Fairy's Holiday

Chapter2 海鳴大学病院 G病棟



Written by 春日野 馨


 十二月二十四日、クリスマスイブ。巷は恋人たちで溢れかえっている。
 そんな中でも仕事をしているというのは、なんとなく場違いに思えてならない。

 俺は高町 恭也。表の顔は学生で、小太刀ニ刀御神流という剣術流派の師範代。
 裏の顔はというと、その剣術を使ってボディガードをしている。
 今日も今日とて、パーティに出るというVIPのガードのお役目を仰せつかってしまった。本当は今日くらいは翠屋の手
伝いでもして、かーさんにちょっとは楽をしてもらおうかなどと殊勝なことを考えていたのだが、それも残念ながら計画倒
れに終わってしまった。

 実は、その後に病院にフィリス先生を迎えにいって、ささやかながらうちでパーティなどをするつもりだったのだが……
残念。

 フィリス先生というのは、正確にはフィリス・矢沢先生とおっしゃる。海鳴大学病院の若手医師の有望株で、我が家の
ホームドクター兼俺の主治医。
 そうして、俺の恋人。
 そもそもは、うちにきていた幼馴染のフィアッセの紹介で膝の古傷を診てもらったのがきっかけ。それから、美由希、
晶、レン、なのは、かーさん……次々にうちの家族がお世話になって、結果として我が家のホームドクターになってしま
った。今は日本を離れてしまったフィアッセもうちに帰ってくると必ず定期検診に行くのだから、我が家には欠かせない
方に間違いない。

「じゃあ、それぞれ配置についてくれ。無理やり事を荒立てる必要はないが、それなりの手段で来た時はそれ相応に対
応する」
「諒解」
「ではよろしく」
 配置員が一礼して戻っていく。
「これからが勝負だね」
 隣にいる女性が俺に声をかける。
「はい。まぁ、そんなに不穏な情報は入っていないので、比較的楽といえば楽だと思いますが」
「……ふふっ、物の言い方がだんだん似てきたね」
「似てきたって……誰にですか?」
「士郎兄さんにだよ。やっぱり親子だね。指揮の仕方なんてそっくりだよ。ふふっ……」
「美沙斗さん、やめてくださいよ」
 俺はなんとなくこそばゆい気持ちになってしまう。

 隣にいる女性は御神 美沙斗さんという。今は亡き俺の父である高町 士郎の妹、一言で言ってしまえば叔母さんな
のだがとてもそうは見えない。
 というか、うちの関係者の女性というのはなぜか歳をとらない方が多いように思えるのは気のせいだろうか。
 閑話休題。

 美沙斗さんは、仕事上の父を知る数少ない人の一人でもある。その人に『父にだんだん似てきた』と言われて悪い気
がしようはずがない。なぜなら、俺にとって父は剣術でも仕事上でも目標なのだから。

 時計を見ると二十時三十分。そろそろ配置の時間だ。
「じゃ、行きましょうか?もう時間ですし」
「そうだね。宜しく頼むよ」
「はい、こちらこそ」
 俺と美沙斗さんが配置につこうとブリーフィングルームから出ようとした時、無音モードにしてあった俺の携帯が振動
をはじめた。
 画面を見るとうちからだ。仕事中には電話するなと常に言い聞かせてあるのに……そんなことを考えながら電話に出
る。
「はい、高町です」
『あっ、恭ちゃん?』
「美由希か。仕事中はかけてくるなと言っておいた筈だが」
『緊急事態なんだから勘弁して』
「もし大した事じゃなかったらランニング5キロ追加だな」
『じゃ、大変なことだったら恭ちゃんが5キロ余分に走ってよ』
「わかった。で、なんだ、用件は」
『あのね、大学病院の小野寺さんという人が大急ぎで電話を欲しいんだって。女の人だったよ。ったく、恭ちゃんもお安く
ないんだから』
「小野寺さん?心当たりないな。番号は?」
『うん……』
「わかった。切るぞ」
『うん』

 まったく、美由希と話していると疲れてくる。
 御神の剣を継ぐのだからもうちょっと落ち着いて欲しいものなのだが、箸が転んでもおかしい年頃というものの所為な
のだろうか。やかましくてかなわないのが正直な話なのだ。
 まぁ、とにかく、急いで電話をしてしまわないと仕事に差し障りが出かねない。
 俺は美由希が教えてくれた番号をダイヤルした。
 海鳴大学病院の受付が出る。俺は内科病棟の小野寺さんにつないで欲しい旨を告げる。保留音の後コール三回、
相手が出る。
『はい、内科病棟、小野寺です』
「夜分恐れ入ります。私、高町と申しますが……」
『あの、高町 恭也さんですね』
「はい、そうですが」
『電話では詳しくは申し上げにくいのですが、大至急病院までおいでいただけませんでしょうか?申し遅れましたが、わ
たくし、内科看護師の小野寺と申します。フィリス先生のことで……』
「フィリス先生のことで?先生に何かあったんですか?」
『……実は……先生、倒れられたんです。とにかくお知らせしないとと思いまして。詳しくはお見えになられましてからご
説明させていただきます。わたくし、内科病棟のナースステーションにおりますのでそちらまでお願いいたします』
「わかりました。すぐお伺いします」
 電話を切る。

「どうしたんだい?フィリス先生が何とかという話のようだったが」
 怪訝そうに美沙斗さんが尋ねる。
「美沙斗さん、すみません。実はフィリス先生が倒れたそうなんです。で、病院の方が俺にすぐに来て欲しいということな
んですが」
「……わかったよ。すぐ行った方がいい。この仕事くらいなら私一人でも何とかなる。クライアントには隠密裏に警戒中
だとでも言っておくよ」
「……ありがとうございます。この埋め合わせは必ず……」
「さぁ、早く行った行った。恋人さんたちの邪魔をするほど私は無粋じゃないからね」
 俺は美沙斗さんのウインクと笑顔に送られて現場を後にした。


 フィリス先生が倒れた……その事実だけで俺は何も考えられなくなっていた。とにかく病院に向かわないといけない。
 俺は思考の停止した頭に喝を入れながら、無事に到着することだけを考えて車を走らせた。

 本人はそんなにとばしていた意識はないのだが、普段なら三十分近くかかる距離を所要二十分で病院に到着してし
まったのだから、それ相応にスロットルが開いていたことは想像に難くない。これで白黒ツートンカラーの車に追いかけ
られなかっただけもうけものかもというのは言わないことにしよう。なにせ、それだけで免許がなくなるかもしれない立場
なのだから。
 閑話休題

 顔見知りの看護師さんに事情を話すとすでに連絡がされていたのだろう、病棟に通される。ナースステーションに案
内されると、そこには小柄な丸顔の看護師さんが俺を待っていた。
「高町さんですね。夜分にご足労をおかけします。わたくし、お電話を致しました小野寺と申します」
「こちらこそお手数をおかけします」
「手短に状況をご説明します。先生が診察を終わられて、椅子から立とうとされたとたんに眩暈か何かが起きたらしく
て、そのまま倒れられたんです。現在のところ体温、脈拍、血圧などはほぼ正常の範囲です」
「そうですか……」
「小野寺さん、ご苦労様。そこからは私が……」
 ナースステーションに入ってきた女医さんが彼女に声をかける。
「あっ、加藤先生、いかがですか?」
「ええ、落ち着いてるわ。じゃ、小野寺さんもこのへんで上がってくださいね。このままだとあなたが倒れちゃうから」
「でも……」
「大丈夫。私もいるし、他のナースさんだっているんですから。あなたにまで倒れらたらフィリス先生が責任を感じちゃう
わよ」
「……はい……じゃあ、高町さん、詳しくは加藤先生からお願いします」
「はい、ありがとうございました」
 そう言って一礼をして小野寺さんと名乗った看護師さんが下がる。
 俺もその礼に答礼をして……

「はじめまして、高町さん。私、加藤といいます。フィリス先生と同じG病棟の医師です」
「こちらこそはじめまして。高町 恭也です」
「じゃぁ、とりあえず、フィリス先生の現在の状況をご説明します」

 そう言って加藤先生が説明をしてくれたが、専門用語が多くて俺には詳しくは理解できない。
 ただ、フィリス先生がその持病であるHGS(高機能性遺伝子障害症候群)のために倒れたことは理解できた。
 そうして、とりあえずは命には別状はないことも。
 そして、このようなことが今後も続くであろうこと。根本的には遺伝子操作による治療以外には根治の方法はないこ
と。ただ、その方法には現在の医療技術では大変な危険がともなうこと等々……
 聞けば聞くほどその病状が並々ならぬことが理解できる。それでも人を救おうとしているフィリス先生に俺は改めて脱
帽をせざるを得ない。

 思わず考え込んでしまっている俺の顔を見て、加藤先生が続ける。
「そうね……これは高町さんにはお話していいことかもしれないわね。ううん、お話しておかなくちゃいけない……」
「……?」
 俺が、その深刻そうな声色に疑問を差し挟もうとしたそのとき、加藤先生が切り出した。
「高町さん、これはあなたがフィリス先生の恋人である以上は知っていて欲しいことです。ううん、恋人だからこそ知らな
くてはいけないことです。これからお話することは高町さんにとってショックなことかもしれません。それでもよろしいです
か?」
「……はい」
 あまりの真剣さに俺はそう答えるのが精一杯だった。試合のときとはまた違った緊張感に俺は支配されていた。

「本題に入る前にひとつ質問させてください。高町さん、フィリス先生の身に何が起ころうともあなたはフィリス先生を愛
し続けられますか?」
「……」
 俺は無言のまま答えられなかった。確かに誰よりも愛している……でも何があっても……?何もないはずじゃないの
か?少なくとも俺の身に何かはあるかもしれないがフィリス先生の身には何もないはずじゃないのか……矢沢先生だっ
ていらっしゃるんだし……

「とりあえず、結論はお話を聞き終えられてからで結構です。じゃあ、本題に入りましょう」
 そんな俺の困惑を察したのか、そう言ってから加藤先生が話し出した。

「先ほど、フィリス先生の病気はHGSという遺伝子が原因の病気だということはお話ししました。で、この病気の根治は
遺伝子治療以外に方法がありません。今現在行われている治療は、患者さんの症状にあわせてそれを緩和するまた
は押さえ込む薬の投与による対症療法でしかありません」
「……」
 加藤先生が続ける。
「で、現在の遺伝子治療の現状ですが、先程もちょっとさわりだけ申し上げましたとおり、現在の方法というのは対象と
なるであろう部分を大雑把に特定し、それを薬品などによって化学的に組替えるといった程度でしかありません。だか
ら、あくまでも確率論の世界でしかないんです。つまり、ここが原因だからピンポイントでこんなふうに組替えようという事
はできないんです。それさえできればもっと……」
 口惜しそうな加藤先生……
「ですから、HGSのような複雑な遺伝子疾患はいまだ根本的に治療しようがないんです……で、その治療法を研究して
いるのが私たちのG病棟なんですが……」

 俺は頷くのが精一杯。

「ここまでは先程お話しましたが……で、フィリス先生はその治療法が試験段階に至った時点でご自分を被験体として
使っていただくようにとすでに登録をされていらっしゃるんです。『わたしにできることは一人でも多くの人を救うことだか
ら。そのためなら……』と仰って……」
「……」
 俺は言葉が出てこなかった……
「試験段階の治療ですから、どんなリスクがあるかもしれません。私ならとても出来ない事です。でも、フィリス先生はご
自分がどうなろうとも……ごめんなさい……」
 加藤先生は目に涙を浮かべている。
「先程、『何が起ころうともフィリス先生を愛し続けられますか』とお伺いしたのはそんな理由からなんです」
「……そうですか……」
 俺はその言葉を引っ張り出すのが精一杯だった。

「じゃあ、病室にご案内します」
 そういって加藤先生が立ち上がる。
 俺はその後に続いていく。
 お互いに無言……夜のG病棟は廊下の薄暗い照明と、機械の音か何かだろうか、ブゥンという低いうなり音だけが支
配する異世界。
 その中のひとつの病室の前で加藤先生が立ち止まる。
「こちらです」
 そういってドアを開く。
 ベッドにはフィリス先生が静かに目を瞑り横になっていた。

「それでは私はこのへんで失礼します。何かありましたら枕もとのナースコールでお呼びください。今夜は私が当直です
から」
「はい、ありがとうございます」
 病室を後にする加藤先生に俺は深々と礼をする。
 あとには俺と、ベッドに横になったフィリス先生の二人だけが残された。

 天井の照明は常夜灯というにはちょっと明るすぎるくらいだ。きっと、これもフィリス先生を気遣ってのことなのだろう。
 俺は壁に立てかけてあったパイプ椅子をベッド脇に広げて座る。
 フィリス先生の顔は穏やかそのものだ。以前、一緒に北海道に行ったときに飛行機の中で俺の手を握りながらうつら
うつらしていたときみたいに安心しきった寝顔……
 それが薬の投与によるものなのか、フィリス先生自身の心から出たものなのかは俺にはわからない。

 俺は、加藤先生の言葉を反芻していた。

『……フィリス先生の身に何が起ころうともあなたはフィリス先生を愛し続けられますか?……』
『……ご自分を被験体として使っていただくようにとすでに登録をされていらっしゃるんです……』

 その言葉が意味するもの……それは……最悪の場合、俺が生涯賭けて護ると誓ったこの人を失ってしまうことを意
味する。
 だからなのだろうか?俺といるときのフィリス先生は自分が生きていることを精一杯楽しむかのように、子供みたいに
はしゃぎまわる。
 そして、子供が親に甘えるときみたいに全身全霊で俺に甘えてくれる。
 俺はそれは先生の幼少時の経験がさせていることなのだろうと考えていた。
 確かに一面ではそうなのかもしれない。でも、それだけではなかった……それよりももっと深い想い……フィリス先生
が自らの存在意義を賭して挑んでいるライフワークがそうさせているのだということに、いまさらながら気がついた俺は
なんと浅薄だったのだろう。
 こんな俺に……フィリス先生のことをわかっていたつもりの俺に先生の恋人だと名乗る資格はあるのだろうか?
 俺は先生の寝顔を見つめながら自問自答を繰り返していた。

 そんな事を考えていた俺をフィリス先生が呼ぶ声がした。
「……きょうやくん……」
「はい……」
 思わず俺は答える。
 フィリス先生の手を握りながら。
 温かい……確かにフィリス先生がフィリス先生である証の温かさを感じながら、俺は先生のためにいったい何ができ
るのだろうという無力感に苛まれていた。

To Be Continued





「Fairy's Holiday」目次へ戻る

「とらいあんぐるハートシリーズ」目次へ戻る

「主人の書斎」目次へ戻る

店内ホールへ戻る