これみつの夏休み日記

7月14日(水)
春セメの授業が終わった。
でも、かつて得ていた充足感も後悔も慙愧も、ない。
ひたすら疲労感しか残らないのはなぜだろう。
けして手を抜いた授業をしたわけでもない。
(あ、でも準備がおいつかなかったことは多々あったか…)
恵まれた学生と職場にあって、これはなんだ?
パワーがおちてるな。富士山に登って霊気を蓄えてこようか。

と、いうわけで、六條院も夏休みヴァージョンで
す。

午前4時半過ぎ、8合目付近から見た御来光。
手前は山中湖。(撮影:城崎陽子)。

御来光を拝む富士講の人々。
(撮影:城崎陽子)
7月21日(木)
と、いうわけで富士山に登ってきました。
山登りなんて湘南キャンパス+3号館クルクルしか経験ないのに、いきなり富士山です。
といっても独りじゃなくて神道扶桑教(富士講)の方々と一緒に登りました。
朝イチのバスで五合目まで行って、10時半に小御嶽神社を拝んで出発。
六根清浄の掛け声をかけながら雲の中をゆっくりゆっくり登ると、
呼吸も整って、高山病にはなりませんでした。
7合目からは岩場登り。先達の知恵に従うと楽に登れます。
その日は八合目の元祖室(がんそむろ)という山小屋に宿泊。
風が強まり雲霧晴れて、眼下に山中湖や河口湖が見下ろせます。
河口湖の向うは甲府盆地、そして靄の中に浮かぶ八ヶ岳。
午後7時をすぎてゆっくりと夕景になっていきます。オレンジ色と紫色の空が見事でした。
翌朝は午前3時半に起床。4時をすぎて明るくなってきます。
4時半から登り始めると、まもなく御来光。ご一行さまの礼拝を感動的に見聞。
どうして宗教行事ってこう劇的なんだろう。
そして八合五勺、九合目と、ゆっくりゆっくり登ってゆきます。
でも、風が強い。
飛ばされそうなカラダを支えてくれたのが5合目で買い求めた金剛杖でした。
山頂に着いたのは7時半ごろ。浅間(せんげん)神社を拝礼のあと、奥宮までいきます。
雄大な景色。左は立山連峰から八ヶ岳、日光、眼下には山中湖から御殿場への広がり、
相模湾、大島、江ノ島。箱根も箱庭のように…ってまてよ、するとあのあたりで光ってるのはちょうど、湘南校舎のあたりでは。そうか、14号館の廊下から眺める富士山の山頂はこうなってるのか。
さらに奥宮にむけて歩いてゆくと、田子の浦から富士川、日本平、清水、焼津。
反対側は富士山の噴火口。これまた雄大。
気分爽快。このところ性根が腐りかけてたけれど、なんか、リフレッシュした気分。
で、下山。これが、キツイ。砂礫の急斜面をひたすら下るだけ。
富士山は登るのは楽しいけれど、下るのは辛抱のみ。
わずかな笈ひとつ背負って金剛杖ついて先達のうしろからとぼとぼと…つかれた〜。
でも、この疲れより、夏に東海大学前から湘南校舎まで歩くほうが、ずっと疲れるぞ。
8月1日(日)
やっとハリポタの映画に行けた。1日だったので映画の日の割引。ラッキ♪
で、面白かったか、というと……う〜む…。なんとも大味。つまらないわけではないのだが…。原作のほうがいいとか悪いとかいう問題でもなく、だいたい、原作のストーリー、忘れてる。そこが問題。原作も面白くて、結局、帰宅して第三巻読み直して、勢いづいて「ゴブレット」まで読み進めちゃってるケド、後に残らないんだよね。いい作品、例えば堀辰雄にしろ、芥川にしろ、司馬遼太郎にしろ、それらの作品って、名場面や名台詞が、後々まで残っているんだけど、それがないんだな。刹那的楽しさというのかナ。で、いろいろな作品を読み返しているのだけれど、どうも最近の作品って余韻がない、というか、全部説明されているというか、行間が埋められちゃっている気がする。それが刹那さを生んでいるのかな。「ロード・オブ・ザ・リング」も同様。一方「踊る大捜査線2」は室井さんの台詞とか和久さんの背中とか、印象に残ってるんだよね。どっちもエンターティメントだから質は同じで比較できると思うんだけど…。というわけでハリポタ3は成長したエド・ワトソンを堪能しただけでした。
さ〜て、つぎは「サンダーバード」だ!

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8月10日(火)
サンダーバードに行くつもりが、なぜかポケモンになってしまった(;;)。
岡山メルパで見ました。ここはなんと駐車場を使うと1000円で見られるという。そのかわり駐車場料金2000円しっかりとられましたけど。
で、ポケモンの映画、考えてみれば「ミュウツーの逆襲」以来、ずうっと見てきてるのね、わたし。一番のオキニイリは「ラティアスとラティオス」のお話だけど(<イタリア好み)、今回のカナダ風もわるくない。まあ、内容はともかくとして、ふと感じたのが、かつてもゴジラ映画なのは、なぜでしょう?
自問自答するに、ゴジラが今冬ファイナルをむかえる(何度目だ?)ということで、壮大な作品を作っているそうだけど、予告をみると、どこかゴジラ映画ではナイ。理由はあれこれ考えられるけど、それは措くとして、結局、ゴジラ映画っていうのは、季節の風物詩だったんだ、という結論を得ました。娯楽作品というのはそういうものなんだろうな。テイストの問題です。ゴジラ映画とポケモン映画と、全く違う作品なのに、同じような感触を得たのは、それが同じキャラによる毎年の娯楽作品としてわれわれの前にやってくるからなのでしょう。
で、問題のサンダーバードは、同じ映画館の最終回上映入替制で上映していたので見られなかったのでした。
8月18日(水)
というわけで、東京に帰ってから『サンダーバード』行きました!しかも六本木ヒルズの映画館。だって、新宿の映画館だと初回は〈吹替版〉なんだもん。朝イチで〈字幕版〉を上映していたのが東京ではここと品川だけでした。
ネットで前評判をサーチしてたら、評判のわるいのなんの。ところがまあ、これが予想外に楽しかったんだな。『サンダーバード』はマリオネーション版リアル体験世代だから、特別に思いいれがあって、とにかくプラモデルを沢山作ったし、絵も描いたし…だから前評判の悪さは「ああ、やっぱり…」と思ったのだけど、なんのなんの。マリオネーション版の装置を使って作られた今風のエンターティメントとしてみると、これが実に楽しい。この夏に見た三作品の中で一番よかったです。キャシャーンもよかったから、このところ実写リメイク作品はヒットが多いような。(キューティーハニーは見てないけど、スカでしょう、きっと。DVDになったら見ます)
とくに印象に残ったのが悪役のフッド。おそらく、このテの作品の中で、魔力をもって不気味さでも充分なのに、やることが最もセコイ〈悪の帝王〉としてトップクラスなのは、マリオネーション版を受け継いでます。だいたい、国際救助隊の活躍を描くこの作品はマリオネーション版(TV版人形劇)では「救助」に焦点があてられているので、科学のモロさと時間との勝負ってな作品に仕上がっているので、悪役は実は刺身のツマのようなもの。今回はそれが主役クラスに出てきていて、役者の存在感たるや、そうとうなもの(ちなみに、今回の作品ではフッドとパーカーが最高!)。で、国際救助隊のスーパーメカを持った超能力者の悪の帝王が何をするかといえば、銀行強盗。このセコさがたまんない! ああ、「サンダーバード」だなーっと喜んじゃいました。あ、でもこれ、〈字幕版〉だからよかったんだろうな。吹替だと……
さあ、次は「アイ、ロボット」……うう〜んチャン・ツィイーがでてるから「LOVERS」にも行きたいなー。ハウルはDVDで見よう……相当先だな……
8月27日(金)
今日は高円寺の阿波踊り。正しくは高円寺「東京阿波踊り」。いつの間にか徳島に匹敵する行事になってしまいました。仕事の帰りがけに覘くと、北海道の連(れん=踊りの集団単位)をはじめ練馬や下北沢、小金井など、今年もあちらこちらから踊るアホウが来ています。もともと地元商店街(今は高円寺純情商店街などと称してますが)のイベントとしてちっちゃくはじまった行事が、いつしかほんもの志向で徳島に留学して踊りを学んでくる者などが出て、いつのまにか西の徳島、東の高円寺といわれるようになりました。ヨーロッパまで出かけて踊ってくる連中もいるくらいに育ったんだよね。関東各地の商店街の行事で阿波踊りが踊られているけれど、それが最終的に高円寺に集合して踊りまくるというカンジです。もちろん徳島からもやってきます。
徳島の正調阿波踊りはゆったりしたテンポで堂々と踊ってますが、高円寺育ちの阿波踊りはテンポも速く、それぞれの連で独自のリズムを持っているようです。また団扇を使う踊りも高円寺独特のものだと聞いたことがあります。なんでも、徳島留学のとき、徳島の人が団扇を持っていたので(暑かったかららしい)、それで踊るんですか?と質問したら、そうだよ、といわれたので高円寺に持ち帰って広まったとのこと。伝承や伝統はこうやって形成されるんでしょうね。
に、してもJR中央線高円寺駅北口の「高円寺純情商店街」(ねじめ正一の小説でおなじみ)から東京メトロ新高円寺駅にいたるまでの空間の道路8箇所を演舞場にして展開される東京阿波踊り。やっぱり、このサウンドを聞かないと、夏は終わらないですねえ。音がカラダを震わせて休み中に身に付いたケガレをソギおとしてくれるようです。
はっきりいって人垣の混雑で踊りをそう見て楽しめるわけではありませんが、照明を照りかえして輝く商店街のビルの中、人のアタマの上をゆさゆさと揺られながら太鼓の音を響かせて(デゲレケデゲレケという響きに聞こえる)やってくる高張提灯の影は心をわくわくさせてくれます。純情商店街の狭い路地を踊りながら練り歩き、そのまま広い駅前のロータリーに踊りこむところは気分爽快。若い衆の弾ける踊りが、いいんだな。隊列を乱さぬ女踊りも綺麗だし、近頃は男踊りにはまったねーちゃんがまた中性的色気で溌剌と踊るんだ、これが。今夜見た中では「ぽんぽこ連」がイキがよくて気持ちよかったぜ。
ところで、この商店街を練り歩いて、広い駅前に踊り込んで、凧踊りやなんやら展開する構成って、歌舞伎の花道と舞台の関係と同じなんだよね。商店街の練り歩きは出端(では)だし、ナンバ(南蛮とも。右手と右足、左手と左足を同時に出す歩き方。末続の走り方がナンバなのだそうだ。)で踊り歩くのは六方だよね。そして商店街の両側の店の前に観客が並んで見物するのだが、踊り手との距離なんてほとんどなくて、手を伸ばせば届くし、道路だから同じ目線で見られるし、なにより知人が踊ってたりするんだよね。で、目があうと向うは踊りながら挨拶してくれたり、こっちは掛け声かけたりする。それって歌舞伎で花道を役者が出てくると、「○○屋!」って声を掛けるのと同じ構造なんだ。日本の芸能の骨格が高円寺東京阿波踊りにはしっかり埋め込まれているわけ。そういう視点でぜひぜひご見物下さい。
毎年、8月27・28日に開催されます。

追記(8月28日)
仕事帰り、駅前で葵新連が踊ってました。徳島よりテンポが速いけど本来的なサウンドを保持しているので、江戸っ子連とともに好きな連です。奴さんの踊りを意識してるんでしょうね。ということはやっぱり六方かな?
高円寺らしいサウンドはむかしの「苔作連」が草分けのように記憶しているんだけど(スネアドラムつかってたもんなあ)、最近は増えました。舞蝶連やしのぶ連などがその系統のサウンドです。それにしても、夜に霧雨の中見物に出て見た舞蝶連の団扇をつかった踊りは綺麗だったぁ。
今日見物で印象に残ったのは、道路の最前列に座って見物しているおにーさんたち。もう酔っ払って目がすわってコワイんだけど、踊り手にかける掛け声のイキの良さ。悪意がなくて純粋に「見るアホウ」になってるところが楽しい気持ちにさせてくれました。この交流なんだよね。演者と見物の距離がないの。きっと歌舞伎の花道の本質もここにあるんだろうな。
さて…夏休みも終わりだな…
8月31日(金)
【夏休みの読書】
 『金色のガッシュ』(少年サンデーコミックス@〜P以下続刊)を読みました。大海恵のファンになりました。
で、この作品の構成は、基本的にポケモン型ですね。RPG型といってもいいでしょう。モンスター(〈ガッシュ/ピカチュウ〉)とその操作者(〈清麿/サトシ〉)を主人公として、バトルをフィールドに戦いと成長を描くという点で、同じジャンルに分類できそうです。戦いも、例えば第7巻の57頁から102頁にガッシュ+清麿VSロップス+アポロのバトル場面が展開されていますが、呪文の吹きだしに注目すると、59頁「リグロン!!」・61頁「ザケル!!」「リグロン!」・62頁「ザケル!」というように(注:ガッシュ、ロップスという魔物は清麿、アポロという操作者の呪文によってワザを出して相手を攻撃する)、交互に攻撃しているのは、RPGゲームの攻撃のあり方に等しいことがわかります。
でも、キャラクターに注目すると、実はこれが『ドラえもん』のネガティヴであることに気付きます。最初、読み進めたときから気になっていたのですが、『ポケットモンスター』(アニメ版)の主人公サトシにしても、『ドラえもん』の中心人物のび太にしてもけして頭の回転はよくなく、のび太に至ってはデキの悪い子の代名詞としても用いられているくらいです。ところが『ガッシュ』の清麿は天才という設定になっています。第一巻第一話では、「マサチューセッツ工科大学の主席卒業生の論文」なんてのを時間つぶしに読んでいるくらいに。のび太とは反対の性格が与えられています。反対の設定はほかにも多くみられます。のび太は学校にあって必ずしも孤独ではない。いじめられても対話の成立する仲間を持っている。しかし、清麿は孤立しています。なお、のび太には大人っぽいしっかりもののしずかちゃんがいますが、清麿はおよそ「いいとこないなあ」と嘆かせるスズメが置かれています。この辺も対偶的なキャラ設定になっています。
そこに教育係として登場するのがドラえもんとガッシュです。ただ、のび太がドラえもんによって成長することがないのに対し清麿はガッシュによって成長するという違いについては、キャラ設定というより『ドラえもん』が一話完結型で、しかも「循環する時間」(のび太は永遠に五年生であり、三月からふたたび同年の四月に時間が戻る)を生きており、対して『金色のガッシュ』は長編ストーリーで、時間は一往直線的に設定されているので、教育係としてのキャラの性格の対偶的関係は作品そのものの性格に由来する現象でしょう。
なんてことを考えました。
さて、ハリポタの新作が届いたから読もうっと。

【夏休みのお絵かき】
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