夏の光◆




 思い出すのは真っ赤な夕暮れの太陽。




        ―――強い日差し。
            ―――セミの声。


聞き慣れた呼び声。





「啓介」









夏の光









「おばあちゃんのところに?」
 大きな目を益々大きく見開く。
 零れ落ちそうなその瞳を、母親は微笑んで見つめる。
「そうよ、啓ちゃん。おばあちゃんのお家はお山の中で涼しいし、啓ちゃんも大好きでしょう?」
「うん。去年兄ちゃんと一緒にセミ取ったぜ。んで、一緒に花火やって。それで一緒に……」
「啓ちゃん」
 少しだけ困ったように、母は微笑む。
 喜び勇んでいた啓介も、その母の表情にちょっとだけ詰まった。
 母親がそんな顔をする時は、兄と全く一緒。ロクなことがない。実際よく似た顔立ちをした親子は、時々戸惑う程似た顔をする。
「今年はお兄ちゃんは一緒じゃないのよ……。でももう啓ちゃんも10歳だものね? 一人で大丈夫よね?」
「―――」
 途端に啓介の顔が凍りつく。

 一人?
 一人って…………ナニ……?




* * * *




「……だから。俺は大丈夫だってのに」
 本当か?と問い返す声は、笑っていない。本当に不安げだ。
 それが啓介のは癪に障る。俺が一人じゃなにもできないって、思ってるんだ。

 ―――寂しく、ないか。

 聞き慣れた声が問う。聞きなれてるけど、電話を通して彼方にいるその声は、遠い。
(寂しい……?)
 そんな、こと。
 寂しいに決まってる。おばあちゃんの家、なんて。たった一人で連れてこられたってどうしたらいいか分からない。辛いよ。寂しいよ。怖い。一人は嫌だ。
 一人はイヤ。イヤ。イヤだ。兄ちゃんにここにいて欲しい。
 ここに来て。傍にいて。笑いかけて。我儘聞いて。
 けど。そんなこと。
 ……言っちゃ、いけないんだ。
「俺は平気だってば……。兄ちゃんは、楽しいの、そのマザーキャンプとかって」
『マザーキャンプじゃなくて、サマーキャンプ』
「んなのどうでもいいじゃん」
 名目なんてなんでも一緒。兄を自分から引き離すものならなんでも同じに、憎たらしい。
『まあこんなものじゃないかな。別に出たくて出たんじゃないし……』
 相変わらずの冷めた声で兄は言う。元々行事関係にさしたる興味を抱かない兄だったが、中学生に上がる頃には完全に興味を失ったらしい。
 その兄は小学校で最大のイベント事である修学旅行には、いってない。何を隠そう自分がごね捲った末に、修学旅行当日に兄の荷物一式を焼却炉に放り込むという暴挙にでた所為だ。
 それで今度のことも、兄以上に両親が心配していた。

 ―――大丈夫よね?
 ―――啓介ももう十歳になったんだから。
 ―――お兄ちゃんと一緒じゃなくても。

 大きくなったら兄ちゃんがいつでも一緒じゃいけないの?
 なら大人になんてなりたくない……。

『……啓介?』
 数秒黙ったら怪訝げに問い返された。
「あ、ごめん。ちょっとぼっとしてた」
 慌てて受話器に向けて話しかける。元気な声。いつもの声。……少なくともそれを装った声で。
『なら、いいけど……。おばあちゃんに我儘言うなよ?』
「いわね〜もん」
『どうかな?』
「信用してねえな! 言ってね〜ったら言ってね〜」
『まるで言わなかったら言わなかったで啓介じゃないみたいで変だよ』
「…………ヒド…………」
 当ってるだけに一言もない。でもなんだか嬉しい。こんな会話の一つ一つが。
 大好き、なのに。
 いつでも傍にいたいのに。
 段々、少しづつ、それが許されなくなってきてるみたいな気がして、コワイ。
「俺……大丈夫だから、兄ちゃん」

(おばあちゃんが花火買ってくれた。これ兄ちゃんと一緒にやりたい)
(夕日、凄く綺麗だった。でも一人だったからつまんないよ)
(ここに来て。俺の傍いて)
(夜も怖い。しんとしてて、虫の音だけがして、真っ暗で)

 全部言葉を飲み込む。それだなんだか心臓の辺りでごろごろしてる。
 固まってしこりになって。
 息が、つまる。
『そうか。不安だけど、信用するよ。また電話かけるから』
「うん……」
 おやすみ、と挨拶を交わしてきれる。
 つーつーと、もう大好きな人の声は伝えず、電子音だけが流れている受話器を握り締める。

 ―――啓ちゃんが我儘ばっかり言うと、涼ちゃんは同じ歳の子とは何処にもいけないのよ?
 ―――仲がいいのは分かるけど、ね? いつでも何処でも一緒ってワケにもいかないの。

 でも兄ちゃん中学校通うようになって、一緒の時間も益々減ったのに。
 だから夏休みはずっと一緒がよかったのに。

 ―――啓ちゃん……。分かるでしょう?

 分からない。分かりたくないけど。
 でも多分そうなんだ。俺が我儘言うと兄ちゃんが困るんだ。だから……。

「……でも寂しい……」

 通じていない受話器に零す。背後で啓ちゃん、と祖母が呼ぶ。
 返事を、しないと。元気に。笑顔で。
 そうしないときっとまた心配する……。




* * * *




 み〜んみんみんみんみんみんみんみん。
 永久に繰り返されるかのような音。
「うるさい……」
 夏らしい光景も。青空も。草も。木も。
 楽しい筈の全てに、心が弾まない。
 夏なんか大嫌いだ。暑いのもなにも鬱陶しい。全部大嫌い。
「つまんね〜……」
 おばあちゃんの家に来ることは、大好きだった筈なのに。いつもう一日いたいと言っては親を困らせた。なのに、酷くつまらない。
 昨日はそれでもまだ、従妹の緒美もきていて気が紛れた。ずっと喧嘩ばっかりしていたし、何度こいつとは二度と口きかね〜と思ったかしれないけど。
 こんなんよりは、いい。

(泣くなよ)

「泣いてね〜よ」
 心の内に響いた声に対して言う。
 泣いたりなんてしない。もうそんな歳じゃないんだ。馬鹿にしてる。
「ちえ……」
 祖母の家は随分と田舎にある。こんな何もない土地、一人ではもてあますばかりだ。あぜ道を所在なげに歩きつつ、啓介は一つ溜め息をつく。

 ふと、空を見上げる。
 空が、赤い。
 山並の向こうに、まさに真っ赤な日が沈もうとしているところ。
「―――」

『綺麗だな』

 ―――声が、聞こえる。自分の心の声を代弁するように。
 一緒に、見たかった。自分が綺麗だと思うものを、一緒に綺麗だと、そう思って欲しかった。

「兄ちゃん……」

 ここに来て。今すぐに。
 今声が届くところにいたら、絶対にそう言ってしまっただろう。
 いて欲しい。寂しい。空っぽになる。コワイよ。

「兄ちゃん!」
「啓介?」
「―――!?」

 応じる声に、啓介は思いきりびびった。冗談ぬきで心臓が飛び出して転がったかと思った。
 最初、空耳かと思う。あまりにもその声を―――望んだから。
 だから、振り返るのが怖かった。もしも……本当にそうで。そこにその望んだ姿が、なかったなら。
 そうしたら……

「啓介……?」

 けれど。
 振り返った視線の先には、確かに―――その姿が、あった。
 もう丸2日以上見ていなかった、その見慣れすぎた筈の姿が。
 それでも最初まぼろしかもしれないと思う。まぼろしを呼んでもおかしくない程、その姿を望んでいたから。
「啓介……?」
 少し困ったような、少し驚いたような、そんな顔で。
 兄は、言う。
「どうして泣いてるんだ……?」
「え……?」
 啓介は言われて驚いた。
 自分が泣いている、なんて、全く思わなかったから。
 だが頬をふれると、確かに濡れていた。
「な……泣いてなんか……ない……」
「そんなだーだーに涙流して、何言ってるんだ」
 くすりと微笑む、兄。やっぱり……まぼろしでもなんでも……なくて……?
「兄ちゃん……?」
「他の何に見える?」
「……で、も……どうして……?」
 だって、兄はここから遥か遠く離れた場所にいる筈なのに。少なくとも昨日の晩には、そこにいた筈。なのにどうして今自分の目の前にいる?
 その奇跡のような現実が、信じられない。嬉しいのかなんなのかも分からないままに勝手に涙が瞳から零れ落ちる。
「泣くなよ。俺が泣かせてるみたいじゃないか」
「だ、から、泣いてなんてねえ」
 ごしごしと瞳をこするが、自分の意思を無視して涙は止まらない。

「―――啓介が、」
 ふと、啓介の瞳を覗きこんで、涼介は言う。
「呼んだ気がしたんだ……昨日」

「…………」
「『傍に来て欲しい』って……、聞こえた、気がした。違ったか?」
「……兄、ちゃん」
 どうして、そんな声聞こえるの。確かにそう心の中で叫んでたけど、絶対声になんか、出してないのに。
 なんでそうやって声を聞いてくれるの。
 どうして望みを叶えてくれるの。
 本当にいて欲しいと思った時には、いつでもそうして……当たり前みたいに。

 与えて、くれる。

「啓介……、泣くなよ」
 だって、止まらないんだ。嬉しい筈なのに。心臓が痛い。
(大好き……)
 もう充分好きだからこれ以上好きになる必要なんて、何処にもないのに。
 啓介はもう涙を止めるのを諦めて兄に抱きつく。
「こら……、啓介。濡れるだろ」
「だってとまんねえんだもん」
 シャツ越しに兄の鼓動が伝わる。それが心地いいのに、やっぱり涙がとまらない。
 まぼろしじゃ、ない。確かにいてくれる。
「ほら……、啓介。泣き止めよ。おみやげ買ってきたから」
「おみやげなんていんない。兄ちゃんがいれば」
「本当に? お前の好きなさくらんぼなんだけど」
 産地のだから美味しいぞ、なんて言われると、流石にちょっと心が動く。
「う……、欲しいけど。しばらくこのまんまがいい」
「……しょうがないな。幾つになっても泣き虫で……」
 違う。兄ちゃんの以外のヤツの前でなんて絶対に泣かねえもん、俺。そう思ったけど口にはしない。
「イヤなことでもあったのか……?」
 違う。寂しくって泣いてた。それで今は嬉しくて。どっちかもう分からない。
 涙はまだ止まらなかったけどもういいやって気になってきた。
「別に……ねえけど……。兄ちゃん、良かったの……?」
「何が?」
「キャン、プ……」
 涙で声が詰まる。
「下らないこと気にするな。それより、どうしたら泣き止むんだ、お前?」
「……このままいさして……」
 やれやれと涼介が溜め息をついた気配がした。けれどそれ以上言葉を重ねない。
「夕日、綺麗でさ」
 なんとか涙が収まってきたから、兄に抱きついたままで言う。
「一緒に見たいと思ったんだ、兄ちゃんと―――」
「じゃあ明日は一緒に見れるな」
 笑いながらなんでもないことのように、涼介は言う。
「……うん!」
「夜はどうする? 花火でもするか……?」
「うん!! ばあちゃんが、こんなでっかい花火セット買ってくれたんだぜ!!」
 途端に全てのものが、楽しみに思えてくる。纏っている空気まで違っているように思える。
 そこに兄がいたら。いてくれたら。
 夏は好きだと勝手なことを思う。暑くてもなんでも。この空気も全部好きだ。ただ勿論、一番はいつでも兄だけれど。
「大好き―――」
 万感の思いを込めてそっと啓介は呟いた。



* * * *




 後日談。
 やっぱり涼介はあの電話の翌朝、ほとんど強引にキャンプを抜け出してきたらしい。
 元々なぜかしら幹事に選ばれていかないワケにもいかないキャンプだったから、涼介がいなくなって相当混乱したらしく、後で流石に両親にも叱られた。
 が、その両親もほとんど諦め顔ではあったが。
「だって本当に啓ちゃん、悲しい顔するのよ、あなた」
 溜め息混じりに母。
「確かにあの啓介の顔を見て、のうのうとキャンプにいける涼介でもないか……」
「……本当に仲がいいわねえ、あの子達……」
「う〜むちょっと良過ぎるような……」
「多分私なんて二週間はいなくても気にしないわね、啓ちゃん……」
「私なんて1ヶ月まともに顔を見なくても気にされなかったぞ……」
「なのに涼ちゃんが一日でもいないと騒ぐのよね……」
 はああ。両親が揃って溜め息をつく。『両親が忙しくて構ってくれない』といぢけろとは言わないが、こうまで潔く無視されるとやはり悲しい。
「あの子達って無事兄弟離れできるのかしら………」
 母が懸念したのも無理はない。
 そしてその不安は将来見事に実現することになるのだ…………。





あずま様のサイト「東風来坊」でキリ番踏んで頂いた物です。
リクエスト内容は「泣く啓介と必死で宥める涼介」でした。
子供の二人がとてもいとおしいです。

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