| ◆呼称 | ||||
「アニキ、入るぜ。」 啓介がいつも通りノックをしながら部屋の中に入ってくる。 ノックをして声を掛ける場合、ちゃんと返事があってから開けるものだと、何度か注意したのだが直らない。単にうっかりしているのか本人に直す気がないのかどちらかと言えば・・・・・・ 「直す気がないんだろうな。」 「え?何?」 涼介は溜め息をついた。当の弟は、不思議そうに涼介の顔を見ている様は、幼い頃を思わせる。顔も身体もすっかり大人びているのに、こんな所は変わらない。まぁ、そこが可愛いと言えば可愛いのだが。 「ドアを開ける時は、返事があってから開けろと言っただろ?」 啓介は一瞬しまったという顔をしてから唇を尖らせた。 「………………いいじゃん。兄弟なんだしさぁ。んな細かい事言わねぇでもよぉ…………」 「お前が他の場所でちゃんと出来るのならこんな事は言わねぇよ。でもこういう事は普段からしてねぇと出来ない物だろう?特にお前は。」 そう。別に涼介の部屋に入ってくるときだったら、ノックがなかろうがいきなり開けようがかまわないのはかまわないのだ。ノックなどなくても、啓介がドアに近づいたらすぐ分かる。それなのに口酸っぱく注意するのは、啓介のためを思っての事だ。最低限の礼儀は身につけておいた方がいい。 そう思う涼介の努力の甲斐あって、啓介はノックと声を掛けるまではちゃんとするようになった。だのに、なぜかこの最終段階だけはクリア出来ない。というより、しない。 「うっ・・・・・・・・・俺だって、ちゃんとする時はするんだぜ?」 「ほぉ?俺が何回注意しても直らねぇのにか?」 「いいじゃん。少しでも早くアニキに会いたいだけなんだからよぉ・・・・・・」 啓介が頬を紅潮させながら言うのを聞いて、涼介は手にしていた冊子で啓介の頭を軽く殴った。正気かこいつ。何時もの事ながらいい年した男兄弟に言うセリフではないような気がするのだが。まさかと思うが外で言ってないだろうなこんな事。・・・・・・・・・言ってそうな気がするが。正直自分でも終っているとは思うが、嬉しい事は嬉しい。だが、それより恥かしい方が先に来る。いくつだお前は。 痛ぇ、と恨めしそうにしている啓介に背を向けると、涼介は中断していた作業に戻った。長い指が軽やかにキーボードを叩き始める。 「まぁた、パソコンとにらめっこかよ。」 啓介はそう言いながら、涼介の手元を覗き込んできた。拗ねるのに飽きたらしい。 「ああ、ちょっとな。急ぎのレポートがあるんだ。」 涼介は手を止めもせずに返事をした。と、啓介は涼介の肩に顎を乗せてモニターを覗き込んできた。体重をかけないようにしてるのが分る。こういう所には結構気を使うのに、なぜドアを開けるのは駄目なのか謎だ。 「・・・・・・・・・駄目だ。わかんねぇ・・・・・・」 「俺のレポートだぜ?お前が分かってもしょうがねぇだろう。分野がまったく違うんだからな。」 「う〜・・・・・・・・・・」 啓介は唸りながらも涼介から離れない。ふと気がつくと何時の間にか反対の肩に手が回されている。首筋に当たる啓介の吐息が妙に熱い気がする。このまま放っておけば、引き倒されるのが目に見えるようだ。啓介の手があらぬ所を探り出す前に、涼介は啓介の手を軽く抓り上げた。 「痛っ!」 「自業自得だ。」 「……いいじゃんちょっとくらい。最近あんまし触ってねぇんだもん。」 「ちょっとで済むなら俺も放っておくんだがな。ちょっとじゃねぇだろうお前の場合。…………後一時間程で終わる。それまでおとなしく待ってろ。まぁ、話だけなら聞いてやるから。」 「話だけかよ。」 「充分だろ?」 涼介がそう言いながら作業を再開すると、啓介は諦めたらしく、何時の間にか啓介の定位置になっているベッドの上に座り込んだ。カチカチというキーボードの音だけが聞える。 「・・・・・・アニキさぁ・・・」 「なんだ?」 「俺さ、最近考えてる事があるんだけど。」 「どうした?悩みでもあるのか?」 意外そうに言うと、啓介は不満そうに頬を膨らませる。 「んだよ、俺そんなに悩みなさそうに見えるのかよ。」 「そういう訳でもないんだがな・・・・・・」 涼介はくるり、と振り向いて啓介と向き合った。啓介の話は何にしろちゃんと聞いてはいるが、真面目な話というのは滅多にない事だから尚の事だ。 「俺さぁ…」 ふと、啓介の顔が曇った。他の者は気付かないだろうが、涼介になら分かる位微かな陰りが見える。 「・・・・・・・・・たまにさ。本当にたまにだけど」 何か思いつめたような声。 「俺…アニキの事、『アニキ』って呼びたくないって思う時がある。」 その言葉に驚いて、涼介は顔を上げた。表情に出すようなドジは踏んでいない自信はあるが、驚愕した。 自分達は仲の良い兄弟だと思う。一般的な兄弟に比べると異常な程に。両親共に忙しいたため、幼い頃からずっと二人切りでいる事が多かったから。理由をつけるとすると、それがあるとは思うがそれだけではない。きっかけはそれかもしれないが、異常な程の互いに対する執着が培われるのにはそれだけでは足りない。まるで遺伝子に組み込まれていたかのように、何時の間にか花開いた執着は『兄弟』以外の感情まで引き起こした。半分以上、なしくずしに抱き合ったのはもうかなり前の事だ。それからずっと、恋とも愛とも表現できない何かに引き摺られて関係が続いている。なんと言ったら表す事が出来るのが判らない関係。それでも、『大切な兄弟』だという事だけは確かだと思っていたのに。 アニキと、呼びたくない。というのはどういう意味だろう。もう、兄は必要ではないという事だろうか?・・・・・ |
||||
| >>Next | ||||
| >>D top | ||||
| >>Top | ||||