軽やかな小鳥の鳴き声が聞こえてくる。それに誘われてヴァッシュ・ザ・スタンビートは目を覚ました。窓の外に目をやると、青空が広がっている。差し込んでくる日差しは随分と高くなっていて、とっくに昼になっている事が分かった。朝が早い自分にしては随分と遅い一日の始まりだ。
はっきりしない意識を振り払ってゆっくりと起き上がると、危惧していた痛みがないようで一安心する。どうやら二日酔いは間逃れたようだ。
しかし、昨日はひどい目にあった。
旅の連れである黒衣の牧師に誘われて一緒に町の酒場に行った。まぁ、誘っておきながら自分を放って、酒場の常連達と意気投合したのは別に構わない。何時もの事だし、ヴァッシュもすぐに他の何人かと話し込んでいたからだ。一種に酒を飲みに行く事は割と多いのだが、お互いの酒量が違いすぎるのでいつのまにか他の人物と盛り上がる事は少なくない。
だが、昨日の彼は随分と上機嫌だったのか、ヴァッシュがしばらくして彼を振り返ると凄いことになっていた。彼のいるテーブルから周囲の床やらに大量の酒瓶が転がっていたのだ。
良く見ると飲み比べをしているらしく。真っ赤な顔の彼と男達が、がぶがぶと水を飲むように酒を注ぎ込んでいた。慌てて止めようとすると、彼らを囲んで騒いでいた連中にヴァッシュ自身が止められた。逃れようとしたが、なんだか良く分からない内にどんどん酒を注がれてあっという間に多量の酒を飲まされてしまった。ふらふらしながら事情を聞くと、全財産をかけて飲み比べをしているらしい。呆れて様子を見ていると、見ているほうの気分が悪くなる位の酒が彼らの胃の中に消えていく。 しばらくすると、他の男達が潰れてしまい、彼の一人勝ちになった。支払われた金はかなりの金額だったが、飲み代を支払うと半分程が消えてしまった。そこで終ったのなら別によかったのだが……。
(まったく)
ヴァッシュは溜め息をつくと、落ちた前髪を掻き揚げた。
(いくら全財産賭けてたからって……本当に身包み剥いじゃうんだもんなぁ、あのテロ牧師)
気の毒にもカモになった数人の男達の顔が浮かんだ。とりあえず靴と下着は剥ぎ取られていなかったが、あの後彼らはどうしたのだろうか。まぁ、人生には教訓がつき物だ。得体の知れない奴とろくでもない勝負をしてあれ位ですんだのだ、考えようによっては安くついたのかもしれない。彼らもしばらくは変な勝負に手を出すことはないだろう。ヴァッシュにとって、そのこと自体はどうでもいいのだ。誰も傷つかなかったし、死ななかった。恥ずかしい思いはしたかもしれないが、どう考えても自業自得だ。
ただいつも金がなくてひいひい言ってる彼が、良くあんな賭けをしたものだ。ろくな担保もなかっただろうに。不思議に思って宿までの帰り道、酔い潰れて半分引き摺られている彼にふと生じた疑問をぶつけて見た。すると妙に嬉しそうな声で、ヴァッシュを指差して言った。
『おんどれがおるやん?』
……どうやら賭けのカタにされたのは自分だったらしい。賭けに勝ったから良いものの、下手をすると自分が素っ裸で帰るはめになっていたのかもしれないと考えるとぞっとした。文句を言おうとしたが、酔っ払い相手じゃしょうがないと諦めた。宿に着くと、せめてもの腹いせに彼を乱暴にベッドに放り込んでやった。
そこまで思い出すと無償に彼に対する怒りが込み上げてきた。どうしてやろうかと考えるが、うまく頭が働かない。ヴァッシュはベットから降りると、まだぼうっとしている意識をはっきりさせるために備え付けの洗面所に歩いていった。
冷たい水で顔を洗うと乾いた皮膚に水が染み込み、身体の中まで清められるような気がする。そのままバスタオルで顔を拭うと、ようやく頭の中がすっきりした。
「……そうだ、今日の昼飯奢らせてやろう。」
それぐらいは許されるはずだ。ヴァッシュはそう決意すると手早く着替え始めた。
何部屋か離れた彼の部屋の前まで歩いていくと、中に良く知った気配があるのが分かった。彼だ。いつもヴァッシュと比べると随分と朝が遅いのだが、さすがにこれだけ日が高いと起きているようだ。昨日かなりの酒を飲んだはずだが、ものともしてないのだろう。ヴァッシュは軽くドアをノックした。安宿でドアが薄いためか思ったよりノックが響く。
「ウルフウッド、いるー?」
「おう、開いてるで。」
返事が返ってきたのを聞いてから、ヴァッシュはドアを開けた。
彼は部屋に備え付けられていた簡素な椅子に座っていた。珍しいことに本を広げている。本の黒一色の表紙に小さな十字架が描かれている。
ああ、そういえば彼は牧師だった。
普段の行動や言動があまりにもかけ離れているため、ついつい忘れがちになっている事実を思い出してヴァッシュは苦笑した。昨日の文句を言ってやろうと思っていたのに、こんなのを見てしまうとその気が失せてくる。いつになく穏やかな顔をしている彼を見ていると、昨夜嬉々として男達の衣服を剥ぎとっていたのが嘘のようだ。
ヴァッシュは後ろ手でドアを閉めると、彼の邪魔をしないようにテーブルを挟んで反対側の椅子に座った。ウルフウッドは何も言わずにただ目線で活字を追っている。その様子を見ながら、ヴァッシュはテーブルに肘を立てて頬杖を付いた。僅かに開けられた窓から柔らかな風が吹き込んでくるのが気持ち良い。先程まで抱えていた怒りがゆるゆると溶けていく。
「めずらしいね、君がそういうの読んでるのって。」
「そうか?」
ウルフウッドは視線を本に落としたまま答えた。彼の声がいつもより深い気がするのは気のせいだろうか。共に旅をしている間、色々な彼の声を聞いた。笑い声。怒りに満ちた声。からかうような声。嘲るような声。……快楽に、染まった声も。いままでヴァッシュが聞いたことのあるどれとも違う声。それは、妙に安らぐものだった。
「そうだよ。」
気持ちの良い天気の緩やかな午後。目の前には穏やかな顔をして聖書を読む聖職者。心地良い優しい、空間。殺伐とした普段の生活とはかけ離れた一瞬。
聞きたい。
ふいに衝動が込み上げた。なぜだか分からない。でも、止められない衝動。
彼の声で、彼の神の言葉を。
「ねぇ。」
「なんや?」
「読んでよ。」
衝動のまま、彼に言い募る。当惑した顔でウルフウッドはヴァッシュを見る。
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