Written by 春日野 馨
「ったく……こんな手紙一本で……」
あたしは手に持った手紙を見ながら愚痴る。
発信元は仁村 知佳。あたしのたった一人の妹。そして、内容は……
「まゆお姉ちゃん、わたし、好きな人ができました。一緒になります」
あたしにひとつの断りもなしに決めやがって……
こんなときには呑まなきゃやりきれない。ビールあったっけか?
部屋の冷蔵庫を開けてみる。こんなときに限って買い置きがない。しかたないな……
あたしは仁村 真雪。というよりも漫画家「草薙 まゆこ」といったほうがいいかも。
一応、漫画描きなんてものをやってて、そこそこに人気もある。連載もいくつか持ってるし。
まぁ、それなりに平穏な生活なんだろうか?
雨風がしのげて、食事もちゃんとできる場所があるし……
唯一の不満といえば、管理人のあいつが愛とくっついちゃったことだけどそれはそれ。
愛とあいつがお互いに選び選ばれたんだから。
ま、あたしもあいつらのねたを漫画にさせてもらってるからどっちもどっちかな。
あたしはぼんやりと階段を下りて食堂に向かう。
食堂では包丁で何かを刻む音と煮物だろうか、明日の献立の仕込だろう。お出汁の香りが立ち込めている。
そして、キッチンには大きな背中。管理人で愛の旦那、耕介がそこにいた。
「真雪さん、どうしたんですか?」
「ん〜締め切りの山も終わったしね、ちょっと一杯やろうかって」
「で、下りてきたってことは買い置き切れちゃったんでしょ。はい、これ」
言うが早いが冷蔵庫から出てくる缶ビール……こいつのいいところっていうのはこういうところなんだよな。
「あ……落ち着くまでまだちょっと時間ありますから、これつまみにしてください」
ったく、よくできた管理人だよ。ここにはもったいないくらいだな。
こいつほどの料理の腕と気配りがあれば、店出しても絶対成功するだろうな。
そんなことをふと考えてみる。
あたしはリビングのソファーに座って、渡されたビールの封を切る。
プシュッ
コップに注いで、ぼんやりとしながら金色の液体と中に浮く泡を見つめる。
人生って泡みたいなもんかな……
浮かんだり沈んだり……
「……」
「……雪さん?」
「真雪さん?」
「……ん……あぁ……なんだ、耕介か……」
「どうしたんですか?何か今日は変ですよ」
「そうかぁ?あたしはいつもどおりだけど」
「決して短い付き合いじゃないんですから、真雪さんがいつもと違うくらいは俺だってわかりますよ」
「……そうかぁ……ま、たいしたことじゃないけどな」
「『たいしたことじゃない』じゃないですか、知佳の問題でしょ?」
あたしはびっくりした。こいつ、何で知ってるんだ?
「耕介、それをどこで?」
「……愛さんには言うなって言われてたんですけどね、知佳から手紙着てたんですよ……」
「……そうかぁ……あいつらしいな……」
そう、知佳はそういう子だ。
周りへの気配りを欠かさない。あたしがそういうふうに育ててきた。でも、今回だけはそういう気配りはしないで欲しか
った……
「耕介さん?なにか手伝えることない?」
「あ……愛さん。ちょうどよかった。こっち来て一緒に呑まないか?」
「ええ。真雪さん、お仕事おつかれさま」
「ああ……ありがとな」
「元気ないですね」
「あぁ、耕介とちょっと話してた」
「話して楽になるんでしたらいくらでも使ってくださいね」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
「で、単刀直入に訊きますけど、真雪さんはどうするんですか?」
「どうするって……呼びつけてあたしの眼鏡に適うかどうか検分してやる」
あたしはコップに入ったビールを一息であおる。
耕介がそれを見て酌をしてくれる。
「あの……真雪さん、わたしがこんなこと言ってもいいのかわからないですけど」
「……ん?」
愛が恐る恐る口を挟む。
「わたし、今回の件って知佳ちゃんが本当に一所懸命考えて決めたことだって思います。わたし自身の時もそうでした
けど、一生ついて行こうって思う人を決めるのって本当に悩んだんですよ」
「……うん」
「……わたしは耕介さんっていう人が目の前にいてくれて一緒に生活していたから、あぁ、この人にだったらついていこ
うって思ったわけですけど、それでも悩んだんですよ」
「……あぁ……」
「知佳ちゃんがここまで決心して、こうしたいって言ってくれたのって、すごくうれしいことなんじゃないですか?」
「……でも……それをあたしに一言も相談なしに決めたのが……」
あたしはそこまで話すとビールをまたあおる。
テーブルの上の缶を取ったけど、空っぽ……
「真雪さん、今度はこれ、いきましょう」
耕介が一升瓶を持ってきた。
愛と耕介が旅行に行って買ってきた地酒……
「……おい、それ空けちゃうのか?」
「ええ、こういうときじゃなけりゃ呑めないですもん。な、愛さん、いいだろ」
「ええ、いいですねぇ、お酒は好きな人に味わって呑んでほしいなって思いますよ」
愛も耕介も笑いながらそう言う。
こいつら最近策に手が込んできやがったな……
あたしもつられて苦笑する。
グラスを片付けて徳利とぐい呑みを出して、さしつさされつ……
「だから、あたしとしては勝手に決められたのが気に入らないわけよ」
「ええ、でも、知佳ちゃんももう大人でしょ……」
「でも保護者はあたしだ」
「……真雪さん、俺はね、知佳は真雪さんから離れていくんじゃないんだって思いますよ」
耕介の一言……
あたしは思わず耕介の顔を見る。
耕介が言葉を続ける。
「俺はここの管理人なんてしてるでしょ、そうすると、何年かに一度は寮生のほとんどが入れ替わっちゃうんですよ。す
ごく寂しいですよ……」
耕介がぐい呑みをあおる。
すかさず愛が酌をする。
「ええ、わたしもそう。せっかく気心知れて……家族になれたのになって思ったらお別れでしょ、寂しいですよ」
「ああ……」
それはあたしも確かに感じる。
せっかく仲良くなれて……一緒にいろんなことをできるようになったのに、別れなくちゃいけない……
正直言って別れなんてなければいいのにと思わずにはいられない……
「でもね、真雪さん。そんな寮生が『近くに来ましたからー』なんていってふらっと来てくれることだってあるわけですよ…
…
俺はそれがうれしいんです」
「……」
「あぁ、この子の心の中にはちゃんとさざなみ寮があるんだな……って」
「……」
「そして、みんな来たときにこう言ってくれるんですよね。『ただいま〜』って」
「……」
「そういえばみんなそうよね。必ず『ただいま〜』ですものね」
そういえばそうだ……
前にいた寮生達……ゆうひ、薫、みなみ、舞、那美、ほかのみんなも必ず「ただいま」といって入ってくる。
あたしはここが家だから当たり前だと思っていたけど……
「俺はね、たとえ半年でも一年でも、ここにいてくれたみんなは家族だって思ってるし、ここはみんなの家なんだから、気
兼ねしないで帰ってきて欲しい……そう思ってるんです」
「ええ、そうよね。わたしもそう。ここで一緒に暮らしたときってすごく大事だって思うもの」
「だから……俺の役目って、みんなが帰って来れる家を守る事なんだって思うんですよね」
そこまで話すと耕介はぐい呑みをあおる。
「そのために俺ができることって何かなって考えたんですよね……そうしたら何のことはない、自然体でいればいいんだ
って……今までと変わらずみんなに接していけばいいんだって気がついたんです」
「……そういうものなのかなぁ……」
「ええ、そうだと思いますよ。知佳だって、真雪さんはもちろん俺や愛さんにも手紙をくれるってことは、ここが知佳にとっ
て帰れる場所だって思ってくれているからなんじゃないですか?」
「……」
「もしそうじゃなければ手紙なしで事後承諾になっちゃってたと思いますよ……でも、知佳はそういうことは嫌いな子だ
し、知佳も自分の心のよりどころがなくなるのが耐えられないんじゃないかって思うんですよ」
「あたしよりも知佳のこと知ってるじゃないか……」
あたしは耕介に苦笑する。
ったく、この管理人は見ていないようで、その実とてつもなく鋭いときてる……
「だから、俺はここを守りたい……みんなが帰ってこれる場所を大事にしたいんですよ」
「……そうだな」
「知佳にとってはほかの子たちよりもさらに特別な場所なんだと思いますよ……真雪さんのいる場所……知佳にとって
は実家なんですから」
「……そうか……そうなんだな」
「耕介さんがいてくれれば大丈夫だと思いますよ。だって……耕介さんあってのさざなみ寮なんですもの」
「……そんなことないですけどね……」
愛と耕介の笑い。
あたしもつられて笑っていた……
そうだな……あたしが考えすぎていたのかもしれない……
あたしにはあたしの、知佳には知佳の人生がある。
知佳は確かにあたしの大事な妹……だけどあたし自身じゃない。
あたしが知佳にできることは、知佳が帰りたくなったときに帰ってこれる場所を作っておいてやること……
そして、帰って来たら昔みたいに夜通ししゃべって……愛や耕介も巻き込んで……
それでいいんだろうな……
「お〜し、今晩は呑むぞ〜、愛、耕介、とことん付き合えよ〜」
「お、元気でましたね、望むところです」
「わたしもお相伴しますね」
「耕介〜、知佳の部屋にいつものが置いてあるから持ってきてくれ」
「了解」
「あ……耕介さん、わたしが行ってくるから、何かつまむもの作って」
「うん、じゃ頼むよ」
これがさざなみ寮のいつもの風景。
いつまでもこのままでいられるように……
いつまでもみんなの家でいられるように……
あたしもそんなさざなみが好きだから……
ありがとう、さざなみ寮。
ありがとう、愛、耕介……
あたしは幸せだよ……
(初出 白銀のココア亭)
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