Written by 春日野 馨
今日はとっても良い天気。こんな日にデートできるのっていつ以来かしら。
わたしたちのデートって、いつもはなかなか良いお天気になってくれない。どうしてなのかな?
わたしの日頃の行いが悪いからなのかしら……
せっかくいいお天気になったんだし、とにかく楽しいデートになって欲しいなぁって思っちゃう。
わたしはフィリス・矢沢。海鳴大学病院の医師。でも、まだまだ新米なんだけど。
待ち合わせまであと二十分くらいかな?左腕の時計を見ながらそんなことを考える。
今日はどこ行こうかなぁ……久しぶりに時間も取れたから、ちょっと遠出できるといいな。
恭也くんもわたしもお互いになかなか時間が合わないから、こうやってデートできるのって本当に久しぶり。
いつ以来かな……なんて指折り数えて思い出してみる。
先月はわたしが忙しくて……その前は恭也くんのお仕事がいっぱいで……その前は二人とも忙しくて……
え?この前一緒にお出かけしてから四か月も経ってるの?
改めてびっくり。
リスティに
「こんなにデートできないなんて、まるで遠距離恋愛みたいだな」
って言われたことあるけど、ほんとにそう。
会えたのは恭也くんが定期健診で来てくれたときとわたしが当直のときくらい。
これでも恋人っていえるのかしら。
自信なくなってきちゃうな……
待ち合わせの時間まであと十分……
今日は恭也くん、どんな服で来るのかな?またいつものとおりの黒尽くめなのかな?
ちょっとはお洒落にも気を使って欲しいなぁっていうのは勝手かしら。
わたしだって仕事のときはいつもグレーのスーツばっかりだしね。
でも、やっぱりデートの時にはそれなりに服には気を使うし、好きな人が一番光って見える服を着てほしいなぁって思
っちゃう。
早く来ないかな、恭也くん……
あと五分で時間……
恭也くん、まだ来ない……
いつもはもう来ているはずなのに、どうしたんだろう。
遅れるときには必ず連絡くれていたのに……急なお仕事が入っちゃったのかしら。
わたしから連絡を取りたいけど、でも、お仕事中だったら悪いし、なんといっても恭也くんの邪魔になっちゃう。
じっとこらえて、わたしは待ち続ける。
……時間になっちゃった……
でも、恭也くんの姿は見つからない……
連絡を取ろうとして、携帯を忘れちゃっている事に気づいた。……なんて最悪。
待ち合わせしてた人かな?仲良く連れだって歩いていく。ちょっぴりうらやましい。
わたしもあんなふうに歩けてたはずなのになぁ。
「はぁ〜……」
ちょっとしたため息と一緒にわたしは海浜公園のちょっと陰のほうのベンチに腰を下ろす。
わたしと恭也くんのデートってなかなか時間通りにいったためしがない。
わたしのほうに急用が入るか恭也くんのほうに急なお仕事が入るかで時間なんてあってないようなもの。
それでも一年くらい前までは、何とか仕事と検診以外で二人一緒の時間も持てていた。
ほんとに短かったけれど。
それすら持てなくなってしまったのはお互いがとても忙しくなっちゃったから。
ちょうどそのころから、わたしは義父さんに代わってG病棟の研究プロジェクトを任されるようになっちゃったし、恭也く
んはボディガードのお仕事がひっきりなしに入るようになっちゃった。
毎回欠かさずに来てくれていた当直の晩も、ここのところは多くて月に二回くらいしか来られなくなったって言ってた
し、それに、膝の検診もここのところ調子がよくなってきたから月に一回ペース。
ますます会えなくなってきちゃってる。
わたしはポシェットに入れたパスケースを取り出して開く。中には去年一緒にお祭りに行ったときの写真。
そこには神社の境内でにっこり微笑んだ恭也くんと、その隣にはこれ以上はないくらいうれしそうな顔のわたしが写っ
ている。
このときはわたしが桃子さんに浴衣着せられて……確か恭也くんもお父さん、士郎さんの形見の浴衣着せられて、二
人で冷やかされながら那美さんの神社のお祭りに行ったんだっけ……
写真は境内にいたなのはちゃんが得意のデジカメで撮ってくれて、わたしと恭也くんに一枚づつくれたのよね。
フィリス先生とおにいちゃんにって……
その写真を見ながら、わたしはこんな考えを巡らしていた。
……だめ……やっぱりわたしなんかじゃ……
恭也くんにはもっとふさわしい人がいるはず。
わたしは恭也くんの恋人なんかじゃない。
わたしは年上で年下で、わたしと恭也くんは医者と患者の関係で……フィアッセの共通の友人。
そう……たまたまそうだっただけ。
それでお近づきになれたのを恋だとわたしが勘違いしているだけ。
恭也くんにはもっと彼にふさわしい女性がいるはず。
たとえば、月村さん。
傍で見ていても、わたしの知る限りでは一番、彼女が恭也くんにふさわしい女性だって思う。
背も高くて、綺麗でかわいらしくて優しくて、とっても明るくて……
きっと彼女なら恭也くんを支えてあげられると思う。
なんで……わたし、恭也くんを好きになったのかな?
なんで恭也くんはわたしとお付き合いしてくれているのかな?
わたし、もう恭也くんに愛想を尽かされているのかも知れない。
……恭也くんだってお互いに時間が合っていつでも会って一緒にいられる女性のほうがいいわよね。
わたしが恭也くんの立場ならそう考えちゃったとしても不思議じゃない。
わたし……身を引いたほうがいいのかしら。
膝だってずいぶんよくなってきているから、もうほかの先生にお願いしたって大丈夫なくらいだし。
このままじゃ恭也くんと顔を合わせるのがつらくなっちゃう……
好きなのに……大好きなのに……
会いたくて仕方ないのに……
ずっとずっと一緒にいたいのに……
写真が滲んできちゃった……
ううん、写真だけじゃない。回りみんなが滲んできちゃった。
前向いていられない……
ハンカチで目を押さえて下向いて……
だって、泣いてるところなんて見られたくないから。
「フィリス……先生?」
突然そんなわたしに声がかかる。
聞き覚えのある声に驚いて顔を上げると、目の前には背の高い女性が立っていた。
「……あ……ノエル……さん?」
「……はい」
そういうとノエルさんはにっこり笑う。とても自動人形だなんて信じられない。ううん、むしろ人間よりも人間じゃないか
って思うことすらある。
「先生、いかがされました?」
「……ノエル……さん」
わたしは、ノエルさんにしがみつくと泣き出していた。
ノエルさんの胸に私の顔をうずめながら。
そしてしばらく時間が経った。
わたしの涙が枯れ始めたころ、ノエルさんがわたしに尋ねる。
「フィリス先生……いかがされましたか?お嬢様からは、確か先生は今日は高町様とデートなさる日だとうかがっており
ましたが」
「……ええ……」
そう答えるのが精一杯。
そんなわたしにノエルさんは持っていたポシェットから化粧品を出してくれて、涙で崩れたメイクを直してくれる。
まずはウェットティッシュでメイクを落として……
「高町様もお忙しいお方ですから。お嬢様も高町様となかなかお会いできないとおっしゃっておいででした。最近は大学
にもなかなかおいでになれないご様子で、お嬢様がノートなどをお作りしてお届けなさっておいでのようですが。あ…… ちょっと失礼します」
そういいながら軽くファンデーションをつけて……
わたしは軽く目を閉じる。
そう……なんだ。
目を閉じたままそれを聞いて、わたしは半ば覚悟を決めた。
わたしじゃやっぱり恭也くんのお役になんて立てないものね。
やっぱり月村さんの方がずっとお似合い……
恭也くんに伝えよう。恭也くんにはわたしはふさわしくないから、だから医者と患者の関係に戻ろうって。
わたしなんかよりも月村さんの方がお相手としてずっとお似合いだよって。
それが表情に出たのだろうか?ノエルさんはわたしにこう言った。
「……先生、誤解なさらないでください。お嬢様も高町様も先生が大好きなのです。先日もお嬢様が私(わたくし)におっ
しゃられておいでだったのですが、高町様は、お嬢様とはご学業のことと私(わたくし)のこと以外の話はほとんど先生 のお話しかされないそうです」
「……」
「もちろんお嬢様もそんな高町様のお話を楽しそうに聞いておいでなのですよ。この前お越しになられましたときも講義
のノートをお持ちになられた以外はそのお話ばっかりでした。あ、そのままお目は閉じられててください」
月村さん……それでいいのかしら。
月村さんだって、恭也くんのことを好きにちがいない。それでいいの?
わたしなんかよりもすっと立場も近いし歳だって近いし、それにもっとたくさん会えるはずだもの。
目を閉じたわたしの瞼の中に、月村さんと恭也くんの仲のよい姿が浮かんでくる。
「先生、自動人形の私(わたくし)がこのようなことを申し上げるなどというのは僭越なのですが、先生はもっとご自身を
表に出されてもよろしいのではないでしょうか?」
「……表に?」
わたしは思わず訊きかえす。
「はい。私(わたくし)の目から見ましても先生はご自身を抑えすぎのように見えます。もっとご自身のお気持ちに正直に
なられてもよろしいのではないでしょうか」
「……正直に……そうしているつもりなんだけど……」
「いえ、私(わたくし)にはそうは見受けられないのです。高町様へのお気持ちをもっと正直にお出しになられてもよろし
いのではないでしょうか?」
「……」
「先日お嬢様がこうおっしゃっておいででした。『高町君とフィリス先生って見てるととってもじれったくなっちゃうのよね。
いまどきの小学生だってあんな付き合い方しないわよ』と」
聞いたわたしは苦笑いするしかなかった。小学生以下……か。確かにそうかもしれない。
「でも、そのあとお嬢様はこうおっしゃられておいででした。『ま、そこが高町君とフィリス先生のいいところだから私も応
援してあげたくなっちゃうんだけど。ノエル、どう?』」
「……あの……」
わたしがノエルさんに話しかけようとしたときだった。
「先生、お口を軽く開いていただけますか?ルージュを引きますから。……はい、ではこれを軽くはさんでください」
そういうと、ルージュを押さえるティッシュを口元に当ててくれる。わたしはそれを唇で軽く挟む。
「あの……ノエルさん、さっきの……」
改めて話そうとしたときだった。
「フィリス先生ー、ノエルー、何してるの?」
声とともに現れたのは月村さん。
「あ……ノエル、フィリス先生にメイクしてあげてたんだ。うん、相変わらずノエルのメイクは上手だよ」
「お嬢様、ありがとうございます。先生、こんな感じですがいかがでしょうか」
そういうとコンパクトの鏡を手渡してくれるノエルさん。わたしはその鏡を見て驚いた。
決して派手ではないけれど、でも、今までのわたしとまったく違うわたしがそこにはいた。
「うん、フィリス先生、とってもよく似合いますよ。ノエルはねー、その辺の美容師さんよりもメイクもカットもうまいから、い
つも私もやってもらってるの。よかったら今度いかがですか?」
「……ええ……でもいいのかしら」
「ええ、高町君だって時々来ちゃってますし」
その一言を聞いてわたしの胸はちくんと痛んだ。
「あ……誤解しないでくださいな。高町君がうちに来るのはね、ノートを返しに来るだけ。そのついでにノエルに髪切らせ
てるだけだから。だって、高町君ったら放っておいたらまったくかまわないんだもん。先生みたいな可愛らしい彼女がい る って言うのにあんまりぼさぼさじゃいけないものね。ねーノエル」
「はい、お嬢様」
「フィリス先生、私と高町君とは所詮、風校と大学のクラスメートなんですよ。実はね、ちょっと高町君っていいかなーな
んて思って言ったことあるんです。付き合って欲しいなーって」
そうなんだ……わたしはもうなにを言われても受け入れる気になっていた。
「そうしたらあっさりこう言われちゃった。『月村の気持ちはうれしいけど、俺にはフィリス先生という護らなくちゃいけない
人があるから気持ちには添えない。ごめん』って本当にストレートに」
空を仰ぎながら月村さんは続ける。
「あそこまでストレートに言われちゃうとかえって納得できちゃうものなんですね。私、フィリス先生がうらやましいなぁ」
「……」
わたしは息を飲んで月村さんのほうを見た。
月村さんはいつもと変わらずニコニコしてる。
でも、月村さんと恭也くんとの間にそんな会話があったなんて。
「私ね、高町君って本当に先生を愛しているんだって思いますよ。だって、私と話しているときも学校の話と先生の話ば
っかり。私の話なんてほんのお飾りなんですよ。ちょっと妬けちゃうなぁ」
「ということでお邪魔虫はそろそろ退散しますね。イレインにうちの事任せっぱなしなのも心配だし」
「はい、お嬢様」
「あ……これ言っておかなくっちゃ。高町君からの伝言。海浜公園にいるフィリス先生にって。『急な仕事のせいで一時
間ほど遅れます。申し訳ない』以上です。じゃ……今度こそ退散しようっと。じゃ……またね。よかったら二人でうちに遊 びに来てね」
「先生、それでは失礼します」
そういうと月村さんとノエルさんは去っていった。
それと入れ替わるかのように走ってくる足音。
「……先生……ごめんなさい。急な仕事で……」
目の前に立つと同時にそういって頭を下げる恭也くん。
わたしはそんな恭也くんの右腕を取ってぎゅーっと抱きついていた。
「ね……今日はどこ行こうか?遅れてきた罰だから恭也くんが考えてよね。いつもはわたしが考えてるんだから」
怪訝そうな顔をする恭也くんにわたしは続ける。
「ね、早く決めないと日が暮れちゃうわよ。決められないならわたしが決めちゃうわよ。いい?」
「……うん……」
「じゃ、決定。どこでも文句言わないこと、約束よ。」
そういうとわたしは恭也くんの腕に抱きついたまま歩き出した。
わたしも恭也くんも普通とは違う……ちょっと変わった恋人関係。
たとえ一緒にいる時間は短くても間違いなく恋人同士。
だから、会えたときは思いっきり二人で楽しもう。
でも、会えないときはお互いのことを想い続けよう。
それが大切な人への礼儀だし、それが恋愛だって思うから。
もう自分が恭也くんにふさわしくないなんて思わない。
もう絶対に離したくない。
わたしにとって恭也くんはそういう人だから。
わたし、恭也くんに出会えてよかった……
恭也くん……この世の誰よりも大好きよ。
あ・り・が・と・う
(初出 天使の休息)
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