第4話


Written by タケ


「"破断界"ニ達セリ」
―片岡 董(かたおか・ただす)中将・第1師団(「玉(タマ)」兵団)長―

「そして、今や兵士達が神と一緒に苦しむ」
―ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」―










"悲島"の記憶・第4話





 ルソン島北部。
 東のシエラマドレ山脈と西のコルディレラ・セントラル山脈に挟まれた、南北に細長く広がる低地。
 そこを流れる川の名前を取って「カガヤン平野」あるいは「カガヤン河谷」と呼ばれるその地域は、ルソン島有数の穀
倉地帯であった。
 しかし、今や水田地帯も芋畑も、米軍の空爆や日本軍とゲリラの地上戦等で、荒廃してしまっている。平地を見れば、
荒れた田畑。森に入れば、戦傷やマラリア等の病気で動けなくなった、あるいは息絶えた兵隊達。
 空からは米軍機が我が物顔に飛来し、日本兵と見るや容赦無く銃爆撃を浴びせ掛ける。

 バレテ峠を突破した米軍は、6月初旬にはバンバンからバヨンボンへと北上、日本軍を急速に圧迫し、そこに疎開し
ていた一般邦人や負傷兵を巻き込んだ、凄惨な戦闘が起こった。
 ここはカガヤン川の支流の一つ、ラムット川が流れていたが、折からの雨期で出水してしまっており、氾濫した川の水
が退路の橋を押し流してしまったのである。
 橋は流され、北への退路は断たれたも同然。南からは米軍が迫る。

 ・・・・・・・・・遂に"破断"した・・・・・・・・・。

 叫び声を上げ、徒手空拳で米軍に突撃し薙ぎ倒される兵隊、奥地のキャンガンの方角を恨めしげに睨み、服毒自殺
する病患者、せめて米兵に殺されるよりは、と濁流に飛び込み押し流される者達・・・・・・。
 米軍の目を盗んで川岸をさかのぼり、浅瀬から対岸に渡って一命を得た者は、ほんの一握りの健常者のみであっ
た。

 他の戦線はどうだったろうか。
 マニラ東方の「振武集団(後第41軍に名称変更)」は、4月下旬まで米軍に対し頑強に抵抗を続けていたが、5月19
日にイポ・ダム、28日にワワ・ダムと、マニラの水源地を失って崩壊を始めていた。
 セブ島の日本軍も米軍に対し抵抗していたが、5月中旬までには組織としての抵抗力を失っていた。
 ミンダナオ島でも似た様なもので、3月に続き4月17日に上陸した米軍は、日本軍の抵抗を破って5月3日にダバオ
を占領、内陸部に日本軍を追い詰めていった。
 ビルマ(現ミャンマー)では、英印軍のトングー(ラングーンより北、地図上直線距離約240q)占領に周章狼狽したビ
ルマ方面軍司令官・木村 兵太郎(きむら・へいたろう)中将が、4月下旬、在留邦人や傷病患者、部下の将兵を置き
去りにラングーン(現ミャンマー首都・ヤンゴン)を放棄、ビルマ南部、サルウィン川河口のモールメン(ラングーンよりマ
ルタバン湾を隔てて東、地図上直線距離約170q)に退避してしまった。そして後から脱出した多くの将兵や在留邦人
が、現地部隊の必死の防戦も空しくシッタン川の藻屑と化したのだった。
 この様な体たらくでは、万卒は枯れるより無いではないか・・・・・・。
 沖縄では、6月に入って戦線が崩壊を始めた。
 11日、小禄(おろく・現那覇空港周辺)地区の海軍陸戦隊が「玉砕」した。
 指揮官、太田 実(おおた・みのる)少将の決別電の一節。

「沖縄県民斯ク戦エリ、後世特別ノ御高配ヲ賜ラン事ヲ欲ス」

 沖縄戦は最終段階となり、「ひめゆり」「おとひめ」女子挺身隊の悲劇等をも生み出しながら、終焉へと向かっていっ
た。

 ・・・・・・・・・ルソン島北部。バヨンボンからキャンガンへと通じる、フィリピン国道11号線。

 神咲少尉が率いる小隊は、もはや分隊に毛が生えたような規模になってしまっていた。
 他部隊から合流してきた兵隊達を入れても、戦闘や飢餓、病気などで片っ端から息絶えていく状況では、新入りの兵
隊の名前すら覚える暇も無い。
 神咲が、部下の山名一等兵の異変に気付いたのは、そうした最中の事だった。
「痛むか?」
「い、いえ、これしき・・・・・・」
「山名、こうもなるまで、何故黙っていた?」
「・・・・・・少尉殿や皆が頑張っているのに、自分がこれしきの事で、足手まといになっては、と」
「全く、それとこれとは別だと言うのに・・・・・・」
「も、申し訳無くあります」
 山名一等兵の足は、栄養失調からくる潰瘍で腫れ上がり始めていた。このまま放っておけば、いずれは足が生きな
がらにして腐り、やがては死に至ってしまうだろう。
「言うな、それよりまだ歩けるか?」
「はっ、何とか」
「なら、先にキャンガンまで行くんだ」
「えっ!?」
「もし歩けないのであれば、一人付けてやる。酷な事を言う様だが、どの道このままでは、戦おうにも走れなくなるのが
オチだ」
「・・・・・・・・・」
「今ここではロクな手当ても出来ん。それならば、歩けるうちにキャンガンへ行って、少しでも手当てをしてもらった方が
良いと思うが、どうだ?」
 ・・・・・・結局、山名一等兵は先にキャンガンへ向かったが、この後神咲が山名一等兵と再会するのは、終戦後の事と
なる。

 独立部隊の中隊と行動を共にしていて、神咲は言いようの無い危険を感じていた。中隊長の大尉が自分達に向ける
視線。その視線の危険度が更に増している気がする・・・・・・。
 敗勢の中で、何かに憑かれたかの様に斬り込みを主張する大尉と、それに反対する神咲、竹下両少尉との間が、決
定的なまでに険悪化していたのだ。
 国道11号線がキャンガンへの山道に姿を変えた辺りで、中隊は追撃してきた米軍と衝突したが、この時、「事件」は
起こった。

 今の状況では、米軍の火力をまともに支え切る事は到底覚束無かった。
 大尉は、狂ったかのように"後方"から突撃命令を連呼する。しかし相手に撃ちすくめられ、前に進む事すらできな
い。
 神咲小隊のみならず、竹下小隊や他の小隊も応戦すらままならず、倒木等を盾に身を守るのが精一杯であった。
 神咲はとにかく、状況を把握せんと試みた。
 相手は見たところ、小隊に毛が生えた規模といった所か。それにしても、この火力の差はどうだろう。まさしく雲泥の
差、というやつだな。つまり、我々は斥候程度の相手に苦戦している様なものだ。
 それでも、神咲はただ感心するだけではない。自分の小隊を、苦労して相手の左翼側に移動させると、すぐさま反撃
に転じた。

 シュポン!

 小島上等兵が擲弾筒を撃った。
 フワリと榴弾が舞い、放物線を描いて敵左翼のど真ん中に着弾、爆発する。
 手榴弾3個分の威力を持った榴弾が、あっという間に敵左翼の陣形を乱す。
「よし、いいぞ、小島!」
 神咲は部下の腕前を褒めると、指揮を執りつつ自分の左側を見る。竹下小隊が、正面の米兵を相手にしている。
 眼鏡をかけた竹下少尉が、懸命に指揮を執っているのが茂み越しに見えた。
と、"その後ろから連続して着弾"した。竹下の動きが止まる。

 "後ろ"から、だと!?

 神咲は我が目を疑った。そんな馬鹿な!?
 竹下の異変に気付いた兵隊が、何か叫びながら崩折れる竹下を支えようとしたが、そこに今度は米軍からの射撃が
加えられ、二人は諸共に倒れた。
 まさか?と思うのと、後方からのおぼろげな「殺気」を感じたのは、ほぼ同時。
「いかん!移動を急げ!!」
と命じたつもりが、「いそ」まで言ったところでいきなり、至近に着弾した。
「ぐっ!?」
「っ!?谷山ぁ!」
 谷山軍曹の足を"後方からの弾丸"が貫いた。谷山が、尻餅をつく様な格好で座り込む。神咲は軍刀を急いで鞘に収
め、
「小島ぁ、手伝え!」
「は、はいっ!」
 谷山を支えると、命令した。
「小隊総員、潮時だぁ!!」
 しかし間の悪い事に、今頃になって敵の迫撃砲弾が音を立てて降り注ぎ始めた。しかも、真っ先に反撃を開始した神
咲小隊が最初の制圧目標だったらしく、周囲に次々と炸裂した。
 ズシン、という音に遅れて、
「ぐあっ!?」
 平上等兵が砲弾の破片を浴びて倒れる。
 それを境に、迫撃砲弾は他の友軍の展開した場所に降り始めた。
 神咲小隊はこの隙にどうにか戦場を脱出したが、脱出後神咲が気付いた時には、部下で付いて来ているのは負傷し
た谷山軍曹と平上等兵、二人を支えている小島上等兵と白瀬一等兵の、4名になってしまっていた。これでは、もはや
「隊」とも呼べない。

 ・・・・・・・・・退却行。
 交代で負傷した谷山と平を支え、道なき道を踏みしめながら、神咲は考えていた。
―あれは、間違い無く竹下少尉を狙い、俺を狙ったものだ。竹下少尉は撃たれ、俺への狙いはわずかに外れて、隣に
いた谷山を撃った・・・・・・。
 知らず、怒りが神咲の心を焼く。
 あの迫撃砲は、大尉のいたはずの場所にも落ちたのだろうか・・・・・・。だとしたら、もしそれで大尉が戦死しているの
であれば、二度と遭う事は無いだろう・・・・・・だが、もし遭ったなら・・・・・・。
 森のいたる所に屍が転がって、それがまるで道標の様になっていた。
 死臭の漂う道を、ひたすら歩く。
 歩いているうちに、調子はずれな歌声が聞こえてきた。近付くと、大木の根元に座り込んだ兵隊が一人。

海ぃ〜行かぁ〜ばぁ〜、水漬ぅ〜くぅ〜、屍ぇ〜

山ぁ〜行かぁ〜ばぁ〜、草ぁ〜生すぅ〜、屍ぇ〜

 その兵隊はやせ細り、髪の毛も抜け落ちて、哀れをもよおす程にみすぼらしい格好だった。
 マラリアに脳まで侵されているのか、自分のしている事に自覚すら抱く様子も無い。
 ただ、歌う。

大君のぉ〜、辺にぃ〜こそぉ〜死なぁ〜めぇ〜

省みぃ〜はぁ〜、せぇ〜じぃ〜・・・・・・・・・

 やるせない思いと、無力感が、神咲を同時に襲う。
 だが、せめて生き残った部下達の為に、俺は決して投げ出してはならない。そして和音の、愛する妻の笑顔を見るま
では、死ぬわけにはいかない。

 6月17日、山下大将は、司令部をキャンガンからバクダンに移している。
 この時期の日本軍は、食糧代わりに塩泉から塩を採取したり、せめてもの武器不足対策にと、鉱山の施設を使って
手榴弾を急造したが、全軍に行き渡るだけの量を得る事は出来なかった。
 沖縄守備隊が「玉砕」した6月23日。
 フィリピンの聖なる山、プログ山を源とし、カガヤン川に合流する支流、アシン川。
 この川の中流域に位置するハバンガンに、山下大将は司令部を移した。
 度重なる退却行の、そこは最後の場所であった。

 ・・・・・・民家が一軒、燃えていた。
 神咲は部下に小休止を命じると、民家の残骸に近付いて行く。
 火勢はすでに衰えていた。燃えるだけ燃えた様である。
 そして、見た。
 黒く焦げた屍を、ちぎれた手足を。そして足元に落ちていた数枚の軍票と、無造作に転がる1個の鉄帽・・・・・・・・・。
 一歩、後ずさる。
 吐き気がこみ上げてくるのを堪え、片手で拝むと、踵を返して部下の元に戻る。

 これが「戦争」か?

 これが「死」か?

 これが「兵隊」か?

 ・・・・・・これが、これが「皇軍」なのか・・・・・・?

 神咲の心の中の問いに、答える者は誰もいなかった。

 6月26日、米軍第11空挺師団が、ルソン島北端部カガヤン河口の町、アパリの近郊に降下、そこを守備していた日
本軍部隊である「駿(シュン)兵団」こと、第103師団を破って南下を開始、やがてカガヤン川流域を北上していた米軍
第37師団と合流した。
 6月28日、マッカーサー元帥はルソン島における「主要作戦の終了」を宣言した。だが、日本軍は未だに白旗を掲げ
ていない。
 マッカーサー元帥のプライドは、したたかに傷付けられていた。

 6月末。
 神咲以下5名は、ようやく所属部隊たる、歩兵第71連隊との合流を果たした。
 当時の連隊の総兵力は、約700名余り。現地補充も含めて延べ5000名を超える規模であったのが、もはや大隊程
度にまで落ち込んでいた。
 神咲の直属の上官だった中隊長も戦死し、小隊規模にまで兵力が激減した中隊を、予備士官の中尉が率いていた。

 プログ山周辺と、アシン川流域の東西約50q、南北約80qの範囲。
 ここを確保領域の中心として、最後の持久戦が始まろうとしていた。





"悲島"の記憶・第4話 了



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