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早くも梅雨が明けました。
今年は昨年より、20日も早かったとか。
今年は、長く、暑い夏になりそうですね。

日本の話藝

(7月16日)
なんか、最近、調子でないな…
ま、そんなこともあるか…
日溜日記:6月24日更新
学生さん、連れて上野で何してきたんですか?
講談を聞きにいったんだよ。
講談?
落語はわかるよね?
それと似ているんだけど、話の内容が……そうだなあ、例えば平家物語の話だったり、太閤記(豊臣秀吉の一代記)の話だったりするの。
面白かったですか?
つまらないわけないでしょう?
学生にもウケてたし、「もっとわからないモノかと思っていたら、笑えた」っていってたし。
前座を務めた講釈師さん、東海大の建築出身だったりして親近感もあったみたい。
どういう点が面白いんですか?
まあ、理屈的にいえば、話芸なんだよ。語る技術。声の調子や話のリズム、間のとり方。
序破急や声の高低、拙速など、いろいろあるんだろうけど、
今回、聞きながら思ったのは、コレって授業に使えるよなーってコト。
え?
どんなふうにですか?
日文には教員志望の学生がいるから、まず話芸を盗む。
それに、例えば『源平盛衰記』なんか聞くと、『平家物語』の登場人物なんか覚えるし、かつての日本人なら誰でも知っていたはずの知識を、楽しく覚えられるんだよね。
とくに、その知識ってわれわれが教えるときの前提になるべき知識であったりするわけ。
日文の学生の教養かもしれないな。
なるほどぉ。
って、納得されるのもなー…
講釈・落語ってアカデミズムと反対の場所に位置していたはずなんだよね。
それがアカデミズムの基礎になるっていうのは…
この想いはどこにむけたらいいんだろ…
アカデミズムと反対の場所って?
講談や落語って中身は本来「いいかげん」なんだよ。もちろん講釈師も噺家も勉強はしているよ。その上で「いいかげん」な中身を作って古典世界の中身をわかりやすく広めていたのね。
で、教育機関では、その「いいかげん」な知識と対極の「立派な」知識を与えていたのだけど、寄席が古典芸能の世界にはいっちゃって消えちゃったものだから、アカデミズムも消えちゃったの。
あ、ここでいうアカデミズムって文学部の話ね。文学部の凋落と寄席から発信されていた通俗的教養の衰退とは比例しているんじゃないかなぁ。
なんか、話が難しくなってますけど。
日本文化学科という名称をよく見るけど、
考えてみたら、日本文化が失われたから、
そういう名称が出てきたのかもね。
じゃあ、日本文学科は絶滅?
東海大学の日本文学科があります。
天然記念物としてがんばるぞ!
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