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背景で判ってもらえるだろうか、絵の通り「晴天の霹靂」。なのだが、”あの”緊急事態からどうやってリカバーしたかを簡単に説明しておきたい。

痴漢冤罪に苦しむ人の苦労が分かった…かもしれない。



 教員をクビになったものほど使えないものは無いといわれる。
今だってとまどっている。自分が何だったかわからないまま、今ここにいる。

 ともあれ、生きて行かねばならぬ。二人分、生活に困らないくらいの何かを
しなくてはならない。
 
 実は悩むほどの選択肢は無かった。教員でなければ何ができるだろうなんてじっくり考えているひまは無かった。懲戒免職って本当に丸裸になるって感じ。退職金が無いのは誰もが知っているのだろうけど、公務員って失業保険が無いのを辞めて初めて知った。民間だったら自己都合でも免職でも失業保険は出るのにね。そういえば給与明細に雇用保険の控除は無かった。てっきり県が払ってくれてたのだと思っていました。そう考えたら懲戒免職ってよっぽどだよなぁ。
 彼女の入学費用やらで150万円以上使ってしまっていたから、残りの貯金では半年くらいしか持たないだろう。あぁもっとまじめに貯金しとくんだった.

2週間ぐらいボーっとしたり、みんなに忙しく会っていたものの、やはり銀行残高は気になるもの。嘆いていても財布は膨らまない。さぁ、何を始めようか。何を・・実際、何か特別な技術があるわけでもない。懲戒免職じゃそうそう雇っちゃくれないだろう。教育以外で身を立てるには何があるのだろう。 
 まずはバイトだな。車の運転ぐらいしかできないから、たかが知れているよなぁでも何か、何かもっとあるはずだよ。

 ということで気づいたのは、サービス残業で培った、コンピュータの知識。34にもなって何の業務経験もないから難しいとは思ったけど、ラーメン好きが脱サラするみたいにはいかないだろうなぁ。ラーメンはうまければ売れるけど、コンピュータは、業務に使えるようになるには経験と知識と資格が必要になるだろう。とりあえずはバイトから、次いで派遣か契約社員でスキルをつけないといけないなぁ。12年5月にインターネットで調べたアウトソースの会社へ面接にいった。時給1300円とか安いなぁ。(バイトと思えば安くは無いんだろうけど。)1,300×8×20=208,000円かぁ。ボーナスも考えたら給料半分だね。(そんなに今までもらってたのか?というツッコミは勘弁して。) しかし、始めなければ何も始まらない。

2001年8月 1年間の経験を糧に次なる天地をめざす。職場の都合により、8月一杯だった契約を9月末まで延長。10月より、今の職場に転職。今度は、自分のやりたかったことができるかもしれない。教員に戻りたい気持ちもあるけれど、しがみついていたら明日はない。前向き前向き。結構他の仕事も楽しいじゃないか。実は狭い(教員の)世界に閉じこもって、世の中のことをちっとも分かってなかったのも転職して始めて知った。教員が世間知らずというのではなくて、大学出て就職して、それしか知らなかったら案外つまらない人生であることも自ずと悟ってしまったということ。まだまだ世の中には自分が興味を持てることや自信を持てる仕事がたくさんあることを、手前味噌のようで恐縮だけれど知ることが出来た。
ずっと教員をやってたら、日常をツマラナイと思う人で終わってしまったかも知れないのだ。
それはある意味怖いことでもある。辞めて客観的に自分を見ることが出来たのも、これも運命なのだろう。それにしても…
 あぁ、資格とっておいて良かった。シスアドを皮切りに、自分でも頑張ったと思う。
しかし、大学でやったことが全然生かされていないな。バイオの時代にはバイオをやって、ITの時代にはIT産業へ、でも、今は本当は心の時代なのだと思う。
だったら、やっぱり教職だったな。今度の会社では研修担当。学び方を教えるもどるのって一番重要なことだと感じている。

メシの種・今の自分
転職活動を始めて〜現在まで