春 の 章

 春ともなれば、芳香、風に漂ひ、乾きたる東国の大気にも、南風、水気をもたらして、いと心地良きころほひなるに、先ツ年よりアレルギーいできて、眼腫れ、鼻垂るる日々にしあればさびしく覚ゆ。
 黒眼鏡をかけマスクをしつれば、いやしき風体にて、某国大使館わたりを歩けば逮捕されむずるさまにてぞ。

指輪二題 第一

4/1,2003

 さりとても、家に籠り居たることもせで、かねて心にかかりし『The Lord of the RING―the Two Towers―』を観に行きにけり。1作目よりは面白し。戦の場面の多きにや。
 『指輪物語』は「旅の仲間」の冒頭17頁で挫折し身なれば、かやうに粗筋を視覚に訴へつつをしへてくるる作品は有難し。されどまた観むとも思ほえず。

 指輪の出る物語といへば、トールキンよりもワーグナーの楽劇『Der Ring Des Niberungen(ニーベルングの指輪)』こそ思ほゆれ。これもまた上演に4日かかるものにあれば(DVD通しておよそ16時間!)こそ、『The Lord of the RING』よりも長大なれ。
 中学生のころ求めしLPレコード(ショルティ/ウィーンフィル、LP22枚組)の解説書を取り出して、内容などを読めば、「指輪」の、小人鍛造して世界を支配すべき能力を持ちながらも、呪はれ火の中に還元さるるべきアイテムなるは変はらねど、ワーグナーのはジークフリートとブリュンヒルデの愛の物語なれば、大きく違へたり。わたくしにはこちらが好みにてぞある。
 好みはともかくも、両者のおほきな違ひには、表現媒体の違ひによるものならし。つまり、『Lord』は映画作品なれば戦闘シーンなどの描写に効力を有し、『Ring』は楽劇にて舞台作品なれば、抒情表現に効果があるといふこと。比べてみて、当たり前のことなれど、表現媒体(メディア)が作品の表現を支配する関係性をゆかしく覚ゆ。

4/3,2003

 物語を作らまほしく、『Load』のやうなる話を古代日本の話としてこさえむと設定を試みゆ。大和朝廷と出雲と筑紫と、阿蘇の火山や土蜘蛛、隼人、蝦夷など素材は多くありながら、『Load』のごときさまにはならじ。
 つぎに、『RING』のやうなる話を『古事記』神話の神々やヤマトタケルを用ゐて設定を試みゆ。さりながら『RING』のごときドラマはえ構築せざりき。
 つらつら思んみるに、『RING』なり『Load』なり、その根本にあるは〈滅亡〉の2字ならむ。北欧神話にぞいふRAGNAROK(ラグナロク=神々の滅亡)なる。あるひは聖書にいふ黙示録、最後の審判の思想もこの類にや。それゆゑ〈滅亡〉にむけてヴォータンは策を弄し、英雄もヒロインも己れの運命を生きるさまに見ゆ。世界を征服するアイテム「指輪」をめぐる争ひが、種族間の抗争を生み、「指輪」が無に還元される中で世界の滅亡へと至る構図は、『古事記』のみならず上代古典になし。『万葉集』とあるやうに万世、木の葉のごとく繁栄せよとの願いこそあれ、世界規模の滅びへのまなざしはなきものぞ。
 されば『RING』『Load』のやうなる物語を上古日本のうへに構築するは、どこかウソめきて見ゆるものとぞ思ふ。

 かくて日本版『RING』創作の構想はやぶれぬ。世界滅亡といふ世界観を日本人は持たぬめり。『日本霊異記』のやうに因果を説くもの、また中古より末法思想あればそを説くものはあめれど、人みな受身の姿勢にしあれば、滅びの運命と向きあふドラマとはならざりき。かかればこのたびの中東の戦争にむかひての日本の姿勢もあのやうなるやはらかな体になりぬべし。

花に嵐 第二

4/6,2003

 入学式の日に、雨降り、風いたう強く吹きぬ。花盛りに咲きければ、心やすからず。3号館校舎揺れむばかりにて、べうべう音はげしかれど、花の枝たはむばかり、散ることなし。花こそいへ、はかなく散るものにたとへれど、かくばかり風にたへるものならむや、世にある者もかくあらまほしかりけり。
 さはいへど、新入生にはいたはしき天気なりけり。
 明くれば、風いまだやまねど、ピーカンに晴れつ。祖父の50回忌、祖母の35回忌、父の三回忌おこなひつ。父の病床にありて、家の花見むとすれど、外泊の許しを得ざれば、病室にて、孫娘の手折りし花の枝を愛でたり。その月に逝きたれば、いつになくおだやかな父の言葉また顔ぞあはれなる風情にて、花ながめて思ひ出したり。
 夜『バイオハザード』見つ。女主人公のみぞ見るべき映画なり。

ゆかしきもの『ドラえもん』の映画 第三

4/10,2003

 古典講読の授業の準備をせむとて、まづはテキストを読まむと思へど、この授業ははじめアニメを講じたれば、かずかずのアニメを見るべきものなり。さりながら草紙と違ひてナナメヨミえせざれば、はじめよりVIDEOorDVDをかけてベタで見るゆゑに時間こそかかれ。けふは朝より『ドラえもん―のび太と銀河超特急ー』『美少女戦士セーラームーン』などを見はべりき。
 「銀河超特急」はかつての作なれど、一昨日見はべる昨年の作品「ロボット王国」などよりゆかしく思ゆ。ゆかしきゆゑは、これは『銀河鉄道999』を本とし、さまざまな先行作品の要素をなひまぜたる造りにてあるにこそ。背後に流れるメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』の音楽もおもしろし。
 映画版の『ドラえもん』は、のび太のTV版(彼らの日常空間)よりヒーロー的キャラに変身することこそあはれならめ。しずかちゃんものび太とラブラブモード的展開をさりげに出し、パンチラ&入浴シーンもあればよろし(あな、これを授業中ビデオをかけて見せればセクハラにならむや(^^)。五でうの姫宮に叱られぬべし)。ジャイアンなどもTVなどより男気を出し、彼らのさまあたかも戦隊物みたくなりぬ。『セーラームーン』『ハリケンジャー』などを好むとおなじゆゑにぞ、ゆかしく思ふなる。

古文単語 ゆかし形容詞。形容詞はものごとの様子や状態を示す機能をもつ単語。語末が「―し」で終わるのを特徴とする。「ゆかし」は語の中心は「ゆか」にあるが、これを動詞にすると、「ユク」(行く)になる。何がユクのか。心がユクのである。そのものが、心がユク状態にあることを意味する形容詞で、「興味深い」とか「おもしろい」という現代語になる。

風の章 第四

4/12,2003

 風いたう吹きぬ。この春の風吹く日多きは、いかなるゆゑにや。洗濯物干したる竿の帆に風をうけたる様にて、ふわと浮かび、そのまま落つるなど、かの日野山の隠居入道の書き残せし、つむじ風のことどもおもほしたり。
 風強ければ、外にも出ず、教材研究と称して『忍風戦隊ハリケンジャー シュシュとTHE MOVIE』など見つ。抱腹絶倒、心地よき映画にぞ。東映時代劇に歌舞伎を混ぜたるものにて、ツッコミの入れ放題、教材として扱ひやすきものにはべり。台詞の歌舞伎調の素人くささも安う見ゆることもほほゑましく、主人公ら登場して見得をする時になにゆゑか背後で極彩色の爆発が起こりしも、こは歌舞伎でのツケを打つのに等しき。シュリケンジャーの戦ひの途中にて顔を変えるなど、歌舞伎のブッカヘリのさまなり。主役三人の、薄絹をかざして登場するは『桃太郎侍』を思はせ、ハリケンジャーの野球ワザは『男どアホゥ甲子園』か『ドカベン』か。最後には登場キャラのテーマソングを歌ひ踊るレビューまで付きて、30分ばかりの映画なれど、テンション高く元気出る映画なりき。次は『ハリケンジャーVSガオレンジャー』など見むとこそ。

近江のひと 第五

4/19,2003

 近江のや 人をもとめて ほととぎす      惟光
など句にもならざるたはごとなれば、三条の宮の一路大人より難ぜらるるべけれど、みどりもあざやかなれば、そぞろ神も憑きがてにそぞめきて、目やすき人といづくにゆきて春を惜しまむ思ひぞしつる。さりながらしつべきことどもの多くあれば、え行かずなりにけり。やがて夏も立ちぬべし。

日野山の隠居入道の 第六

4/20,2003

日野山の隠居入道の、行く河の流れに無常を例へしことどもの中に、すまゐのうつろひゆくを、いとどあはれに書きあらわすことなどをかしけれ。今宵阿佐ヶ谷がり行きて、かつて通ひしラーメン屋の失せてアパレル屋になりにけるを見るに、思ひ出もまたうつろひゆく心地ぞする。あるはまた選挙に行くとて母校の小学校がりゆくに、かつてある家、壊され、木々も切られて、ただ平たくなりにければ、そのころ大きなる家の木の陰、道にひろがりて、夏には涼をもとめつつ心寄する童女と遊びけることどももなむ、夢のごとく思ゆる。人こそ移れ、家のあるは心安かるべし。かの入道の言ひしことどもことわりなりける。

数寄者の集まりて 第七

4/22,2003

数寄者の集まりてもの言ふこそ楽しけれ。としごろ考へつることどもを語り聞きするは、日ごろのつかへのうきことより、一時遁るる心地ぞする。まして酒たうぶなどして、ねむごろにせば、え言はぬ思ひも口の端にまぎれ、たまりつるものも消うせぬぞかし。

さいつころいささかありて 第八

4/23,2003

さいつころ、いささかありてくさりをるに、六でうゐんのいへの子どもに外にいざなはれてありきす。風冷たけれど、草萌え出づる野の原の広がりたるながめに、雲の隙より西日のあかく射し入りて、旅情あふるるばかりなり。河原には菜の花咲きひろごり、水清らに、八重桜を映す彼方には、観音堂の朱も鮮やかにて、もののあはれとはかくこそ言へと、時うつるまであそびけり。さればたまりたるストレスもいづくにか去りて、心安う寝たり。

相聞 第九

4/28,2003

  六條院建時日文生贈歌一首
薄紅 重積 八重桜 於恋香 揺菜之花
  惟光答歌 一首
菜乃花乎 揺佐牟登弖夜 今日亦 此之短夜尓 孤明寒

みどりの日 第十

4/29,2003

昭和の大みかどのあれましし日には特別の思ひぞありける。かむあがりいましし年のこの日もまた風つよくありけれど、今年もまた風いたり。まして思ひいださるるなり。けふは家のものどもも外に出でたれば、節句の飾りなどし、いまだ冬眠より起きざる亀を呼び起こし、2匹の猫とたはむれ、あとは論文なんど書きてすごせば、心安くすごせり。風ふきて空あをく、みどりかかやく陽射もすでに夏の気配なれば、ほととぎすいまだ鳴かざれども、気ばかり夏の心地す。


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