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パン屋 著:K.S様 昭和30年代。 食生活が和風から洋風に転換が始まったのがこのころである。 昭和30年にパン焼き機(トースター)が発売されると、主に都市部を中心にパン食が広まったといわれている。 高度成長期、長距離通勤をするサラリーマンの朝食としてご飯を炊くよりも簡便で栄養も取れるとして日本人の食生活に少しずつ入っていった。 もちろん当時はコンビニもスーパーマーケットもなかったので、新興住宅地や団地などの商店街にはパン屋が一軒はあった。 都市部が中心で、農村漁村ではまだまだ米食が一般的であったという。 東京のベッドタウンのとある町の駅前商店街。私鉄沿線の典型的な新興住宅地である。昭和30年代に入り急激に宅地化が広がった地域である。 この町の商店街にも御多分に漏れずパン屋は存在していた。 ここのパン屋は商店街の一番隅にあり、製パン工場の一部を改装した感じの店内にたくさんのパンが売られていた。 この店は食パンやコッペパンなどが中心で、菓子パンや惣菜パンはあまり置いていなかった。あくまでも主食の一つとして考えていたので、それ相応に食パンなどがメインで販売している。製パン工場を併設している場合は多くがそうであった。 当時でも菓子パン類は存在していて、アンパン・メロンパン(現在のようなしゃれたものではないが)・甘食などが売られている個人経営風の店も結構あった。 この店のある駅から毎朝多くの通勤客が東京へ向かって働きにいっている。この町のパン屋はこの地域のサラリーマンの方の朝食には欠かせない店であった。 そのため一日中買い物客でにぎわっていた。 買う人が多いと、作るほうも大変であり、朝早くからパン生地をこね、パンを焼くのも社員総出である。 手作りの食パンなので一日に出来る量が限られる。今のように大きな工場でのオートメーション製造のようには行かない。 けれど小さいパン工場の手作り食パンだからこその「本物の味」が味わえるのである。だから焼きたての風味が丸一日くらいは維持される。 「丸一日くらいは」と書いたが、現在大手メーカーから販売されている食パンは常温でも数日はもつ。けど無添加で手作り製造したパンは残念ながらそれほどはもたない。 けど本物の味がして、作り手の真心すらも感じ取れる。製造技術と輸送技術の発展で同じような品質の食パンが大量生産されている現在だが、並程度の味である。 やはりパン屋のパンには勝てない。だからこそ現在でもスーパーマーケットで自家製パン工房を設置しているところも多いの もこういった昔の回帰があるのだろうか。 そんな手作りのパンだからこそ素材そのものの味が楽しめるのであるが、残念ながらすぐに硬くなってしまう。 けどそんな時代であっても庶民は色々工夫して食べている。 電気がまや鍋に入れて(当時は電子レンジがなかった)蒸かして食べていたのである。また食パンの耳を油で揚げるとおいしいお菓子にもなった。 食卓に出回ったばかりの昭和30年代のパンであったが、こう考えてみると今のパンよりもおいしかったのかもしれない。 今でこそバラエティー豊かなパンがスーパーや小売店で出回っているが、素朴ながらも作る人の心がこもったパンのほうがずっとおいしいはずだと思う。 【完】 参考資料:昭和の時代(小学館) この作品の著作権はK.Sさんにあります。転載はご遠慮ください。 |
K.Sさんから90000HITと相互リンク記念に小説をいただきました。
K.Sさんのサイトでの企画に「寄贈小説商店街」というものがあり、 昭和30年代の商店の小説を相互リンク先の方へ記念に贈られているそうです。 うちはパン屋さんをいただきました(^^) そういえば私が子どもの時にも、近所に小さなパン屋さんがありました。 その場で食パンを希望通りの枚数にスライスしてくれるんです。 甘食、懐かしいです。給食にも出てたなあ。 今でもたまに買ったりしてます。まわり近所では『でべそパン』とか『UFOパン』なんて言っていました。 素敵な小説をありがとうございました! K.Sさんのサイト『電網町一丁目商店街』 企画ページ『寄贈小説商店街』 |
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