知らなかったように、全ての者が全てを知っているわけではないがな。だからおまえが聖地で見ている守護聖としてのあの方は、閣下の中の表層の一部にしか過ぎないということを覚えておくといい」



 月の曜日の昼休み、ヴィクトールはまた甘い笑みを浮かべながら女性と共にいる、この聖地ではよく目にするオスカーの姿を見た。その姿は、土の曜日の夜に外界で見た軍服姿のオスカーの姿とは全く異なっていて、どちらが本当の彼なのか、それともどちらも違って、もっと別の姿を、顔を持っているのか、ヴィクトールは悩んだ。そしてモーリッツの告げた一言が頭を(よぎ)る。
 ── 閣下はどこまでも軍人であられる。
 モーリッツの告げたその言葉が正しければ、守護聖としてこの聖地にいるオスカーは、どこまでいっても仮の姿ということになるのだろうか。ヴィクトールはそう思い、けれどいくら考えてもそう簡単に答えが出そうにないその問題を、それ以上追及することをやめることにした。
 今はただ、自分に与えられた任務、女王候補たちに対しての精神の教官という立場を全うするだけだと。いや、それしかできないのだからと。そしてそれが終わる頃には、先送りにしたばかりの問題の答えが、もしかしたら出ているかもしれないと思いながら。そうしたら自分のオスカーに対する見方、感情も、逆にオスカーの自分に対するそれも変わっているかもしれないと考えて。

── das Ende




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