Written by タケ
「奮い立て、奮い立て、"力"を纏え」
――イザヤ書の一節――
――海鳴市某所――
定められていた集合時刻の5分前。
実働班と支援班、そして+αが二人、そこに集まっていた。
実働班は弓華と美沙斗、支援班は香港から急遽派遣されて現場指揮を引き継いだ、グエン・ヴァン・タオとクラトゥ・ナ
グマ(他の支援メンバーは、ターゲットを追跡していた)。そして――
「御剣?というと、今度の件(ヤマ)で重傷を負った――」
「火影は、私の兄です」
グエンの問いに答えたのは御剣いづみだった。いづみは弓華と連絡を取って、殆んど強引にメンバーの中に割り込ん
でいたのである。
「なるほど……だが、それとこれとは」
「いづみノ強さハ、この私ガ保証しマす」
難色を示すグエンに横槍を突き入れたのは、弓華だった。
部外者がこの突入に加わる事は反対だ、と反論しようとしていたグエンだったが、二人の表情を見て"何も言わない"事
にする。二人とも、目が異常に「据わっていた」からだった。
やれやれ。どうも、今度のヤマで弓華は相当「頭にきている」らしい――兄をやられたいづみ君は当然としても――今
までこんなになった弓華を、見た事はないからな。これは、やはり……。
そこまで考えていたグエンの思考を現実に戻したのは、+αのもう一人、リスティ・槙原の状況説明だった。
「ターゲットの居場所、ビンゴだったよ。っとぉ、この場所だね」
広げられている海鳴市の地図の上に、とある廃ビルの写真が置かれた。美沙斗はふと、自分が以前廃ビルで寝起きし
ていた事を思い出していたが、そこは、今はもう瓦礫の山である。場所はその「瓦礫の山」から直線距離で1qも離れ ていない。
「クリステラ・ソングスクールの一件から、奴等は慎重になってたみたいだけどね、今回は大物が出張ってきてるよ」
リスティはそう言って、もう一枚の写真を出した。
「……!」
弓華の表情が引き締まった。
「弓華?こいつを知ってるのか?」
「…………」
いづみの問いかけに構わず、弓華はその写真の顔を睨みつけるように、いや、実際睨みつけていた。
「通り名は"馳龍"(ちりゅう)……本名は張元鳳(チャン・ユワンフォン)……『龍』の幹部でもトップクラスの大物です。こ
れも槙原女史がいなければ、こうもクリアに撮れなかったでしょうが」
ナグマが捕捉するかのように、口を挟む。
「はぁ〜あ、そう思うんなら、もう少しはずんでも良さそうなのに……」
「……幹部ハ普通、表に出テ来ない……でも、こノ男だけは、違ウ」
報酬に若干(?)の不満があるのか、少々ぶうたれているリスティの後を継いで、弓華が呟く。
「私も一度見た事はある。話した事はないがね」
美沙斗の言葉を継いで、グエンが更に口を開く。
「……まぁ、とにかくこの"馳龍"は、この十年来、いやもっと前からかな?中国、韓国、そして日本での活動に関わって
いた。嘘か真か、他のテロ組織との関わりも伝えられている。だが、ある時大きなケチがついて、それ以来目立った動 きはソングスクールの時までさほどなかったんだ」
「ケチ、ですか?」
グエンはいづみの問いに、質問で応じた。
「君は"HGS"……変異性遺伝子障害という病名を知っているかい?」
「あ、というか……」
と、いづみはリスティを見る。リスティはそれに対して軽く肩をすくめてみせた。それだけではあったがグエンは得心がい
ったらしく、
「そうか、なら話は早い。これはうちらの隊長が直々にケリをつけたんだが、"馳龍"の動きとは別に、奴等はその"HGS
"に早くから目を付けて、ある計画を立てていた――"HGS"患者を"自分達で作り出して育て上げ、生物兵器として"売 り出す――はっ、中々に大きな話ではあるがね」
「なっ……!?」
絶句するいづみ。リスティは、敢えて一言も口を開かない。
「だが"馳龍"のヤツは、恐らくは保身の為だろうが、そいつらとの連携を全く取らなかったんだ。で、隊長がケリをつけ
た後辺りから――多分組織に睨まれたんだろう――あまり目立った動きを見せなくなっちまってね。たまに動いてもそ の度に有力な手駒を無くしていったからな」
そう言うと、グエンはイタズラっぽい目つきで弓華、美沙斗を交互に見る。その表情は、まるで人の好いお父さんであ
る。もっとも話の内容は剣呑極まりないものだが。
グエンの言葉に、いづみは思い出した事があった。初めて弓華と出会い、やがて正体を知った時の事。弓華はいづみ
の視線に、多少ばつの悪げな苦い笑みで応える。美沙斗も苦笑していた。
「今度は、恐らく"馳龍"にとっては瀬戸際かもしれませんね。我々と他の"対犯罪組織"が連携して以後、活動は下降
線の一途を辿ってますから」
ナグマが語を継いで、
「で、このビルは地上五階の構造なんですが……」
と本題に入り始める。ところがここで、美沙斗がこんな事を言い出した。
「最初を私に任せてもらえれば、正面からいけるよ」
全員が見つめる中、美沙斗は微笑みを返す。黙って様子を見ていたリスティが、ニヤリと笑っておもむろに口を開い
た。
「OK、なら今回ボクは、高見の見物だね」
0200時。
草木も眠る、とはよく言ったもので、この夜は風も無かった。
廃ビルのすぐ近く。無造作に積まれた土管の影で、弓華、いづみ、美沙斗の三人が夜目を凝らして様子を窺っている。
ビルから明かりが漏れている様子はないがこれは当たり前の事で、誰がそんな「ボロ」を出すだろう?
「ピケットライン」(警戒線)を張った支援班からは、何の報告も無い。つまりは、内からも外からも、何の動きも無いとい
う事だ。
「……弓華、そのジャケットは……もしかして?」
「はい、警防隊に行く時火影かラ頂いタものです……でハ、行きマしょう!」
「よし、行こう!」
「…………(コク)」
まずは美沙斗が先行し、低い姿勢で素早く暗がりを駆け抜け、建物に近付いていく。その姿からは、殆んど気配を感じ
ない。いづみはもとより弓華ですら、その無駄の無い動きには感嘆せざるを得ない。音も無く壁伝いに入り口に近付く 美沙斗。標的は――見張りが二名。
美沙斗は傍目にはゆっくりと、しかし音も気配も消して相手に近付くや、いきなり視界から消え――いや、一気に間合
いを詰めて手近の一人を当て落とし、更にもう一人を、いつの間に抜いたのか、小太刀の峰打ちで昏倒させていた。
美沙斗は周囲を注意深く窺い、弓華といづみを促す。
二人はすぐさま駆けつけ、相互に支援しながら屋内に突入する。美沙斗も二人の後に続いて中に入っていく。そして外
では、支援班によるピケットラインが狭められて、包囲線にその姿を変えている。一人として逃さず、いざとなれば殺傷 も辞さない構えであった。
そこはいわゆる雑居ビルで、一階部分は駐車場となっている。もっとも、そう数多く車を停めて置くだけのスペースがあ
るわけでもない。せいぜい普通乗用車が15、6台停められれば御の字な広さである。
入って左手に階段が、更に奥にはエレベーターと勝手口、そこに通じる階段があり、この3ヶ所から上階へ上がれるわ
けだが、廃ビルであるから当然エレベーターは使えない。
周囲の気配を慎重に探りながら、正門側階段を登る。屋内の戦闘は、階段を登りきった時と廊下の曲がり角、そして
部屋への突入時が最も危険である。理由は簡単、守る側が待ち伏せをかけるには丁度良いからだ。とは言え、充分に 守れるだけの人数がいて初めて、それは成立する。
今度は弓華が気配を探る。夜目をこらして周囲を警戒するが、敵の気配はどこにもない。二階部分には誰もいないよう
だ。
「では、私が奥から行こう。これでも今まで単独の行動が多かったからね」
美沙斗が小声で弓華といづみに告げ、あっという間に闇に溶け込んで行った。もちろん、警戒は怠らない。
「……凄い人だな、"あの御神流"の使い手ともなると……」
実際の現場で「御神流の使い手の動き」というものを見るのが初めてだったいづみは、思わず弓華に話しかけた。無
論、常人には聴こえるかどうかも怪しい程、小さな声ではあったが。
「……ホンとに、凄いでスよ……さ、いづみ。私達モ、行きマしょう!」
「よし、次は私が先に行く」
いづみが三階へと続く階段を、注意しながら上がっていく。ここから先は、何が起きるか分かったものではない。もっと
も、いざとなれば"奇襲"が"強襲"に変わるだけの事だから、こっちの胆さえ据わっていれば何の事も無いわけで。
そして「その時」というのは、往々にして意外と早く訪れたりするものなのだ。
それは、本当に偶然でしかない。警戒しながら階段を登りきり、廊下の方を向いた途端、いづみは『龍』の一味のひとり
とハチ合わせしてしまったのだ。
幸いだったのは、そいつが酒でもあおっていたのか、ほろ酔い状態でへらへらと笑っていてまるで隙だらけだった事で
あろう。見た瞬間、いづみは胆が据わった。
「はぁ〜い♪」
と声を掛けざま、勢いをつけて右足を思いっきり跳ね上げる。跳ね上げられた爪先の行き着いたその先は……。
「〜〜〜〜〜っ!?」
男の「急所中の急所」たる、股間だった(爆)。口をぱくぱくさせて青ざめた表情になり、前かがみになった不幸な『龍』の
エージェントに、いづみはとどめのかかと落としをお見舞いする。
これでスカートだったなら、パンティが丸見えになった事だろう。だが、あいにくこの時のいづみはパンツルック。今際の
際の天国すら見る事も叶わず、一人撃沈(笑)。
この時の派手な音で、二、三人が何事かと顔を出してきた。この時点でもう奇襲ではなく、完全無欠の「殴り込み」に変
わる。
「弓華、スマン。派手にやり過ぎた」
「大丈夫、後はもっト派手にやるダけです!」
「よっし、いくぞ!」
廊下に出てきた『龍』のエージェントに向かって、二人が駆け出して一気に間合いを詰める。とっさの事に、敵は拳銃も
使えない。いづみは一番手前の一人の懐に身体ごと突っ込むと、得物の「円架(まどか)」の柄で、鳩尾を勢いのまま突 く。
弓華もまた、もう一人の敵が慌てて殴りかかるのを難なくあしらうと、右足を相手の腹部に蹴り入れる。壁との間が狭か
ったからか、弓華の蹴りを喰らった敵はそのまま壁に叩きつけられ失神し、背中からずり落ちて床に倒れた。
残る一人はようやく拳銃をホルスターから抜いて構えようとするが、突如現れた"背後からの影"の一撃で簡単に崩折
れる。
「美沙斗!謝謝!」
「すいません、ありがとうございます!」
「二人とも、やはり大したものだね」
美沙斗もまた恐るべき早業で、反対側にいた敵を二人昏倒させていた。と、両方の階段方向から慌しい足音が響いて
くる。頷き合うと、それぞれもと来た方向に駆け出す。
丁度、敵が二人前後して弓華といづみの前に現れた。弓華が低い姿勢ですれ違いざま、短刀で先頭の敵の膝を深く斬
り抜き、態勢を崩したその敵の側頭部を、続くいづみが回し蹴りで側壁に叩きつける。弓華はそれに目もくれず、すぐ に二人目の敵に斬り付けて気を引く。一人目を昏倒させたいづみがこれに加わって斬り付けると、今度は弓華が隙を 突いて相手の腕を掴んでバランスを崩させ、倒れかけたところに蹴りを打ち込んで失神させた。
美沙斗も出会い頭の敵に小太刀の一撃を浴びせ、もう一人がナイフで斬り付けて来るのを、避けもせず小太刀で跳ね
飛ばし、峰打ちで「徹」(とおし)を放つ。ごく弱い――とはいえ臓物をかき回すには充分過ぎる――衝撃が二人目の敵 を撃沈した。
倒れた敵を"処理"――要は動けないように縛り上げた――して四階へ。
さすがにここにいた敵は短機関銃を乱射してきたが、一人だけだったのが運の尽きだった。機を見て「神速」を発動し
た美沙斗が、相手のどこをどう打ったものか、瞬時に当て落としてしまったのである。
「……後は最上階だけか」
「やはリ、"馳龍"は上でスね」
「いよいよ、兄様のオトシマエをつける事ができるな」
そうこう話していた三人の嗅覚を、かすかにくすぐるものがあった。
「うん?」
「何デしょう、このにおイ?」
「……この部屋だね、もうここで敵の気配は感じないから、入っても支障はないと思う」
三人は、それでも警戒を解かずにその部屋に入った。
その匂い、いや臭いは部屋に入った途端にひどく濃くなって三人を覆う。その奥に――
「うっ!?」
「何テ……事……」
「…………」
それは、あまりにも惨い光景だった。若い女性が二人、全裸のまま床に横たわっていて、最早ピクリとも動いていなか
った。一人はうつぶせ、もう一人は仰向けの状態で。
二人のその全身に散った、そして陰部から床に垂れ落ちている"モノ"が、むせ返るような臭気を一面に発散させてい
たのだ。辺りには少量ながら血痕も付いていた。
念の為脈を取ってみるが、それは事実を再認する為の儀式でしかない。弓華と美沙斗がそれぞれ重苦しい溜息を吐
く。
「この二人……もしかして……」
と、いづみが苦々しげに口を開き、物言わぬ二人の女性の顔を確かめる。
「ああ……やっぱり」
「何か心当タりが?いづみ?」
「……ああ、一週間くらい前かな。二人の若い女性が、何の前触れも無く行方不明になった事件があってな。まさか、こ
んな事になってるとは……畜生!」
唇を噛み締めるいづみ。
弓華は息絶えた二人を前に、嫌悪感と怒りがこみ上げてきた。かつて、弓華は『龍』の幹部のひとりから、俺達は"世の
中のありとあらゆる偽善"を糺す為に、この手を血に染めているんだ、そう聞かされていた。だが実際はどうだ?もし も、百歩譲ってこの世の営みが全て「偽善」だとするならば、『龍』のしている事はまるっきり"ケダモノ以下"ではない か。
短い黙祷の後部屋を出て、弓華、いづみ、美沙斗の順に最上階への階段を進む。
最上階の廊下には、三人の敵が待ち受けていたが、いずれも"馳龍"本人ではなく、その部下である。拳銃ではなく、そ
れぞれが得物を持っている。
その内の一人が、見るからに異常だった。呆けた面構えで、無造作にただ立っている。
「……あの馬鹿面、一発で決められそうだけどな」
「それは甘いよ、いづみさん」
「えっ?」
美沙斗が本気で戦闘態勢を取り始める。
「あの"呆けたヤツ"は、私が相手する。その間に、二人を片付けて"馳龍"を倒すんだ」
そう言うが早いか、美沙斗は駆け出していた。遅れじと弓華、いづみも続き、狭い廊下で三対三の戦闘が始まった。
今度ばかりは、戦闘不能にするなどという悠長な事を言ってはいられなかった。弓華もいづみも、自分の持てる限りの
技を駆使してそれぞれの相手と戦う。
薙ぎ、払い、蹴り、かわす。斬撃と格闘術の応酬。
美沙斗が敵の攻撃を紙一重でかわし、強烈な蹴りを放つ。敵は派手に吹っ飛んで廊下に倒れこんだが、少しすると"何
事も無かった"かのように起き上がってきた。
「おっと!?……ちっ、そういう事かっ!」
敵の攻撃をさばきつつその様を見たいづみが、初めて納得した。もしかしたら、何か麻薬でもやっているのか?それ
は、火影が対峙した相手も同じだったのだが、いづみは知る由も無い事であった。すぐに相手の攻撃をいなすと、いづ みは間合いを詰め、「円架」で相手をはね斬った。咽喉下から顎にかけてがすっぱりと裂け、敵はものも言わず転倒す る。
弓華もまた、相手が撃ちかかるのを受け流して頚動脈を断ち斬ってのけた。とっさに手で押さえても血が一気に噴出
し、相手は悲鳴も無く目の光を失って倒れる。
駆け抜けようとする弓華を、美沙斗と対峙していた敵が押さえ込もうとするが、美沙斗は鋼糸を放って動きを封じる。
弓華はそのまま駆け抜け、更に遅れていづみも続く。
向き直った敵に、美沙斗は必殺技を放つ。
「御神流・裏 奥義其之参 "射抜"」
目にも留まらぬ高速の突きが、肋骨を爆砕し、まともに心臓をぶち抜く。同時に、いづみが突き当たりの部屋の扉を開
けて弓華が突っ込み――
パン!
銃声がして、弓華が吹っ飛んだ。背中から廊下に叩きつけられる。
「ゆ、弓華ぁっ!?」
「くっ!?」
倒れた敵を飛び越えて、美沙斗が倒れた弓華の元に駆け寄り、いづみと共に扉から見えない所まで引きずっていく。
「くははははっ、ざまぁミロ!偽善者めぇ!!あは、ははははは!!」
狂騒的な高笑いを上げているのは、まさしくターゲットの"馳龍"に違いなかった。
「くそぅっ!弓華、しっかりしろぉ!!」
いづみが相手の出方を窺いつつ、必死の形相で声を上げる。
「弓華、しっかり!」
美沙斗もまた必死に呼びかける。と、美沙斗は弓華の身体――銃弾が命中した箇所――を見て、思わず唸った。そこ
からの出血が"全く無かった"からだ。
「弓華、弓華?しっかり!」
――うぅん――
呻き声をひとつ上げて、弓華が目を覚ました。
強い痛みを感じる自分の左胸を見ると、半ば呆然としているとも見て取れる表情で、呟く。
「火影ガ……火影"様"が……私を……私の命ヲ……救って、くれタ……」
銃弾が命中したその箇所には……弓華が短刀でそこを切り開くと、そこには先を丸くした小さい苦無が一本隠し込まれ
ていて、それは銃弾命中の衝撃で、二つに壊れてしまっていた。
からん、からんと音を立てて床に落ちる、壊れた苦無。弓華は、その苦無を押し頂くようにすると別のポケットにしまい、
決然と頷いて大丈夫のサインを送る。
「それなら、今度はお返しといこうじゃないか」
美沙斗は服の内側から飛針を一本取り出すと、低い姿勢で出入り口の影に身体を寄せ、いづみと弓華を見る。指を三
本立てて、その後壁の向こう側を指す。
二人は美沙斗の側に寄って合図を待つ。
ひとつ、ふたつ。指を立てる。
そしてみっつ。
美沙斗がこの夜二度目の「神速」を発動して、飛針を放ちながら部屋に突入し、続いて弓華といづみが相次いで突入す
る。
ターゲットは――飛針が右腕に突き立った為拳銃を取り落とし、痛みに顔を歪めて飛針を抜こうとしていたところだっ
た。
弓華がすぐさま踏み込んで、咽喉に短刀を突きつけ壁際に追い詰める。
弓華の左手には美沙斗、右手にはいづみが、視線で"馳龍"と呼ばれた男を射竦めている。
「お、思い出したぞ、"泊龍"……ふん、菟弓華……それに"鴉"……御神美沙斗……裏切り者に道化者が、いい身分
になったものじゃないか、ええ?」
弓華は応えない。ただ、両の瞳は激烈なまでの怒りを隠さない。美沙斗もまた、ただただ"?龍"を冷たく見据えるのみ。
「兄様の借りを、返しに来たぞ」
いづみが怒りも露わに詰め寄る。
「はっ、誰だ?それは……っ!?」
"馳龍"が何か挑発しようとするのを、弓華が短刀を更に押し付けて黙らせる。
「これカらお前ハ、警防隊の監視下デ尋問の後裁かレる。何ヲ言おうと、お前はこれかラ"報い"を受ケる事になる」
「報い?……くくっ……くははは……俺が何をした!?俺達が何か"悪い事"でもしたか、ああ?やるべき事をやりたい
ように、やりたいだけやる、一体そのどこが悪い!?はっはっはは、お前等はいつの間に"崇高な偽善者"になったん だ!?お笑いだな。ふん、兄様?知った事か!今頃は地獄に落ちてるだろうから、そんなに好きなら自殺でもして地獄 まで会いにいった――」
罵倒を続けようとして"馳龍"は最後まで言葉を出せなかった。弓華が短刀の切っ先を、彼の開いた口に刺さる直前の
ところまで突っ込んだからだ。
そして弓華は静かに、しかし暴発してもおかしくないほどの怒りをこめて、
「その"偽善"ひとツすら出来なイ"獣"が、偉そウな口を叩かナい事でス」
と言うや否や、一旦引き抜いた短刀で咽喉の薄皮一枚を斬り抜いて、継いで股間に膝蹴りをみまわせると、青ざめた
顔で前かがみになった"馳龍"の後頭部に、一撃を与えて昏倒させた。
「あぁ〜あ、ケリは私がつけたかったけどなぁ……ま、いっか」
いづみが何とも言えない表情で言うと、美沙斗は不幸な"馳龍"の両手を鋼糸で縛り上げて、待機しているはずのグエ
ンに無線をかける。
「こちら"渡鴉"、作戦終了――目標確保せり。オールブルー」
…………たまたま偵察に出ていた『龍』のエージェントのひとりが、廃ビルの近くまで来て異様な気配に気付いた。
「いけねぇ、これは……警防隊か!?」
上着の内ポケットから携帯を取り出すと、いずこかと連絡を取ろうとする。
が、相手が出たその瞬間、彼は突如躍り出た「影」を目にし――それが最後の光景となった。
いずこかに電話をかけようとする怪しい男を、リスティは見逃さなかった。『龍』の"刻印"を確認するや否や、クラトゥ・ナ
グマにサインを送る。ナグマはサインを受けると、張り込んでいた林の影から突っ走って、間合いを一気に詰めると何 も言わず、すれ違いざまにグルカ・ナイフを一閃する。
充分な手応え。
血を噴出してゆっくりと男は倒れた。
リスティに礼を言って、ナグマは地面に落ちた携帯を無造作に拾う。そこにグエンから連絡が入った。
「ナグマ、ケリがついたぞ。これより現場処理に入る」
「了解。こちらも思わぬ掘り出し物を見つけましたよ」
「ん、掘り出し物?……分かった。そのまま持ってとりあえずは合流してくれ」
「了解しました……こちらナグマ、ケリはついた、集合せよ」
事後処理の為廃ビルに入る支援グループを横目に、弓華、いづみ、美沙斗、リスティ、グエン、ナグマの五人が、指揮
車としていたワンボックスカーの前に立っていた。
「後は、兄様がヤマを越えてくれれば……」
「キャップ……私たチ……」
「ああ、分かっている。本当なら"処理"にも立ち会ってもらうところだが、隊長からは"今回好きにやらせてやれ"と言わ
れているからね。御神君、君も二人に付いて行ってやってくれ」
「分かりました」
「じゃあ、ボクが運転するよ」
すぐさま三人は手近な場所に停めてあったリスティの車に乗ると、現場から遠ざかっていく。普段は面倒くさがって、医
師をしている妹にたかる事が多いリスティだが、ちゃんと一通りの事はできるのだ。目的地はもちろん、海鳴大附属病 院である。
見送ったグエンとナグマは、再び現場の指揮に戻る。
ここで余談をひとつ。ナグマが倒した男の所持品から、日本に展開した『龍』の出先機関の全貌が明らかとなり、後に
日本の『龍』組織は壊滅する事になるのだが、これはまた別の物語として語られるべき事であろう…………。
「突入」 了
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