「序章」


Written by タケ












――海鳴市某所――





……畜生、だからあれほど注意を喚起したというのに!

刺客の一人を牽制しながら、御剣火影は内心毒づいていた。
日本政府の高官と、アメリカからはるばる来日したHGS(高機能性遺伝子障害)研究の権威の一人であるマーチン・フ
ォス医学博士、そして日本でのHGS研究の権威たる矢沢医師が、つい先程まで会談していた場所。そこは今、小さな
戦場と化していた。

四日程前、会談は極秘裏に、と言う割に警備面の認識が甘過ぎる政府高官を相手に、火影はある犯罪組織の名を挙
げて注意を促した。





『龍』





――元々中国系の(と思われる)その犯罪組織は、これまでのありとあらゆるテロ・重大犯罪に関与したと言われてい
る、極めて大規模かつ危険極まりない組織であった。ここ最近になってようやくその活動は衰退していたが、未だに隠
然たる力を有している事に変わりは無い。
火影はつい先頃、その『龍』を追う対犯罪組織たる「香港特別警防隊」のある幹部から、真に憂慮すべき情報を提供さ
れていた。

「今度のHGS研究者来日との関与は不明なれど、『龍』が動く可能性大」

かつて、『龍』に属する一組織がHGSを悪用せんとしたが、その事を察知した警防隊に潰された、という事を火影は記
憶していた。ならば、まだ『龍』は"諦めていない"事になる。それだけに、可能であれば警防隊との連携も視野に入れ
て、と思い意見具申したのであったが――意味不明な高官の事情とやらによって、高官お雇いのボディーガード(と言う
よりはガラの悪い私設秘書)が、せいぜい五人程度の護衛――が関の山であった。何とかごり押しして、御剣流の訓
練を受けた部下二人を追加する事は出来たが、結局のところ火影が高官に対して出来たのはそこまでで――火影は
結局、この後独断で警防隊と連絡を取った。兄の空也を始めとする御剣の者達がそれぞれ別件で動いていて、すぐに
は連絡が取れなかったからだ――そのまま当日を迎える羽目になった。
しかも、いざ実際に襲撃を受けてみると、それまで威勢の良かったボディーガードは、何の役にも立たずに右往左往し
た挙句、簡単に薙ぎ倒されてしまった。

「…………ザッ……こちら"熊鷹"、障害排除。これより脱出します、送れ!」

「了解、こっちは気にするな、送れ!……さて、こいつをどうする?御剣火影……?」

部下達は、どうやら上手く護衛対象を脱出させる事が出来そうだ。それは良いが……。
襲撃をかけてきたのは三人という少人数ではあるものの、並の襲撃者ではなく「レベルの高い訓練を受けた"特殊部隊
クラスの"殺し屋」で、特に、今火影と対峙している一人は別格、と言うより異常だった。
こちらが打撃を与えても、どういう訳か敵は何でも無いかのように立ち上がり、向かって来る。一番の使い手であろうこ
いつさえ足止め出来れば、脱出もやり易いだろう……火影の判断は確かに正しく、部下が他の二人の襲撃者を何とか
葬った様だが、問題はこの男の異常なまでの「打たれ強さ」だった。
こいつ、何か"ヤク"をやってるな……。
火影の頭のどこかで、そんな推測が導き出された。油断無く短刀を構えて相手の出方を図りながら、忙しく頭を回転さ
せる。いずれにしても、襲撃者が少人数だった事は幸いだった――並の三人ではなかったが――護衛対象が何とか
脱出出来るメドが立った以上、時間をかけるのは上策ではない。

「ザッ……こちら"灰鷹"、"サシバ"との合流に成功せり!送れ!」

「……ザッ……こちら"サシバ"、遅れて済まないが送信のみだ、護衛対象は全員無事、三人回す!」

"サシバ"とは、警防隊の指揮官の今回のコードだった。"隼"は火影、"熊鷹"と"灰鷹"は火影の部下のコードである。
よし、奇襲こそ喰らったが形勢はこっちに有利だ。遅れた借りは、その内返してもらおう。
と、そこまで考えた火影の身体が、反射的に動く。
敵が反撃に転じて来た。コンバットナイフを閃かせ、素早い動きで火影目掛けて突進してくる。素早くはあるが、今まで
のダメージが"何か"によるものであろう痛覚麻痺の状態を裏切っているのか、最初の内のキレが全く無い。
それを火影は受け流していなし、勢い余って背中を見せた敵が振り返る暇も与えず、敵以上の素早さで身体を沈める
と、その場所を軸点に強烈な足払いをかけた。見事に両足を掬われた敵はろくな受身も取れず、まともに頭から硬い
床に叩きつけられる。

ゴッ、という音が火影の耳を打った。
そのまま敵は動かない。

「終わった、かな……?」

火影はまだ態勢を解かない。
と、複数の足音がこちらに近付いて来る。火影の「戦場」に、警防隊のエージェントが通信通り三人馳せ付けてくる。先
頭に立って来た中国系の女性エージェントを見て、火影は一瞬「弓華か?」と思ったが、全くの別人だった。危うく浮か
びかけた苦笑を噛み殺して警戒を解き、視線を向ける。

「大丈夫ですか!?」

女性エージェントの問いかけに、ああ、どうやら無事らしい、そう応えようとして、火影は倒れたまま動かないはずの敵
が「動いている」のを、その視界の端に見咎めた。身体、ではなく手が。その先には――手榴弾!?

「手榴弾っ!!」

反射的に火影は叫ぶと、一番近くにいた女性エージェントを手近な支柱の陰に突き飛ばし、自分もそこに飛び込もうと
して――そこで手榴弾が炸裂した。





わずかな閃光。





飛び散る破片と肉片。





破片が身体に食い込む「熱い感覚」を、火影は確かに感じていた。
どさり、という音がやけに遠く感じる。
自分がどういう状態なのか、全く分からない。
さっき突き飛ばしたエージェントは、無事だろうか?
痛みが全身を覆う。
その一方で、意識も感覚も急速に薄れていく。

「…………ぐぅっ…………」

ようやく呻き声が出た。それだけ。
薄れていく意識。

「……!?…………っ!!」

誰かの声が聞こえた。
やけに甲高い。
途切れ途切れの意識に呼びかける声。

「……っか……しっ……て下さいっ!!」

その呼び声は、すでに悲鳴そのものだった。

ああ、これが「死」というものなのかな……?
だとしたら……何て……呆気ない……。

ふと、家族の表情が、その後で無邪気に笑う弓華の表情が、火影の意識を占領した。

ああ……。

俺は、みんなに……弓華にこれから……。

……何もして……やれないのかな……?

……冗談で……ない……。










「……ゆ……ん……ふぁ……」










………………闇が覆った………………。











――香港――





「……何だと!?嘘じゃないだろうな?」
電話中の声の調子が、いきなり剣呑なものに変わった。
しかし、すぐに冷静さを取り戻すと今度は確認する。
「……分かった、矢沢医師とフォス博士は無事なんだな?……うん……よし、引き続き捜索を続行してくれ。こっちも"グ
エン"と"ナグマ"を送る……ん、すぐ行動に移れ」

がちゃっ。

いささか乱暴に受話器を置くと、陣内啓吾――香港特別警防隊実働部隊隊長。コードネーム"樺一号"――は後味悪
げな表情になり、椅子にどさっと腰を降ろした。
「……何か緊急を要する異変でも発生しましたか、隊長?」
50代の男が啓吾に問いかける。
「うん?いや、任務自体は概ね成功だ。襲撃者は叩きのめし、博士も矢沢医師も、ついでに立会いのお偉方も無事だ
そうだよ、グエン。だが、問題はそういう事ではないんだ」
グエン、と呼ばれた50代の男は、名をグエン・ヴァン・タオと言い、末期のヴェトナム戦争を南ヴェトナム政府軍の兵士
として戦ったが、サイゴン(現ヴェトナム・ホーチミン)陥落後一時難民となり、曲折を経て警防隊に入隊した経歴を持
つ。啓吾にとっては実戦経験豊富な、頼りになる古参の部下であった。
「今度の襲撃で……弓華君の身元引受人な……うちのエージェントを庇って吹っ飛ばされた」
「何ですって!?」
一度苦い表情になった啓吾は、それを消す事に失敗したまま言葉を続ける。
「今、現地の病院に搬送されたそうだよ。だが、意識が戻らんそうだ」
「………………」
「ナグマ」
「はい」
ナグマと呼ばれた男が応える。
クラトゥ・ナグマ。彼は元々ネパール人だが、イギリス軍の精鋭「グルカ兵部隊」に所属していた。任期を終えて除隊後、
警防隊に入った経歴を持っており、まだ30代に入ったばかりという事もあって警防隊のホープの一人と目されている。
「グエン」
「はい」
「聞いての通りだが、二人ともすぐに日本に飛んでもらうよ」
「了解。ですが隊長、確か弓華君と御神君が、そろそろ日本に着いているはずでは?」
グエンが啓吾に問う。暗に連絡を取るべきではないか?と聞いていた。
「ああ、確かにそうだ。もっとも、今頃現地のメンツか"御剣"の方から知らされてるだろうがね。それに知ってしまったら
最後、みすみす黙って現地に展開したメンツに任せるとは、とても思えん。特に弓華君は……ま、そんなわけでグエン、
ナグマ、向こうでの前線指揮を頼みたい。そして弓華君と美沙斗君が"殴り込む"時、サポートしてくれ」
「了解しました。隊長は、どうします?」
ナグマの問いに、
「うん、ターゲットが日本に、しかも"海鳴という場所"にいる事が分かっている以上――敵は目標を達成していない――
ここで俺がするべき事は別ものだ。まぁ、俺も後から行くつもりではいるが、俺が踏み込むよりあの二人が殴り込む方
が余程早いと思うよ」





…………二人が去った後、啓吾は椅子の背に一度身体をもたれかけ、すぐに勢いよく立ち上がるとグエン、ナグマの
日本渡航の手続きを取り、それが終わるや否や部屋を出て行った。





――後味の悪いラストは大っ嫌いだ――





知らず、啓吾の口から言葉が漏れ出た。




















「序章」 了



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