| 悩める魔女思想 ど こ か の 国 の 魔 女 著・よもぎの森 1 あたしは誰? |
木肌の温もりを感じた。 最初に目についたのは、使い込まれて丸くなった木の机の角。 気がつくとあたしはそんな古びた机に頬杖をついていた。ただそうやって、何もせずに座っていた。 あれ、あたし、今まで何をしていたんだっけ? ぼんやりとそう思った時、誰かに名前を呼ばれたような気がしたから、後ろを振り返った。するとそこに一人の魔女が立っていた。 なぜその女の人が魔女だと分かったかというと、その人が魔女の格好をしていたからだ。 たっぷりとした袖がだらりとさがった黒いワンピースに、灰色のショール。 腰に奇抜な模様のはではでスカーフを何枚も巻きつけ、両手首には細い腕輪を何本も重ねていた。歩けばきっと、しゃらしゃらと音が鳴るのではないかしら。 腕輪だけでも装飾過多なのに、十本の指には余すところなく指輪がはめられている。中でも特に目を引くのが左手中指の指輪。キャッツアイだろうか、金色の台にうずらの卵ほどもある大粒な石がはめ込まれていた。 え? だからなんでその格好が魔女なのか、ですって? うーん、なぜって言われても、あたしには分かるのよ。 ここは家の中のようだから、ローブも三角帽子も被っていないけれど、その女の人が魔女だってことが。 とはいえ、さっきから何かがあたしの中で引っかかっている、のだけれども……。 それがなんなのかは、分かりそうもなかった。そもそも、それ≠サのものが漠然としているというか……、この奇妙な感じはなんなのだろう。 「――どうしたのさ、ぼーとしちゃって。さっきから何度も名前を呼んでるんだよ」 魔女はそう言って、あたしの肩に手を置いた。あらためて魔女を見ると、猫目石のようなちょっと乳白色がかった緑の目と、燃えるような赤い髪が目に飛び込んでくる。奇抜ファッションに負けず劣らず派手な顔立ちだ。けど、すごい美人。三十代くらいだろうか。目が、どんぐりのように大きいわ。 それこそ吸い込まれるように魔女の顔を見つめていると、そんなあたしに最初こそ訝しげに眉を寄せていた魔女が、不意に相好を崩し「さては寝起きだね」と言って、あたしの頭をぽんぽんと優しく叩いた。思ったとおり、腕輪がしゃらしゃらと鳴った。 「まあ、いいさ。お茶の時間だよ。お茶でも飲んで頭をすっきりさせるんだね」 口調は乱暴だが、とっても優しい声だった。まるでお母さんみたいだ。 なんとなく甘えたいような気分になりながら、魔女に促されるまま部屋を出ると、ドアの向こう側はとても懐かしい感じのする居間になっていた。 床も壁も無垢材が使われていて、部屋中に木の香りが漂っている。壁に飾られたハーブのリースが甘い香りを添えていて、決して広くはないけれども、居心地のよさそうな空間だ。 むき出しの梁が縦横に走る天井からは、アイアン製のランプ照明や藤カゴ、ニンニクやハーブや干し肉といった食料など、さまざまなものが吊るされていた。 奥のほうはキッチンになっているらしく、クッキングストーブと作業台が置かれている。その部分の壁だけにレンガがはめ込んであり、くくりつけの棚にずらりと並べられた透明の瓶の中には、カラフルなビーンズやコーン、乾燥ハーブや、何か……小さな焼き菓子のようなものが入れられていた。 中央には使い込まれて飴色になった一枚板のテーブル、それと同じ色合いの椅子が両側に二脚ずつ、背もたれにはキルトの小さいクッションが置かれて、二人の魔女がそこでゆったりとくつろいでいた。一人は二十代くらいの若い黒髪美人で、頭にターバンを巻いている。もう一人はぽちゃぽちゃとした五十代くらいの優しそうな魔女だった。二人とも黒っぽいワンピースにショールという格好で、やはり赤毛の魔女に抱いたのと同じような違和感があった。どことなく、古めかしい、ような……。 クッキングストーブの上に置かれた琺瑯《ほうろう》のヤカンがしゅんしゅんと音を立てると、ターバンを巻いた魔女が立ち上がり、ティーポットにお湯を注いでお茶を四人分用意してくれた。 「ほら、つったってないで『……』も座ってお茶を飲んだら?」 一足先にテーブルについた赤毛の魔女が、あたしを手招きした。けれどもあたしは、他の二人の魔女の存在に気おくれしてしまって、突っ立ったままでいた。 「んん、あの子、どうしかしたのかい? さっきからぼーっとしたままだよ」 いつまでたってもテーブルにつかないあたしを見て、ターバンの魔女が赤毛の魔女にささやきかけた。 「寝ぼけてるだけだろう。今までずっと寝ていたみたいなんだよ」 「あらあら。昼食後に、魔法の探求するとか言って部屋に引っ込んだんじゃなかったっけ」 そう言ったのは、一番年上の銀髪交じりの魔女だった。 「だからお腹いっぱいになって眠くなったんだろう」 「ははあ、どうりで午後から静かだったわけだ。『……』が魔法の探求を始めると、かならずといっていいほど騒動がおきるのに」 「小さいのから大きいのまで、色々やらかしてくれるからね」 「一番驚いたのは、やっぱりあれ」 「サボテンに超音速級の翼をつけたやつだろう」 「ああ、あれはひどかった」 三人の魔女は、同時にうんうんとうなずいた。 「捕まえようにも、相手はとげとげの凶器そのものだから、触るに触れないんだよ」 「天井を突き破って外に飛び出そうとした時は、こっちの心臓が飛び出すかと思ったよ。屋根までは突き破れなくて自滅してくれたから良かったものの」 「もしあれが岩石だったりしたら――」 「それこそ大惨事になっていたね」 「おおお、想像したら、おぞけが走った。くわばらくわばら」 「でも、せっかく手に入れたバラ砂漠のサボテンだったのに、もったいなかったねえ」 「もったいなかったねえ」 三人の魔女は再びうんうんとうなずいた。 「……そういや今日の午後は、やけに仕事がはかどると思っていたんだよ」 銀髪の魔女がしみじみと言うと、他の二人がどっと笑いこけた。 「つまり『……』は、あれから三時間近くも眠りこけてたわけだね」 「そりゃあ『……』らしい」 「たしかに『……』らしい」 そして三人は、やはり同時に高らかな笑い声を上げた。 かしましい三人のおしゃべりは、いつ聞いてもうんざりとする。この人たちの話に花が咲くのは、決まってあたしのことを話題にするときなんだ。 うんざりと溜息をつこうとしたとき、あたしはふと、ある重大な事に気づいてしまった。気がついたとたんに、背中がひやりとした。 三人の笑い声に負けないように、あたしは大声で叫んだ。 「ねえ、そういえばあたし、自分の名前が分からないわ!」 三人はピタリと笑い声を止めて、あたしを振り返った。 「なんだって?」 六つの瞳がいっせいにあたしに集められた。あたしはごくりとノドを鳴らした。 「だから、自分の名前が分からないんだってば!」 「はああ?」 温かいお茶と甘いお菓子を囲んでの、くつろぎのひとときに沈黙がおりた。 赤毛の魔女が銀髪の魔女に目配せを送った。それを受けて銀髪の魔女が黒髪の魔女に目配せを送った。黒髪の魔女が赤毛の魔女に目配せを返して、ちょうど視線が一周した。 三人はお互いに顔を見合わせて同時につぶやいた。 「記憶喪失?」 そしてまた沈黙。 「ひょっとして、ここはどこ∞私は誰=Aってやつかい?」 赤毛の魔女が三人を代表して、あたしに質問してきた。 「うーん、そういうのとはちょっと違う気がするんだけど……、しいて言えばここはどこ≠ゥは分かってる。……ような気がする」 「もっと自信をお持ちよ。自分のことだろうに。つまり、分からないのは自分の名前だけってことなのかい?」 赤毛の魔女は業を煮やしかねていた。大きな緑色の瞳が細くなったり大きくなったりして、まるで猫みたいだった。 「多分……、ハッキリはしないんだけど……、そうだと思う」 「本当にハッキリしない子だねえ。まあ、それは前からだったけど」 赤毛の魔女が短気だってことはハッキリ覚えてるわよ。あたしは心の中で舌を出した。 「名前だけ分からないんだったら、方法は簡単。あんたの名前は『……』だよ。ほら、もう解決」 あたしは口をつぐんでうつむいた。どう説明したらいいんだろう。 「あのね、つまり、聞こえないのよ」 「はあ?」 また訊かれて、あたしはさっきよりも詳しく答えた。 「だから、自分の名前の部分だけ聞き取れないの。名前を呼ばれているのは分かるんだけど、自分の名前のところになると、途端に声が消えちゃうというか、あたしの耳が聞こえないだけかもしれないけど」 「えーと、つまり、『……』が聞こえないってわけかい?」 あたしは頷いた。 「『……』!」赤毛の魔女が何か(多分あたしの名前)を叫び、あたしの顔をまじまじと覗き込んで言った。「どうだい、聞こえたかい?」 あたしは首を横にふった。それを見て、三人の魔女はまた顔を見合わせた。にわかに、あたしの異常に気づき始めたらしい。 「私の名前は『ターシャ』っていうんだよ。これは? 聞こえたのかい?」 「うん、聞こえた。あなたの名前は『ターシャ』ね」 「私は『キエリ』」 「私は『トーニ』だよ」 赤毛の魔女ターシャに続いて、ターバンの魔女が名乗り、最後に一番年上の銀髪の魔女が名乗った。全部聞き取れる。 ようするに、自分以外の名前なら聞こえるというわけだ。 「どうやら問題は深刻らしいね」 ようやく事の重大さを悟ったターシャが、胸の前で腕を組んで唸った。 「昨日飲ませた腹痛の薬が悪かったのかねえ……」 「腹痛?」 「なんだい、つい昨晩の出来事なのに、それも忘れちゃったのかい?」ターシャは続けた。「『……』は昨日、食い意地はって木イチゴのパイを丸ごと平らげてお腹を壊しちまったんだよ。で、私が腹痛の薬を調合して飲ませてやったんだけど――、やっぱりあんた記憶喪失なんじゃないのかい?」 名前以外なら、自分のことはちゃんと分かっている。ただ、全てがぼんやりとしているだけだ。 言われたことに対して、細かく区分けされた記憶の引き出しの中から、そのつど該当する記憶を引っ張り出してくるような感じ、と言ったらいいだろうか? 「何かに強く頭をぶつけたりしなかったかい? あんたドジだからねえ。水汲みに行って滑って転んで石の角に頭をぶつけたとか、あんたならやりかねないよ。そういえば魔法探求だなんて言って、部屋に閉じこもって一体何をしていたのさ」 「まさか変な魔法でも試してたんじゃないだろうね」 不審な顔でトーニに言われて、そういえばさっき部屋で何をしていたのだろうと思い返してみたら――記憶が真っ白だった。 お昼を食べ終わった後(今日のメニューはスパイシーな鶏肉だったわ!)何かをしようとして部屋に入ったことは、なんとなく覚えている。それから、ターシャに声をかけられるまでの間の記憶が、きれいさっぱりと抜け落ちていた。 その事実に、心臓がひやりとした。 それが顔に出たのだろう、ターシャが目を細めた。 「ははあ。どうやら当たったようだよ。まったくドジな子だね、自分の名前を消しちゃうなんて!」 ターシャの結論に、キエリとトーニが「なるほどねえ」といった顔を見合わせて、やれやれと肩をすくめた。 「ど、どういうこと?」 「あんた、何かの魔法を使って、自分の名前を消しちまったんだよ」 ずばり言われて、あたしは言葉もなく、すがるような思いで、ただただみんなの顔を見回していった。 「けれど自分の名前が分からないってのも、不便な話だね。その奇妙な魔法が解けるまで、別の名前でも名乗ってたらどうだい」 「解けるのかしら?」 あたしの中に、小さな希望の火が灯った。 「あんたがどんな魔法を使ったかが分かれば簡単なんだけどね」 とたんに希望は消え去った。 記憶のかけらでも残っていればいいんだけど、見つけようにも頭の中が溶けた飴みたいにドロドロとしているのだ。その中から記憶を拾い出してくるのは、不可能なように思えた。 「まあ、思い出さない限り難しいだろうね」 「そんな……。じゃあ、あたしが思い出さなかったら、あたしは一生このままってこと?」 「そうと決まったわけじゃないけど、他に言いようがないから言ったまでのことさ。なあに、他にも方法はあるだろうから、あんまり落ち込むんじゃないよ『サリー』」 「サ、サリー!?」 突然名前を呼ばれて、あたしは目を白黒させた。 「だって、名無しのままじゃ不便だろう。魔法が解けるまでの間、あんたの名前は『サリー』に決まりだ!」 実にさばさばと、ターシャは宣言した。 ちょっと……、これはさすがに、ひどくない? なんだかあたしはカチンときてしまった。 自分の名前が聞こえなくなって、あたしはひどくショックなのに、これでは軽くあしらわれたようじゃないの。 「あたし、ちょっと散歩に行ってくるわ」 これ以上この三人と一緒にいてもバカにされるだけのような気がして、あたしは逃げ出すことにした。見た限りあたしが一番年下で、下っ端って感じだけど、バカにするにもほどがある。しかも、こんな時に。 もうちょっと親身になってくれてもいいんじゃないかしら。 「マザーツリーのところに行くのかい?」 ぷりぷりしながら戸口に向かい扉に手をかけたとき、後ろからキエリが声をかけてきた。 「山に入るのならくれぐれも人間には気をつけるんだよ。あいつら<魔女除け>とかいって、鉄を持ち歩いてるんだよ。ただ持ち歩いてるだけならいいものを、鍬や斧はモロに武器だからね。いきなり襲いかかってきたら、下手な魔法で対処しようなんて考えずに、とにかく逃げるんだよ」 「そういえばキエリは、つい最近、人間に殺されかけたんだよね」 トーニの声が、思い出したように物騒なことをつぶやいた。 「まったく迷惑な話だよ。無知な人間どもめ、魔女を目の敵にしやがって。私たちが一体何をしたっていうのさ!」 キエリはそう吐き捨てると、さまざまな口汚い言葉で人間を罵った。 「だからサリーも、人間を見かけたらすぐに身を隠すんだよ」 キエリの口調はとても親身だったけれども、とてつもなく頭にきていたので無視して外に出て行こうとした。けれども途中で思い直して、あたしはみんなを振り返った。キエリの言ったことで一つだけ気にかかったことがあったのだ。 「ところで、鉄って<魔女除け>になるの?」 そんなことは初耳だ。いつから魔女は鉄が苦手になったのだろうか。 ひょっとして、あたしも鉄を向けられると吹っ飛んじゃったりするのかしら。そう考えて幾分不安になったあたしに、三人の魔女は口をそろえてこう答えたのである。 「もちろん、なるわけないだろう」 天井から吊るされたアイアン製のランプが、笑うように揺れた。 |
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