2002年 1月11日

ある放浪釣り師との出会い〜その2


前回からの続きです。
まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。



 それは束の間の出来事だった。気が付くとロッドはピンと延びた元の姿を現し、その先にはラインがだらしなく垂れ下がっていた。「彼」が口にしていたものは私の足許を漂うだけだった。その時既に私と「彼」との間には何の接点も見当たらなかった。

 その出会いは突然だった。直後に30m程走られたところで踏ん張った。アメマス狙いでは些かハードであると思われる私のフェンウィックは軋み、ラインは唸りを上げていた。このまま踏ん張っていられれば・・・と、思ったら今度は手前にあちらさんの方から寄ってきた。ラインのテンションを保つようリールを巻き取ると足許で「彼」は浮上した。
「デ、デカい。」・・・「彼」は息を飲むほどの堂々たるイトウだった。私はこの時までに釣り上げたイトウの最大は85pで、メーター前後も2度バラした経験がある。今回はそれほどでは無いにしろ、これまで私が見た中ではもっとも太かった。考えて見るとこれまでに掛けた大型のイトウは皆、同様のファイトを見せてくれた。しかし私はその経験を活かすことは出来なかった。油断もあった。そもそもアメマス狙いであったし、まさかそんな大きなものがヒットするとは夢にも思ってはいなかったのである。
 「彼」は私の足許で反転すると、その立派な体を激しく揺さ振った。もう距離を詰め過ぎていてどうすることも出来なかった。「彼」が大きな尾鰭で水面を叩いた後、私のルアーは宙を舞い私の足許に落ちた。「彼」がついさっきまで抵抗を見せて騒がしかった水面は、すっかり落ち着きを取り戻していた。こうして私と「彼」との出会いは、一瞬にして永遠の別れへと変わった。
 私たちは只々呆然とし顔を見合わせるしかなかった。が、私が「今のが北海道のイトウですよ。」と言うと、太郎さんは「すごいね。初めて見たよ。」と、微笑みながら答え、「○○のものは、○○に・・・還さないとね。」(○○はここの地名)とも言った。

 まるで魚たちがショーを演じたような出来事の後、再び風が吹き始めだんだんと強くなってきた。水面は波立ち、魚たちの気配も消えていた。ついさっきまで逃げまどっていたワカサギたちは何事も無かったかのように群れて岸際を行き来していた。全ては僅か数分間の夢のような出来事だった。幕はあっという間に降りてしまい、魚たちがカーテンコールに応じる事は無かった。私たちは夢見心地のまま水辺を後にし、二人の釣り師の大いなる一日は終わった。

 翌朝、私が帰る時間がやってきた。素晴らしき時間を共有した私たちは、再会を約束して別れた。

 後日N氏にこの話をすると大層残念がり、「釣りはしなくてもいいから見てみたいね、そういうの。」と言った。実のところ私も少し後悔していた。あそこでロッドを持つことなく眺めていれば良かった。と、そう思っていた。その方がより鮮明に記憶に残ったであろうし、ひょっとするともっと素晴らしい事が起こったかもしれない。そう思えば思うほど己の欲深さが恨めしかった。
 それ以来毎年のようにあのショーの再演を夢見てN氏と共にこのフィールドを訪れているが、未だ夢は叶わぬままである。

 その年の夏、私は仕事で東京にいた。立ち寄った書店でふと手にした釣り雑誌に道北のイトウ釣りが紹介されていたのだが、その記事の中に「仕事を辞めてイトウを釣りに来た、水戸ナンバーのアングラー」とあった。「太郎さんだ。」どうやらあの後、道北まで行ったようである。私はその雑誌を迷うことなくレジへと持っていった。この雑誌は今でも私の書棚にある。
 2ヶ月という長い出張を終えて家に帰ると、大量の留守番電話の中に太郎さんからのメッセージ。そこで伝えられた電話番号をすぐに回し、様々な話をした。道北では念願であったイトウのキャッチ・アンド・リリースを果たしたと聞かされ、我が事のように嬉しく思った。だが丁度その頃から私の仕事は多忙になりつつあった。釣りに行く事も難しかったし、休日を返上する事も珍しく無くなっていた。
その後、数回の年賀状のやりとりがあったが毎回太郎さんの住所は変わっていた。電話も呼び出し音が空しく響くだけで、応じられる事はなかった。そして現在は音信不通である。
 今日まで、私たちの再会は実現していない。

私にとって太郎さんとの出会いは、まるでキャッチ・アンド・リリースのような一期一会として私の記憶から消えることはない。