コラム(10)










今回は、あくまでも個人的な言葉として。

今まで、筆者はこの場を借りてフィリピン戦における事どもを記してきた。
が、これはことフィリピン戦に関しても「ほんの一部」に過ぎない。
ましてや、太平洋戦争という中において、また「満州事変」より続いた「15年戦争」というくくりで見ると、まさしく"ほんの
豆粒"程度の事しか洗い出していないのだ。

そして、「神咲少尉」こと薫の祖父が本編の中で、あるいはそれ以外のところで何を見て、何を感じ、何に苦しみ、悩ん
だのか。
我々が、本当の意味でそれを知る事は恐らく出来はしないであろう。
いくつもの資料、文献、現存する当時の写真のみが僅かに示す「重い現実」を、我々はどう受け止めるべきであるの
か。

筆者は、「とらハ」という媒体と、薫の祖父というほとんど語られていない人物を軸とする事で、自らの出来うる限りの事
をしてきたつもりである。
そこで「突きつけられたもの」は、執筆した「"悲島"〜」を以ってしてなお、言葉に表現できかねるものであった。

数字、文章・・・・・・その奥の"闇"・・・・・・。

果たして「"悲島"〜」からその"闇"は見えたであろうか?
このコラムを見た後で、もう一度「"悲島"〜」を読み直してみて欲しい。
別に、筆者は無理に"闇"を見て欲しいとは言わないし、そんなものは見えないかもしれないが、「戦争があった」という
厳然たる現実からだけは、せめて目を逸らして欲しくはない。

終戦時にフィリピンで日本軍と対峙していた米軍戦力は、

歩兵8個師団と2個旅団

空挺1個師団

彼等は、最終的に日本上陸が予定されていたが、フィリピンの日本軍に釘付けにされ、ついに終戦の日まで、ルソンか
ら離れる事はできなかった。





米軍公刊戦史は、ルソン戦を以下の文章で総括している。

「By any standard, the Shoub group accomplished the delayed mission Yamashita envisaged for it」

(どの見地からも、尚武集団は、山下が希求した米軍拘束の使命を完遂した)





・・・・・・全ては、読者の判断に委ねたい・・・・・・。





コラム(10) 了
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