I wish……

Chapter 4 (後編)



Written by 春日野 馨


「……う……ん……」
 目が覚めると窓の外はすっかり明るくなっていた。
 隣には、わたしが寝ていた以外のお布団。そうだ、わたし、恭也くんとお泊りに来てたんだ。改めてそんなことを考え
る。
 恭也くんはというと、すっかり着替えて、窓際の椅子に腰掛けて外を見てる。
「先生、お目覚めですか?」
「ええ、ごめんなさい、ちょっと寝過ごしちゃったかしら……」
「いえ、そんなことないですよ。まだ六時半ですから。喧しかったですか?」
「ううん、そんなことないです」
 そうなんだ。わたし一人じゃこんなに早くなんてなかなか起きられない。きっと恭也くんがいてくれたから……
「それじゃ、ちょっと早いですけれど、ご飯にして早速出かけましょう」
 えっ……もう出かけるの?
 そういえば、昨夜、わたしをどうしても連れて行きたい場所があるって恭也くんが言っていた。
 でも、そこってそんなに遠い場所なのかしら……

 わたしは少なからず不安になっていた。
 恭也くんとお付き合いを始めて、恭也くんと一緒のときには感じたことのない不安感……
 でも、今はちょっと違っていた。もしかしたら恭也くんと一緒にいられなくなってしまうのかも、そんな不安が理由もなく
襲ってきている。
 そんなのいや。絶対にいや。わたしはこれからいつまでも恭也くんと一緒にいるって決めたんだから。絶対に離れな
いんだから。
 でも、そんなわたしの考えなどを押しつぶすかのように不安が広がっていた。

 不安感のせいだろうか?ご飯はとっても美味しいんだけれど、食欲が出てこない。
 せっかくのご飯なのに……

 それでもなんとか食事を摂る。でも、せっかく美味しいはずのご飯なのにちょっとしか食べられなかった。とっても悲し
い。
 わたしは宿の方に頼んでおかずだけでも折に詰めてもらうことにした。だって、一生懸命に作ってくださったのだか
ら。

 もともとわたしは少食ではあるのだけれど、それでもこんなに食べられないなんて事はない。ううん、今までそんなこと
はなかった。でも、今回は違う。
 その理由が、一番信頼している恭也くんがわたしに行く先を教えてくれないこと。そして、恭也くんが何を考えているの
か掴みかねていること。
 わたしが一番信頼しなくちゃいけない恭也くんなのに、信じていいのかわからなくなっているから……
 そして、その原因が恭也くんにあるんじゃなくて、わたし自身にあるから……

 あぁ……どうしたらいいのかな……よくわからなくなっちゃった……
 こういうときは考えちゃ駄目。かえって悪いほうに考えがいっちゃうから。恭也くんのすることだもの、悪いほうにいくは
ずなんてない。絶対にそうよね。そうに違いないわよね……

 恭也くんが、今夜はここに帰ってくるから大きな荷物は部屋に置いておいてもいいというので、わたしは貴重品などが
入ったポーチとおかずを入れてもらった折だけをもって行くことにした。
 恭也くんは旅館の方にお願いしておいたのだろう、おにぎりと水筒を持っている。
 昨日空港で借りたレンタカーに乗って出発。
 旅館を出て、一度スタンドに寄って給油をする。
 車のタンクだけじゃなくて予備のタンクにもガソリンを入れる。そんなに遠くに行くのかしら……今日中に旅館に帰れる
のかしら……
 でも、恭也くんはいつもと変わらず淡々としている。
 そうよね。恭也くんが普段どおりなんだからわたしも普段どおりでいいのよね。そう自分に言い聞かせる。

 給油を終わって車が走り出す。
 カーナビを見てもどこに行くのかわたしにはわからない。ううん、実はどう見たらいいのかわからないんだけれど……
 わたしは恭也くんに話し掛けていた。

「ねえ、恭也くん、どこに行くの?」
「先生の悩みの根本を探りに行くんです」
「……わたしの?」
「はい、そこに行けばきっと先生の悩みを取り除けるはずだと思います」
「……そう……なんだ……」

 昨夜と同じ答え……具体的なことはわからない。
 恭也くん……どうして教えてくれないの?わたしには言えない事なの?わたしが知っちゃいけないことなの?
 わたし、一人にされているみたいな気がしてる。
 お願い、一人にしないで。いつも一緒にいたいんだから……どんなときも二人でいたいんだから。だから……
 やだ……涙が出てきちゃった……どうしてなの?

 わたしは無言で助手席に座って外を見てる。外は風景が流れていく。
 恭也くんに「わぁ、綺麗ね」なんて言いながらドライブしたかったのに……つまんない、つまんないな……
 恭也くんも無言。聞こえるのは車のエンジン音だけ……

 車は幹線道路を山のほうへ向かって走っていく。そして、不意に脇道に入っていった。そこは車一台がやっとの細い
道路。
「これから揺れますから気をつけてください」
 恭也くんが声をかけてくれる。
「あっ……はい……」
 わたしは左手でグリップをしっかりと握る。確かに狭いうえに舗装もがたがた……そうしてしばらく走ると舗装すらない
砂利道に入った。

 車は更に進んでいく。いつのまにか道路は砂利道ですらなくなって、右に左に、前に後ろに、走るごとに揺さぶられ
る。道路というよりも原生林の中の車のわだちのついた場所を走っているというほうが正確かもしれない。
 もう涙を流していられる状態じゃない。一生懸命にグリップを握って体をホールドしていないと放り出されそう。
 そんな状態でも恭也くんはハンドルを右に左にすごい勢いで回して一生懸命に運転してる。
 周りはうっそうと茂る原生林……こんな中でもし車が止まっちゃったら……そう考えると恐い。
 日本の熊には二種類あったのよね。ツキノワグマとヒグマ……北海道はどっちだったっけ……どっちにしてもお友達
にはなれないかもしれないわね。だって、わたし、レンちゃんのところの小飛(シャオフェイ)にすら嫌われてるんですも
の。
 わたしはとっても好きだし、お友達になりたいんだけど、なぜか動物のほうから嫌われちゃうのよね。
 そんな意味のないことをふと思ってみる。

 と、そのときだった。目の前が突然開けた。
 見渡す限り一面の草原……恭也くんはその真中に車を乗り入れていく。
 もう車は殆ど揺れない。今までのすごい揺さぶられかたがうそみたい。
 そして、その草原のほぼ中央で恭也くんは車を停めた。

「先生、着きました」
 そういってエンジンを切ってドアを開ける。
 わたしもシートベルトを外して車を降りる。
「……」
 ここがわたしの悩みの根本にかかわる場所?なぜ?
 見回してもあたりは一面の大草原。他にはなんにもない。ここにいるのはわたしと恭也くんの二人だけ。
 とてもそんな場所には思えない。

「ねえ、恭也くん……」
 わたしは恭也くんに質問をしようとして彼の姿を探した。恭也くんは……車から少し離れたところの大きな石の前でひ
ざまづいていた。
 わたしが近づいてみるとそれはただの石ではなかった。
 石碑……そして、それにはこう刻まれていた。

     薄幸なる十二の銀の女の童、ここに眠る。
     この世に生を受けたるも、天寿を全うせんとの望み叶うこと能ず。
     その魂、願わくば極楽浄土に召され幸いならんことを

 脇にはお地蔵様が十二体……
 ……十二の銀の女の童……十二の……

 わたしは悟った。
 ここは、ラボの跡地なんだ。わたしたちの力をを生体兵器として利用しようとしたあのラボの跡地なんだ。
 ここは……わたしたちが生まれ、姉妹たちと暮らし、戦った場所……そして、みんなが望み叶わず死んでいった場所
……
 わたしは涙の溢れ出てくるのを止められなかった。

 ここでわたしが生まれなければ……
 みんなと戦ってわたしとシェリーが生き残ってリスティのところへ行かされなければ……
 さざなみ寮で知佳さんと出会わなければ……
 海鳴大学病院で義父さんと出会わなければ……
 医師になってフィアッセと出会わなければ……

 沢山の偶然が重なって……沢山の出会いが生まれて……

 そんな偶然が重ならなかったら、わたしはきっと生体兵器のままで恭也くんと出会うこともなかった……
 そして、もう一度ここに来ることもなかった……

 そう。わたしにとってはここがわたし自身の始まりの場所。そして、わたしの日常が始まった場所。普通とは相当違う
日常だけれど、わたしにとってはそれは生きてきた証。

 わたしが今まで生きてこられたのもここで眠るみんながいてくれたから。

 一番のお姉さんのサブリナ、ムードメーカーのケリー、慎重派のクリス、行動派のジル、走るのが速いジェミー、悪戯
好きのアニー、一番の仲良しのシンシア、末っ子で甘えん坊のクレア、理論派のサリー、優しいステラ、泣き虫のパテ
ィ、歌が好きなジュリア……

 みんなと一緒だった日々が思い出される。

 訓練のないときは、暗くなるまでシンシアと一緒に遊んでた。
 一度は真っ暗になって道がわからなくなって……ラボの職員と一緒にサブリナが探しに来てくれたっけ。わたしたちは
サブリナにしがみついてわんわん泣いていた。
 一番末っ子のクレアはシェリーと仲良しでよく二人してわたしに甘えていたっけ。訳を訊くと
「フィリスお姉ちゃんは優しいから」
と言っていた。
 わたしは何か困ったことがあるとすぐ上のステラによく相談していた。ステラはそんな時、とっても優しい顔になってわ
たしの話を聞いてくれたっけ……
 パティは何かあるとすぐに泣き出していた。そんなパティを慰めるのはジュリアとケリーの役目だった。
 慎重派のクリスと理論派のサリーは結構意気投合していた。行動派のジルとよく言い争っていたっけ。でも、すぐに
仲 直りしていたけれど。
 ジェミーは走るのが速いだけじゃなくて身のこなしもとっても素早かった。わたしもあんなふうになれたらなぁなんてい
つも思っていたっけ。
 アニーは悪戯好きだけれど、すぐにそれが見つかって、サブリナによく叱られていたっけ。
 でも、それにもめげずにまたすぐに悪戯をしていたけれど。

 みんなと一緒にいられたらもっともっと楽しかったのに。
 みんながここにいてくれたら……
 みんなと一緒にいたかった。

「みんな……ごめんね……ありがとう……」
 わたしはお地蔵様の一体一体に手を合わせていった。
 みんなの冥福を祈り、そして、恭也くんと出会えたことに感謝しながら……


「ねえ、恭也くん」
「はい」
「……連れてきてくれてありがとう……わたしね、ここを出てから来たことなかった。だから、本当に久し振りの里帰りな
の」
「……そう……ですか……」
「何年振りかな……でも、わたしの中では場所も判らなくなっていたから……」
「……それなんですが、矢沢先生が……」
「……義父さんが?そうだったの」

 わたしたちの事件は闇に葬られていて、その資料を探すことなんてとても出来ないことだったから、どうやって義父さ
んがその資料を探すことが出来たのか……
 でも、それはどうだっていいこと。わたしにはここに来られたということのほうが重要なのだ。

 わたしはもう一度十二のお地蔵様に手を合わせた。恭也くんと一緒に。

『みんな、フィリスは元気です。とっても優しい人に会って助けてもらって、今、わたしは医者になっています。沢山の人
を助けるために。それがわたしの存在意義だと思うから。でも変よね、生体兵器として作られたわたしが医者を職業に
してるなんて……そうそう、今、隣にいるのはわたしの彼です。恭也くんっていうの。見た目はちょっと恐いくらいでちょっ
とぶっきらぼうだけど、実はとっても優しいの。あっ……大事なことを忘れていました。リスティもシェリーも元気です。二
人にはここのこと、伝えておきます。いつかきっと三人でまた来ますからそれまで待っていてくださいね。必ず来ます。
必ず……』

 みんなにそう伝えるとわたしは立ち上がった。

 くよくよしているなんてみんなに申し訳ない。みんなのおかげでわたしは生きているんだから、みんなの分まで一所懸
命に生きなくちゃいけない。
 そう、わたしは一人じゃない。いつもみんなと一緒。そして、大好きな恭也くんと一緒なのだから。だから、どんなことで
も乗り越えられるはず。

 たとえ、わたしの日常が普通の人のそれとかけ離れていようとも、それはわたしにとっては紛れも無い日常。
 そして、その日常はみんながわたしにくれた大事な贈り物。恭也くんと一緒に大事にしなさいってわたしにくれた贈り
物。
 だから、大事に大事にしないといけない。それがわたしにとって一番の宝物なのだから。

「みんな、またね」
 わたしはそう言うと車に向かって歩き出した。後から恭也くんがついてくる。
 最後に心の中で呟く……
『今のわたしは幸せ。でも、みんなが一緒にいてくれたなら……もっと幸せだったはずなのに……』
 それだけが残念だった。
 でも、後ばかり見ていてはいけない。わたしは前を見ないといけない。
 それはみんなのためにも、患者さんたちのためにも。恭也くんのためにも。
 そして、なによりもわたし自身のためにも……

 わたしは前に向かって歩き出した。
 一杯の感謝とちょっとの心残りを携えながら……


To be continued





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