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ここは柳橋歌舞伎のページです。
柳橋歌舞伎は、約300年前の江戸中期、農民が秋の収穫に感謝するために、 地区の菅布禰(すがふね)神社に奉納したのが始まりでした。 1965年(昭和40年)までは、住民が中心になって菅布禰神社の拝殿などに造られた舞台や野舞台などで演じられてきました。 1980年(昭和55年)『柳橋歌舞伎保存会』が発足したのを機に、上演が復活。毎年11月23日、柳橋地区内の郡山市農村生活中核施設「黒石荘」の中にある舞台で披露 してきました。 1983年(昭和58年)3月、郡山市指定重要無形文化財に指定されました。 公演復活後、保存会の会員の間には「いつか、野外で上演し、かつての素朴で開放的な野舞台を再現したい」との思いが強かった。 平成11年保存会発足20周年を記念し、35年ぶりに黒石荘広場に保存会会員や地元の方の手作りで「野舞台」を造り公演した。平成13年からは敬老の日の前日、常設の柳橋歌舞伎伝承館に於いて 公演をしています。|
隈取り 紅隈は善、勇敢若々しさをあらわします。藍隈、墨隈、代赭隈(茶)は、陰気な凄みや邪悪さをあらわし、役者によってアレンジされることもあります。また同じ役でも、場面での感情の変化によって、隈取が変わることもあります。役者は真っ暗闇でも隈をとることが出来ると言われています。
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定期公演 がんばっぺ郡山!!
2011年 9月18日 午後4時
黒石荘 柳橋歌舞伎伝承館
午後 4:00 開演
1 寿 式三番叟
2 義経千本桜 伏見稲荷鳥居前の場 (御舘中生徒)
3 神霊矢口の渡 頓兵衛住家の場
午後8:00 閉演
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平成22年度の定期公演は無事終了しました。
ありがとうございました。
NHKで公演の模様が放送されました。
このあと9月29日FCTでも放送される予定です。
2010年 9月19日 午後4時
黒石荘 柳橋歌舞伎伝承館
午後 4:00 開演
1 寿 式三番叟
2 義経千本桜 伏見稲荷鳥居前の場 (御舘中生徒)
3 菅原伝授手習鑑 寺子屋の場
7:30 閉演
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郡山市民俗芸能大会にて柳橋歌舞伎が上演
平成21年2月22日(日)
郡山市民文化センター中ホールにて柳橋歌舞伎が上演されました
演目は、《絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場》です。
これは、平成16年に全国地芝居サミットが行われたときの演目です。
今回は初菊と加藤清正が初舞台でしたが、無事演じきり見事な役者ぶりでした。
あらすじ
絵本太功記は、光秀(明智光秀)の謀反から滅亡までを物語ったものだが、
太閤記の中で一番良く知られているのが十段目で、太十と略称されている。
幕は、尼ヶ崎の光秀の母の家で、一子十次郎が許婚の初菊との仮祝言と
初陣を兼ねて盃を交わし戦場に出て行く。その後、夕顔棚の影より光秀が現れ
竹槍を作り湯殿に映る人影を障子越しに突く。光秀の家に旅僧が宿を借りて
いたが、光秀は旅僧を久吉(豊臣秀吉)と知って彼を狙ったのであった。しかし
引き起こしてみると以外にもそれは久吉ならず母の皐月であった。
皐月は痛傷に苦しみながら、光秀の非行を嘆き悲しみ諫めているところへ、傷を
負った十次郎が戻ってきて、敗戦の様子を知らせ、皐月と共に死んでゆく。
さすがの光秀も母と子を一度に亡くした悲しさは隠しきれず、大泣きに泣く。妻の
操は、光秀が善心に立ち返るよう諫言するが、光秀は聞かずに起こって立ち上
がる。そこへ久吉の軍勢が押し寄せてくる。が、光秀と久吉は、後日天王山にて
勝負の雌雄を決しようと約束をし、戦わずして別れて行く。
(注)歌舞伎では、羽柴秀吉を真柴久吉と呼び、明智光秀を武智光秀と呼んでいる。
平成20年度
本年の定期公演は、盛会のうちに終了しました。ありがとうございました。
当日の写真アップします。
| 写真提供
柳橋歌舞伎広報係 |
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| 駐在さんがパチリ | 義太夫と三味線 |
上2枚 桑島収氏提供
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