警察と検察のしたこと  
ー警察や検察とは何をするところなのだろうー

  警察は、ほとんど有無を言わせずに連行した"任意同行"の事情聴取の最中に逮捕状を請求している。
 家宅捜索で、彼女が住んでいた痕跡と避妊具その他を押収し、虚偽の被害調書とあわせて、逃亡・証拠隠滅の怖れありとの付言をして逮捕に及んでいるのである。本当に簡単にそんなことができるのだから、「逮捕」と言う事実が一般世間で罪証とされる認識とおよそかけ離れている。私は一貫して「千葉県青少年育成条例には抵触していない」事を主張している。(意志の疎通があった自由恋愛だからね。)

それなのに、釈放後に見た,どの新聞の記事にもこう書かれている。
 
「容疑を認めている」あるいは「概ね認めている」

  これはどういうことだろう?

 わたしは、彼女と恋愛関係にあったこと。同居していたことは初めから認めている。そして、

「彼女が本当のことを知っているのだから、きちんと調べて欲しい。」ということも最初に述べている。そして、勾留裁判(勾留を認めるかどうか決める裁判:検察が取り調べのための勾留請求して行われる裁判)のなかでも、「悪意の第三者にハメられた」と裁判官に述べているのである。また、この悪意の第三者に警察官が含まれるとの証言を得て、その後強い怒りを覚えた。警察も一枚噛んでるんじゃないか!


 わたしは、勾留中の検察での取り調べの際にも、今は富山地検の三席検事に"ご栄転された"伊藤検事に
 
   「法廷で無罪を主張するので、きちんと起訴するように」要求している。

 また、「おまえは教師として恥ずかしくないのか!」

 と大声で怒鳴りながら恫喝する伊藤検事に対して、こう反論している。

  「あなたは、わたしが事件で関係者に迷惑をかけたという気持ちがあることを逆手にとって、騒ぎが起こったことを教師としてどう考えるかという道義的なことと、刑事罰に値するかどうかと言うことを混同して私を混乱させているが、まったく次元の異なる問題である!」 (ほぼ原文通り検事の面前でしゃべっています。"獄中メモ"より転記)

 
 そこで検察は敢えて起訴猶予という、結果的な不起訴処分にすることにより、こちら側の法的な反論を封じ込めたのである。実にずるがしこい方法である。こちらには対抗
手段がないのだから。まさに言いたい放題・やりたい放題の世界である。
 注:被害者側が不起訴を不当とする申し立てをすることは検察審査会にできるが、
    起訴猶予不当を申し立てることは制度上できなくなっている。形の上で、彼女に
    不起訴不当を申し立ててもらうことも検討したが、それでは事実関係が複雑にな
    るだけで、こちらの主張(つまり、法廷で白黒をつけろ!)のためには何の役にも
    立たない。



 本当に砂をかむような悔しさが今でもわき起こる。本当に汚いやり口である。
「起訴猶予」
とは、起訴できるところを、検事の一存で「オマケして許してやる」ものであり、そんな制度自体インチキである。
平たく言えば『こいつやっているけど懲戒免職にもなって社会的にたたかれているから赦してやったよ〜ん』ということだ。免職になった事由は事件になったかとは一切関係ない。これは県教委も書面の中ではっきりと言っている。それを検察は自分たちの良いように解釈してもっともらしく利用しているのである。(そして県教委は起訴猶予になったことを逆に利用している。)なんかここらは怪しい取引の臭いがする。
 
 まさに手足をもいでおいて、踏んだり蹴ったり、自分たちの都合のいいことを言いたい放題にしているという、起訴便宜主義を逆手にとった卑劣きわまりない犯罪行為を行っていることを多くの人に伝えたい。

 検察や警察は、ディテールを知らない一般市民やゴシップ雑誌の論調が、『教師と生徒』『性的関係』『逮捕』『免職』といったキーワードだけで私が非難されることを見越して、『不当逮捕』『虚偽報道』『不当勾留』『起訴猶予』という私刑(法には基づかない、いわゆる「けしからん罪」)を与えたのだと考えている。