私の主張

 私が、逮捕されたことが大きく報じられたことで、随分多くの人に迷惑をかけてしまった。

学校は度重なる不祥事と報じられ(他にも事件があったのだ)校長先生は左遷させられた。
報告が遅れたことを咎められたらしい。いつの時代もお上はえげつない見せしめをする。
私自身だって、不祥事抑止のためのスケープゴートだろう。厳しく対処すると言った矢先の出来事だったらしい。みんなに迷惑をかけてしまう。いわば村八分や連帯責任の悪しき系図をたどる考えで、県教委は綱紀粛正をはかっているらしい。本末転倒なんだよね。
 結局の所、家庭の問題は教師はクビをつっこむべからずと言う教示だけで、本質的な対応
(そのときどうするべきだったのか)については知らん顔だよ。気楽なもんだよね教育委員会ってさ。生徒と深く関係を持っちゃいけないって、それだけ断罪して、じゃあ直面した問題(生徒を見捨てていくべきなのか)についてはこれまでただの一度も触れられたことはない。

− 生徒と教師の恋自体は咎められるものではないと今でも思います。 −

 あの時点では苦しい中で最善の選択をしたと今でも思っています。逮捕してしまってから、毎日缶ジュースを差し出し取り調べ、途中からはすべてこちらの言うとおりに調書を作った警察官の言い草が未だに忘れられません。
「先生よぉ、食っちまったのが失敗だよ。」SEXさえしなければ良い先生だったのに、そういう風に聞こえました。それは性を道具や性欲のはけ口と考える価値観が根底にあると私は思います。教師と生徒。立場の違いを自ら明確にしてしまえば、恋人同士と言う領域に身を置くことはできないのかも知れません。でも、何もかも誰も信じられないという彼女の心の中に、自分が投射されたときに「僕は教師だから君とは一線を引く」「教師だから君とは愛しあえない」そういう正論めいた線引きをすることが、「君を心底支えたい、(男としても、人間としても)愛している」と言う気持ちと大きく矛盾することを怖れていました。相応の気持ちがあったからこそ線引きをしなかったことを知って欲しかったです。新聞やワイドショーも接見に来てくれればよかったのに。本当にそう思いました。どのメディアもその当時私の話を聞いてはくれなかったのです。事件になったことで私の生活も大きく変わりましたが、一連の事件で虚偽の被害を言わされ、ひと一人犯罪者にしかけてしまった彼女は表面には出さなくても心に大きな曇りを作ってしまったことと思います。
返す返すも口惜しく思います。SEXさえしなければ。本当にそうだろうか?

 性的関係が本当に彼女を悪く変えただろうか?

逆だと思う「所詮あなたも教師だから、私に同情したり心配するフリをするんでしょう?」言葉に出さなくてもそんな事を思っているのが伝わってきました。立場でものを言えば、すぐにでも彼女は闇に向かって「ほらみろ、もう誰も信じない」と駈けだして行ってしまいそうでした。だから私は迷いながらもこの道を選んだのです。確かに結果的には失敗しました。彼女も望んだ道だったはずが、双方で失うものが多すぎました。
  だから、私たちは教育委員会や国(検察)虚偽の通報をさせた第三者を相手に闘っています。たとえ主張が認められなくても、私たちのそれぞれが、けじめをつけてそれぞれに先に進む力になると思うからです。


11月27日提出の意見陳述書

陳   述   書

 

 私は、平成12年4月11日に千葉県教育委員会から私に対してなされた免職の懲戒処分取り消しを求める請求に際し、以下のように陳述いたします。

 主たる主張として、処分の理由書にある地方公務員法第29条第1項第3号の適用に異議を唱え、同項第1号の適用に疑義を感じていることがあります。また、地方公務員法第32条、33条適用に至る経過について、処分者の不十分な状況調査、もしくは不適当な調査に基づくものであり、かかる処分の量定がこれを基にして決定されたことにより、著しく過重であることがあります。

 地方公務員法第29条第1項第3号では「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」これを懲戒の事由とすると定めていますが、本処分における非行の概念について、処分者の独善的かつ断定的な見解だけがこれまでに述べられておりますが、一概に免職を以てしなければ贖えない非行であると決めつけることはいかがなものかと思います。処分庁があげつらったその根拠について、客観性に乏しい非常に危ういものがあるとの感を拭えませんので、詳細な釈明を求めたいと思います。

 事件当時に新聞等において、「言葉巧みに自宅に誘い込み性的行為を行い」「家庭環境の不遇に付け込み自宅に住まわせ」「アルバイト先にまでつけ回し」等の内容が逮捕拘留中であった私の反論チャンスも無いまま一人歩きして報道され、その後1ヶ月の月日が経って当時被害者とされた女生徒から、それが犯罪性を伴わない恋愛であったことを記した書面として平成12年4月10日付けで確認書が提出されました。処分者による免職の辞令交付は、まさにその翌日でありました。

 しかるに処分者から平成12年8月21日付で提出された答弁書2ページ9行目には、性的行為そのものが非行であるということが記され、第1回口頭審理では処分者側代理人の口からは「それだけで万死に値する」という言もありました。この言葉一つをとっても非常に感情的で論理的説明の欠如を感じます。また、前述の答弁書8ページ12行目から、「当該生徒に悩みがあることを知りながら」「十分な判断力がない状態に乗じて性的関係を結んだことは否定できず、同生徒を困惑させた」「性的関係についても同生徒の真摯な合意があったか」等の記述を「きわめて疑わしい」と結んでいます。これについては当該生徒が記した「陳述書」及び教育委員会宛の「意見書及び抗議文」に加え、そのようないかなる強制や困惑もなかったことを改めて申し上げます。 また、これらの認識が事件当時の誤った報道やそれに起因する世論の錯誤によるものであるので、その後の正しい認識を得られなかったのは処分庁が犯罪の予見をもってした調査を漫然と盲信していたからだと思います。処分庁は当該生徒から女性教諭らが録取したという、平成12年3月13日付の「面談報告」なる文書を作成し、これを証拠申請していますが、この内容が虚偽であったことを詫び、訂正した内容の文書が学校長及び当該学年の職員向けに当該生徒から、松戸秋山高校宛に送付されています。果たしてその事実を知っているのでしょうか。内容によれば、事実に基づかない供述を第三者に強要されて苦しかったことが書きつづられていました。現在もその苦しさが彼女の心に刻まれたままになっていることを処分庁は認識しているでしょうか。知っていて敢えてその存在に触れずに、自分たちに都合の良い書面のみを提示するのであれば、極めて不公正であると考えます。外形的事実にこだわり、誤った報道により誘導された世論を背景に当事者である私と当該生徒を不必要に苦しめるだけの、目的を見誤った処分を強行しようとしているように思えます。

 事件当初から、関係者、一般市民を問わず賛同していただいた署名や励ましの手紙や言葉をいただくにつれ、健全な社会通念をもってしても、必ずしも性的関係イコール免職に値する非行であるということは言い切れないのでは無いかとの考えを強く持ちました。一般的に教員に期待される職務の枠を逸脱した行為であるとして、現在誹りを受けているわけでありますが、その結果が生徒及び教育に対してどういう影響をもたらしたかについて一般論で括らずに、事例解析に基づいた詳細な評価,検討をしていただきたいと思います。

 処分庁は評価することを避けていますが、○○さんとの卒業に至る道は決して平坦ではない二人三脚でした。家庭的に不遇であったことなど様々な困難を乗り越え、何度か学校を辞めなくてはならないであろう問題を力を合わせて解決してきました。家庭的な問題がある場合、教師が指導という形で解決できることはほとんどありません。本人を励まし奮い立たせることができても、家庭に教育力が無ければ、たちまち行き詰まってしまいます。本来家庭の問題に教師が入り込むべきでは無いという考えもあることと思いますが、私はそう割り切れなかったことで一人で問題を抱え込み、みなさんに迷惑をかける結果となってしまいました。そのことについては非常に悔やまれますし、私が認識すべき一番の反省点であります。

 母親が別な男性のもとに走る形で否応なく父母の離婚を迎えた○○さんにとって、父親と姉弟3人の生活はそれなりに楽しいものであったように聞き及んでいます。しかし、父親に再婚の話しが持ち上がり、彼女とその女性との間に摩擦が生じると、彼女は居場所を無くして行きます。時を同じくして部活動の顧問・部員の間柄であった私は、その淋しさ、辛さを素直にうち明けてくれる彼女に対して次第に惹かれて行くこととなります。もちろん彼女から好意が、つまり恋人として見てほしいという希望が告げられてもすぐには応えることはできませんでした。その時点では教師と一生徒の関係において問題を解決することが必要だと考えたからです。しかし、時間を経るごとに彼女の家庭生活は困難さを増してゆき、深夜にならないと家に帰れないことが常態となっていきます。しかし原因が明らかに判っていても、彼女の家庭内のことにまで深入りをすることはできませんし、父親の再婚ともなれば彼女が受け入れざるを得ない運命であります。だから、辛くともその運命を受け入れられるまでと思い、家に帰っていないことを知れば出向いて行き、家に帰るのを見届ける。そんな生活をしばらく続けておりました。そして、その頃になると、しばらく遠ざかっていた母親が彼女に接触を図るようになります。この時母親は彼女に、ある嘘をつきます。それは「お母さんは年上の(彼女の父親のもとを離れた原因の男性とは別の)人と再婚して幸せに暮らしているから」というものでした。母親は彼女を、そしてゆくゆくは子供3人を引き取りたい意向を彼女に告げており、私は内心ホッとしたのを覚えています。しかし実際には彼女の父親と離婚した半年後に再婚した件の若い男と3ヶ月の結婚生活が破綻して再度離婚。子供たちはその男を引き留めるために「にわか家族」を演出するための体の良い道具であったように思えます。そしていよいよ家にいることが心情的に苦痛になる事態が頻発するようになり、私は「自分が何とかしなくては」と思うようになりました。父親の方は「家庭に問題は無く、娘の方が馴れるべきである」というスタンスで婚約者に気を遣っていたために彼女には心の拠が無かったのです。私にはそれは仕方のないことなのだと判っていても、彼女にそれを説明することは意味をなしません。その時点で必要なのは状況を納得させることではなくて、信頼できる心の置き場を見つけることだったのです。親戚も近くになく、頼れるのは私と少数の友達だけでした。非常に優秀で将来の展望も明るいだろう彼女をむざむざと崩れさせてはいけない、非常にセンシティブで他の教員も含めて多くの他人を信じられなかった彼女が私を信じ頼ってくれる。それが嬉しくて、卒業して社会にでたら、彼女を自分の家族として迎え入れたいと思い、彼女が私に向けてくれる好意と同じ気持ちを私も持っていることを彼女に伝えました。しかし一度は断った話しのこと、彼女はどこかで懐疑的でした。「私がかわいそうだから」、「教師として見るに見かねて」同情から、「私のことを好きだと言うんでしょう」と私を試すようなネガティブな言葉を繰り返す彼女に、「そうではない、ずっと一緒にいたいと思っている」ということを誠心誠意伝えたつもりです。結婚という言葉こそ気恥ずかしくて使わなかったものの、全く同一のことを伝えたつもりです。それが口先だけの一時しのぎでないことを確かめるように私たちは親密さを増していきました。処分庁はその後の事実行為のみを摘示し、あたかも性犯罪があったかの如く主張していますが、教職員の不祥事を調査する習慣から、すべての性交渉が不純でわいせつなものと言う予断をもっていたのではないでしょうか。平成12年3月28日の事情聴取から一貫して性交渉そのものに焦点を絞って断罪的に取り上げ、私たちの心的交流に触れる質問がなされなかったのは誠に残念であります。私の代理人である角田弁護士が、処分庁は当時の行き過ぎた報道に過敏に同調して調査をしたきらいがあると、第一回の準備手続きの時に指摘したことに関して、処分庁側代理人は事実行為そのものが問題であり、それがあったのかどうかに絞った審理をすべきと主張したことを考え合わせれば、性的関係の身体接触のみにこだわっているように感じられます。むしろ重要視されるべきなのは二人の精神的健全さと恋愛が生み出した結果であり、身体行為では無いと思います。県民に対する信用失墜の程度について測られるべきはまさにこの点であるべきであり、行為の有無確認のみにこだわる処分庁の視点については非常に悲しい失望を覚えます。私たちは民法に定められた婚姻可能年齢を満たした男女であり、不幸にして男女関係を第三者に暴露されるという事故があったものの、そのプライバシーを職務権限によって更なる白日の下にさらされることがあって良いとは到底思えません。ですから、私たちが学校関係者に性的関係を尋ねられること自体がプライバシーの侵害であって、答える義務を生じる以前に発問自体が失当であると考えますが、あたかも犯罪捜査の如く強制力を以て聞きただす必然性があったのでしょうか、今でも非常に疑問に感じています。

 彼女が母親の元に移り、しばらくは平穏に見えましたが、前述、母親の言が

嘘であり、若い男と婚姻関係には無いが同居していること、実は経済的事情でアルバイトをすることになったと告げられました。学費や交通費も自分で賄わなければならないというので、3年の進路を控えた時期に大変なことになったと思いました。しかし実のところ給与口座は母親が管理しており、給料日に即日全額引き出され、何某かのお金を彼女に手渡すという方法が行われていることが判りました。ハンバーガーショップでのアルバイトのこと、金額にしてもたかが知れています。程なくして授業料が滞りだしてその事態に気づきました。私も何度か母親と連絡をとり、授業料・定期代等で大変なようだと話すと「学校は辞めてもらってもいい」という返事でした。その身勝手さに私は腸が煮えくりかえる思いがして、彼女に口座の管理を自分で行うように勧め、母親には一定額のお金を家計に差し出すことになりました。このことは非常に母親の気に障ったようです。要求額に満たないと授業料等の必要なお金でも納得してもらえませんでした。授業料減免等の措置について説明しても、外聞の悪さや手続きを煩わしがり応じてもらえませんでした。次第にアルバイトの日数も増えていき、母親のお金の要求や私に関する不満も増えていく中で、疲れた彼女はよくよく考えて私の元に来たいと言うようになりました。正直、女生徒を一人で預かるということが大変であることは感じておりましたので、彼女の母親と南流山駅付近の路上で三人で話したときにもまだ当惑しておりました。私は母親に「お母さんは○○さんと一緒に暮らしたくは無いんですか?」と尋ねました。「それは○○の意志です」「先生だって迷惑でしょう」と言う返事でした。彼女が私のところに来たいと必死で決心した心情を察すれば、さすがに「迷惑」とは言えず、さらに家では「○○ちゃん(若い男の名前)を取らないでよ」などと言われていることを聞いていればどんな状態か察しがつきます。それでもう一度「お母さんの気持ちはどうなんですか」と聞いても「それは○○の決めることです。○○ちゃんどうするの?お母さんところに居る?それとも先生のところ行く?」と詰問され、彼女がか細い声で「先生のとこ行く」と話したのを覚えています。

 母親は、たとえポーズでも、わざとらしく振りかぶってお辞儀をし「よろしくお願いします」と言いました。私は内心「そうじゃねぇだろう」という気持ちでした。この場で必要だったのは母親への指導でしょうか。「先生も大変でしょうに」と呑気なことをいう母親に「いえいえ、いざとなれば私の実家に帰ることもできますし」と言うのではなくて、「自分の子供の面倒をしっかり見ろ!」と説教すれば良かったのでしょうか。家庭での親子関係の問題には理屈どおりにはならない難しさがあります。学校関係者が親子関係に介入していっても、改善された例を聞いたことがありません。私が親子関係に代わる家族関係を築こうとしたのも親子関係修復の難しさを感じた故ですが、やはり親子とは切っても切れない良くも悪くも固い絆で、深層での支配関係、もしくは依存関係が存在しています。子は親の不安定で身勝手な言動に心の明暗を左右されており、とまどっていても、最終的に望んでいるのは親に受容されることだと思います。幼時に満たされなかったものが現在にまで影を落としていることを知りました。

 この日から数ヶ月の間、彼女は私の家から通学することとなります。これまで休みがちで、出席率からすると卒業が危ぶまれていましたが、翌日から私の家にいた期間については、ほぼ遅れることなく毎日登校できる環境となりました。これにより、単位修得に必要な出席日数の多くを確保することができました。そして過度のアルバイトを避けさせるため、また母親が「先生のところにいるのだから授業料も出してもらいなさい」ということを言い出したこともあり、この後の学校納入費を私が立て替えて支払うことにしました。

 次の機会に母親と◇◇◇のガストで合ったときに「どうですか、お母さんは○○さんと暮らしたいのでしょう?」と尋ねると、間髪を入れずに「ええ、もちろんです」と答えが返ってきました。それまで電話で話すたびに「帰るも帰らないも○○の意志に任せます」と言うだけでしたので、とても嬉しく思ったのを覚えています。しかしそれに続く言葉が「先生は体の関係を認めますよね」と続きました。すでに知っていることを何故ここで繰り返すのか怪訝に思っていたところ、後で○○さんから母親はそのときテープレコーダーを持っていたということを聞かされ愕然としました。一時は娘に「先生との恋を応援してあげる」といい、ある時は酔っぱらって呂律の廻らぬ調子で夜中に延々と支離滅裂な内容を話し続け、ある時は警察に捜索願を出せと深夜の校長宅に電話をし、処分庁が言うところの母親からの抗議の電話がこれに類するものと校長先生が理解するのは、非常に困難であったことでしょう。いずれにしてもこの電話を機に彼女は嫌々ながらも母親の元に帰らざるを得なくなりました。私は非常に心配でしたが、親権者が要求することを突っぱねることはできませんでした。

子は生かすも殺すも親の胸先三寸であるということが心に刺さります。そのときの母親の録音行為の目的は未だはっきりしませんが、本来の母親の姿では無かったように思います。そして予想どおり、この日を境に彼女は再び欠席がちになります。たびたび授業に遅れて来たり、部活動の時間にだけ登校するようになりました。元々学校を続けさせることに協力的でなかった家庭でのこと、以前は遅刻とは無縁であった彼女が朝起きられない理由は、アルバイト帰りの彼女に酒に酔った母親が深夜に至るまで説教や意味不明の話しを延々と続けて寝かせなかったからだと聞いております。実質的に私にできることは、彼女を励ますこと、将来について希望をつぶさないように、未来につながるものを提示、実現することでした。ですから、二人でよくよく考えて専門学校への進学準備、入学費用の貸与、奨学金の申請などを行いました。3年生も終わりに近づいた1月、もう卒業は、ほんの目前なのにただ一つ出席日数の足りなくなる恐れがある教科の授業の前日に彼女のアルバイト先を尋ねたり、家庭訪問等も行いました。本当にギリギリのところで卒業にこぎつけたのです。処分庁からの平成12年8月21日付答弁書の7ページ4行目ではこれを誤って捉えていますが、誤解に基づくものです。

 高校を3年生の3学期で中退するという事態と卒業という事実は彼女の将来においてあまりにも違いすぎます。学歴のみならず、その精神的な達成感が得られなかったと仮定したら彼女の未来は大きく変わっていったことと思います。とにかくこの二人三脚で卒業に漕ぎ着けたことは、彼女にとっても私にとっても大きな喜びであったことは疑いのない事実です。

 処分庁は初めて実名で私の懲戒免職処分を発表しました。その後に続く性的な関係が関与する女性が特定されうる事例ではすべて匿名報道であったために女性側のプライバシーは守られています。しかるに本案件では、女生徒が必然的に特定され、様々な中傷、同情、そして好奇の目にさらされる結果となりました。警察による不適当な逮捕勾留が終わったその2日後、平成12年3月30日に○○さんから事件後初めて電話連絡があり、事実でないことを話さざるを得なかった事情説明と自身を詫びる内容の話しを受けました。二人で力を合わせて一人歩きしている事件を打ち消さねばと決意を新たに、事件の真相を記した書証を作成したのが同年4月10日、そして翌11日には、突然、免職の辞令と処分理由書が渡され、彼女の心に一層の無力感を刻み込む結果となりました。私自身もそうですが、同僚、知人、友人の誰もが免職は信じられない内容と話していたことを考えれば、一番心に深手を負ったのは紛れもなく○○さんであったと思います。処分庁にそれを望むのも酷であるかもしれませんが、校長先生が証言の中で「まさに異常な事態である」と認識していた△△□の監視の下にあった彼女に、本意でないことを話さざるを得ない状況で聞き取りを強行したのは理不尽かつ不幸な出来事でした。また、家庭と連絡が取れないなど、事態の異常さの報告を受けていたのですから、いたずらに身体行為の確認のみにこだわらず、周辺の事情を見極め、注意深く時間をかけて調査することを望みたかったと思います。処分庁がこだわるところの、身体行為以外の重要な部分を置き去りにしたまま、性急に処分を行ったことが県民に対する信頼を失することに加担した事実を返す返すも残念に思います。

 よって、この審査請求が審理されることで、置き去りにされてきた事実が明らかになり、私と○○さんの名誉が少しでも回復できる方向に進むことを期待しております。

 そして現在では、非常にクリティカルな状況の家庭に再度戻って家族関係の修復を望んでいる彼女を応援したい気持ちで一杯です。彼女の母親がこういった審理の場所に彼女が来ることを望まないのであれば無理を押すことはできません。彼女の幸せを望む以上は、最良の状態でストレス無く生活してくれることが私の希望です。