「"悲島"の記憶」後日譚 〜ある夫婦の「退魔」始末〜


Written by タケ


――はじめに――

この物語は、「神咲一灯流」の当代、神咲薫の祖母であり先代にあたる神咲和音と、彼女の夫である薫の祖父に焦点
を当てたものであります。
従って、「とらハ」本編のキャラクターで登場するのは「十六夜」のみである事を、あらかじめお断りしておきます。
以上の事を御了承いただいた上で、当物語をお読み下さると幸いであります。
では、つたない物語にしばし、お付き合い下さいませ。





 鹿児島市から少し離れた、とある場所の神社に現れた「霊」を祓って欲しい。
 そんな依頼が来たのは、神咲和音が正式に「神咲一灯流」当代となってから、しばらく経った頃の事である。


 ・・・・・・和音が当代となり、「霊剣十六夜」を正式に継承した後、戦地帰りの夫は一灯流先代たる楓の要請を受けて、
表の「神咲一刀流」師範代となっていた(当時、一刀流師範はまだ楓が勤めていたが、いずれ楓は、和音の夫を正式
に師範とするつもりだった)。が、夫はそれ以外では一族の集まりを除き、神咲の「表舞台」に上がろうとはしなかった。
 しかし、戦争で有力な若手を失い、即戦力となる者が少ない現状では、自ら辞退したとはいえ「楓の後継は彼のみ」と
評され、大いに期待されていた夫の力が、和音としてはどうしても必要である。そこで和音は、自らを「影」と位置づけて
いる夫を説得して、どうにか「退魔の仕事」に加わってもらう事にした。
 夫は優しい表情にほんの少しだけ苦笑を浮かばせたものの、首を縦に振った。そして、立ち上がるとしばらく席を外し
た。
 十六夜がすうっと刀身から抜け出てきて、
「和音様、良かったですね」
と、笑顔で言う。
「ふふっ、正直自信ば無かったと。じゃっどん、良かった」
 和音はほっ、と安堵の息を吐いて十六夜に微笑みかける。
 しばらくして、夫が戻って来た。左手には一振りの刀が提げられている。
「あなた、そいは・・・・・・もしかして?」
「うん、"無月"ば譲り受けて来た」
 それは刃を落とした鉄刀であった。"鉛より重く、鋼より硬し"と評され、霊力の高い者のみがようやく振るう事ができる
と言われる「破魔刀」。
「ま、こいは俺なりの"けじめ"じゃ」
 そう言って、常人では持つにも苦労するであろう破魔の鉄刀を、まるで普通の刀を扱う如く鞘から抜いて、夫は淡々と
手入れを始める。
 和音は十六夜を隣に、黙って夫の手入れの様を見つめていた・・・・・・。


 その日、依頼を受けた夫婦が件(くだん)の神社に着いたのは午後も回った頃合である。
 出迎えたのは、四十代くらいの神主であった。神主は二人を迎え、
「おお、お待ちしちょりもした」
と、夫に向かって挨拶する。
「・・・・・・いや、当代ば、隣ぃおる和音で・・・・・・」
 夫の訂正に神主は一度きょとん、とした表情になると、慌てて和音に謝罪した。
「えっ!?・・・・・・あ、こ、こりゃ失礼ば・・・・・・」
「ああ、いえ」
 謝罪された当の和音は、さほど気にしてはいなかった。元々、神咲一灯流の当代には夫がなるはずであったのだか
ら。とはいえ、現実に自分が「十六夜」を継承し、一灯流当代となっている以上、やらなければならない事はいくつもあ
る。

 神社に「霊」が現れたのは、およそ二週間程前だという。
 最初のうちはせいぜい、
「あそこに"何か"がいるような・・・・・・」
で済んでいたが、実際に霊障が起こるまで時間はさほど必要なかった。
 初めの一週間で霊障と思しき被害者が三人立て続けに出た為、神社を預かる神主としては放っておくわけにいかな
かったが、いかんせんこの神主、世辞にも「霊力」の高い人ではなかった。
 前の神主はそれなりの「霊力」の持ち主であったそうだが、応召でとある本土決戦部隊に配属され、終戦間近の八月
初めに米軍機の銃爆撃を受け戦死したという。

・・・・・・ここにも、戦争の傷が残っている・・・・・・。

 和音の心に、少しながら"影"が差した。

 夕方近く。
 和音は夫と連れ立って、境内を一通り回ってみた。
 要所要所に式符を貼り、結界を形成してゆく。傍から見ればデートに見えない事もないが、今実際にしている事はとい
えば、そんな悠長なものではない。
 本社殿に問題は無い。社務所、境内の表も異常は無い。だが・・・・・・。
「あなた、裏の森・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 夫が無言で頷く。
 昼なお陽の当たりにくい裏手の森。その奥で"何か"が蠢いている、そんな気配があった。しかしその正体が何である
かは、森の中に入ってみないと分からない。
「さて、聞き分けば良かモンじゃと、楽じゃっとが・・・・・・」
 夫のつぶやきに、和音がぷっ、と吹き出す。
「あなた・・・・・・いつん間に、そげんなまけモンば、なったと?」
「何、和音ば手ぇかけんと済むんなら、そいに越した事ぁ無か」
 何気ない夫の気遣いに顔を真っ赤にして感謝しながら、和音は照れ隠しに言葉を継ぐ。
「・・・・・・一人、じゃなかな」
「・・・・・・じゃな、何人か固まっちょる。森ん中は暗かからな・・・・・・さ、日ば沈むぞ。和音、いよいよじゃ」
 和音は頷き、夫に言った。

「あなた、始めもんそ」


 ・・・・・・日が沈んだ。
 周囲を闇と静寂が包み込む。
 その中を夫婦が黙然と、しかし注意を怠る事無く進む。夫に少し遅れて和音は森の中に踏み込んでいた。
 かつて夫は、戦地で米軍に対する夜襲を何度も経験していた。それだけに夜目も利き、えらく頼りになる。和音もそれ
なりに夜目は利く方だが、実戦を経験してきた夫には及ばない。
 ・・・・・・考えてもみて欲しい。今の我々が、懐中電灯も無しで夜の森の中を歩け、と言われて「はい、それでは」と果た
して出来るであろうか?いわゆる"森の暗さ"は、我々が感じる"街の暗さ"とは全く異質なものなのだ。
 どの位歩いた事か、不意に夫が歩みを止めた。同時に和音も止まる。
 ゆらゆらとした「気配」が、次第に「形」を帯び始めた。和音はさりげなく夫の左側に移動すると、いつでも「十六夜」を
抜ける様に精神を集中する。いざとなれば、踏み込んで「斬る」・・・・・・。
 「霊」が、形になった。数人の兵隊。その中の一人が口を開く。
「何故おはんらぁ、ここにおっとぉ?」
 もう一人が言葉を継いだ。
「んん?軍服じゃ、なかぞ。まだ、戦ば終わっちょらんじゃろうに」
 夫が、「彼等」の質問に応える。
「もう、戦ば終わっちょる。俺は比島で戦ば終わったんを知ったと・・・・・・時におはんら、どこの部隊ぞ?」
「俺等ぁ"護南22405部隊"ばおったと。おはんは?」
「俺は"旭1125部隊"ばおって、少尉じゃった」
「ええっ!?しょ、少尉殿ぉ〜!!」
 階級を聞いた途端、「霊」・・・・・・いや「兵隊」達は一斉に直立、夫に敬礼する。
 和音は、意外な成り行きに呆然とした表情になり、「十六夜」を抜こうとしているのも忘れて推移を見守る。
「し、失礼いたしましたぁ〜!」
「しょ、少尉殿とは知らず・・・・・・」
「良か、良かぁ。戦ば終わって、今は士官も兵隊も無か。もう、こげん場所におらんで良かぞ」
「・・・・・・少尉殿がああ仰るんじゃ、戦ば終わったに違いなか」
「おお、そうじゃ」
「・・・・・・あのぉ、少尉殿。ひとつお願いが、あるのでありますが」
「何ね?」
「自分達は、隊長殿がどこに行ったか分かりません。動員解除の命令を受けようにも・・・・・・」
「・・・・・・分かった・・・・・・気をぉ〜、付けぇ〜!!」
 夫が大きく声を張り上げ号令すると、兵隊達が直立不動の態勢を取る。
「本日付を以って、当地における諸君の任務を解除、同時に兵役動員全般を解除せしものとす、以上、解散!!」
 敬礼を返した兵隊達は、次々と姿を消していく。
 どうやら、今回は"剣を振るわんと"良かようじゃ、そう夫はひとりごちた。
 和音も力を抜く。「十六夜」を抜かずに済むなら、それに越した事は無い。
 彼等は終戦を前に戦死し、それからも終戦を知らぬまま、さまよっていたのだろうか・・・・・・。

 ・・・・・・"それ"は、ほんの少し、気を抜いたまさにその時に現れた。
 急速に禍々しい「殺気」が迫る。二人共に気付いたが、先に動いたのは夫だった。
 和音を庇うように抱き、転がって殺気を避ける。夫は立ち上がると、何も言わず「無月」を抜きかざし、和音を後ろに
「殺気」と正面切って対峙する。
 和音も遅れて立ち上がり・・・・・・息を飲んだ。
 夜目にもはっきりと、白い式服の夫の背中が、黒く染まっているではないか!?
「あなたぁ!?」
「大事無かぁ!!」
「グウッ・・・・・・ウルアァァァァァァ・・・・・・」
 「殺気」が唸り声をあげる。複数の敵意と悪意と、そして情念がないまぜになった"魔物"がそこにいた。
 夫の背中が、なおも黒く染まって見えている。それが和音の怒りを呼び覚ました。
 許さん、うちの大切な夫に傷ば付けおって・・・・・・許さん、許さん!!

「和音ぇ!!」

 夫が、野戦を経験した者に共通するその通る大声で妻の名を呼ぶ。傷つきながらも「無月」を構えるその姿に、揺ら
ぎや隙など全く見えない。正眼の構えで"魔物"を釘付けにしながら和音を叱咤する。

「和音ぇ、おはん"一灯流ば意義"、忘れたか!?」

 和音がはっ、と我に返る。
 ・・・・・・そうだ、「十六夜」を持つ者が簡単に自分を見失ってはならない。ましてや傷ついたとはいえ、夫は"目の前に
生きている"ではないか。
「和音様、早く祓いませんと・・・・・・」
 いつの間に出て来たか、十六夜が和音を促す。
「・・・・・・じゃな」
「はい、放ってはおけません」
「よし」
 十六夜が刀身に戻る。和音は精神を集中すると「十六夜」との呼吸を合わせる。

「神機、発勝!!」

 凛とした声。大きく「十六夜」を構える。
 刀身がまばゆく光を帯び、輝く。
 その時を待っていたかのように、それまで"魔物"と睨み合っていた夫がすっ、と飛び退く。
 "魔物"が夫を追おうとして和音に気付く。向きを変えて和音に襲い掛かろうとしたが、すでに遅い。

「真威・楓陣波ぁ!!!」

 和音が深く踏み込み、「十六夜」を一閃する。
 自分から「十六夜」の軌道に突っ込む格好となった"魔物"が両断され、瞬時に炎に包まれる。
 炎は森の梢を抜け、天へと駆け上り、そして消えた・・・・・・。
 それを見届けた夫が、ガクリと片膝を突く。
「あなたぁ!?い、十六夜!」
「はい!」
 刀身から出た十六夜が、和音に手を引かれて夫の背中に回り「癒しの気」を送る・・・・・・。


 ・・・・・・鹿児島。
 夫は縁側に座って、晴れた夜空に浮かぶ月を見ていた。
 あの時背中に負った傷は思ったよりも深く、十六夜の「癒し」は応急処置に留まるものであった。
 結局、一ヶ月程の入院を余儀なくされ、夫はついこの間退院したばかりである。
 夫の入院中、和音は片時も夫の側を離れず、見舞いに来た家族や友人にさんざ冷やかされる始末であった。
 和音は夫の左肩に頭を預け、しどけなく座って夫に寄り添う。
 たまに、自分が「弱くなった」のではないか?と思う時がある。しかし、夫あってこその自分なのだ。夫がこうしているか
らこそ、自分は"自分でいられる"のだ。





 自分には"甘えられる人"がいる。





 大切な夫がいる。





「・・・・・・良か月じゃ、なぁ、和音」





「・・・・・・うん♪」





 晴れた暖かい夜のひととき、夫に寄り添って月を愛でるのが、それからの和音の新しい日課のひとつとなったのは、
言うまでもない・・・・・・。





「"悲島"の記憶」後日譚 〜ある夫婦の「退魔」始末〜 了










後記


やたらと長い後記。

・・・・・・いかがでしたでしょうか?
この作品は、同人誌「Angel flying」(2002年3月"とらパ"にて販売)に掲載された作品の細部を加筆改訂し、タイトル
も一部変更したものです。
さて、この作品は元々執筆の予定に含まれていたものではありませんでした。当時は「"悲島"〜」の第二稿が丁度公
開されて間もない頃で、筆者は一時「幽体離脱」の境地にあった記憶があります(笑)。
そこに、たまたま一通のメールが届けられ、そこにこう書かれていたのです。

「ゲスト執筆をお願い出来ませんか?」

・・・・・・最初、どういう反応を示せばいいのか本当に困ったものです(苦笑)。
それでも、何とか無い知恵を絞った挙句、一応の完成を見たのが改訂前の当作品だった、というわけです。ちなみに、
筆者の作品で初めて、同人誌なるものに掲載された作品でもあります。
当作品はこんな経緯もあって、自分としては「同人誌オンリー」にして、HP投稿→公開は無しにしようか、という事で、今
までこの作品を封印していたのですが、掲載元がHPを立ち上げた事を契機に、公開してみようかな?と思った次第で
す。
単に「新作のネタが無いだけでないかい?」というツッこみは正直イタイので(自爆)。実際その通りではありますが(超
自爆)。

さて、少し真面目な話。
この作品群(「"悲島"〜」から当作品)は、いわば「とらハ外伝」という形を取って執筆したつもりです。つまり"「とらハ本
編」以前の物語"という格好を取っているわけです。
当然ながら「とらハ本編のキャラ」など出てくるはずはありません。せいぜい十六夜さんくらいのものです(彼女でさえ、
当作品群の中では脇役なのです)。そういった意味でこの作品群は、いわゆる「二次創作」とは一線を画している「一次
創作」と見る事が出来ます。
ただ、本編のキャラ以前に物語はなかったのか?と言えばそんなわけもなく、特に謎の多い「神咲一灯流」にまつわる
物語などは、「薫以前に無し」なわけなど当然ありえません。であるのに、薫の前に十六夜を振るっていた和音さんの物
語は、あっても不思議で無かろうに殆んど書かれている様子が見受けられません(脇を固める役として多く描写されて
いるのが殆んど)。
では、どうして和音さんが十六夜を振るう事になったのか、その事を物語にしてみるのもいいのではないか?という事
で、筆者は一連の作品群を執筆したのです。
和音の夫が戦地で戦死したのか、あるいは生還し得たのか、その事については公式には何も語られていません。しか
し筆者は、「神咲一灯流の存在意義」を正に"その目で、しかも殺戮の只中を経験した者にしか分からない目で感じた"
和音の夫、すなわち薫の祖父の存在なくして、和音の十六夜継承は語れまいと思い、敢えて「薫の祖父生存説」で物語
を構築したのです。

この作品群をどう批評するか、良いと見るにせよ、悪いと見るにせよ、その資格は筆者にはありません。同時にこの作
品を読まなかった方にも、途中で読むのを止めた読者にも、作品群を批評する資格は「露ひと滴すら」ありません。そ
の資格を持つとするならば、「最後まで作品群を読んだ方」以外にないのです。もっと正確に言えば「最後まで読んで"
何か"を感じ、考えた方」こそ、この作品群を批評する"本当の資格"を有している、という事なのです。
・・・・・・恐らく、筆者は読者の皆さんに対して「デカイ事」を抜かしているかもしれないし、もしくは「喧嘩を売っている」とと
られても仕方のない事を言っているのかもしれません。
ただ、読者の方々には、実際に誰かの作品を紐解いたのであれば、途中で投げる事無く最後まで読み終えて、それか
ら「ここがいい」とか「ここが違うと思う」とか述べて頂ければ、と思うのみです。

さて、説教じみた文はこれまでにして。
本来はほのぼの、あるいはべたあま系やら、ギャグ(壊れ?)系作品が大好きな筆者が、何をとち狂ったのか、とんだ
作品をこしらえてしまいましたが、その辺りは何とぞお許し頂ければ幸いです。

では、この辺りで筆を擱こうと思います。





追記:

「護南22405部隊」――第146師団所属「歩兵第423連隊」の通称符号。
昭和20年5月9日に軍旗を下賜された連隊は、その後鹿児島県枕崎市に展開して本土決戦に備えていたが、間も無
く終戦を迎えた。

「旭1125部隊」――第23師団所属「歩兵第71連隊」の通称符号。
薫の祖父が配属された設定の連隊。明治41年5月8日軍旗拝受、大正14年に一旦廃止されるも、昭和13年4月に
再編成、満州に派遣されノモンハン事件で兵力の大半を失う。事件後補充を受けて満州西北部に駐留、昭和19年に
フィリピンへ移動する。移動先のルソン島で比島決戦を迎え、全滅寸前で終戦を迎える。比島決戦での残存は、現地
補充を含む約5500名中、約600名と伝えられる。



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