本格運行への胎動−学内バス運行実験

 前項のように計画された学内バスですが、昭和49年にいざ開学を迎えても、運行は開始されませんでした。前例のないこと、運転人員の確保が難しいこと、運行経費が巨額であることに加え、関鉄バスが大学構内に乗り入れ、学内バスの必要性が薄らいだことが原因でした。
 しかし、昭和51年には学内の交通に関して何らかの対策が必要であるとの認識がなされるようになりました。当時、学内では予想以上の自動車の急増に伴い駐車場不足が深刻な問題としてクローズアップされる一方、学生の運転する自動車が頻繁に事故を起こし、年に数件は死亡事故さえ発生する状態でした。
 そのような問題を解消するため、駐車規制や道路の改良などの対策が講じられましたが、それらの一環として昭和52年11月から4ヶ月間、学内バスの実験運行が開始されました。運行経路は図2に示すようなもので、始発8:30・終発17:15の15分間隔での運行でした。
 この実験には、トップドアの中型車2台(いすゞBK30自家用仕様車−−推定)が投入されました。
 現在の路線と比べると、敷地の東寄り・北寄りに路線が設定されていない点や、停留所の間隔が長い点に気付きます。


図2

 授業期間中の平日における利用実績は、運行開始直後〜2ヶ月後程度までは1日500〜1200人程度で、その後は連日1000人以上となりました。但し土曜日や休業期間中(冬休みなど)の利用者数は3分の1程度となっていたようです。

 昭和53年からはさらに路線が拡充され、図3の通り2系統の路線により敷地全域がカバーされるようになりました。北廻りが20分間隔、南廻りが15分間隔で運行されました。バスは3台に増車され、新たに路線仕様車(日野RE101−−推定)が投入されました。
 利用者数は1日平均で南回り603人、北回り411人となりましたが、1台当たりの平均では南回り・北回りとも同程度の利用者数でした。


図3

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