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著作権所有者:ちゃむ
<目次>
1.はじめに〜挑むということ〜
2.書評『背教者ユリアヌス』
3.史実と虚構――人物造型の裏側――
4.辻邦生の<表現>について
5.終わりに〜作者からの贈り物〜
瓢箪から駒とは、まさにこのことである。
在学当時は近現代文学に触りもしなかった私が、何故この書評を書くに至ったのか――それを表すのにこれほどぴったりな言葉は見当たらない。面白そうだと思って最初に取った本が、例えば『安土往還記』であったなら、その短さ故に幾ばくか論の深さが加えられただろう。また、エッセイなどであれば、調査を著者の周辺に集中できただろう。それ以上に、素直に「読後の感想」でとどめておけば、こんなことにはなっていなかった。それも今となっては後の祭である。
学生時代に近現代文学を避けてきた理由の一つは、評論を書いた諸兄が生きている、または作者の家族・友人などの近親者が生きているという現実からだった。生々しい部分がありすぎ、想像の余地がないような気がした。それ以上に、漠然と、入り込んではいけない世界のような気がしていたのだ。それゆえに、卒業論文としては古典――日本文学では最古の研究課題である上代文学へと進むに至った。辻邦生という作家は、作家としてでなく、雑誌『マリ・クレール』のエッセイなどで見知る程度であった。
辻邦生の作品として、私が初めて手に取った『背教者ユリアヌス』は、その冒頭から読み終わるまでのしばらくの間、自らが≪ユリアヌス病≫と名づけてしまうほど私を魅了した。何がそれほどまでに引きつけたのか、それは一言で言い尽くせるものではない。物語そのもの、作家の意図、表現方法、いずれをとっても私を虜にして離してはくれなかった。
当書の紹介者である志水先生から掲載を前提に感想を求められ、書こうとして愕然となった。無理だ、感想などという甘やかな表現では私のバックボーンを晒すのみで何一つ書けることなど見つからないではないか。もっと怜悧に事に当たらなければ。
仕方がないので、正直に<感想>は書きたくない旨を伝えた。ただ、感想という形では掲載を拒否したが、何か形を残すのも良いだろうと思い、レポートという形ではいかがだろうかと打診した(無論、半分は冗談であったが・・・)。「レポートで結構です」「では締め切りは・・・?」「一ヶ月後ということで」――まんまと乗せられてしまった感は否めないが、それもまた良し、売られた喧嘩は買うが世の常ということで、恩師である北川教授と母校の名誉を傷つけないよう、能う限りの力を尽くそうと心に決めた。挑むということは、人間にとって、その細胞を活性化してくれる行為のひとつだと思う。現状維持もいいだろう。だが、挑まなければ何も始まらない。そして、挑み続けなければ、いつか自分自身が枯渇してしまうような気がする。生まれてきた以上、自分が枯渇するのは生命の終わる瞬間でいい。生きている限り挑み続ける気持ちを忘れずにいるために、今回は自分自身に対して<挑戦>してみようと思った。
もちろん、課題を与えた当のご本人である志水先生は私がこんな形に仕上げてくるとは予想していなかったはずである。どんな評価をくださるか、時間的にも、知識的にも余裕のないものとなってしまったが、以降に書評を展開することにする。
辻邦生『背教者ユリアヌス』は、ローマ皇帝・ユリアヌスの生涯――その誕生から死に至るまでを、作者の感情に駆られることなく、叙事詩的に書き綴った物語である。初出は中央公論社発行の雑誌『海』で、昭和四十四年七月から同四十七年八月まで三年二ヶ月にわたって連載された。当初の連載予定は一年というから、実に三倍近い期間を連載に費やしたことになる。連載終了の昭和四十七年、中央公論社より『背教者ユリアヌス』を刊行し、同作品で第十四回毎日芸術賞を受賞、辻の文壇での地位を確固たるものにしたと言われる記念碑的作品でもある。このとき、辻は四十七歳であった。小説家として文壇の位置を確立するに至った足取りは、決して早くはなかった。
原稿用紙換算にして約二千三百枚と言われるこの大作を、辻は三年余の連載で齟齬なく描き切っている。これは並大抵のことではない。周到な資料集めと緻密な構成、そしてあるゆるぎない信念を以って臨んでこそなせる技であると思う。辻自身は長編小説を書くときに、比較的「始めから全体の構造が分かっている」と言っているが、これも連載をしながら齟齬なく描き切るための重要な要素である。終わりの見えない物語を綴ることほど難しいものはない。辻がこの作品を描ききったという事実は、ボリュームが増えるなどの紆余曲折はあったにしても、辻自身があるひとつの道を決め、それにしたがって最後まで進みきったことに他ならない。テーマの揺れなく、確固たる信念の元に描かれた作品であることが偲ばれるのである。
当作品の登場人物は、名前のあるそのほとんどが実在の人物であるとされる。歴史と虚構の間での想像、それぞれが<生きている>と感じられる造型は、ひとえに辻の中に埋め込まれた膨大な知識と、そこに改めて<生命>を吹き込んだ辻の手腕に以外のなにものでもない。ローマ帝国という名の<終末を間近に控えた世界>から、描かれる草木の一本に至るまで、そこに息吹が感じられる。単なる活字を通り越した映像的な美しささえも喚起されるのである。
それまでの辻の作品は一人称形式をとったものが多く、本格的な三人称形式はこの作品が『天草の雅歌』に続くものとされる。この構造の変化は、単純に<私(語り手)の知り得ない事実を話の中に配置する>必要を作者が認めたために起こった変化、<狭めていた視野を拡大する>必要に迫られた上での変化であり、辻の人物造型姿勢には何ら変化はない。辻の同時期の作品である『安土往還記』に描かれた<尾張の大殿(織田信長)>の造形を見れば、それはおのずと明らかである。彼の描く人物はユリアヌスに限らず、精神の高みを目指し、己の理想実現のため何物をも恐れず、己の心に従って生きる。辻の描く世界は一貫して<ある生命の燃焼>なのである。
辻が遠い記憶の底に潜んでいた<ユリアヌス>を意識し、当作品を構想するきっかけとなったエピソードが連載直前の『海』発刊記念号に寄せられている。先行論文では天啓を受けたかのような書き方をされるが、私はあまりそのような印象を受けなかった。確かに、ある種の<閃き>はあっただろう。しかしそれは些細なもので、その後、繰り返す遺物との<遭遇>が確実に辻の中に根をはり、枝葉を広げた結果といえるのではないだろうか。辻自身の書き方もそのように読める。彼が直面していた現実が彼をユリアヌスに近づけて行ったという印象を受けるのである。
ホメロスの「かの人を我に語れ、ムーサよ・・・」という句で扉を飾り、辻は当作品を書き始める。これは当作品がユリアヌスを<語る>叙事詩であることの宣言だと私は思う。叙事詩には当然語り手が存在する。それは辻邦生その人である。辻はこの作品の中では、ユリアヌスの生涯をユリアヌス自身またはユリアヌスに何がしかの感情を持つ<誰か>に語らせることを止めたのだ。誰かに語らせようと思えば『安土地往還記』のような書き方もできたはずである。現に、以前の辻作品の中でならば、語り手候補の一人であったであろう架空の人物<ゾナス>がこの作品にも登場する。しかし、辻は当作品で語り手の設定を<人外>に託すことによって、その語りの担い手を辻その人にしたのではないだろうか。一人称形式を取らなかった所以は、辻自身が共感したユリアヌスを辻の言葉を以って語りたかったからかもしれない。作品の内部から、辻の瞳が読者の私を見ている――そんな印象を受けたのである。
辻の筆致は鮮やかな色彩に彩られ、風景に温暖湿潤気候的な湿り気を感じさせない。これは辻の文体全般に言えることと思われるが、欧州が舞台の当作品では特に顕著である。暗い描写にしても、その闇は気分の悪いぬめりを持たず、いっそさわやかな感じさえする。それは、辻の愛するヨーロッパの生きた風景が描かせたものであろうと思う。
『背教者ユリアヌス』という作品のどこまでが史実でどこからが想像の産物かは、もはや問題ではない。歴史はその<現場>に居合わせない限り、誰も<真実>を知り得ないのだ。歴史にテーマを求めた物語では、作者が歴史そのものの解釈をどのようにしたかったかというところに主題が隠されている。辻は当作品を通じ、ローマ激動の時代に生きた一人の<青年>を描いた。彼の生き様を描くことによって、辻は人間の生き方を問うているのである。歴史を再現したかったわけでも、英雄の悲劇を書きたかったわけでもない。少なくとも私はそう思った。冒頭の句にある「ムーサ」とは、他ならぬ辻自身であり、彼自身の内なる詩神(ムーサ)を導き出す呪文ではないか。辻の内に目覚めたムーサは、ユリアヌスを通して人間はかく生きるべしという、普遍の真理を表したかったに違いない。
『背教者ユリアヌス』が単なる<歴史小説>という書ではなく、作者による歴史事実の吟味により、そこに現れた現代社会に通じる問題点を白日に晒し得る設定を感じとって描かれた物語であるということは、既に先学諸氏の言うところである。先行論文の幾つかには主要人物である軽業師<ディア>の存在は史実にないと言及しているが、その他の人物についてはどうだったのであろうか。ここでは、辻の辿ったであろう資料収集の道を駆け足で辿り、辻の視線を追ってみたいと思う。辻が収集した資料全てに目を通すことは時間的に不可能であるが、ここではあえて辻自身の残した『創作ノート』を見ないまま、歩を進めることとする。これは、この章が完成した後、辻の『創作ノート』と合わせ見ることで、新たな疑問等が浮かび上がってくることを期待してのことである(時間的制約と論文入手の経路がなかったため、『創作ノート』との比較については今回は触れない)。
「別表1.主要人物とその形容」は、エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』、メレシコフスキイ『背教者ユリアヌス〜神々の死〜』、辻邦生『背教者ユリアヌス』(序章〜六章まで)の中で、@ユリアヌスの生涯と時を同じくして存命し、A名前を持って登場する人物を選択の上、その人物評及び形容を書き出したものである(表自体はさらに人物を抽出してあるので、これで全てではない)。この表を検討することにより、辻にとっての史実と虚構の狭間、またメレシコフスキイとの態度の違いなども覗いてみたいと思う。(※以後、読み進めるにあたっては、別表1を参照のこと。)
作品の内容を見る前に、各著者についての辞書的引用を記載しておくことにする。各著者の背景は、それぞれの作品に影響を及ぼしており、それを把握せずに同じ土俵で検討をすることは不可能であると判断したからだ。
エドワード・ギボンは、18世紀イギリスの歴史家で、病弱な少年時代を過ごし、のちにオックスフォード大学に入学した。ローマ・カトリックに帰依し、父の不興を受け、カルバン派の牧師のもとに預けられ、5年間信仰と勉学の指導を受けた。これが彼の学識を習得する基礎となった。父に阻まれ終わった恋愛があり、一生を独身で過ごす。『ローマ帝国衰亡史』のきっかけは、ローマのカピトルの廃墟で裸足の托鉢僧が夕べの祈りをあげていたのを聞いて、この都市の衰亡を記そうという霊感を受けたことに起因する。彼は五賢帝時代を人類最善の時代とし、ローマ帝国衰亡の原因を野蛮(ゲルマン人)と宗教(キリスト教)の勝利としている。
メレシコフスキイは、19世紀ロシア生まれの作家で、代表作は彼の二元的な宗教観を示した3部作『キリストと反キリスト』で、その第一巻が『背教者ユリアヌス』であった。彼は幾分神秘的主義な傾向があり、この著作によって、社会生活と精神的な諸価値とを対比させることにより、ヨーロッパ文化全体とロシア文化の同一性を証明しようとした。イプセンがユリアヌスを取り上げた戯曲を翻訳したりもしている。
彼らは史家と作家であり、著作も歴史書と小説というようにまったく違っている。しかし、その一方で共通する部分があるからこそ、同じ主題を取ったのではないかと思うのだ。なぜなら、彼らはキリスト教文化圏の人間であり、どちらも正教会を自負する国の出身なのである。前述の通り、精神の根本的な部分に宗教的な葛藤――ギボンは父による宗教の押し付け、メレシコフスキイはヨーロッパ世界とロシア文化の相互関係において。メレシコフスキイの場合、文化の中には宗教はもちろん、宗教芸術という文化水準も含まれることと思う――を持っている。その中でユリアヌスを取り上げているということは十分に考えられるのだ。ギボンにしてみれば、ユリアヌス個人ではなくローマ帝国全体に渡るのだが、コンスタンティヌス大帝からユリアヌス治世までの数十年間に他とは比べ物にならないほどの紙面を割いていることを思えば、納得が行く。
この点、辻のユリアヌスは決定的に違う。本人もキリスト教については全く分からないと述べているとおり、辻がユリアヌスを選択した理由の中に宗教的な葛藤はない。結果的にユリアヌスを通じての葛藤はあるが、それが物語の前面に押し出されていないことに注意が必要である。
表を参照すると分かるのだが、ギボンはユリアヌスに比較的好意的な評価を下している。対して、メレシコフスキイは、ユリアヌス自身について人間的にあまり良い評価を与えてはいない。宗教という壁が、大きく立ちはだかっているのが良く分かる。
余談となるが、ユリアヌス自身の辞書的評価はまちまちである。キリスト教を弾圧したと書かれているものがあるかと思えば、弾圧はしていないと言い切っているものもある。歴史研究の最新のものを見ると、弾圧はしていないというのが公平な意見のように思われるが、それも真実は闇の中、歴史の彼方の問題で、はっきりした証拠があるわけではない。
辻の描くユリアヌスは、どちらかと言えばギボンの述べるユリアヌス像に近い。繰り返しになるが、これはその姿が真実だというわけではなく、辻の取った態度が、ギボンの態度に近かったことを意味するのみである。コンスタンティウス二世の評価について、ギボンはかなり公平に良い面も悪い面も評価しようとしているが、辻の作品では失策が目に付く。これは、辻作品の中で、コンスタンティウス二世が最終的には敵役として描かれており、この作品が歴史に対してある意味で偏った目を持って描かれたことが顕著に分かる。
また、辻作品に登場する侍従長<エウビウス>は、ギボン、メレシコフスキイのどちらにおいても、<エウセビウス>となっている。辻作品には、もう一人、ニコメディアの大司教エウセビウスが前半に重要な役割で登場しており、その人物との混乱を避けるために名前を変更したものと考えられる。これは、辻がある程度のところで史実へのこだわりを捨て、読みやすさを想定しながら、物語を構想して行ったことがうかがえる例である。
ユリアヌスの中には、架空の人物が何人か主要人物として登場する。その代表が<ディア>であり、<ゾナス>である。彼らはユリアヌスが自分の意思を持って幽閉されていた宮殿を抜け出した道中で遭遇し、彼がペルシア戦線で死亡するときまでつかず離れずそばにいる。いうなれば、この物語の<見届け人>である。以前の辻文学であれば、語り手の位置に設定されていた人物たちだ。しかし、今回は語り手の位置についていない。それは、二人が宮廷関係者ではなく、ユリアヌスの生涯を描く上で視点が狭くなることに由来すると考えられる(事実、回想以外で二人が登場しない章もある)。だからと言って、常に付き従う従者などには、とうていこの物語は語りえない。辻はそういう視点の位置をクリアにするために、一歩外に出て全体を俯瞰できる<自分>を語り手の位置に据える、三人称という形式を選択したのだと思う。
架空の登場人物の一人である<ディア>はユリアヌスの最初の恋人として位置付けられ、彼女の思いは終生変わらない。彼女の名前が<ディア>であることに、私はある意味を感じた。ユリアヌスが日神ヘリオスとして位置付けられているならば、<ディア>は<ディアナ=月神>との位置付けなのではないだろうか。辻はアポロンに対するアルテミスのような女性を描きたかったのではないかと思う。これは『創作ノート』で確認する必要があるだろう。
<ディア>の恋は、身分違いの報われることのない恋であったが、強引にもユリアヌスの最後の行軍についていく。このときの理由にならない理由――「どうしてもついていかなきゃいけないような気がするのよ」とゾナスに語るディアの言葉――には、一抹の疑問が残る。もう少しスマートな理由を用意しても良かったのではないか。私はこの部分で、恋する女の情念とは、相手の生命をも見切るのかと思い、苦笑したものだ。確かに、そういうこともあるかもしれない。しかし、最後まで純粋にユリアヌスの味方であった彼女は、ユリアヌスの死後、何もコメントをしていない。黒いベールの女性が箱馬車に揺られてその遺骸のあとをただついていくのみである。日神に照らされて輝く月神は、ここで同じように輝きを失うのである。
彼女の形容には<きらきらした黒い眼><卵型のかわいらしい顔><しなやかな二の腕><明るい笑い声>という表現が多く見られる。軽業師であることを考慮しても、華奢であるがたくましい、情熱的な女性を思い起こさせる。辻は学生時代に女剣劇の一座とかかわっていたことがあり、このディアの造形にはそのときの経験が生かされていると思う。私小説というような下種の意味ではなく、あくまで人物を造形する過程として、辻の血肉になっていたある人物が形象として姿を現したのではないかと思うのだ。貴族の令嬢でも、ただの町娘でも、奴隷の一人でもなく、こうした特殊な職業の女性をあえて選んだのは、その種の女性の特性を辻が承知していたためではなかったか。私にはそんな気がしてならない。
ここでもう一人の架空の登場人物に焦点を移そう。<ゾナス>は、金髪碧眼の陽気な青年である。彼は太陽にはじかれる金髪をくしゃくしゃにしてユリアヌスの前に登場し、鬱屈した気分を救う。ゾナスは本来、この物語の語り手に最適の人物で、辻はユリアヌスが書簡を交わしていた人物の中から<ゾナス>を造形したのではないかと思う。彼はユリアヌスの招きに応じて行政に参加することなく、常につかずはなれずユリアヌスをサポートしていた。下巻の終わりのほうにある彼の内省は、辻自身の内省に当たるのではないかと思う部分が多い。中巻までは、ユリアヌスの内省に辻の思いが込められていたようだが、ユリアヌスが皇帝になった後、彼の視点はユリアヌスから少しずつ離れる。その穴を埋めているのがゾナスの存在であり、ユリアヌスを否定せず、彼に尽くしながらも、どこか冷静に世の中をみている人物に描かれている。
実在の人物の虚構性もこの物語では重要な要素になっている。皇后<エウセビア>とユリアヌスの関係は、史実でも問題に取り上げられることがあるようだが、ギボンはこれを否定している。エウセビアの嫉妬に狂う姿は、ギボンやメレシコフスキイの美しく聡明な皇后を読んだあとでは、少し興ざめがする。実際に、インターネット上で調べてみると、そのように感じて不満を覚えたと書き込んでいる読者もいた。ディアに嫉妬して追い払い、ヘレナに嫉妬して子供を奪い去る。権力は人間を卑しくするのかという問いを読者はここで持つのではないかと思う。私はエウセビアの造形に源氏物語の六条御息所を思い出せずにはいられなかった。若い光源氏を庇護すると同時に恋し、嫉妬のあまり葵上を葬り去る執念の強さがやるせない。エウセビアの造型は、全く以って日本の文学を意識させなかった辻の文体や人物造型の中で、唯一日本の代表的文学作品を感じさせる。この部分については、辻自身がどのようなことをその『創作ノート』に記載しているのか、とても楽しみである。
小説には、必ず<虚>と<実>がある。
しかし、この場合の<実>は私小説的な<事実>から、作家自身も知らぬうちにひねり出してしまった<経験値>というものまでその振れ幅はさまざまである。辻の作品においても、このような虚実は当たり前のように存在すると私は思う。そして、辻の<実>は後者のものがすべてといっても過言ではない。それは、彼の創作態度が語られている『小説への序章』にはっきりとあらわされている。
戦争体験は、辻の中で彼に創作の意味を問うという試練を与えている。その試練の末に編み出された『小説への序章』は、文字通り、彼が小説を物する上でこのように作る、という確固たる信念の表れなのだ。ここまで厳しい吟味を己に課した彼だからこそ、文壇での評価が今ひとつでも、まったく意に介すことなく己の道を邁進することができたのである。
ユリアヌスは辻の境遇と似たものを持っている。調べれば調べるほど、彼の動きやあり方にいろいろな感情を覚えたことだろう。たとえば、ほとんどの歴史書でユリアヌスの兄ガルスは、わがままで癇癪持ちのどうにもならない人物として描かれている(ギボンやメレシコフスキイもそのように描いている)。しかし、辻の作品の中では、ユリアヌスにとって、落ち度もあるが、懐かしく尊敬すべき兄として、また、時に弟を思う優しい兄としての面を覗かせる。これは、他作品と比較したときの辻作品の特徴であると私は思う。辻自身が夭折の兄に対して抱いていた思いが、兄ガルスを描く筆の中にそこはかとなく現れ出ている姿を私は感じるのである。
また、辻の戦争体験も、ユリアヌスが家族を抹殺され、幽閉されていた状態に似ていると思う。『廻廊にて』のマーシャは啓示の瞬間を捉えることで快復する。これは辻のパリ体験による快復と同様のものなのではないか。『廻廊にて』が私小説だといっているわけではない。あくまでも、作者の感じえた感動をモチーフとして用いているに過ぎないのだ。ただ、彼の中に、このような「自分が受けた感動を他者に置き換え、あるモチーフとして再生する」という行為があったのだと思う。それは、単に私小説的な暴露ではなく、自己の深遠を見つめる恐怖との戦いでもあると思う。自己を客観的に眺めることのできた辻は、だからこそ、私小説から一歩踏み出すことができたのではないだろうか。そして、それを確立しえたのは、彼がパリ在住中に書き溜めた日記による、冷静な自己分析を行う訓練ではないかと思う。自分を投影するのではなく、そこに他者を作り出す域に到達して初めて、私小説からの脱却が行われるのである。このような自分との類似から、ユリアヌスの生き様を見、彼は語り手として、ユリアヌスをどう語っていくのかを徐々に固めていったのではないかと思う。
物語である以上、そのほとんどは<虚>である。それは、もとは<事実>であったかもしれない。しかし、事実は一瞬にして終わっていくもので、それ自体に善悪はないのだ。ある人の判断がついた時点で、それは万人の<事実>ではなく特定個人の<事実>に変質する。よって、歴史それ自身が事実ではないと私は思っている。時の為政者に都合よく書き換えられた例のなんと多いことだろう。辻自身が記したこの物語も、叙事的なつづりをとってはいるが、歴史的事実ではありえない。彼の視点が入り、彼の主題を読み取ることが、この物語を本当の意味で読み取るということなのだ。辻が書き終えた後の創作ノート等を公開するのは、自分が何を思って描いた世界であったかということを明確に伝えたいからに他ならないと思う。ゴシップ的な意味合いで作者との影響関係を追うのではなく、彼の身から生まれでたこの作品の意図を感じてほしいからだと思う。そして、そのように創作ノート等を開示したところで、自分の作った一つの世界は壊れないという自信の表れでもあるのだと、私はひそかに微笑むのである。
人物造型については、先に述べたが、この作品についていえば、人物に対して形容詞を繰り返し用い、その内容で情景に変化をつけて行くという技法を用いている。それは、人物がその場のあり方を決めるという点で難しくもあるが、先に述べたように、その形容詞をはずすことで心境の変化や情景の変化を感じさせることができるという点で有効である。
三章で、ディア、ゾナス、エウセビアという、ユリアヌスに近い人物を挙げてみたが、これらの人物に共通する形容点がある。それは、<明るい>という言葉だ。ディアは明るい笑い声、エウセビアは明るい茶色の眼、ゾナスは明るく輝く金色の髪を提供し、言葉で場面を明るくする効果を受け持っている。この中で特筆すべきはゾナスであり、彼が登場するとその形容はしつこいくらい「金髪を〜」「陽気な青い眼を」と続く。私は辻はやはりホメロスの叙事詩を意識して、形容句を並べていると思う。そして、その根拠として提出し得る、辻が意識してゾナスにこの形容句を与えなかった部分が作中前半(序章〜六章まで)に一箇所だけあるのだ。それは、ゾナスがユリアヌスの一族虐殺について、それと知らずに真実を話してしまう場面である。10ページ以上にわたって続くこの場面で金色に輝くのは冒頭の麦の穂のみで、ゾナスについては一度だけ「乱れた金髪は濡れて」という極めて<光>の押さえられた表現にとどまるのみである。これは、辻が意識的にゾナスの存在を以って場面を明るくし、陽気な気分に導くための手段として形容句を使っていたことを裏付ける事実でもあると思う。
同じように、暗い雰囲気を作るために用いられているのはコンスタンティウス二世である。彼の描写<ぎょろりとした灰蒼色の眼><蒼白く骨ばった顔>はいたるところにちりばめられている。前半6章までの間で一番多い形容句はコンスタンティウス二世の形容であり、実はユリアヌスの<灰青色の眼>という表現は圧倒的に少ないのだ。前半の重々しい雰囲気――場面の転換による明るさは別として――は、この暗い表情の描写が明るくなった雰囲気を引き戻し、落ち着かせるためではないかと思う。
ユリアヌス自身の描写は、実は思った以上に少ない。しかし、彼の表情や眼が読者には焼きついていることと思う。それは、辻の表現技法によるものと思われる。辻はある主要人物が新しく出てくると、その人物に対してしばらくの間、人物固有のエピソードを挟み、比較的長く本筋と関係のないページを割く。その部分を読んで読者は彼のプロフィールを頭に入れ、物語へ帰っていく。そして、このプロフィールの中で紹介された特徴が、その直後に形容句として繰り返し用いられるのである。また、その人物が繰り返し現れる場合には、まるで形容句がその人物のアットリビュートのように必ず繰り返されるのである。この技法の効果によって、読者は知らないうちに人物に付随する雰囲気やイメージを共有化してゆくのである。この技法は勿論、ホメロスなどの叙事詩でも用いられているが、叙事詩ではその韻律を守るためにたくさんの形容句が用意され、吟遊詩人はそれを暗記し、自在に操っていたといわれている。しかし、辻の場合は、同じ形容句をしつこいくらい繰り返すことで人物を印象付けるという手段に変えられているところを意識しておかなくてはならない。
意識的に形容句が変化している例を、登場人物<テオフィルス>を使って検証してみよう。この<テオフィルス>は、五章のエウセビアが登場する部分で同時に登場する。謎の赤い斑点ができるようになってしまったエウセビアは、いろいろな手段を講じて対策をとったが、ついに万策つき、加持祈祷に頼ろうとする。そのとき、加持祈祷で有名な<テオフィルス>が、副帝ガルスの謀反に連座という形で、よく取り調べもされないまま、ダキアで処刑を待つ身である、という情報を入手する。彼女は即刻<テオフィルス>の再審を皇帝に要求し、自身はお忍びで再審の場となるアクィレイアの宮殿へ赴く。ここで、女官長テオノエが<テオフィルス>に面会をする場面になり、彼の描写が始まるのだが、この後、彼についてくる形容は<印度人>である。そして、エウセビアを治療している間は、身体的な描写<浅黒い、魁偉な>等が続き、治療が終わると、<高僧>と変化する。これは、エウセビア側の<テオフィルス>に対する評価の変化だと思われるが、読者の私たちもこの評価にしたがって、自然と視点はエウセビア側におかれることになる。この後、<テオフィルス>はもう一度登場するのだが、この際は、始めは前回の出現を引いて<高僧>となっているものが、次第に<印度人>に戻っていくのである。ここでの視点は<僧>というよりも<政治家>としてのテオフィルスを意識しているため、このような変化が認められるのではないかと思われる。
このほかにも、細かい描写の変化は発生している。<侍従長エウビウス>の<ぬるりとした>顔はいつのまにか<つるりとした>顔になる。この部分については、長編で書き味を変えたものか、そこに何かの意図があるのか、本文の異同により詳細な検証を行わないと回答をえないことと思われる。
また、細かい端役にまでそれぞれの人物を特徴付ける形容句がついていることも、この作品を豊かにしているひとつの技法である。下種な人物はより下種に、高貴な人物はより高貴に、その明快な分け方が、読者に混乱を起こさせず、楽しく読み進められる原因でもあろう。
辻の描く風景には<湿り気>が感じられない。ロックを歌っても演歌になってしまうという日本語や日本の書き手の特徴が、この作家には感じられないのだ。これは、辻の戦争体験によるところが大きいと思う。むろん、戦争を体験したからこのような文体になったと言っているわけではない。自己を見失った後、徹底的な欧州との対決により勝ち得た、グローバルな視点がこの文章を描かせているのだと思う。一五歳で単身アメリカへ渡った私の知人の話では、日本人だけが「〜県人会」を作るという。アメリカに「フランス人会」なんかないそうだ。この人種的な狭さは、日本人特有のものであると同時に、日本人から鎖国意識を失わせないゆえんであると私は思う。そういった意味で、辻は徹底的に自分を他国の中で見つめなおすことによって、この意識を越えた人間の一人だと言える。「<人間>という当たり前の感覚で、地球(以上2字傍点)を眺めるように」なった人間だと思うのである。それは、人種や国境を越えた、今の人間に一番必要なものの見方であると思う。辻の描く風景の中に、私はこのようなメッセージを受け取ってしまうのだ。
次に、主題へのアプローチに近いかも知れないが、ここでは『安土往還記』も含め、辻の<末期>への思いを考えてみたい。彼は、戦争を越えてきた世代である。その傷跡は私のような戦後世代には計り知れない深いものがあると思う。たとえば、私の母などは、とにかく食べるものにこだわる。戦中に生まれた彼女は戦後の貧しい時代の亡霊を未だに引きずっているのである。
ユリアヌスの最期を迎えて物語は終わるが、時間はたゆまず流れている。人の命が簡単に奪われていき、そのために世界がとまることはないという観念のようなものがそこに読み取れる。戦争によって失われた価値観や命は、何事もなかったかのように時間に押し流されていったに違いない。辻はそうした、自分の価値観をひっくり返してしまったものとの戦いを余儀なくされた青年の一人なのだ。物事の価値観が崩れていく<末期>という時代に惹かれるのは、意識的にしても、無意識にしても、彼の中に残る戦いの傷跡ではないかと思う。
『安土往還記』にしても、その時代は世界的に見れば大航海時代、日本ではキリスト教・鉄砲伝来で外国文化がどんどん流れ込んでくる時期でもあった。近隣のアジア諸国でなく、眼の色も皮膚の色も違う、鬼のような人々が乗り込んできて、自分たちの中に同化しようとし、新しい種をまこうとした時代なのである。辻が題材をとるのは、このような新しいものが生まれ、古いものが倒れ行こうとする<末期>に、どのような立場でも自分の意思を貫き生きる人々である。『安土往還記』は特にそのような人物がたくさん出てくる。語り手の<私>、尾張の大殿、牧師フロイス、オルガンティノ、そして、ヴァリヤーノ。特に尾張の大殿とヴァリヤーノ、そして語り手の<私>は、過去に大きな喪失感を持ち、それに引き戻されそうになりながらも必死で払拭して生きようとする人物として描かれている。
ユリアヌスにしても同様で、過去に大きな喪失感を持ちながら、必死に今を生きているのである。ユリアヌスが皇帝になってから、辻の筆致がユリアヌスから離れるのは、ユリアヌス自身の変化が原因である。それは、作中で自己の裁判で演説をするエウビウスやユリアヌスの態度に対して内省するゾナスが口にしている。ユリアヌスは皇帝になると自分のやりたいことに邁進していく。そして、見えなくなってしまうのだ。中庸を見出せなくなった時点で、辻の視点は緩やかにユリアヌスから離れていく。それを読者は重苦しい気持ちで読み進めることになるのである。ユリアヌスは、ただ、<自分>でありさえすれば良かったのだ。なまじ、皇帝なんかになってしまったから、人としてでなく、国としての言葉になってしまうから、彼の言葉が曲解されてしまったのだ。淋しいことだが権力は個人を奪い去る。いくら才覚があったとしても、それは変わらない。
つまり、辻はユリアヌスを肯定しようとか、キリスト教をどうこういうためにこの物語を書いているのではないということだ。わかりきったことだか、彼は、冒頭で詩神を召喚して宣言しているように、良くも悪くもユリアヌスという人物の人生を語ることに主眼を置いているのである。それは、一人称であっても変わりない。ただ、三人称で語られたこの物語は、本当の意味で裏表なく、主人公ユリアヌスその人の人生を召喚しているといえる。『安土往還記』には、<他の眼>という厳しさはない。それは、辻が新しい信長像を召喚するためにその眼を必要としなかったためなのだ。個々の内省を生かすためにも、作品の人称のとり方は大きな問題なのだということを、この二つの物語は顕著に教えてくれていると私は思う。
辻邦生の書く作品は<小説>というジャンルには違いないが、どこかしっくり来ない。それは、もともと私自身が個人的理由で<小説>という言葉に小さな抵抗を持っている所為かもしれない。だが、彼の作品に対して<小説>という言葉が似合わないと思っている人は私だけではないはずだ。
辻の作品には<物語>の雰囲気があるのだ。しかし、それは通常私達が思い描く<物語>とは違い、実に懐の広いものといえる。<物語>というのは語り手が存在すると同時に聞き手(読み手)が存在するのだ。その存在を必要以上に見据えて書いているのが辻邦生という作家ではないだろうか。
この『背教者ユリアヌス』にしても、その感がある。子供には到底無理な話だ、とは思えないのだ。現実の作品から言えば、中学生以下の子供にはいささか難しすぎる作品であると思う。表現も平易ではないし、政治的な問題や歴史的事実を踏まえた方がより物語としての理解はしやすい。しかし、この作品はそんなことを知らなくても大丈夫だという気持ちがどこからか湧き上がってくる。
それは、この作品が<物語>だからだと思う。<物語>は<聞き手(読み手)>に合わせて姿を変える。動かぬ活字で表現されたものだというのに、この作品は相手に合わせて自在に姿を変えうる――そんな気がしてならないのだ。辻邦生の作品の視点は常に<語られる側>を想定していたのではないだろうか。
読書という行為は、読み手が書き手から何かを与えられるものだ。それが数百年の隔たりがある異国の作者であろうと関係はない。そこに繰り広げられる世界から何かをつかむことが出来るのは、紛れもなく読み手である。辻は細かい創作ノートを公開する作家であるが、それは<読み手>に対して、自分の考えをきちんと表明し、対等でありたいとする気持ちの現われなのではないかと思う。手品の種を明かしてもなんら揺るぐことのない力が、辻の作品には潜んでいるのだ。上梓した作品にあれやこれやというのは、書かれたものがもう<動かない>ということを認識している証拠である。あとは読者に任せる、私はそんな姿勢の作家が好きだ。「僕はこう書いた。あなたはどう読んだの?」という辻の笑顔が私の脳裏に浮かぶ。感想を伝えたら、きっと「そう、そんなふうに読んでくれたの」と喜んでくれることだろう。何故なら、辻はこの『背教者ユリアヌス』を構想する発端となった様子を述べている「ユリアヌスの浴場跡」の末尾にこう述べているからだ。この言葉こそ、辻が読者に対して語りかける<物語る者>であったことを示す好例と言えると思う。
「すでに私のなかで何人かの人物たちが、姿をあらわそうと、身をもがき、片眼をつぶり、しきりと身ぶりをしているのを感じる。そうした人物たちが、向う一年、読者の親しい友となって、人生の喜悲にささやかな贈物をもたらすことができれば、作者としてこれ以上の喜びはない。」
今回私が書き上げたものは<物語>ではない。調べきれなかったこと、書き落としたこともたくさんある、まるで途中経過のような産物だ。だが、読み手が存在する以上、私も辻と同じ思いで筆を置きたいと思う。たとえば人生の喜悲とまではいかなくとも、読んだ方々のある日々において思考を促す小さな贈物になることを心から祈って止まない。そして、私にここまで頑張る機会を下さった志水先生、志水先生との出会いを与えてくださった恩師・北川教授に心から感謝したい。
2003年9月9日 深夜
『背教者ユリアヌス 上』 辻邦生 中公文庫 S49.12 初版 S61.11 13版
『背教者ユリアヌス 中』 辻邦生 中公文庫 1975.1初版 2001.9 19版
『背教者ユリアヌス 下』 辻邦生 中公文庫 1975.2初版 2001.7 20版
『安土往還記』 辻邦生 新潮文庫 S47.4初版 H11.8 25版(S43.8筑摩書房)
『小説への序章』 辻邦生 中公文庫 S54.3
『哲学事典』 平凡社 下中弘 1971.4 初版 1997.7 26版
『世界大百科事典1〜31巻』 平凡社 下中弘 1988 初版
『新編 西洋史辞典 改定増補』 東京創元社 京大西洋史辞典編纂会編 S58.3 初版 H9.2 改定増補4刷
『日本近代文学大事典』 講談社 S53.3 初版
『明治・大正・昭和 作家研究大事典』 桜楓社 重松寿雄 H4.9初版
『世界伝記大事典 <世界編>』 ほるぷ出版 桑原武夫 1981.6
『事典 哲学の木』 講談社 2002.3
『岩波 哲学・思想事典』 岩波書店 1998.3 初版
『朝日新聞縮刷版 昭和47年10月・12月』
『ギリシア・ローマ古典文学案内』 高津春繁 斎藤忍随 岩波文庫別冊4 1963.11初版 2000.5 46版
『背教者ユリアヌス』 メレシコフスキー/米川正夫訳 1986.9初版 河出書房出版
『ローマ帝国衰亡史3(17〜23章)』 エドワード・ギボン/中野好夫訳 1996.2第一刷 2003.4第六刷 ちくま文芸文庫(筑摩書房)
『ローマ帝国衰亡史4(23〜27章)』 エドワード・ギボン/中野好夫訳 1985.10初版 筑摩書房
『世界の歴史 2巻』 中央公論 川村堅太郎 1975
『海』 S44.6 「ユリアヌスの浴場跡」 辻邦生
『すばる』 S48.3 「現前するイデアを求めて」 高橋英夫
『解釈と鑑賞』 1984.5 「『背教者ユリアヌス』辻邦生」 源高根
『解釈と鑑賞』 1975.7 「辻邦生」 源高根
『群像』 1999.10 「追悼 辻邦生」 加賀乙彦・菅野昭正
『新潮』 1999.10 「追悼 辻邦生」 北杜夫・丸谷才一 他
『新潮』 1999.10 「追悼 辻邦生 <対談>叙事と永遠」 加賀乙彦・菅野昭正
『新潮』 1990.1 「世界の中の日本文学'90 辻邦生―歴史小説を超えるもの」 スティーヴン・スナイダー(織田智恵 訳)
『図書』 1992.10 「<対談>歴史と文学の邂逅―『辻邦生歴史小説集成』の刊行に寄せて」 辻邦生・清水徹
『文学界』 1999.10 「追悼 辻邦生」 北杜夫・小川国夫
『国文学』 1980.6 「イデーへの旅・『パリの手記』(辻邦生)」 大河内昭爾
『国文学』 1980.6 「ある試みの終り コスモポリタンとエトランジエ」 辻邦生
『国文学』 1979.4 「辻邦生と小川国夫―漂泊者として」 鷺只雄
『国文学』 1979.4 「対談・青春のとき」 辻邦生 小塩節
『作家の世界 辻邦生』 菅野昭正編 S53.2発行 番町書房