Written by 春日野 馨
十二月二十四日、クリスマスイブ。
巷では恋人たちが自分たちの愛を再確認している日。
そんなことはお構いなく、今日も海鳴大学病院の外来診察室はたくさんの患者たちで溢れかえっていた。
そんな中を忙しく動き回るドクターやナースに職員たち。その中の一角に内科診察室がある。
そこの主はシルバーブロンドのストレートヘアをした、まだうら若き女医。
学部の現役学生と言われてもまったく違和感を感じないその女医は診察補助をしているナースとともにてきぱきと、し
かし丁寧に診察をこなしていく。
その手際は紛れもなく経験を積んだ医師のものに間違いなかった。
デスクの上にあるプレートには「フィリス・矢沢」と書かれている。
「はい、おしまい。それじゃあ、お大事になさってくださいね」
「先生、ありがとうございました」
患者さんが礼をして診察室を出て行く。わたしはカルテに二、三書き込みをするとフォルダに戻し、デスクの脇の籠に
入れる。
「じゃ、次の方どうぞ」
「あの、フィリス先生、今の方で終わりです」
わたしがデスクを見ると、その上にはカルテは一つもない。
「ふぅ……やっと終わったのね。なにか疲れちゃった。う〜ん」
わたしは椅子に座ったまま首を左右に曲げたあと、両腕を上げて背伸びをした。
「先生、お疲れさまでした。今日は患者さん多かったですものね」
ナースの小野寺さんが労いの声をかけてくれる。
「小野寺さんもお疲れさまでした。患者さん、本当に今日は多かったわね」
わたしからもおかえし。
「なにか風邪が流行りだしたみたいですし、これ以上忙しくならないといいんですが……」
「そうよね。医者が忙しいってそれだけ病気の方が多いって事だものね。今年こそは忙しくないといいんだけれど」
わたしは半ば諦めにも似た気持ちになっちゃっている。きっと今のわたしの顔って他人には見られたくないような顔に
違いない。それを見て小野寺さんが微笑を浮かべながらからかうように言う。
「そうですよね。高町さんとデートする時間くらい取れないといけないですよね」
「え……わたしはそんなつもりじゃ……」
わたし、思わずうろたえちゃう。そんなつもりで言ったわけじゃなかったの。
ただ、純粋に風邪が流行らないといいなぁって思っただけなのに、なぜかそういうほうの意味合いにとられちゃったみ
たい。
「いいじゃないですか。お付き合いしているんですからデートするのがあたりまえなんですよ。いくら忙しくたって、好きな
人といっしょにいられればそれだけで気持ちが和むものなんです」
確かにそう。恭也くんといっしょにお話をしていると、ううん、専らわたしばかりがおしゃべりをしていて恭也くんは聞き
役なんだけど、でも、本当にほっとしちゃう。
カウンセラーのはずのわたしが反対に癒されちゃうなんて、それでもいいのかなって思っちゃうときもある。でも、わ
た
しにとっての癒し系の切り札は間違いなく恭也くん。
だけど、最近はお互いに忙しくってなかなか会えなくなっちゃっている。
時々電話したりしてはいるんだけど、やっぱり声だけじゃなくて、会ってお食事をしたりしながらいっしょの時間を二人
だけで過ごしたいって思っちゃう。
「ええ、そうよね。でも、恭也くんも最近忙しいみたいでなかなか会えなくなっちゃったし」
わたしの一番大切な人、高町 恭也くんはまだ学生で、知る人ぞ知る凄腕のボディガードさん。そして御神流という古
流の剣術の師範代もしている。
わたしが恭也くんと初めて会ったのはお友達のフィアッセの紹介でわたしが彼の膝の怪我を診察してからのこと。
その怪我は、彼に剣の道を一度は諦めさせるほどのひどいものだったけれど、治そうと思えば治せないほどのもので
はなかった。そう診断したわたしは彼を説得して治療を始めることにした。
その治療の間に、わたしは恭也くんに惹かれていって、彼もわたしの事を想っていてくれて、お付き合いをし始めるよ
うになった。
そんなふうにしてお付き合いを始めてからもう二年にもなる。
初めのころはわたしもまだ新米医師だったし、彼のお仕事もそんなに忙しくなかったから、結構デートをしたりできて
いた。
お付き合いも徐々に進んでくるのにつれて、膝のほうも彼が私の言うことをちゃんと聞いてくれて節制してくれたから、
ほとんど問題ないくらいまで使えるように治ってきた。
すると、いったいどこで聞きつけたのだろう。そうなったら、恭也くんのもとにお仕事の依頼がたくさん舞い込んでき
て、恭也くんはお休みの日もないくらいに忙しくなってしまった。
これってわたしのせいなのかな?わたしが恭也くんの膝を意地になって治しちゃったからなのかな?
忙しい彼を見るとそう考えずにはいられなくなっている。
「そうだ。先生、いっそのことお休みを取られたらいかがですか?ここのところ、矢沢先生の学会用の資料をお作りにな
られたりでお忙しかったじゃないですか」
「お休み?うーん……でも、患者さんが多くって忙しいのにお休みをいただいたりしたらほかの先生方の顰蹙を買っち
ゃいそう……それに、義父さんの学会の資料、あれは内輪の話ですもの」
そう、実は一月以上もお休みがなかったんだ。でも、恭也くんもほかの先生方も忙しいのに、わたしだけお休みなん
て……って思っちゃっていた。
「そんなことないです。それよりもフィリス先生、最近とってもお疲れのご様子なので、ナースの間でもみんな心配してい
るんですよ」
ナースさんたちの気持ちもとってもよくわかるし、でも、わたしを頼りに来てくれる患者さん方の気持ちもわかるし……
本音はお休み欲しくないわけじゃないんだけど。
「う……ん、どうもありがとう。でも、まだ大丈夫よ。本当に大丈夫じゃなくなったらそのときはお休みをいただきますか
ら」
「……だといいんですが、先生、最近ちょっとお痩せになられたみたいですし……」
うん、確かにそれは否定できない。最近、食も細くなってきているし、疲れやすいのは間違いない。でも、きっと気候の
せいに違いない……わたしはそんな風に思い込もうとしていた。
「じゃ、わたしはこのへんで医局に戻るわね。お疲れ様でした」
先を続けようとした小野寺さんの言葉を遮るようにわたしは椅子から立ち上がろうとした。
突然、ひどい眩暈がわたしを襲った。
思わず立ち上がるのを止めて、わたしは椅子に再び座り込む。
「フィリス先生?大丈夫ですか?」
小野寺さんが尋ねる。
「ええ、大丈夫……」
そう言いながらもう一度立ち上がろうとしたそのときだった。
さらにひどい眩暈が再びわたしを襲った。
平衡感覚がなくなる。
景色がモノクロに変わり、渦を巻くようにどろどろと流れ出す。
机に手を突こうとしたが腕が動かせない。
目に映る画像がスローモーションになり、わたしはゆっくりと床に崩れ落ちた。
「先生!!フィリス先生!!」
小野寺さんがわたしを呼ぶ声が遠くで聞こえる。
そうしてそれがだんだんと小さくなっていき、わたしの意識は深淵に落ち込んでいった。
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