| 悩める魔女思想 ど こ か の 国 の 魔 女 著・よもぎの森 19 魔女の膏薬 |
目を開けると、天井が見えた。 一瞬わけが分からなくて体を起こすと、シーツがぱさりとベッドの脇にすべり落ちた。 近くで誰かが椅子から立ち上がる気配がして、続いて足音が近づいてきた。足音はあたしの寝ているベッドの脇で止まった。 あたしはなぜかぼーっとしていて、その足音の主を確かめることを思いつかなかった。 ただその人の足元だけを見つめていた。と、その人が身をかがめたので、あたしの視界に新たに腕も入ってきた。日焼けした大きな手が床に落ちたシーツを拾う。シーツの白さが、その人の手をやけに黒く見せていた。あたしは尚も、その動きだけを見つめていた。 「気がついた?」 その声で、初めて我に返って、あたしはタズトを見上げた。所々焦げた髪、煤のついた頬、火傷の負った腕、それらを見て記憶が一気に蘇ってきた。 ああ、マザーツリーが……。 あたしは両手に顔をうずめた。喪失感が胸を満たす。心がばらばらになってしまいそうな、あの嫌な感じがまた襲ってきそうだった。 「あれから――」 マザーツリーはどうなったのか? 「どれくらい経ってるの?」 あたしは寸前で質問を差し替えた。 正直、マザーツリーのその後を知るのが怖かった。 タズトはあたしの目を見ながら、一呼吸置き、ゆっくりと言った。 「二日」 「二日!?」 意識がなくなってから、自分としてはほんの一眠りくらいしかしていない感覚だった。長くても一日。 「あたし、二日間も眠っていたの?」 まさかそんなに長く眠り続けていたとは。 「全身怪我だらけだったし、あれだけ疲労していたんだから、当たり前だよ。どこか痛いところはないかい? あのひとたちから、たくさん薬をもらってあるんだ」 「どこもかしこも錆びついたようにギシギシしてるわ。けど、全然平気よ。それよりも、あのひとたちって、ターシャたちのこと? ここは……、ああ、そうね、ここはあたしの部屋だわ。タズトは魔女の家に招かれたのね」 人間であるタズトが、あたしたちの家に居る。この意味はかなり大きい。 「マザーツリーの消火活動に少なからず貢献したってことで、特別だ、と言われたよ。意識のない君をここまで運べるのが俺しかいないからとも言われたけど」 タズトはそう言って、はははと笑った。 それは違うわ。あたしは心の中で否定した。 彼女たちはあたしと違ってベテランの魔女だもの。あたし一人ぐらい魔法を使えばちょちょいのちょいで運べるはずだから。 とはいっても、やっぱり底意地の悪いターシャたちのこと、素直に「気に入ったから」なんて言うわけがないか……。ターシャたちの言動の意味が妙に納得できてしまい、笑いがこみ上げてきてしまった。 「あ、そういえば、俺をこの家に入れることに、約一名とても嫌そうにしていたな」 ……キエリだわ。 その時のキエリの様子が目に見えるように分かったので、こらえきれずにぷっと吹き出してしまった。キエリの人間嫌いは、そんじょそこらのことじゃ治りそうもないからなあ。 あたしが笑ったことでタズトも表情を和らげ、どことなく張り詰めていた空気が突然やわらかくなった。だから、さっきは怖くて訊けなかったことを、あたしは自然に切り出すことが出来た。 「マザーツリーはどうなったの?」 「火は消えたよ。あのひとたちが消してくれた」 それを聞いて、ようやくあたしの中で安堵感が生まれた。 「よかった……」 あの三人が来てくれたんだもの。最悪の事態は避けられたんだわ。 「ねえ、タズト、マザーツリーのところへ行ってみない? ターシャたちもそこにいるんでしょう。あ、心配しないで。あれだけの炎に焼かれたんだもの、マザーツリーが無事じゃないことは充分承知してる。だからきっとターシャたちはマザーツリーのために何かをしているはずだわ。あたしもマザーツリーのために何かをしたいから」 あたしの体調を考えてタズトは少し渋っていたけれど、二日間も寝倒したから平気だと言い張るあたしに結局は押されて、あたしたちはマザーツリーのところへ行くことになった。 外へ出ると太陽がまぶしかった。体力がかなり落ちていたので思った以上に山道を歩くのはつらかったけど、一刻も早くマザーツリーが生きているということをこの目で確かめたいという気持ちのほうが強かった。 けれども、あの場所で待っていたのは、そんなあたしの期待を打ち砕く現実だった。 雄大な姿で山々の自然に精気を与えていたマザーツリーは真っ黒い炭と化していた。梢部分はすべて焼け落ち、幹も以前の半分以下の太さしかなくなっていた。巨木の影はもうない。そこに立っているというよりは、黒焦げになった巨人の骨が地に突き刺さっているといった感じだった。 あまりにも悲惨な変わりようを目の当たりにして、あたしは愕然としてしまった。 覚悟していたとはいえ、まさかこれほどひどい状態のマザーツリーを、あたしは想像することは出来なかった。というか、想像の範疇《はんちゅう》をはるかに超えた惨状だ。 でも、そうだった。あの時の炎は大きく激しく燃え上がり、マザーツリーをおおい尽くしたのだ。荒れ狂う業火のごとき炎は、あたしのこの目に、心に、じりじりと焼けついて深い深い火傷を残した。 それなのに、ターシャたちが火を消してくれたと言われたことで、淡い期待を知らずに抱いてしまったのかもしれない。 あんな炎に焼かれて∞マザーツリーが∞生きているわけが 「――なかったんだ」 辺りに立ち込めている焦げた臭いで、いやおうなく暴れまわる炎の記憶が鮮明によみがえってくる。あれは夢なんかではなく現実にあったのだということを、目の前の光景があたしに知らしめる。 「これで、生きてるって言えるの?」 「ああ、生きてるよ」 きっぱりとした声にはっとして振り向くと、そこにターシャが立っていた。 かつてはマザーツリーの豊かな梢に覆われて心地よい日陰を落としていたこの場所も、今は打って変わって日の光がさんさんと降り注ぐ陽だまりとなっている。その光を吸い込んで、ターシャの髪が真っ赤に燃えていた。 「そんな情けない顔して……、あんたがそんなんでどうするんだい!」 泣きそうな顔をしていたあたしをターシャはピシャリと叱咤した。そしてマザーツリーに歩み寄ると黒焦げた幹をいとおしそうに撫でた。 「忘れたのかい? これはマザーツリーなんだよ」 「そうそう、だからあんたもぼやっとしてないで手伝っとくれ」 マザーツリーの影からトーニがぬっと顔を出し、おもむろにあたしに桶を手渡してきた。 ずっしりと重い桶の中には、スーッとした匂いのする軟膏がたっぷりと入っていた。 「これは?」あたしは訊ねた。 銀髪のトーニは三人の魔女の中では一番やさしい顔をしている。年月がトーニの顔にしわを刻んで優しい魔女へと変容させたんだろう。若い頃はきっとキエリみたいにきつい顔だったに違いないけど。 「おやまあ、この娘は名前と一緒に魔薬の知識も忘れちまったのかねえ! これはね、万能薬だよ。ミドリハッカ、スズラン、ニオイニンドウ、ノボロギク、ヒースに、アロエとドクダミ、マザーツリーの根元に群生していた苔と五つ葉のかたばみを混ぜた特性の万能薬さ」 トーニはそう説明すると桶からたっぷりと軟膏をすくいとって、それを炭と化した幹にすり込んだ。 「ま、火傷薬みたいなもんだよ。さ、やってごらん。あんたの分もあるからね」 そう言ってトーニはタズトにも軟膏の入った桶を手渡した。 手に取った軟膏に鼻を近づけてみると、爽やかなミントの中にどくだみのツーンとした匂いがかすかに混じっていた。 あたしとタズトは並んでマザーツリーの前に立つと、トーニがやったように幹に軟膏をすり込んでいった。真っ黒な炭の幹は、少しでも力を入れるとボロボロと崩れてしまいそうだった。 やさしく滑らかに掌を撫で付けるように塗りつけていった軟膏は、まるで乾いた大地が水を吸うように、みるみる炭の幹に吸い込まれていった。 こうすることで、マザーツリーの回復力を四倍も五倍も高めることができるのだという。 「といっても、元の姿に戻るのは何百年も先の話だろうがね」 そう言ったトーニの声は少し寂しげだった。無理もないわ。あたしたちの中でも、トーニが一番長くマザーツリーのそばに居たんだもの。トーニはあたしの生まれるずーっと前からこの山に居て、ずーっとマザーツリーを見守っていたのだ。 そんなトーニの悲しみの分も心を込めて、あたしは手を動かした。 昨日までの、あの雄大なマザーツリーの姿は、もう心の中にしか存在しない。生きている間に再び目にすることはないのだと思うと、とてつもなく寂しい気持ちになるけれど、あたしたちがこうしてマザーツリーを治療することで、後世に引き継がれる魔女の血脈の誰かが、あの素晴らしいマザーツリーを見上げることが出来るのだ。それはそれで、とても素晴らしいことだと思う。マザーツリーは生きている。 あたしはそう考えることで、自分の気持ちを慰めた。 「そういやあんた、今回はお手柄だったね」 我を忘れて作業に没頭していると、ターシャがあたしの肩を小突いてきた。 「へ、何が?」 「使いだよ。私たちのところにねずみの使いをよこしただろう」 あたしはあっと声を上げた。ねずみのことをすっかり忘れていたわ。 「それじゃあのねずみは、ちゃんと使いを果たしてくれたのね」 「何を言ってるのかさっぱり解読不能だったけどね」 ありゃりゃ。 「でも、ま、何かまずいことが起きたってことだけは伝わったから、とりあえず今回は良しとしようじゃないか。だいたいサリーは、基本がなってないんだよ。ことが一段落したら、また特訓だよ」 うぐぐ。 あたしは動物との意志疎通が、ものすごく苦手なのだ。動物が関わってくる魔法は、結局はそれを基盤としているから、全然ダメなのよね。 「それはそうと、ターシャ、これからのことだけど、どうする、あたしたち?」 「どうするって?」 「今回のことでよく分かったんだけど、里の人たちは魔女のことをとても憎んでいるわ。もちろん誤解なんだけど、魔女であるあたしたちがどう説明しても、あの人たちが勝手に作った溝を埋められるとは思えないのよ。里の人たちが求めているのは魔女がこの山から出ていくこと。あたしたちがここを出て行かなければ、山全体を焼き払うつもりだと言っていたわ」 「そんなことを言ってたのかい? あきれた奴らだね。里の奴らだって少なからず山の恩恵にあずかって生きているだろうに。山菜、きのこ、木の実、雉やウサギやイノシシ……、山を焼き払っちまったらそれらの恵みも得られなくなっちまうんだよ。そんなことも分からないとは――」 人間嫌いのキエリが、タズトに軽蔑のまなざしを送った。 「あわれなことだねえ……」 キエリは人間にあやうく殺されそうになったことがあって、魔女の中でも特に人間嫌いなのだ。 キエリの嫌味ったらしい眼差しに射抜かれたタズトはすっかり萎縮してしまい、小さい声で「すみません」とつぶやいていた。 「憎しみが強すぎて、目先のことしか見えなくなってしまっているのよ」 あたしはすぐさまタズトの弁護に回った。「それに、タズトはあいつらとは違うわ」 キエリは、おやまあ、という顔をした。 「タズトは、あたしにとてもよくしてくれたのよ。人間たちにつかまって檻に閉じ込められた時も、それも最低最悪に汚い檻によ! あたしを助け出してくれたのもタズトだったし、マザーツリーのことを本気で助けようとしてくれた。だからあたしは、これからどんなことがあろうとタズトを信頼することに決めたの。人間はみんな『愚かで悪い奴』とひとくくりにするのは間違ってると思う」 「まあまあ、そんなに興奮しなさんなって」 一触即発の雰囲気にターシャが割って入ってきた。 「キエリだってこの人間を本気で疑っちゃいないよ。家に招きいれた時点で認めているんだからさ。そうだろう、キエリ」 ターシャはキエリを振り返って同意を求めた。キエリは渋々だったけどうなずいた。あたしはほっと胸を撫で下ろした。 「ま、そういうわけだ」 ターシャはあたしとキエリの肩をポンと叩いた。さすがは姉御肌、性格に少々難ありだけど、あたしたちのまとめ役だ。 「で、さっきのあんたの質問に戻るけど、人間たちのことはもう心配する必要はないよ。あいつらは二度とここへはこれないから」 「どういうこと?」 「ここいら一帯の磁場を狂わせたんだよ」 「あ、」 その手があったのね! ナイスな対策に、あたしはパチンと指を鳴らした。さすがターシャだわ。 ほら、方向感覚にそれほどすぐれていない人間でも、知らず知らずのうちにその土地の磁場に影響されているものでしょう。そもそも磁力に吸いつけられて大地に立っているわけだから。 つまり、人間も磁石なのよ。だから当然同じ磁極に触れれば反発というものが起きる。 それを利用してマザーツリー一帯の磁極を、人間に反発するように強めてしまえば、人間たちは絶対にマザーツリーに近づけなくなるというわけ。いわば、見えないバリアーを張ったようなものね。 これからは何の気鬱もなしにこの山に居られるのだと思うと、嬉しさが爆発して、あたしはターシャに抱きつこうとした。その時、 「だとしたら、俺も来れないようになっちゃうんですか?」 不意にタズトがつぶやいたので、あたしはピタリと動きを止めた。 そういえば、そうだった。 魔女たちがこの山を出るにしろ、あいつらをここから閉め出すにしろ、あたしとタズトは離れ離れになってしまうんだわ。 今後の話を持ち出したのはあたし自身だけど、はっきり言ってそこまで深くは考えていなかった。 せっかくこんなに仲良くなれたのに、タズトと二度と会えなくなるのは、ちょっと、さびしい、かも……。 「そうだねえ、あんただけ例外ってわけにはいかないだろうからねえ」 ターシャが肯定すると、タズトは目に見えてはっきりと肩を落とした。あたしも同じように肩を落としたい気分だった。 「――でも、まあ、最終的にはサリー次第なんじゃないの?」 急に話を振られて、あたしは意味が分からずにきょとんとしてしまった。 「えーと、あの……、どういうことかしら?」 「簡単なことだよ」 ターシャは意味深な目であたしを見つめ、にやりと笑った。あたしはぎくりとなった。 ターシャがこんな顔をした時は、ロクなことを言ったためしがない。続きを聞くのもイヤ〜な予感がして、口をつぐんでいると、 「何か方法があるんですか?」 何も知らないタズトが無邪気にターシャを促してしまった。 ターシャの微笑がさらに妖しいものになり、ふふふんという笑い声をもらしたかと思うと、 「あんたとサリーが結婚しちまえばいいのさ」こともなげに言ってのけたのだ。 「け、結婚!?」 「ですって!」 あたしとタズトの仰天が重なり、その声にびっくりした鳥たちがいっせいに飛び立つ音が山をにぎわせた。 |
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