柔らかな月の光が明かりが消えた室内に差し込んでいる。
闇の中に薄く浮かびだされた小さなホテルの室内は、値段に応じて簡素なもので、最低限必要な家具のみがそう広くもない部屋に置かれていた。
その部屋の窓際にあるベットに身を寄せ添うようにして彼らは横たわっていた。
先程までの激しさはなりを潜め、ただぼんやりと互いの体温を感じている。
薄明かりの中、ウルフウッドは手を伸ばしてサイドテーブルに置いてあった煙草を一本取ると片手で器用にマッチを擦って火を点けた。
一瞬硫黄の匂いが広がり鼻の奥をくすぐる。
そっと一服すると紫煙が上がり闇にゆるりと溶けていく。
暫くの間それをぼんやりと眺めていたが、ふとウルフウッドは少しだけ首を動かしていつものように自分の胸の辺りに顔を寄せているヴァッシュを覗き込んだ。
その顔を見て以前、心音を聞くのが好きだと言っていたのを思い出す。
甘ったれなオドレらしいとウルフウッドが笑うと、穏やかな目をして『いいだろう?』と言われた。
心臓の音は命の証だからと。まるで命に包まれてるような気がして安心するから好きなのだと。
そう言ってからヴァッシュはいたずらっぽい目をしてウルフウッドに顔を寄せるとそっと囁いた。
『でもね?……誰でもいいわけじゃないからね?』
あいかわらず恥ずかしい奴だと思ったのを覚えている。
ぼんやりとそんな事を思い出しながらヴァッシュの顔を見ると、妙に安らいだような顔をしている気がしてなんだか気恥ずかしくなった。
目を瞑ってはいるが眠ってはいないようで時折確かめるようにウルフウッドの体をそっと生身の手で辿る。
それには情欲じみた物は感じられずただ労わりや慈しみを与えようとしているようだった。
こうしていると先程とは別人のようだと思っていると、ヴァッシュが男にしては長い睫を瞬きさせながら翡翠のような目を開いた。
その視線がウルフウッドの視線と絡まりあう。
「ウルフウッド。」
「うん?」
「灰、……落ちそうだよ?」
言われてみると、くわえていた煙草の三分の一ほどが灰になっている。
ヴァッシュはウルフウッドの口元に手を伸ばすと煙草を取り上げ灰皿に押し付けた。
「もうちょっと本数減らした方がいいと思うけどね。」
「……出来ると思うか?」
「無理だろうね……まぁ、いいけど。」
そう言うとヴァッシュはウルフウッドの手を取り指先に顔を寄せた。
指に染み付いた煙草の匂いがかすかに香る。
「結構好きだよ、この匂い。」
そう言うとヴァッシュはウルフウッドの指先に口付けた。
指の形をなぞるように唇を滑らす。
ウルフウッドはくすぐったそうに目を細めただけで身動きするでもなく、ヴァッシュの好きにさせている。
「……なぁ。」
ふと聞こえるか聞こえないかという位の小さな声でウルフウッドが呟いた。
普段とは違う口調にヴァッシュは少し驚いて、そのまま体を起こすとウルフウッドの顔を覗き込んだ。
それによって毛布がずれて床に落ちる。
まだ少し熱い体に夜気が触れる。
淡い月光の中にヴァッシュの傷だらけの上半身が浮かび上がり、露になる。
所々に埋め込まれた金属が鈍く光り、その体の痛々しさを増していた。
「どうしたの?」
ヴァッシュが気遣うように問い掛けるとウルフウッドはそれに答えるようにヴァッシュの頭に触れた。
金色の髪が月光に反射して微かに光っている。
その髪にウルフウッドは浅黒く筋張った手を入れ、子供をあやすように優しくすいていく。
普段立てている時には想像もつかない柔らかい髪の感触を楽しみながらウルフウッドは言葉を続けた。
少し常より掠れた声が淡々と狭い部屋に響く。
「ワイな……最近たまに思うねん。」
「……うん。」
ウルフウッドに頭を撫でられるのは初めてだと思いながらヴァッシュは答える。
ヴァッシュを一番最初に撫でてくれたのはレムだった。
最近ではリィナやその祖母。
優しく愛しげに、時に労わるように触れてくれた優しい人たち。
あそこから出てきてまだそんなに経ってないはずだが、もう何年も前の事のような気がする。
こんな風に優しく頭を撫でられるのは愛されているような気がして好きだ。
例えそれが気のせいだとしても。
ヴァッシュはウルフウッドが触れやすいようにと頭を下げた。
ぱさりと前髪が落ち、視界を隠す。
「……オンドレともうちょいはよ会いたかったなぁ、て……あほやなぁ。」
そっとヴァッシュの前髪を掻き揚げると、ウルフウッドは浅く目を閉じて息をつぐように言葉をこぼした。
それはまるで自分自身を嘲笑っているように聞こえてヴァッシュの胸を締め付ける。
「……ウルフウッド。」
「ほんまもうちょい早かったらワイの人生違とったろなぁ……って思てまうんや。ゆうてもしゃあない事なんやけどな。……それは、よおわかっとんのやけど。」
途切れ途切れにこぼれる言葉を聞きながら、ヴァッシュはウルフウッドの体に手を回して力を込めた。
ウルフウッドが一体どんな過去を背負っているのかヴァッシュは知らない。
ウルフウッドがヴァッシュの過去を知らないように。
2人で旅をしている途中何時の間にか聞かない事,探らない事、踏み込まない事が暗黙の了解のようになっていた。
ただたまに会話したり、喧嘩したりしたときに彼からこぼれだす言葉が。
搾り出すように、叫ぶように、呪詛するようにこぼれ落ちる言葉の端々から、それがわずかに垣間見える。
心に闇を持たない人間などはいない。
それが大きいか小さいかの違いがあるだけだ。
ヴァッシュ自身が抱えている闇も深くて暗く、時に自らの魂を飲み込みそうになる。
ウルフフッドもまた深い闇に捕らわれている。
それが何かは分からなくてもその事実だけは分かった。
今また彼から何かがこぼれ出そうとしている気がしてヴァッシュは真摯な目でウルフウッドの顔を覗き込んだ。
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