四谷のお祭りと四谷担ぎについて

須賀神社は、寛永11年(1634)に現在地に稲荷神社として赤坂の一ツ木村の鎮守を拝領し移し奉ったものと伝えられています。

その稲荷神社に神田明神社内に祀って有った日本橋伝馬町の守護神「須佐之男命」(すさのおのみこと)が寛永21年(1644)6月18日に鎮座、合祀し御両社として祀る様になリました。

四谷のお祭りは、江戸時代よリ稲荷山宝蔵院天王社として四谷天王稲祭礼と云われており、二基のお神輿が六月十八日に上町を巡行し、お仮屋に安置され翌日には下町を巡行していました。祭礼中によく雨が降るので四谷の「雨降り祭り」とか一週間もお祭りをする事から四谷の「だらだら祭り」とか云う別名もある。
「四谷担ぎ」は、近年「江戸前担ぎ」(マンボ担ぎ)が台頭してからそれを区別するため昔より習い伝えられてきた担ぎ方を称する様になった。
「四谷担ぎ」の定義として伝える文献などなく、古老から若い衆に習いつたえられたものではっきリ(定義)されていないがここで簡単に定義付けをしてみたいと思います。

1.躰は、神輿を中心にすこし寄りかかる様に肩を入れ、腰をのばす事を心がける。
2.その時、手は基本的に台棒を支えるが、疲れたら腰に当てる様にしてぶらぶらと遊ばさない。花棒は、両手を首のうしろの棒に支える。
3.足は、スリ足でひざを深くまげないように歩くように進む、花棒は足をつっぱる様にする。
4.神輿は、左右に振れるが一人が胴の中にはいって前進を促すようにする。
5.担ぎの掛け声は、昔からの「サッサッサー、サッサッサー」「ドシタイ、ドシタイ」を中心に「オイサ、ホイサ、チョイナ」などいろいろと合い混ぜてもよい。
6.担ぎ手は、神輿(台棒)の上に乗らない事が四谷のお祭りの伝統である。(頭を除く)又、神輿の差し上げで四谷では、(台棒でなく)台座を差し上げる場合もある。

最後に、近年こそ「四谷担ぎ」と呼んでいるが、もともと江戸城下の祭礼は「ワッショイ」で担いでいたらしく、「四谷担ぎ」もその流れをくんでいるらしい。
現在では深川富岡八幡宮がワッショイで担いでいる。又、「四谷担ぎ」と同じ担ぎ方で熊野神社の「ちどり担ぎ」がある。
以上で「四谷担ぎ」の定義として幾つか上げてみたが、その時代、又その場所の状況に応じて、多少の修正を余儀無くされると思います。又、各町会の古老より伝えられてきたものがあるとおもいます。ここに書いてある定義は、けっして強要しようとしている訳ではなく、各町会の祭礼活動の参考にしていただきたいと思っています。

四谷青年連合会(平成十年五月)祭り講習会配布資料より

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