合宿アルバム(ダイジェスト)

9月1日夜 横浜(本郷車庫)発奈良行夜行バスに三々五々集合。
9月2日
快晴。
気温35度以上
早朝、近鉄奈良駅前着。興福寺南円堂経由で猿沢池に下り、
池畔で朝のお弁当。
元興寺→新薬師寺→志賀直哉旧居→春日大社
(以上、早朝すぎて拝観できず)
→東大寺三月堂(寺男さんの解説あり)→二月堂
→大仏殿→正倉院→南大門前の茶店で昼食
→鴎外の門→興福寺宝物館→近鉄奈良駅
(以上、徒歩)

猿沢の池と興福寺五重塔

志賀直哉旧居

東大寺大仏殿の大きさをパフォーマンス
(どうみても戦隊モノのキメポーズ…)

奈良の帝室博物館長だった
鴎外の官舎の門だとか。
(以下、サイクリング)
近鉄奈良駅→奈良女子大脇を過ぎ→佐保川を渡り→法華寺の前を過(よ)ぎり→
平城京遺構展示館(ボランティアさんの解説あり)
このあたりで酒が作られていたとか。
南には宮内省址(建物復元)西隣は内裏跡。古事記が元明天皇に献上されたのはこのあたりのどこかだったはず。
万葉の歌が詠まれたであろう現場、東院庭園跡ものぞいて、
さらに大極殿より朱雀門、さらに西ノ京をめざすが、あまりの炎天に撤退。
第2次朝堂院址の外周に沿ってはしり、
長屋王宮址をかすめて
自転車を返却しに近鉄奈良駅まで戻り、一路明日香へ。

東院庭園址
NHKのTVドラマ「聖徳太子」
でロケーションされてたっけ。
左に朱雀門、右の工事現場の小屋が復元作業中の大極殿。
夜は古代食試食。
メニューは「楚割り・祝菜・羹・心太・脯・草醤・飯・酒・果子・調味料」だそうです。
翌日、藤原京資料館の模型で調べたら、「貴族の食事」の膳立てでした。

午後8時半より卒論中間発表。(シッキー・マサコ・スーサン・カズト)
深夜は大貧民大会

これが古代食
9月3日(水)
快晴。
気温35度以上。
午前中は藤原京探訪。
飛鳥坐神社を出発して徒歩で飛鳥資料館(冷房TIME)。
自転車を借りて→水落遺跡→甘橿丘(豊浦展望台)
→豊浦寺(遺跡見学・おばちゃんの解説あり)→飛鳥川に沿って→元薬師寺
→藤原宮(朝庭→大極殿址=灼熱の草原レース)→藤原京資料館(冷房TIME)
→穂積親王木簡出土現場(の前にあるファミマへ弁当買い)
→飛鳥寺研修会館へ帰還。

午後は暑いし、疲れたし、で卒論中間発表。
(フジコ・エミ・イケチョン・サティ・ヤマキ・ウミクン)
皆熱心で南方面を回る時間は残りませんでした。

夜は懇親会。
(写真公開は諸般の事情により、さしひかえます。)

藤原宮大極殿址
(いわれなきゃわからないよね)

藤原宮朝庭址
(上の場所から南を見た)
9月4日
晴。
気温34度くらい。
最終日。宿を出て飛鳥寺参詣。
入鹿首塚から南へ歩いて伝飛鳥板葺宮跡の井戸の遺構へ。
平城宮址、推古天皇の豊浦宮址、藤原宮址と古代宮都の旅も
ここで打ち止め。
ここは板葺宮から浄御原宮にかけての重層遺跡と推定されている。
おそらく額田王も歩いたであろうし、
古事記が発案されたのもこのあたりだろうし、
これで上代文学の時代の宮都はほとんど踏破。
その後、万葉文化館。
昼食は古代文化研究所の松田信彦先生と一緒。
午後は、奈良に戻って、国立博物館を見学しました。
初めてにして唯一の自由時間もとって、鹿とたわむれたり、お土産を買ったりして再集合。
夕食(琴歌苑ご常連スクナくんご推薦の釜飯屋にて)のあとは、男性陣は風呂。女性人はCafe。カラオケで打ちあげて合宿の終わり。
奈良発横浜行夜行バスにて帰途に着く。

伝飛鳥板葺宮址

松田先生とランチ

奈良国立博物館

駅前にあった銭湯。
ちょっとなつかしいテイストのする銭湯でした。
しかし麦飯石風呂っていったい……?
カラオケの写真は公開できません。

(思い起こせば、0A上代ゼミ初のカラオケだった!)

バス待ちです。
9月5日 午前5:08、本厚木着。以後、町田、横浜、港南台と各自適当な場所で下車。帰還。


合宿総評
(ゼミ生以外の方はご遠慮ください。拒否はしませんが。)


付 記 

今回明日香を訪れて悲しかったこと

 右は飛鳥寺研修会館の前の道を飛鳥坐神社方向に少し下ったところから飛鳥寺方面を撮った写真です。遠くに葛城山(右)金剛山(左)、向こうの森のような茂みが甘橿丘です。田圃との間に住宅が広がっているようにみえますが、かつてはここから飛鳥寺の本堂が見えたと記憶しています。この写真でも飛鳥寺の本堂の屋根は少し見えているのですが、現地に行きなれた人でないとわからないはずです。
 中央に電柱がありますが、その向こうに足場を組み、緑のネットの下がった白い建物がありますが、この向こう側に飛鳥寺があって右にほんのわずか高く見えている寄棟の屋根が本堂なのですが、この工事中の建物がそれとわからなくしています。
 この建物の手前、電柱の左脇に青いコンクリートミキサー車(建築工事とは無関係)が止っていますが、かつてはこのあたりから甘橿丘を背景にした飛鳥寺のたたずまいが望めました。それは明日香に帰ってきたという思いをおこしてくれる景色だったのですが、今回その景色は破壊されていました。
 9J、0Aの学生で、研修旅行の明日香ツアーに参加した人は覚えているでしょうか。飛鳥寺で「飛鳥の蘇」を食べさせられませんでしたか?この景観を破壊した建築物のあるところは、「飛鳥の蘇」や富本銭のレプリカなど各種のお土産を売っていた趣のあるみやげ物屋さんのあった場所です。旅人の目ではありますが、その風情は手前の瓢箪屋さんなどとともに心なごむものでした。景観もさることながら、そういった風情そのものが失われていてとても悲しい思いをしました。
 なお、聞くところでは、やはり明日香村でも問題になって、現在、この建築工事は中止させられているそうです。(惟光)

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