Written by 春日野 馨
あの晩、わたしは眠れないでいた……
体は眠りを欲しているというのに、精神は逆に眠ることを拒否している。
襖一枚隔てた隣室にはあの人が眠っている。
それが、精神が眠ることを拒否する原因……
部屋はしんと静まり返っている。その中で聞こえるのはあの人の寝息とわたしの心臓の鼓動だけ。
なぜ眠れないのだろう。
なぜこんなに気になるのだろう。
あの人はわたしのマスター。
わたしはあの人のサーヴァント。
この戦いが終わるまで、それだけの関係。
そうだったはずなのに……
「シロウ、眠っているのですか?」
わたしはそっと口に出してみる。無論隣には聞こえないだろうくらいの小さな声で。
「シロウは今日も頑張りましたから。毎日少しずつですが、ちゃんと進歩していますよ」
その事実を口にすると、なぜか嬉しくなる。
……嬉しい……
いつからだろう、わたしがシロウの成長にこんな気持ちを抱くようになったのは。
わたしはセイバー。
マスターであるシロウに召喚されたサーヴァント。
正直言って今回の戦いは、わたしは気乗りがしなかった。
それはシロウがあまりにもマスターとして異質だから。
聖杯戦争の「せ」の字も知らないような、そんなマスターになぜ召喚されたのだろうとすら思った。
さらにシロウはわたしがシロウの盾となることを拒んだ。
それだけでなく、あまつさえわたしに闘うなとまで言った。
その言葉を聞いて、わたしはシロウとの契約を解除しようとすら思った。
それだというのに、なぜわたしはシロウと一緒に居るのだろう。
あらゆる意味でシロウはマスターとしては失格だと思う。
聖杯戦争については何も知らない。
魔術師としては半人前以下。
挙句の果てにはわたしのために戦うとすら言い切る。
そのためにわたしに剣の稽古をつけてほしいとまで言った。
今までにこのようなマスターがいただろうか。
はっきり言って、わたしはシロウをマスターと認めたくなかった。
シロウに召喚されたという事実を認めたくなかった。
いや……それ以上にさっさと戦いを終わらせたかった。
シロウはわたしがこの戦いに参加するための単なる条件。
シロウがマスターであってもなくても、聖杯を手に入れれば戦いは終わる。
そうすればシロウとの縁もそれまで……わたしはわたし自身の願いを叶える為に聖杯を使う。
それで終わりのはずだった。
でも、シロウの考えはわたしのそれとはことごとく違っていた。
わたしをタイガやサクラに紹介するなどという考えられないことをした。
一緒に食卓を囲むようにもした。
そして、単なるサーヴァントのわたしを家族として扱ってくれた。
わたしをひとつの個として扱ってくれた。
わたしは今まで自分を個として扱わせたことがなかった。
わたしは国民のための象徴。
わたしは国家のための象徴。
わたしは軍のための象徴。
わたしはあくまでも国のための存在で、わたし自身の存在は国の存在の前には芥子粒以下でしかなかった。
だから、わたしが考えていたことは、常に国のこと、国民のこと、軍のこと……
わたし自身のことを考えようなどということはまったく眼中になかった。
わたしは国のために生き……国のために生かされている……
わたしは王として、国のために生きなければならない……国の繁栄のために……
そして、わたしには間違いは許されない。間違いを犯すことは国民を苦しめ、ひいては国を危うくすることに他ならな
い。
だからわたしは自分を個として扱わせるなどということは考えたことすらなかったし、わたし自身の個は、一番初めに
否定されるべきものだと考えていた。
ところがシロウはそれを真っ向から否定した。
それどころか、わたしを女性として扱った。
だからなのだろうか?
「セイバーは戦うな。女の子を護るのは男の役目だ」
そうシロウは言った。
そう言いながらも幾度となく返り討ちに遭い、生命の危険に直面する。
そんなシロウに、はっきりいってわたしは呆れていた。
まがりなりにもシロウはマスターである。そのマスターが死んでしまったら聖杯戦争に参加する資格さえなくなってしま
う。
それゆえわたしは自分のためにシロウを護らざるを得なかった。
でも、シロウは違っていた。
シロウの「護る」は無償の行為なのだ。護るという結果のためなら自らの命すら投げ出してしまう、それがシロウなの
だ。
そんなシロウをわたしはとんでもなく強情だと思った。
堅物だと思った。
不器用だと思った。
とてもついていけないとすら思った。
でも……
わたしとシロウはもしかしたらとんでもなく似たもの同士ではないのか……
そんな感情を持つようになったのはいつからだろう……
たぶんそれはバーサーカーとの森での戦い……
自らの命を賭して一緒に戦ったあの時……
そのときを境に、わたしはシロウをマスター以上の存在として意識しだしたのかもしれない。
それからのわたしは自分で思い出しても変だった。
シロウの顔を正視できない。
頬が熱くなって、胸の鼓動が激しくなって……
でも、そのときリンとイリヤがいてくれた。
わたしは彼女たちの存在をクッションにして、何とかシロウと話すことができていた。
それから何日か後、シロウがわたしに言った。
「セイバー、デートに行こう」
あまりに突然のことで面食らった。
「……女の子、とは、わたしのことを言っているのでしょうか……?」
おもわずそう問い返してしまったくらいだった。
本音を言えば、わたしは必要外では表に出たくなかった。
そう言ってはみたものの、わたしがなんと言おうとシロウは考えを曲げてはくれなかった。
正直言ってデートとはあんなに疲れるものなのだろうか……
シロウがわたしに気を使っているというのが痛いほどに解ってしまう。
マスターであるシロウが、サーヴァントのわたしに気を使うなんて……とすら思った。
でも、シロウの一言がわたしを覚醒させた。
「なぁ、セイバー、今日の俺っていつもの俺と違うか?」
言われて気がついた。そう……シロウはいつもわたしを女の子として扱ってくれていた。
食卓を一緒に囲むようになったのだって、理由を訊いたわたしに、
「セイバーを一人にして俺だけがメシを食うのがいやだから」
と、照れくさそうに、でもごく普通に言ったシロウ。
そうなのだ。シロウはいつもわたしを個として扱ってくれていたのだ。
わたしがそれを拒んでいただけ……
デートの帰り道、バスで帰ろうとしたシロウに
「帰りは歩いていきましょう」
と、思わず言ってしまった。
シロウはそれを聞くと微笑んで頷いた。
なぜだろう……
なぜあんな言葉が出たんだろう……
それは……シロウと二人だけの時間を少しでも長く過ごしたかったから……
それに気がついてしまったから。
わたしをわたしとして扱ってくれるシロウ……
この人の前ではわたしはわたしでいいんだ……
そんなことを思った。
でも、わたしは強情でしかいられなかった。
なんてことをしてしまったのだろう……
わたしをわたしとして扱ってくれる人の前で……
一度口から出た言葉はもう戻すことはできない。
「わたしの目的は聖杯だけ」
そこまで言ってしまった。
「勝手にしろ」
それを聞いたあの人はそういって立ち去っていった。
哀しかった。
寂しかった。
シロウの気持ちが痛いほどわかる……
なのに、ああいうことしか言えないわたしが嫌だった。
シロウの気持ちを裏切ってしまった自分が嫌だった。
「勝手にしろ」
と言われても何もできなかった。
できたのはそこに立ち尽くすことだけだった。
どのくらい時間がたっただろう……
「セイバー、体、冷えるぞ」
その声で気がついた。
シロウが来てくれた。
でも、わたしにはシロウを正視できない。
謝りたかった。
謝って、またいつものとおり話がしたかった。
でもできなかった。
シロウはそんなわたしの手を取って、
「うちに帰るぞ」
とぶっきらぼうに言った。
わたしの手を握るシロウの手は温かかった。
心が伝わってきた……
この人とだったら一緒にやっていける……そう確信した。
あの一瞬、わたしは王であることを止め、アルトリアという一人の少女に戻っていたのだろう。
マスターでもサーヴァントでもない……シロウとアルトリアという関係でいられたのだろう。
あのときほど、ずっとこのままでいられたら……と思ったことはなかった。
あたりまえの……ごく自然な夢を……
哀しいことだが、そんなささやかな夢をみていることもわたしには許されなかった。
最大で最強の敵が現れてしまったから……
そして、それと死力を尽くして戦い……聖杯戦争は終わった。
シロウがいてくれたからこそ勝てたのだと思った。
だから……ずっとシロウといたかった。
離れたくなかった。
生者必滅、会者定離
東方の宗教にこんな言葉があると聞いた事がある。
生きるものは必ず滅び、会う者は離れるのが定めである、ということなのだそうだ。
だとしたら、わたしがシロウと離れるのは定めでしかないのだろうか……
わたしはすでに生者ではない……でも、シロウと出会ってしまった……
そのようなわたしでもシロウと離れなければいけないのか……それが定めなのだろうか……
そんなことは認めたくなかった。
ずっとこのままシロウと一緒にいたかった。
でも、それは叶わぬ夢……
わたしが新たな王に代わってもらおうとしたように、所詮叶わぬ夢でしかない。
叶わぬ夢と知りながら……叶えたいと思うのは罪なのだろうか……
……わたしが消える時が来た……
「シロウ……あなたを愛しています」
わたしはそういってあの人と別れた。
それが定めだから。
でも、あの人に告げなかったことが一つだけある……
「……また……会いに来ます……」
あの人は覚えていてくれるだろうか……
あの人はわたしと判ってくれるだろうか……
そんな心配は要らない……
きっと……いや、絶対に判ってくれる……
わたしが心から愛した人だから……
わたしを心から愛してくれた人だから……
さあ……会いに行こう。
わたしのありったけの勇気を振り絞って……
そしてこう言おう……
「シロウ……ただいま」
と。
がんばれ……
わたしの中の勇気……
(初出 Fate/the pouit dream)
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